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第1話


 ゆきちゃん 悲しいんか

 神様のお嫁さんには 成りとうなかったんじゃろ

 うちが代わっちゃるけん

 かまわんよ うちは 何も辛うない

 謝らんでええ

 泣かんでもええよ 離れても側におるから

 さあ 笑うて

 笑うて──ゆきちゃん



             ※



 どこか懐かしさを感じる音だ。せみの声、木々のさざめき、水中で聞く泡の音。遮る物のない広い場所を吹きぬける風音。いや、そうじゃない。これは雪の音だ。厚い雪の壁を通して聞こえる吹雪の音だ。

 心地よい響きが意識を眠りに誘う。柔らかな浮遊感と共に身体の感覚が薄くなってきた時、断続的に鳴る無粋な電子音が、それを邪魔した。親指に力を入れると音が切り替わる。電子音など要らないのに。このまま吹雪の音を聞いていたいのに。

「はい、終了です」

 ヘッドホンを外され、真咲まさきは閉じていたまぶたを開いた。防音処理を施された壁に囲まれた狭い部屋。握っていたスイッチを置き椅子から立ち上がると、目の前の景色が揺らいだ。

 ここはどこだろう。何故自分はここに居るのだろう。見知った筈の検査室が知らない場所に感じられ、強烈な違和感を伴って視界を脅かす。きつく目を閉じ、時間をかけてそれを振り払ってから、真咲はようやく顔を上げ、開けられたドアを潜った。

「先生からお話がありますので外でお待ちください」

 いつものように待合室の長椅子に座り、名前を呼ばれるのを待つ。

「樋口さん、一診へお入りください」

 半年に一度のルーティーン。真咲は何の感情もなく、言われるままに診察室に入り、丸い椅子に腰を下ろした。

「聴力に異常は見られませんね。眩暈めまいの方はどうですか?」

 白衣を着た若い医師が、画面のグラフを見ながら尋ねた。

 時折り襲う眩暈。突然視界が回り、急激に意識が遠のいていく。脳のCTを含め様々な検査を受けたが、異常は見られなかった。原因が分からないまま、真咲はもう十年近く病院に通い続けている。

「今年に入ってからは、まだ」

 真咲は小さな声で、そう答えた。先程の立ちくらみはカウントに入れないでおく。

「そうですか。梅雨時は症状が出るかもしれませんから、体調管理をしっかりしてくださいね」

 決まり文句だ。季節の変わり目、長雨、気圧や気温の変化、実は大して影響を感じない。実際、眩暈の頻度ひんどはまちまちで、半年以上まったく起きないこともあるし、何故か続けて起きることもある。原因どころか発現のきっかけすら分からないのだ。

「では、また半年後に検査に来てください」

 同じセリフに送りだされ、診察室を後にする。会計を終えて外に出ると、朝から降っていた雨が上がり、雲の切れ間から強い日差しが顔を出していた。

 平日の昼間にこんな所にいる違和感がぬぐえない。今日は、たまたま学校の創立記念日と重なったことで休まなくて済んだが、いい加減、通院は終わりにしたい。けれど残念なことに親がそれを許してくれないのだ。

 真咲の症状は、普通とは少し違うらしい。幼い頃に雪山で事故にあってから始まったのだと父に聞いたが、詳しいことは話して貰えないままだ。小学校に入る前だったので、記憶もはっきりしない。憶えているのは、遠くに聞こえる吹雪の音と、それから……。

 クラクションの音に、真咲は立ち止まった。うっかり赤信号で渡りかけていたらしい。後ずさりして転びかけ、持っていた傘で身体を支える。ジーンズの裾に水が跳ねた。

 注意力散漫になっている。検査の後はいつもそうだ。深呼吸して雑念を追い払ってから、真咲は背筋を伸ばして正面を見た。

 道路を渡った向こう側には、古い町並みが続いていた。寺内町じないまちというのだろうか、集落の中心には大きな寺院があって、道の先に土塀が少しだけ見えている。最近は女子をターゲットにした古民家カフェや、手作り雑貨の店なども出来ている。休日には賑わうのだろうが、今日は天気のせいもあってか人通りは少ない。

 視界の端に「手作りドーナツ」と書かれた幟を見付けた。新しくできた店だろうか。甘いもの好きな母に買って帰ってあげようと、今度は青信号を確認してから道路を渡った。足元がふわふわした。

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