零の巻 忘れない記憶
10年前の事──
一台の普通車が山奥の山道を走っていた。
車の中では運転している父、助手席に座る母。
そして、後部座席に座り不貞腐れた顔で外を見る少女がいた。
父がバックミラーを見て娘の機嫌を伺いながら聞く。
「キャンプ楽しみか?朝姫?」
「楽しみじゃないよ……ゲームが禁止なんて、退屈しちゃうよ」
「自然と触れ合うのも良いじゃ無いか。そこでしか味わえない空気や環境。それに味わった事のない体験もするだろうし」
父は昔からアウトドアな性格で、キャンプが趣味でもある。
「虫は気持ち悪いし、動物だっているんだよ。怖いに決まってる。でっかい虫なんていたら、卒倒しちゃう」
「デカくても小さくても、虫は無視ってね」
父の寒い顔に少女は真顔になって、バックミラーから映る父をみつめた。
「パパ……そのギャグ寒いよ」
「いやいや、世は体験だよ、体験!現地に行かないと分かんないよ!」
母は微笑ましく笑い、父は焦り笑った。
なんとかして娘に楽しくキャンプをしようと思っているのだろう。
「パパもゲームとかばっかりじゃなくて、朝姫に色んな事に目を向けて欲しいって思ってるだけなのよ。新たな体験に、人は心底興味を持つものよ」
「そ、そうだよ!ママ!!良い事言うなぁ!」
母が付け足して、父の真意を伝えた。
その雰囲気が朝姫にも伝わったのか、朝姫は笑って答えた。
「ママがそこまで言うなら、行くよ」
「ありがとう朝姫!!うん!そうだな!!」
母の言葉に納得した朝姫だが、父は自分の言葉のように嬉しそうに何度も頷いた。
「朝姫の方が大人かもね」
「参ったなぁ〜ママには〜!はっはっはっ!!」
二人は笑って、朝姫も自然と笑みが溢れた。
朝姫はそんな親と共にキャンプ場へと向かった。
でも、最初こそは嫌な顔をしていた朝姫だったが、いざ到着して自然と触れ合うと、予想以上に興味を示していた。
川で発見した虫を臆せず捕まえて父に見せびらかした。
「パパ!この虫はヤモリ?」
「それはイモリかな?イモリは水がある場所に生息事が多いんだ。それより朝姫はママと違って虫を普通に触れるんだな」
「別は私は大丈夫だよ。ママは苦手なの?」
と二人で遠くから日傘を差して見ている母と目が合うと、母は静かに首を横に振った。
「イモリとヤモリの違いって?」
「そこまではパパには分からないなぁ。住んでる場所が多少違うんじゃないかな?」
「ふ〜ん。今度調べてみようかな」
それからもバーベキューをしたり、家族で花火をしたりして、キャンプを満喫した。
最初こそは乗り気じゃなかった朝姫も、笑顔を見せ続けて、父母共に要らぬ心配をしたなと心から安心した。
深夜、家族全員寝ついた頃──
「……ん〜」
朝姫は慣れない環境だからか、草が揺れる音に目を覚ましてしまった。
父と母はキャンプに慣れているのか、ぐっすりと寝ていた。
少し寂しいが起こすのも申し訳ないと思い、そっとテントから出て、真夜中の外へと飛び出した。
「わぁ」
とても涼しく、滑らかな風。
都会に住んでいる朝姫にはこんな美しい風は初めて感じる感覚だった。
これが自然の匂い?土や草の独特の匂い?良い匂いとは違うけど、不思議と気持ちのいい匂いに感じる。
様々な匂いが入り乱れた街中とは違う。ここには自然の匂いしかない。
風が吹くと、草が波のように揺れる。
木も風が吹くと、ダンスを踊るように横に揺れる。
見るもの全てが目を惹くものばかりで、心から感動した。
草が揺れる音も音楽のように聞こえ、以前母に見せてもらったミュージカル映画を観てるかのような気分になった。
「す、すごい……」
目を瞑り、この音をもっと耳に残そうとした。
サラサラと草木が靡く音に様々な想像が膨らんでいた。
だが、その音は突然止んだ。
「ん?」
朝姫は目を開けて周りを見渡すと、草木の動きは止み、まるで時が止まったような感覚に陥った。
「な、何?」
その時、林の向こうから何かが来る気配を感じた。
林の中からカラス達が一斉に飛び立ち、朝姫の上を覆い全部が一つの方角に逃げるように飛んで行った。何か迫るものから逃げるように。
正直怖い。大きな恐怖が近づいてくるのが、肌で感じた。でも、恐ろしくて逆に身体が固まってしまい、朝姫はずっと空を見上げていた。
鳥達が全羽飛び立って行き、またも辺りが静まり返った。
「なん……なの」
静まり返ったのも束の間、鳥達が飛び出て来た方角の草や木が迫るように揺れ、並行して木が軋む音が聞こえ、その音が迫って来た。
分からない恐怖に、朝姫はただただ呆然と林の方向を見つめていた。
その時──
「!?」
林の奥から巨大な何かが猛スピードで現れ、朝姫の真上を通過した。
それは朝姫がいるキャンプ場一体を影で覆うほど大きかった。
「ドラゴン……!?」
するどい目つき、上下全てが鋭く尖った牙。長い爪が生えた手足に、飛行機よりも大きな羽。
何よりもその姿が、ゲームで見た事がある龍そのものだった。
「きゃあ!」
通過した途端、強風が遅れて吹き荒れて、テントや周りの木は激しく揺れ、朝姫もバランスを崩して尻餅をついた。
龍は真っ直ぐと飛んでいき、再び森の中へと姿を隠した。
風が治ると身体中が震え上がり、ホラー映画でも感じた事もないの鳥肌がたった。心から恐怖し、朝姫はテントの中に逃げるように飛び込んだ。
父もさっきの突風もあり、母を含めて二人とも目がすっかり冴えていた。
「ぱ、パパ!ママ!」
「どうしたんだい?強風が吹いていたけど?」
「外で怪物が、怪物が!?」
「ね、何!?ま、まさクマか!?」
父が声も身体も激しく震わせながら言う。
「分からないよ!落ち着いてパパ!」
「お、男の嘘はわ、分かりやすくても、い、言うもんじゃないんだぞ……」
「……そうなの?」
「そ、そうあ!」
「パパ噛んでるよ」
正直言って頼らないが、それでも娘を守ろうとしているのだけは伝わった。
「パパ変な顔」
そんな慌てふためく父を見て、こんな状況ながら思わず笑ってしまった朝姫と母。
母も冷静なのか、優しく微笑んだ。一度朝姫を自分の後ろに移動させて、ギュッと抱きしめてくれた。
「パパよりも朝姫の方が勇ましいわね」
「そ、そこはママ似なんだよ!冷静なところは!」
と笑いながらも細心の注意を払った外を見るが、もちろん何もなく、クマのような生物がいた形跡もなかった。
結局朝姫が寝ぼけて見間違いをし、風はたまたま強風が吹き荒れたという事で。
話は終えたが朝姫は信じていた。あの龍は寝ぼけてみたものではない。本当に空を飛んでいたのは龍だ。
何故あの龍は空を飛んでいるのか?他にも龍はいるのか?人間界には降り立つ事はないのか?と謎ばかりが浮かんでいく。
そして、あの日見た光景は、ずっと頭の中で鮮明に残り続けていた。
あれから10年以上が経った現在。
朝姫は今も信じてる。この世界に龍が実在すると──




