第5話 アリスの想い
背中越しからでも分かるアリスの嬉しそうな態度、その姿を目を細めて見守っているクリス、アリスの背中に誘われる様に後に続いて家の中に入った、ひと通り屋内を見て回り損傷具合や状況を確認していく。
家の壁は所々、破壊されていて外から丸見えの状態になっていた。居間の壁側に設置してあるレンガ作りの竈も崩されていて、修繕しないと使用できない無惨な状態を晒している。家財道具もほとんど持ち出されていて住居と言うよりは廃屋にちかかった。室内をざっと確認し終えたところで、アリスが火を起こしていた居間へと足を向けた。
居間は踏み固めた地面になっているので、そのまま薪を並べて火を起こしていた、焚き火を囲むように座り、ふたりが黙ったまま炎を見つめている、思案顔を浮かべているクリスに、先ほどの嬉しそうな態度から一変して、悲壮な面持ちで歯を食いしばるアリス、無言のまま時間だけが音もなく流れていく。
(さっきはつい約束してしまったけど大丈夫か? アリスの反応からするに目が覚めると消えてるってことだよな、う〜ん、それといつもと違う状況なのも気になるな、ベットの上で寝なかったのが悪いのか、朝帰りで寝たのが悪いのか──)
パッン! と、ひときわ大きく薪が爆ぜ辺りに火の粉をまき散らす。大きな音でクリスの思考が遮られた──無思考のまま手近な薪を掴み放り込む。クリスは炎を見るふりをして対面のアリスに視線をずらす。
身動きひとつせずに膝を抱えて座っている、座り込んでいるせいか彼女の穿いている茶色のロングスカートが、やけに窮屈そうにも見えるのだが、本人は特に気にした様子もなく未だに黙ったまま、怒りと悲しみを交えた顔つきで立ち昇る炎を凝視していた。
アリスが着ているブラウン色のジャケット、いまはボタンが外されてアイボリー色の明るめのシャツが、アリスの小さな胸の膨らみとともに自己主張していた、焚き火の炎に照らされた彼女のシャツと頬が、熱を帯びたように赤く染め上がっている、クリスが下から上へと緩やかに視線を流す、アリスになにを話し、なんと声をかければいいのか、伝えるべき言葉が見つからない、出てくるのは不甲斐なさが籠もる、ため息だけだった。
(……しばらくはいつも通りベッドの上で寝ないとな、これ以上、無用な心配させたくないし、それに……なんでアリスの存在を忘れていたんだろう、自分に余裕が無かったと言えばそうなんだけど、そのことにも罪悪感を感じるしな)
クリスがアリスの様子を伺い、一通りの整理をつけると、タイミングを見計らった様に、黙っていたアリスが俯きながら震えた声を出す。
「お兄ちゃん……お父さんのことなんだけど」
アリスの暗く重い表情と言葉にクリスが苦い顔を浮かべた。耳を塞ぎたい気持ちを抑え、固唾を飲んで黙って頷く。
「お父さんは村を出てすぐのところで、最初に帝国兵に殺されたみたい、生き残った村の人が倒れているお父さんを発見してくれて、それで、その……」
そこで言葉に詰りアリスが泣き声を上げた、なだめるようにクリスが優しく声をかける。
「そうか、ありがとう教えてくれて、アリスが話してくれなかったら、知らないままでいたよ……それよりも父さんと母さんの遺体はどうしたの?」
「他の亡くなった人達と一緒に村の南側の空き地に埋葬したよ、陽のあたる場所の方がいいと思って、あっ! もちろん生き残った村の人達と協力しながらね」
「その時に一緒に居られなくて、ごめん。父さんと母さんの埋葬をアリスひとりでやらせて、本当にごめんな」
「ううん、それはもう気にしてないから、大丈夫だよ」
暫し沈黙が走る、アリスも薪をくべながら、焚き火の炎の揺らぎを見つめていた、沈黙に耐えきれずになんとか話題を振ろうと、クリスが作り笑顔で質問する。
「そう言えば生き残った人達は? 誰も見当たらないようだけど、どうしたんだ」
「他の人達はみんな村を出て行ったよ、故郷に帰る人もいれば町に移住した人もいたし、ここに居ても何も残ってないから」
アリスが言うまでもなく、屋内に残っているのは壊された家具や多少の生活用品ぐらいしかない、ベッドですらなくなっていたのには驚かされた。
「これからアリスはどうしたい、ここにいても生活できないし、いつも農作物を卸に行っている町にでも移住するか? 隣国になるけどここから一番近いし、あそこは自由を掲げた商都だから、移住を拒否される事はないと思うけど」
アリスが口元に手を当てて俯き加減で少し考え込む、暫く考え込んでから気持ちの整理がついたのか、顔を上げて答えてくる。
「移住することに反対はしないよ、ここには何も残ってないから、村で無理に生活しても悲しいだけかもしれないし、なら思い切って町で暮らしたほうがいいのかも、私はお兄ちゃんについて行くよ」
「それなら明日にでも町まで──」
「だけど……」
言葉を遮るようにアリスが口を開く、彼女の顔からいつもの笑顔が消えて、今はなにかを睨みつけるように炎に鋭い視線を送っている、固く握り締めた拳に力が入り小刻みに震えだす、眉間にシワを寄せ細めた目が釣り上がっていくのがわかった、唇を噛み締めて、怒りを込めた声で続けた。
「だけど、私は復讐がしたい、お父さんとお母さんの仇を取りたい、ふたりの命を奪った人達を絶対に許さない、それに町に行けば帝国兵もいるし、もしかしたら村を襲った人達をみつけられるかもしれない」
アリスから予想だにしない意見を聞かされて、おもわずクリスが押し黙った、無音の空間を埋めるかの如く、重たい空気が背中から押し潰そうと迫ってくる。
アリスの必ず仇討ちを果たす、殺意を滲ませた固い決意と覚悟がアリスのブラウン色の双眸に静かに宿る、怨嗟の声を上げるたびに怒気が膨れ上がり、彼女の顔付きが怒りの形相へと変わっていく。
クリスは目の前で復讐に燃えているアリスの姿を無言のまま、どこか憂いを帯びた眼差しで見入っていた。
クリスは組んだ手をジッと見ながら答えを探す、少しの間をおいてから、僅かにしかめっ面へと変っていく。クリスがゆっくりと目を瞑り下唇を噛んで物思いに耽る──黙ったままのクリスを見て堪らずにアリスが立ち上がり、怒りをぶつける様に叫ぶ。
「お兄ちゃんはなんとも思わないの? 私は憎くて悔しくて怒りが込み上げてくる、それが抑えられない我慢できないよ、だってふたりはもう、うま──」
何かを言おうとして止めたのか、ただ単に言葉に詰まったのか、急に口を噤み、アリスがまた座り込んで顔を両足の間に隠すように俯く、両腕で頭と足を抱きしめるように押さえている、微かな嗚咽を漏らして全身を震えさせていた。
軽く嘆息をついてクリスが言葉をかける。
「俺だって怨みや憎しみが無い訳じゃない! ふつふつと悪意ある感情が、胸の内から湧き上がってくる、母さんの無惨な姿を見て、最初に感じたのは悲しみよりも怒りだった、だからアリスの気持は痛いほどわかる、俺も同じ気持ちだから」
アリスがゆっくり顔を上げる、涙を拭いながらクリスを見つめ返す、クリスの気持ちを聞いて満足したのか、その表情は先ほどよりも緩くなっているのがわかる、今度はアリスが話を促すように軽く頷いた。
「でもアリスにそんなことをして欲しくない、復讐のチャンスが、仇を討てる時がきたら俺がする」
「なんで? どうして? 私だってふたりの無念を晴らしたい、なにかあれば私も一緒に戦うよ……役に立たないかもだけど、お兄ちゃんひとりにはさせないよ」
アリスが堪らずに大声を上げる、先ほどとは違い彼女の顔は明らかに、悲しみと不満に満ちた表情を浮かべていた。
「どうしてって、そんなの決まってるだろ、アリスを人殺しになんてさせたくない、その手を血で染めてほしくないんだよ、父さんも母さんもそんなことは絶対に望んでいないはずだ、いつだってどんなときだってアリスのことを心配していた、そんな父さんと母さんだからこそ、アリスに復讐なんかしてくれとは言わないよ」
両者が沈黙して部屋の中に静寂が戻った、静まり返った部屋の中に薪の爆ぜる音だけが虚しく響き渡る、時折、隙間風がオレンジ色の炎をやさしく揺らして火の粉を舞い上がらせる、沈黙で張り詰めた空気を破るようにアリスが反論じみた声を上げた。
「ずるい、ずるいよふたりのことを引き合いに出す──」
そこまで言って黙る、アリスも両親のことを引き合いに出して、話していたことに気付いたのか、眉間にシワを寄せて唸るような声を出し唇を噛み締めている、そして小声でつぶやくのが聞こえてきた。
「私の気持は……どうすればいいのよ」
クリスの気持ちも理解はするが、納得は出来ないっといったところか、アリスがまた不満げな表情を見せた、無言の圧力のつもりなのだろう、少し頬を膨らませて黙ったままクリスに鋭い視線を向けている。アリスの睨むような視線に耐えかねたクリスが、咳払いをしてから口を開く。
「ま、まぁ、アリスの気持ちもわかるけど、今は抑えてほしい、そのうちに俺の言った言葉もわかる時がくるからさ、それに俺自身もアリスに人殺しなんてさせたくないよ」
話し終わってからクリスがチラリとアリスに視線を向けた、未だに黙って凝視してくるアリスに気後れしつつも、アリスに理解してもう為になんと言えばいいのか、クリスが腕を組み頭を悩ませ苦い思いに駆られている。
(お兄ちゃんも、変なところで頑固になるんだもん、これ以上は視線で訴えても意味ないか、本当は私の気持ちも理解して欲しかったんだけどな……だけど話さなきゃ伝わらない……よね──でも、なんて話したらいいのか、わかんないよ)
アリスが胸中で呟いた。クリスを一瞥してから嘆息する様に小さく息を吐く、視線の押し問答をしても意味がないことに気づき素直に諦めることにして、キュッと軽く唇を結んで瞳も閉じた。2秒ほど維持したあとに、ゆっくりとまぶたを開きクリスに顔を向けてアリスが柔らかな視線を送る。
「お兄ちゃんの気持はわかってるよ、だからそんなに苦しまないで、私はお兄ちゃんを苦しめたいわけじゃないから」
「ん、そうか……ありがとう、アリス」
アリスがいつもの微笑みを見せて答えて、クリスもつられて笑顔で返していた。
笑顔から一転、アリスが怪訝な面持ちを浮かべた、視線を下げながらクリスの腰の辺りを指す。不可解な物を見るような目で疑問の声を上げた。
「ずっと気になってたんだけど、お兄ちゃんの腰にぶら下げてる袋はなんなの、そんな物持ってなかったよね? それになんでそんなに膨らんでるの」
「えっ、はっ? なんだこれ」
唐突な質問にクリスが間の抜けた返事を返す、アリスに指摘されて腰の辺りを確認してみると、知らぬ間に革袋がベルトに紐でくくり付けられていた。
はっきりと身に覚えがなく、眉根を寄せたクリスが怪訝な表情を浮かべる、触るとゴツゴツしていて硬くジャリっと音がなり響く、ベルトから外したところで、いつの間にか横まで来ていたアリスに取り上げられた、アリスが無造作に逆さまにして中身を全部放り出す。
革袋からジャラジャラと出てきたのは、この世界の通貨であるペンテス金貨、銀貨、銅貨のお金だった、特徴的な音をたてて辺りに散乱する。
散らばった硬貨にびっくりした兄妹が、お互いの手を握り合わせて肩をびくつかせた。
ふたりがぴったりと息の合った動作で、お互いの顔と硬貨に何度か視線を合わせた──これまたぴったりと双方が暫し硬直して動かなくなる。
一拍おいてからアリスが半眼で問いかけてきた。
「お兄ちゃん、このお金どうしたの、まさか悪いことしてないよね」
アリスが散らばったお金を指し示して、おもいっきり疑いの目を向けてくる、彼女の威勢にたじろぎながらも、なんとかクリスが言葉を捻り出す。
「あー、そのさっき山で見つけて拾ってきたんだ、だから帰りが遅くなったんだよ」
言葉にしてから我ながら幼稚な言い訳に毒づく、ただなぜ持っているのか自分自身にも理解できていない、思考も追いつかず混乱しているのも事実なのだが。
アリスの冷たい視線と無言の圧力がクリスを襲う、アリスがにじり寄ってきてクリスの肩の上にポンっと手を添えた、瞬間的に身体が跳ねて思わずクリスが後ずさるが、心なしか強く握られていて逃してはくれなかった。
俯いているのでアリスの表情は伺いしれないが、ふるふると小刻みに揺れているのがわかる、ひと呼吸おいたあと、がばっと顔を上げて意気衝天の勢いで詰め寄る。
「どこ? どこで拾ったの? まだ残ってるかも探しに行こうよ」
満面の笑みで恥じらいもなく、あまつさえ親指まで立てているアリスを見てクリスは徒労感を覚えた、さっき迄、両親のことで必死こいて悩んでいた自分の姿を思い出し、深いため息へと変わる、クリスがこめかみを押さえ軽い頭痛を堪えて口を開く。
「くまなく探したからもう残ってないよ、それに暗いから危ないしな」
クリスがそっぽを向いて、嘆息混じりに適当にあしらう。
「そっか、それは残念、それよりもいくらあるの」
そう言われてみればいくらあるのか、クリスもつい興味をそそられた、ふたりで数えやすいように並べる、クリスがアリスを見やるとさっき迄の剣幕が嘘のように、晴れやかな笑顔を見せていた。
鼻歌などを歌いながら硬貨を数えている姿に、少しばかり不安を覚えるも、いつもの笑顔に戻ったアリスを確認して、クリスがうっすらと苦笑を漏らす。
アリスが最後の1枚を並べ終えた、眼前に並んだ綺羅びやかな硬貨を黙って見つめている、彼女の瞳は希望に満ちた輝きを放っていた、だが目元とは裏腹に不敵に口角が上がっていることに、クリスがしっかりと勘づく。
「金貨20枚に銀貨30枚と銅貨が80枚っと、お兄ちゃん凄い、いきなり小金持ちになったよ」
アリスの歓声が家中に響き渡る、この世界ではそれなりの大金だからだ、これだけあれば町で仕事を探している間は、宿屋にでも泊まっていられるだろう、今までのストレスから解放されたかのように、ふたりの心に安堵感が広がっていく。
「これだけあれば、今後の生活もなんとかなりそうだね」
「そうだな、いちばん心配していた金銭的な問題も、取りあえずは解決できたし、ともあれこれで楽に移住できそうだ」
クリスがジャラジャラと硬貨を袋に戻していると、アリスが不安げに質問してくる。
「でも大丈夫かな、帝国兵の人達がお金を探しに、戻ってきたりしないかな」
「それはない、大丈夫だ心配するな」
クリスがきっぱりと断言する。
どこから湧いて出てきたか判らないが、少なくとも拾った訳じゃないので、帝国兵が来ることもないだろう、それが自信を持って言える根拠だった。
「お兄ちゃんが断言するなら、大丈夫だね」
アリスが笑顔で言ってくる、そしてその笑顔を崩さないまま無言でクリスから革袋を取り上げて、いそいそとポケットにしまい込む、若干収まりきらずに飛び出していたりもするが、彼女の突然の行動に呆気にとられたクリスは、その一連の動きを無言のまま見送ることしかできないでいた。
「お兄ちゃんが持ってると、無駄遣いするだろうから私が管理するよ、まぁ任せてよ、アリスちゃんの節約術でばっちりと、うちの家計を守ってみせるから、当然、無駄遣いなんかさせませんからね、そのつもりでいるんだよ」
アリスが仁王立ちで腰に両手を当てて、胸を張りきっぱりと告げてくる、それに反論する元気も気力も出てはこない、クリスは無言で頷いて了承した。
また部屋の中に静けさが戻る、まるで世界に自分達だけしか生存していない、そんな不安をかき立てる様な静寂、静まり返った中で、アリスが立ったまま神妙な面持ちで考え込んでいた、怪訝に思い眉根を寄せたクリスが声をかける。
「どうしたアリス、なにか心配事か?」
アリスが口に手を当てて複雑な表情を浮かべている、考えがまとまったのか、上目遣いでおずおずと両手の指を絡めながら、甘え声で聞いてくる。
「さっきの移住の話なんだけど、上手くいかなかった場合、どうする? なにか考えはあるの」
「んーと、それはどういうこと?」
アリスの言っている事が分からず、質問を質問で返してしまう。
「いや、その……だから、移住することには反対はないけど、町まで行って馴染めなかったとしたら、時間もお金も無駄にしちゃうわけだし、お兄ちゃんのおかげで、まとまったお金も手にすることができたし……うぅ〜」
そこまで言ったところで言葉を濁す、焚き火の炎に照らされたアリスの頬が赤く染まっているのがわかる、アリスの淡い瞳がもの言いたげに何かを訴えていた、目を丸くしたクリスが首を傾げて疑問符を浮かべた。
アリスが左下に視線を落として、同時に両手でスカートを強く握る、握られたロングスカートに大きなしわを作りだし裾が持ち上がっていく、どことなくアリスの呼吸が少し乱れていた、震えた唇で言葉を紡いでいく。
「私はこのままここで、お兄ちゃんとふたりでひっそりと暮らすのも、悪くないかもって思えた。このお金を見たときに実現できるかもしれない、そう考えたよ、悲しい記憶も時間が癒やしてくれる気がするし、それに町と違って帝国兵を見かけることもないから、その内に復讐心も忘れられるかなって……ね」
「………………」
アリスがいまだにスカートを握り締めて硬直している、彼女の真剣な想いをよそに、クリスはバツの悪そうな顔を浮かべて黙りこくっていた、いつまでたっても返事がないのを不満に思い、アリスが問いただす。
「私の気持ちはちゃんと伝えたよ、お兄ちゃんはどう思っているのか教えてほしいの、今後の人生のことだったり、まぁその……移住するにしろ、その先のことはなにか考えがあったの?」
クリスの視線が虚空を泳ぐ、しばらく愛想笑いを浮かべたあとに、気まずそうに口を開く。
「あははは、とりあえず移住すればどうにかなるかなって、そのあとのことなんて、な~んにも考えてなかった」
クリスは座ったまま後頭部に手を当てて、あっけらかんとした態度でさらりと答えた。
刹那の沈黙後──アリスの引き攣った顔がクリスの視界の中に一瞬だけ、映った気がした。
「あぁぁぁぁぁ、も〜う、ほんっと朴念仁なんだからぁぁ〜」
両手で頭を抱え、限界まで身体をねじりアリスが絶叫する、彼女の大音声が空間を引き裂いて建物が怯えるように震える、声を荒らげ乱暴に地団駄を踏み、なにかを殴るように正拳突きをしたり、蹴り上げたり、突き上げた手をにぎにぎしたり、とまぁアリスが力のあらん限り騒ぎまくっていた、ひとしきり暴れ終わると急に力なく項垂れる。
彼女のけたたましい咆哮をクリスは両耳を押さえて凌ぐ、ひとりでわめき──騒ぎ──項垂れる、アリスの全身を使った情緒あふれる姿に、クリスの心はどこか取り残された気分を味わっていた。それらを吐き出すように小さく嘆息する。
「なんだかなー、ここまでくると逆に面白いな、次はどうするんだろう? 踊りだすのだけは勘弁してほしいけどな、話も進まないし」
クリスの独り言が聞こえたからか、それともただの偶然か、おもむろにアリスが顔を上げる、いまだにアリスの目は虚ろでどこか遠い所を見つめていた、そして無表情のまま佇み、時折り生気の抜けた笑いを漏らしていた。
不意にアリスと視線が交わった、いまだに死んだ魚の目をしているその彼女の目に光が戻る、ただし希望の光とは違う、むしろ腹いせをしてやる、そんな燃えるような光を灯していた──がクリスの顔を見て、ヘッ! とアリスが小馬鹿にするように口元を歪めて鼻で笑う。
「むぁってい、可哀相な馬鹿を見るような目で見るな、だいたい俺は失敗することを前提に動くわけじゃないんだ、そもそもの考え方が違うんだよ」
クリスがたまらずに吠える、どうでもよさげな表情を作り、アリスが冷たく答えた。
「ふん、どうだか、それに別にいいわよそんなつまらないこと、私はお兄ちゃんについて行くって言ったじゃない、どのみち町に行っても一緒に暮らすわけだし、もう……どこでもなんでもいいわよ」
アリスが虚無的な様子で言葉を投げつけた。
「なんか、いろいろと解決しておきたいことがあるんだけど」
クリスは釈然としないものを感じて静にうめき声を漏らす、アリスは聞いた素振りも見せずにクリスの隣に腰を下ろした。
クリスの肩にもたれ掛かり頬を膨らませて、ふて腐れた態度で続ける。
「今日はいろいろあって疲れました! 私は寝ます。明日はしっかりと、わがままを言わしてもらうからね、よろしく」
「わ、わが……まま?」
クリスの疑問には答えず、アリスが腕に絡まり顔を埋めた。すぐに寝息が聞こえてくる。
「それにしても寝るの早いな、まぁしょうがないか、今日はひとりで頑張ってくれてたみたいだしな……ふっ、ほんと、こんなちっこい身体でよく頑張ってくれたよ──ありがとう。アリス」
気持ちよさそうな寝顔を横目で眺めて、大きな安堵感に心が満たされていく──のもつかの間で先ほどのアリスのわがまま宣言が脳裏を過る。一気に精神が悪い方へと落下していくのがわかった、クリスが大きくため息まじりに毒づく声だけが、虚空に虚しく反響して消えていく。
アリスの寝顔を確認したクリスも、眠気に襲われて頭が傾いた。
その時、唐突に頭部に鈍痛が走り、意識と身体が宙に浮く感覚に襲われた。彼の意識が途切れ──消えていく。
──ゴン!
乾いた衝撃音が虚しく響く。
急に支えを失ったアリスの身体が、力なく地面に突っ伏す形で側頭部をぶつけて目を覚ます、頭を擦りながらしかめっ面で文句を言う。
「うぅぅ、今日はこれで2回目だよ、もうお兄ちゃん、いきなり動かないでよ、また頭ぶつけたじゃないの……」
そこまで言ってアリスの言葉が止まる、左右に首を振り辺りを確認するが、そこにクリスの姿はなく、いつも持ち歩いている剣と盾が入っている革袋だけが置き去りになっていた、それがなんだか寂しげに、こちらを見つめているようにも見える。
もしかしたら自分と重ね合わせているのかもしれない、アリスは思わず苦笑した。
「はぁ、本来の世界に戻っちゃったのか、しかたないよねこればっかりは、だけど、今回は戻る時間も姿を見せるのも、いつもと違うから焦っちゃったよ……本当に消えちゃったかと思ったんだよ、これで終わりなのかなって──ね」
普段と違う現象に戸惑いを覚えつつ、漠然とした不安が頭を過ぎっていく、アリスが胸の辺りに手を当てて、胸の内からあふれ出てくる不安を抑え込む動作をする、不安になるとついついこの仕草をしてしまう自分がいた。
そんな癖を自覚しながらも仕草は崩さずに、不安を払いのけ自分を元気づけるようにまた独りごちる。
「でも……明日も必ず、いつも通り朝には帰ってきてね──悔しいけど私から迎えに行くことは叶わないから、待つことしかできない……できないんだよ、だから、お兄ちゃんが帰ってくるのを、私はどんな時でも信じて待ってるからね」
アリスの寂しげな独り言が誰に聞かれるともなく、波紋が拡がっていくかのように薄暗い闇の中に消えていく、そしてまた彼女は静かに眠りにつく。