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クリスとアリスの夢物語  作者: たくま
第1章開拓村編
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第2話 アリスと父と中二病

 2人が山中に入ってから約2時間、採集袋の8割ほどの収穫を手にすることができた、普段はこんなにも採れない、やはり国境沿いは危なくて、人の出入りがないのだろう、クリスもアリスも夢中になって採っている。


「今日は大収穫だな〜母さんも喜ぶぞ!」


「うん、こんなにもあるなんて思わなかった、採集作業が楽しくなっちゃって、疲れなんか飛んじゃうよ、来年もここに来たら沢山採れるね」


 兄妹で楽しげに収穫作業をしていると、ふっとクリスが異変に気がつく、下の方から微かに何かの足音と金属音が聞こえてくる、静かな場所なのでアリスもすぐに気づいたのか、不安げな表情を浮かべながらクリスを見詰めていた。


 すぐにクリスが手招きして呼び寄せる、アリスが駆け寄って行き、2人が寄り添うように茂みの中に身を伏せた、クリスが様子を窺う様に山道に視線を移す。


「何があっても声を出すなよ」


「うん、わかった帝国の人かな?」


「確認してみないと分からん」


 山中に響く澄んだ金属音、規則的に擦れる音がまるで、クリス達に対しての警鐘音にも聞こえる、下から聞こえてくる音が大きくなるにしたがって、不穏な空気へと変わっていく。

 兄妹がいる場所は山道から上の斜面に上がった所にいる、ここで静かにしていれば、まず見付かることはないだろうと思い息を潜めていた、クリスが山道を通る一行を確認するために、茂みの隙間から顔を覗かせた。


(あれは、帝国の騎兵隊、数は──30人程といったところか、なんでこんな所に居るんだ? 国境沿いとはいえここは王国領だろう、チッ! もっとも会いたくない連中に会っちまったな)


 辺りを警戒するようにゆっくりと歩を進めている、無言で馬に乗っているのが恐怖感を強くした、嫌な汗が全身から滲み出る。

 おもっ苦しい空気を無理矢理に肺の中に送り込み呼吸が荒くなる、脂汗が額に浮かぶのを自覚する。

 クリスが冷静さを保つために、ゆっくりと息を吐き呼吸を整えた。数拍置いて落ち着いたところで、騎兵隊一行に再度、視線を向け探りを入れていく。

 先頭をかっこ悪い鎧を身にまとった、体格のいい短髪黒髪の男が不機嫌そうに馬に跨っている、後ろには銀髪の男が呆れたように前方を見詰めていた。前方の2人に続くように隊員が2列縦隊で進んでいる。


(ぶっふぅ、なんだあのかっこ悪い鎧は、小学校の学芸会で子供が作った小道具みたいだな、あれなら俺の盾のほうが……いや、カッコ悪さは変わらないか)

 

 少し落ち込みかけたクリスだったが、すぐに気持ちを切り替えた。

 騎兵隊の兵力を確認したクリスがアリスに視線を転じる、アリスは身体を小刻みに震えさせながら、祈るように俯き目を瞑っていた。


(自分でも恐怖を感じるんだ、アリスならなおさらだよな)


 クリスはそっと腕を伸ばしアリスの手を握る、握られた手をしっかりと握り返しながらアリスが横顔を覗かせた、無言のまま恐怖心で青ざめてはいるものの、ぎこちない笑顔を作って返してくる。


「大丈夫だ、あっちは気付いていない、このまま動かなければ、やり過ごせる」


「うん」


 小さくアリスが返事を返した直後、2番目にいる銀髪の男がクリス達の隠れている茂みに顔を向けた、風貌は甘い感じの優男、だがその顔付きとは裏腹に深く底のないような暗く黒い瞳、しかしそこから放たれる眼光は鋭く隙がない、クリスと視線が合ったと思った瞬間、睨むようなそぶりを見せたものの、すぐにため息をつくような仕草をしてからまた前を向く。


(クッ、気がつかれた?……いや大丈夫か、頼むから早く行ってくれ)


 そのまま何事もなく騎兵隊は通り過ぎて行き、王国領方面へと続く山中に消えていった。


「ブハァー」


 無意識に息を止めていたのだろう、思わず吐息が漏れる。肺が新鮮な空気を欲しているためか、クリスがなんども大きな息をつく。


「何してたんだろうね?」


「うーん、分からない、家の方角ではなかったけど、確実に王国の領土内に向かっているようだから、ちょっと心配だな、今日は十分な収穫もあったし、そろそろ帰ろうか」


「うん、そうする、でも帰り道は大丈夫かな? 下まで降りた所や街道に居ないかな」


 アリスが胸に手を当て、おどおどしながら質問してくる、クリスも自分の不安を振り払うかの様に意見を述べていく。


「山側から帰ると時間も掛かるし、兵士の発見が遅れたら捕まってしまう、取りあえずは下山して街道まで出ることにしよう、そこまで行って誰も居なかったら大丈夫だろう、帝国の兵士も進軍するなら普通は街道を使うだろうし、わざわざ馬で山道を通ったりはしないと思う、街道まで出て誰も居なかったら今ので全部のはずだ」


 アリスを安心させるために、勝手な推論を並べ立てて、クリスが視線だけで促す。


「お兄ちゃんがそう言うなら、街道から帰るよ」


 アリスも少しは納得したのか、強張っていた表情が先程よりも緩んでいる、クリスも自分の考えがいまいち纏まらないのか、顎に手を当てながら難しい顔付きを浮べていた。


(少数での行動、しかも機動力のある騎兵隊のみで、わざわざ目立たない様に山越えをするなんて)

 

 色々な思考が頭の中を掻き回していく、不安と混乱の中で帰路についた。

 街道に出ても、帝国兵は見当たらず兄妹は無事に家までたどり着いて、何事もなく夕食につく。




「それにしても、今日は怖かったね」


 家族揃って食卓を囲みながらの一家団欒。食事中の会話も盛り上がってきた時、アリスが思わず喋ってしまう、言葉にしてから、しまった! と思ったのだろう口に手を当てている、額に手を当てたクリスが冷めた視線を送る。アリスの言葉に興味をもった父さんが「何のことだ」と質問を投げかけた。


 クリスが小さくため息を吐き覚悟を決めた、アリスと国境沿いまで薬草を取りに行ったことと、山道を帝国の騎兵隊が通って行ったことを、父さんに話して謝罪する、クリスの話を聞いた途端に父さんの顔色が青ざめていく。


「国境沿いまで行ったのか! 西側は危ないからあれほど行くなと言ったのに、なぜ行ったんだ? 西側地域に行かなくても、薬草なら探せばこの辺りでも採取できるだろ」


「お父さんごめんなさい、でも、たくさん薬草も採れたし、行く価値はあったよ、明日にでも町まで行って売って来るよ」


 項垂れながらもアリスの拳は固く握られていた、唇も噛み締めているのが見て取れる、これは何かを我慢している時の態度だ、アリスの態度を確認したクリスが嘆息を漏らす。


 私も家の家計のために頑張っているんだもん、と言いたそうにしているが、約束を破り西側地域に行ったのも事実なので、何も言えずに黙っている、そんなところだろうとクリスが見当をつける、だけどアリスの場合それを口に出さなくても、今みたいに全身から滲み出てしまうので分かりやすかった。


 母さんは送り出したのが自分だったので、バツが悪いのか黙っていたが、アリスの状態を見て、父さんの身体を横から突っついて止めに入った。


 小さく嘆息をついた父さんが、アリスにいつもの声音で話し出す。


「いや、それは父さんが行ってこよう、明日も町まで行く用事が有るからな、アリス、すまない父さんもお前のことが心配なんだ、今回は無事でよかったが、もう国境沿いには行かないでくれよ」


「うん、わかった! 気をつけま〜す」


 父さんの優しい声音を聞いた途端、アリスが即座にそして快活に、さらには軽口をたたくように返事を返す、いつもの元気を取り戻したアリスが笑顔で食事に戻る、そのまま何事もなかったかのように、皿の中のチキンスープをスプーンで掬って口まで運ぶ。


 この豹変ぶりにさすがの両親も、開いた口が塞がらないのか、文字通りポカンと口を開けたまま固まってしまう、それから気を取り直した二人が、お互いを見やって小声で談笑しだす。


 アリスのニコニコ顔を見たクリスが、気づかれないように鼻で笑う、そして今度は父さんに質問を投げかけた。


「でも何をしてたのかな、確実な越境行為だったから心配だよ」


「そうだな、町まで行ったら情報を集めてこよう、それと、今はまだ村の皆には黙っておいたほうが、いいかもしれないな」


「えっ、なんで? 情報共有はしておいた方がいいような気もするんだけど、もしもの時のためにも必要だと思うけど」


 クリスが疑問を浮かべ首を傾げる。


「まぁ、確かに共有することも大事なんだが、不用意に不安を煽るようなことはしたくない。何事もなかった時には、村の皆から白い目で見られることもあるかもしれないし、それに……」


「それに?」


 グラスを持ったまま父さんの動きが止まる、神妙な面持ちであふれる感情を堪えるように唇を噛みしめた、固くなった表情を和らげるように微かに嘆息を漏らす。

 手に持ったままだったグラスを口に付け、漏らしてしまったものを飲み込むように、一気にグラスの水を飲み干した。


「波紋みたいなものだよ、言葉や情報って言うのはね」


「波紋?」


 わかったような、全然わからないような、難しい顔つきでクリスが腕を組む。


「投げかけた言葉が波紋を作る、それが当人たちにとってあまりよろしくない事柄――まぁ、黒い噂や今みたいな不吉な話、たとえそれがデマやゴシップ情報だろうと、そう言った話は大きな街でもすぐに伝播していく、こんな小さな村なら尚更――」


「まぁ、そうだろうね。俺が夜な夜なサンバの格好で、村内を練り歩いているって、近所の子供たちにアリスが面白半分で話した事が、次の日には村中に知れ渡ってたからな、ほんっと、あん時は火消しするのに苦労したわ」


「………………」


 クリスがおもわず横槍を入れて父さんの話の腰を折る、目の前に居る両親も当時の事を思い出したのか、なんとも言えない渋い顔で硬直していた。


 隣で咳き込んでいるアリスを一瞥してから、クリスがチキンスープを掬って乱暴に口に放り込む。

 父さんが大きく咳払いをして、気を取り直してから話を続ける。


「その波紋が自分の思惑通りに、良い方向に向って拡がるぶんには問題ないが、思いがけず間違った方向に向ってしまうと、取り返しがつかなくなる、なによりも怖いのは、人の心が生み出す恐怖心そのものだからな、ひとたび恐怖心に囚われてしまうと、どんなに矛盾点を指摘しても、他人が信じられなくなるものだ、本人が信じ込んだ都合のいい情報だけを、盲目的に信じてしまう…………」


 そこで言葉が詰まり黙り込んでしまう。話している内に自分の中でなにかが芽生えた、焦りとも不安とも似ているが少し違う、精神的に──もっと端的に言えば、生存本能に直接干渉してくるもの、そこまで思い至ったところで、不意に自分の手が震えていることに気が付いた。

 なによりも自分自身が恐怖心を抱いていたことを自覚する。

 

(恐れているのか? まだなにも起きてはいないのに、いや……思い出したのかもしれないな)


 震えを隠すように腕を強く組む、目を閉じて次の言葉を探した。


 家族を連れて逃げるか──費用面でも労力的にも現実的ではない、最悪なのはなにも起こらなかった場合、その時に出戻りなんてしたら奇異の目で見られるだろう。逃げることは無理だ。


 ならば戦うか──いや、もってのほかだ、戦うための戦力も技術もこの村にはない、武器はあるが持っているだけで使用した者はいないだろう、剣を振るうよりも生きるために村民たちは農具を振るっている。

 この村でろくに使いこなせもしないのに剣を携行しているのは、クリス以下数名の中二病患者だけだ。それこそ軍人にでもなりたいのなら話は変わってくるが、そういった者たちは早々と村から出て行く。


 開拓村──本来であれば国境の守りを固めることも含めての、開拓事業のはずだった、しかし現実は違う、戦闘訓練を指導してくれる軍人などいない、いたとしても意味はないだろう、訓練をするための時間など取れないからだ、それよりも日々の暮らしを守り一生懸命生きていく、それがここの日常として流れている。

 村から町へと大きな発展を遂げる、それ以外の事柄に関しては意識が低い。有事の際は王国軍が来てどうにかしてくれるだろう、どこか他人事の様な意識が村民達には定着していた。


 逃げるでも戦うでもなければ──逃がすしかない、それも日常生活を送りながら不自然に見えないように、安全の確証が取れるまで一時的にでも集団から離れる、結局はこのあたりが妥当な判断になるのだろう。


「父さんどうしたの? さっきから怖い顔して黙ったままだけど」


 パンをちぎりながら、不思議そうに目を丸くしたクリスが疑問の声を上げた。


「ん、あぁ、なんでもないよ」


 父さんがはぐらかす様に笑顔を作る、組んでいた腕を解いて、今度はテーブルの上に肘をのせた、顔の前で手を組む。


「明日はアリスを連れてまき場まで行ってくれ、そうだな──1週間分のまき割りを頼む、今日の集めれなかった分も含めてな」


「わかった、明日中に何とか用意するよ」


 食事を終わらせたクリスとアリスが部屋に戻って行く、扉の閉まる音を確認してから大きなため息を吐く、額に手を当てて仰け反るように、椅子の背もたれに体重をあずけた。ギシギシとした音が今は心地よく耳に入ってくる。軋む音を聴き入っていると、唐突に横から声をかけられた。


「あなた大丈夫?」


 クリスとアリスの母親、クレアがセミロングの濃い茶髪を掻きあげて耳にかける、横から顔を覗き込むようにして声をかけてきた。

 クレアの翡翠色の瞳──どんな時も宝石のように輝く彼女の瞳は、見る者を惹きつけて離さない魅力持っていた、それ故に男女問わず密かに羨望の眼差しを向けられている。しかし今の彼女の瞳は星を失った夜空のように暗く、ただ静かに憂いを湛えた視線を向けてくる。


「ん、なにが?」


 クレアの夫ダリスが片目だけを開けて素っ気なく答えた、彼の特徴的な赤い瞳が、憂いに満ちたクレアの表情を映す。

 

 ダリスの真紅の瞳──彼は自分の赤色の瞳を小躍りするほどに気に入っていた。当時のクレアはダリスがなぜそんなに喜んでいるのか、理解する事はできなかった、今ならわかるのかと聞かれたら──小指の先に付着したバクテリアを認識できないのと一緒だ、とはっきりと答えた。


 星の数ほどの人がいて、同じ数だけの人生と欲望、そこからくる人生観や価値観、好き嫌い。他者から称賛を受けて認められる物事もあれば、悲しいほどに理解もされず、あっさりと否定される事もある。ダリスの性癖も可哀想な事に後者だったりする。


 本人曰く──あれは若気の至りだ、彼は頑なにそう言い張って止まない。


 あれはまだアリスが5歳ぐらいの時、時たま包帯を持ち出しては、どこか遠くに出かけて行くダリス、そして彼の後ろ姿を冷たい視線で見送る母と娘。

 ダリスの行為を見て、まだ小さかったアリスがクレアに疑問をぶつける。


『包帯は高価だから玩具にしちゃダメって、お母さんはわたしに怒ったのに、なんでお父さんは怪我もしてないのに持っていくの? お父さんだけズルい!』


 アリスが力強く握り拳を作り、全身の毛が逆立つほどの怒りにも似た、嫉妬心をむき出しにする、限界まで頬を膨らませ涙目で不満をぶち撒けた。


『お父さんは…………』


 クレアの言葉が詰まる、自分の大事な娘になんて言えば、どう説明したらいいのかがわからなかった。父親の──ダリスの行為を教えたらアリスは傷つくだろう。強くて逞しくカッコいい父親なんだと、アリスはいつも自慢していた。とはいえ下手なことを言って覚醒めても困る。

 クレアは悩む事もなく即決で理想の父親像よりも、娘の将来をあっさりと取った。一応は彼女なりにオブラートに包んで話をする。


『…………お父さんは、心に傷があるからいいのよ! アリスのお父さんは強い人だから、人前で自分の傷を晒したりはしないんだよ、ねぇ、カッコいいでしょ〜そうよね』


『んん~、やっぱりそうだったんだ、あれは力を隠すためだったんだ』


 妙に納得したアリスが難しい顔をして唸っている、話が噛み合わないことに嫌な予感を覚えつつクレアが聞き返す。


『アリス、どういう事? なんの話なのかな?』


『この前ね、お父さんの後をつけていったの! そしたら森の中でね──』


 そこまで言って言葉を止める、アリスが少し前に出てポーズを決めた。不敵に笑い頭と腕の包帯を取る真似事をして──それはまさに完璧なほど中二病を彷彿とさせる仕草をしていた。目の前の娘の行動を見て、ぐらりとクレアの頭が揺れ瞬間的に意識が飛ぶ、気がつくと四つん這いの状態で地面とキスをするところだった。


 そんな事はお構いなしにアリスが続ける。


『ふふふふ、私の本気を望むか……まぁそれもよかろう、この包帯が身体の紋章を隠すためだけに――それだけだとでも思ってたのか? これは封印みたいな物だよ、殺した神から奪った紅蓮の焔、それを抑えるためのな! さぁ、これが貴様が望んだ全力だ! 死の淵で後悔するがよい。そう我こそが太陽神リオスを倒した赤眼の狂戦士、ケンダル・バーミリオン──』


 天を衝くようにアリスが片腕を挙げて高らかに叫ぶ。


『あぁぁぁぁ、一足遅かった〜! 私の娘が〜私の──いや、まだよまだ戻ってこれるわ、アリスはまだ5歳! あいつと違って矯正の余地は残っているわ』


 クレアの瞳に闘志が宿る、娘の将来のためにも、私がここで諦めるわけにはいかないと固く決意をする、自分の真正面で汗を流し、演劇の舞台を完璧に演じきった役者の様な──どこか清々しい達成感を漂わせながら、悦に浸っているアリスの両肩を掴みかかりクレアが問う。


『ねっ、アリス! アリスはお利口さんだからわかるよね? お父さんなんてかっこ悪くてダサいよね、え〜となんだっけ? 赤身魚の狂戦士だっけ? そんな者にはなりたくないよね、そうだよね』


『赤眼の狂戦士だよ! お母さん──でもね、お父さんカッコよかったんだよ〜私も早くお父さんみたいになりたいな、だけど狂戦士よりも私は北方神話に出てくる、疾風の戦乙女がいいな!』


 だぁぁっとした満面の笑顔でアリスが答える。


『だめだこりゃ! 完全に染まってる』


 クレアが力なく項垂れた、顔の前に垂れた邪魔な髪を横に流す、屈託の無い笑顔を見せるアリスに、一度だけ微笑みかけてからすぐに天を仰いだ。涙など感傷的なものは流れない。あるのは虚無感にも似たなにかと、それと、もうひとつは──


 その日の晩、食後の晩酌を愉しんでいるダリスの前に、包帯を巻いたアリスが意気揚々と登場する。そして森の中で観覧した、赤眼の狂戦士ケンダル・バーミリオンのフルバージョンの演劇を見事に披露した。


 口から酒を吹き出しダリスが椅子から転げ落ちる、その姿をテーブルの上に頬杖をついて冷やかに見下すクレア、泡を吹き気絶して動かないダリスと、その傍らで哄笑を上げるアリス。双方を見やってからクレアが諦めにも似た、ため息をつく。

 その時に彼女がぼそりと無感情で言った言葉──無自覚中二病患者と中二病予備軍。



 ダリスも現在ではすっかり丸くなり、村内でも多数派の隠れ中二病患者へと落ち着いている。そんなダリスだが今では町に収穫物を卸に行くたびに、親切な人達から『目が充血してますよ』と心配されてはヘコむ毎日を送っていた。

 ともあれクレアがダリスの素っ気ない返事に、少し膨れた様子で返答を返す。


「手が震えてるわよ、8年前に徴兵されたことを思い出しちゃった?」


 図星を付かれたことに驚いて、そのまま椅子ごと後ろに倒れそうになるのを、テーブルの端を掴んで慌てて体勢を立て直す、椅子に深く座り直してダリスが赤茶色の髪をいじりながら答える。


「う〜ん、そうか、そうなのかもな」


 作り笑顔で言葉を濁すように返事を返す。


「ここはもう戦場じゃないわよ、あなたが居るのは私達のいつもの穏やかな日常の中、ちゃんと無事に帰ってきたんだよ、だから恐怖に縛られないで、弱気でいるとまた夜中にうなされるわよ。騎兵隊の事は心配だけど、明日考えればいいんじゃないかしら、どのみち、なんの情報もないんだから、悩んでも答なんて出ないでしょ」


「それはそうなんだけど、どうしても近くに敵兵が居るって聞くと、恐怖心が蘇って警戒してしまうんだ──だけど無事に帰還した時は驚いたよ、この村があまりにも無警戒過ぎるから、それとも自分が神経質過ぎるのかな?」


「この辺りは平和そのものだったからね、戦争が始まって村から徴兵までされたけど、ここの暮らしは変わらなかったわ、戦火に巻き込まれるどころか、兵士すら見なかったもの、時々、村に届く情報も戦勝報告みたいだったし、どこか遠い国の話の様な雰囲気だったよ」


「戦勝…………っか、そんな戦争ではなかったよ、休戦間際の時期には泥沼状態で、両軍が互いの領土に侵攻し、伸びきった補給線も維持できず寸断され、最前線がどこかさえもわからないぐらいだった、俺がいた部隊もなんども敵に包囲されて──」


「すとっぷ! そこまでよ、あなた話が脱線事故を起こしているわ、心配なのはわかるけど悩んでも始まらないって、とにかく、明日は町まで行って情報を集めてくること!」


 まるで犬に躾でもしているような笑顔で、クレアが指を突きつけてくる、この次は『お手』と命令されるのではと一瞬だけ頭をよぎったが、ここで下手なことを言うと、それこそ話が脱線するので言いかけた言葉を飲み込む。

 陰りを見せていたダリスの顔が明るくなっている事にクレアが気がついた、その表情の変化に得意気に笑う、ダリスもクレアの笑顔で人心地を得て安堵の息を漏らす。

 

「そうだな、考えても詮無い事だったな、それよりも君も明日はまき場まで行ってくれないか?」


「嫌よ!」


 クレアが真顔できっぱりと断る、予想だにしていない言葉が返ってきてしまい、ダリスが面食らった顔をしたまま目をパチクリさせる。


「どうして?」


「来月のあなたの誕生日に合わせて、クリスに話をするって言ったじゃない、もう精神的にも落ち着いてきたし、今なら私達のことを──本当のことを告白しても大丈夫だって、3人で決めたでしょ! 忘れちゃった?」


「もちろん忘れてはいないよ、でも今は話が別なんじゃない?」


「そんな事ないわよ、私は今すぐにでも抱き締めてあげたいのに、これでも我慢しているのよ──何なら今から抱きしめてこようかしら」


 興奮して立ち上がったクレアがなにかを抱き締めるように、両腕を左右に振りながら話してくる。


「いや、それは止めといたほうがいいアリスが拗ねるから、予定通り家族揃ってのほうがいいと思うし」


 ダリスが落ち着かせるように手をパタパタと振る。


「えぇ、わかってる。それにね今はクリスのために一生懸命セーターを編んでいるの、あなたの誕生日は再来週よ! それまでに完成させないとね」


 クレアが居間にある木製の質素な戸棚を開く、棚の奥から愛おしそうに編みかけの物を取り出してダリスに見せた。


「あぁ、それってセーターだったのか」


 難問が解けたようなすっきりとした顔を浮かべて、ダリスがぽんっと手を打つ。


「………………なんだと思ってたのよ」


 クレアが編み物を抱き締め、身をよじりながら口を尖らせた。


「あははは、セーターだと思ってましたよ、いや、本当に」


 暫く黙ったままクレアが睨みつける、こみ上げてくるものをなんとか抑えて話を戻した。


「という訳で、私は忙しいから行けないわ」


「わかったよ、君はいちど言いだすと聞かないからな」


 嘆息を漏らしながらダリスが受け入れる。


「そう言うことよ、物分かりが良くてよろしい」


 ダリスが頬杖をつきながら、皮肉を込めた目を向けていたが、クレアはすでに鼻歌まじりで続きを編んでいて、気付いていない。


「クレア」


「な~に」


「今日ぐらいは晩酌を……」


「却下」


「…………はい」


 夫婦の会話が途切れても時の過ぎる速度は変わらない、時間は速まる事も止まる事もなく緩やかに流れて行く。夜は走り出したばかりで今日という日の終わりはまだ遠い。

 悶々とした感情の中、目の前に鎮座する空のグラスをダリスは黙って見詰める事しかできないでいた。




 クリスが部屋に入り、窓際のベッドの上に腰掛けて夜空を彩る星を眺める、明日のまき割りの段取りを脳内で思い描いていると、ふっと昼間に見た騎兵隊を思い出す、彼らはどこに向かい、今は何をしているのか──嫌な想像をしたことにクリスが身を竦める。

 軽く息を吐き出し、また外に視線を向ける、煌々と輝く月明かりに照らされた闇が薄く広がっている、ぼんやりとした闇の中、ざわめく木々の隙間にうごめく影──クリスが瞬間的な戦慄を覚えて身構えた、目を凝らし影が動物とわかったとき、今度こそ大きな溜息をつく。


「……はぁぁ、なんだ鹿か」


 自分の変な妄想が、幻覚に近い物を与えてくることに嫌気がさす、頭を押さえてまた何度目かのため息を吐き、クリスが布団に潜り込んでいく。

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