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クリスとアリスの夢物語  作者: たくま
第1章開拓村編

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第12話 魔法の言葉と奇跡の言葉

 夕暮れの刻限。

 

 黄昏どきには、まだもう少し先といったところか、だが空を見上げると、着実に薄闇が広がりつつあった。その闇は地上にも濃い影を落とし込み、忍び寄ってきている。そして心にも……

 

 アリスは空を見上げるのをやめて、今度は夕日に照りだされて、長く伸びた自分の影を見つめた。刻一刻と形を変えていく影。その影を見つめていると、なんだか物悲しい気持ちになってしまう。

 

 ──どうしてだろう?

 

 こうもなにかしらの想いを寄せてしまうのは。

 必死になって考えてみたが、感傷の海に沈み込んでしまった心で、答えを見つけるのは難しかった。

 

(……いや違うか、今の気持ちそのものが、答えなんだよね)

 

 アリスは丸い目を細めて、大地に浮かぶ、自分の影を瞳に焼き付けた。ゆるやかな心地で、思いを馳せる。

 

 それはきっと、同じように遠のいてしまった日常と、夕暮れに伸びる影とを、重ね合わせて見ていたのかもしれない。

 

 影と同じで、もう手の届かない、思い出になってしまったが。

 

 ──思い出。

 

(……うっ)

 

 アリスは焼き付けた影を、影送りの要領で、空へと放り投げた。とにかく思考を止めないように、思索を続ける。

 

 今まで小難しいと思っていたのは、結局は理解することを、拒んでいただけだと思う。今なら素直に受け入れられそうな気がする。

 

 今までの出来事が、思い出へと変わっていく過程を、わたしは寂しいと感じていたんだ。

 

 ──だってそうでしょ?

 

 数日前まで、あたり前に過ごしていた日常が、突然終わりを迎えた。もっとゆっくりと変化していくはずだった未来が……なんの前触れもなく、望んでもいない現実へと変わってしまい、悲しく感じないわけがない。

 

(気づけなかっただけで、前触れならあったのかな? でも……もうわたしは、向き合わなきゃいけない時なんだよね)

 

 時間は進むだけで戻りはしない、人生もまた然り、だから戻りたいと願うことはあっても、戻る意味も必要性も無いのかもしれない。だが、立ち止まることぐらいは許されるはずだ──だってわたしは、どこぞの魚じゃないんだから。

 

(そうだよ、気持ちの整理をつける時間が欲しかったんだよ、なにもかもが駆け足で過ぎていったから、心がついてこれなかったんだ)

 

 思い出に変わること、そのこと自体は、歓迎すべきことなんだろうと思う。記憶は消えることはないが、少なくとも薄らいではくれる、鮮烈さがなくなるだけで、ずいぶんと受け止めやすくもなる。

 

 ──消える。

 

(……くっ)

 

 アリスはきつく瞳を閉じた、自分を取り巻く雑音を締め出すように──そして文字となって浮かんできた言葉を、なんとか頭の中で綴っていく。

 

 だけど、どうやっても消せない感情があって、それでいいのかと、もうひとりの私が口をだす。憎しみと悲しみと寂しさと、そして悔しさ、終わりのない連鎖反応に……

 

(……思い出、消える、現実。自警団……バカ共……あっち行け、思い出になれ、地の彼方へと消えろ…………ああ駄目。どうしても現実に引っ張られちゃう)

 

 胸中で上げた、落胆の声とともに、彼女は現実を認めた。

 

 誰かみたいにポエってみたが、仮想世界にダイブするには、それなりの才能が必要なようで、わたしには、そのセンスもスキルも備わっていないみたいだった。別に悔しくもないし、欲しくもなかったが。

 

「ほんと、なんなのかしら……」 

 

 ぼそりと言う。そんな問いかけに近い、独り言だったが、誰に聞かれることもなく、また答えてくれる者もいない。浮き上がった言葉は、荒い風に揉まれて──消えていった。

 

 砦からバニラまでの、中間地点の辺りに設けられたベンチに腰かけて、アリスは近くで押し問答を繰り広げている、クリスとその1団を見回していた。

 

 というよりも、クリスの腰にしがみつき、懇願している男と、引き剥がそうとしている連中……いや全員が自警団員達なのだが。その彼らの行く末を、アリスは憮然とした面持ちで、見学している──はよ帰れと、願いながら。

 

「どこから、どうしてこうなったんだっけ?」

 

 アリスは膝の上に、両手で頬杖をつきながら、男どもを睨めあげていた。この奇っ怪な出来事の発端は、なんだったのか? 思い出にならならず、閉じてはくれなかったページの文字を、最初から読むように、彼女は真新しい記憶を遡ってみることにした。

 

「たしか……このベンチに座ってからだったかな? 奴らが、ざわつきだしたのは」

 

 クリスが小休止すると言って、アリスをベンチへとおろした。それをきっかけに、遠巻きにこちらを見守っていた、自警団員達が騒ぎだしたのは、ほんの10数分前のこと、そりゃあ思い出にもなってはくれない。

 

「休憩は力尽きたにはいるだろ。とかなんとか言ってたんだっけ、わたしには意味は分からないけど……」

 

 傍から見たら、どうでもいいような議論を交わしていた連中。その言い合いの途中から、男がひとり、彼らの中から飛び出してきたのだ、枯れ草のような色をした、金髪の男だった。どこか切羽詰まった様子で、クリスへと抱きついてきた、縋るように。

 

「あの男は必死になって、砦に戻ろうと言い寄ってきてたんだよね。何でかは知らないけどさ」

 

 興味もないので、男がどんな名前で呼ばれていたのかも、覚えていない。ついでに理由すらも、どうでもよかった……だが。

 

「お兄ちゃんとの、会話する機会を奪われたのは確かなのよ、それだけは絶対に許さない──あんた達の顔は覚えたからな」

 

 なにを話すのか、その話題は今でも思いついていないが、邪魔をされたのは、紛れもない事実だった。アリスは団員達の顔を、ねぶるように見渡して、記憶に焼き付けた。

 

 いつかチャンスがあれば仕返ししてやろうと、彼女は自分の悪だくみを、脳内で楽しんでいる。仮想世界にダイブしていることにも、気づかずに。

 

「……あっ! あっちも終わったみたい」

 

 と──別世界で、あの男の顔面に、魂の一撃を加えたところで、現実世界でも決着がついたようだった。

 

「たくっ、しつこい野郎だったぜ」

 

 ずんずんと大股で、アリスのもとへと戻ってきたクリスは、不機嫌に独り言にいそしんでいた。

 

 その後方にいる金髪の男は、ほかの団員に連行されるように連れていかれ、馬に──縛り付けられた。こんどは違った意味の悲鳴を上げて、賑やかになっている。馬も不快なのだろう、目を吊り上げて、不快感を示していた。

 

 今にも暴れだしそうな、不憫な馬に、同情などしたところで、アリスは問いかけた。

 

「お兄ちゃん。なんだったの、あの人達は? なにがしたかったのか、わたしには分からなかったんだけど」

 

「ん? ああ気にしなくていい、ただの馬鹿の集まりだ。それよりも、くだらないことで時間を取られたからな、すぐに出発しよう」

 

 まだ不機嫌さが抜けきっていない、クリスの態度に、アリスは少しだけ戸惑いをみせるも、クリスはそんな些細な変化に気づくこともなく、アリスの前でしゃがみ込むと、背に乗るように促してくる。

 

 アリスはどこか遠慮がちに、クリスの肩へと手を伸ばし、背中へと身体を沈めた。

 

「…………」


 また、ながい沈黙の時間が訪れる予感がした──いけない。このままではいけない。

 

 アリスは心のどこかで、誰かに呼びかけられている錯覚に陥った。もちろん錯覚なだけで、結局は、自分の心の表れなのだが。

 

(なにか、あとちょっとなんだけどな。話したいこと?──かな。言うべきこと? なのかな……)

 

 彼女の当惑に満ちた顔に、小さなしわが寄る、しかめたそのままの表情で、上空を見上げると、夕闇が真上まで迫ってきていた。

 わけも分からない、差し迫った心の動揺は、闇に追いつかれたからなのだろうか?──内心(ないしん)問いかけてみたが、答えてはくれない、いや、答えられないと言ったほうが、正解だった。

 

(こんなときは、無理矢理にでも笑ってみるんだっけ?)

 

 思いだせれない記憶に苛まれてしまった、仏頂面を解きほぐすように、ぎこちない笑顔などを作ってみる。

 

(なんか虚しい……たぶん違うんだ)

 

 どんな顔をしているのかは、分からなかったが、きっと余裕のない笑顔なんだと思う。そんな笑顔も、愁情(しゅうじょう)のこもった気持ちとともに、掃き出されて──消えた。


 アリスは、揺れる景色から、揺れる背中へと視線を固定した。大きな背中、屈強といえるほど、がっしりとたくましい背中ではないが、でも、頼もしい背中ではある。


 どうしてそう思うようになったのか? 彼女は、不意についた感情を、素直に読み取っていった。

 

 いつ頃からだろう、ひとり歩きが不自然に感じられるようになったのは。

 

 どのときからだろう、ひとり遊びがつまらなくなったのは。


 どうしてかな、この大きな背中の後をついてまわるようになったのは。

 

 いつも一緒にいる必要なんて、ないはずなのに、気がつくと、自分のことそっちのけで、金魚のフンみたいに後ろを歩いている。

 

 誰かの背中を追いかけるなんて、今までの自分では、あり得なかったのに、いつの間にか、わたしは誰かさん色に染まり、ひとりでいることに、淋しさを覚えていたんだ。

 

 いつから……

 どこから……

 どうしてだっけ……

 

 きっかけは──そう、今の状態と変わらない、あの帰り道からだった。

 

 閉じていた日記帳のページを、ぱらりとめくられたように、瞬間的に記憶が蘇った。いうほど遠い記憶でもなかったが、それでも確かに、懐かしくはあった。

 

(そうだった。あのときお兄ちゃんと大喧嘩して、わたしは家を飛び出して、それで夜の森の中、ひとり彷徨っていたら、狼の群れに襲われて、でも、そのとき助けにきてくれて──それで、それで、わたしは……)

 

 言いたいこと、言わなければいけないこと。いや違う、伝えたいことがあるんだ。

 それは、きっともっと単純な言葉だったはずだ。

 

(お母さん)

 

 ふっと、母の顔が浮かぶ。幼い日に教えられた言葉も、はっきりと追憶の中から滲みでてきた。

 

 それは忘れていたわけじゃない、閉じ込めていたとも違う、埋もれてしまっていたのだ。わたしには使うことはないと、高を括って生きてきた日常の陰に隠れてしまっていたんだ。

 

 こんなときの対処法。人生の特効薬とも、心の処方箋とも呼ぶべき、たったひと言を──わたしはその単純なひと言を、正確な言葉にかえて使ってこなかった。

 

(ありがとう、お母さん。今なら理解できるよ、わたしは素直じゃなかったね……性格のほうは、すぐには変えられないけど)

 

 実現不可能なことは、先に断りを入れておいた。それも今後のわたし次第なのだろうと、いちおうは胸中で付け足しておいてから──アリスは天高く視線を遠のかせた。

 

 空を見透かすことはできても、人の心まではそうはいかなかった。それを知れればどんなに楽なことか、しかしそれだと、同時に嫌なことまで舞い込んでくるだろう。

 

 だから、これでいいのだ。

 

 夕闇を見ても──もう怖くない。彼女の気丈さは、本調子を取り戻していた。心が整った今こそ、声をかけるときだ。

 すーっと息を吸い、アリスは声帯を震わそうとして──止めた。

 

(いけない、いけない。その前に)

 

 彼女は胸中で舌を出して、失敗を認めた。会話に入る前に、やるべき事をしなければと、思い至ったのだ。

 

 まずは、荒い風に乱された髪を撫でつけ整える。おぶられているのでやりにくいが、しかたがない。

 整え終えると、んんっと軽く声の調子を確かめた。そして今度こそ声を出した、ちらりと横顔を見るように。

 

「あのね、おにいちゃ──」

 

「なあアリス。聞きたいことがあるんだけどさ」

 

 と──いきなり出鼻を挫かれたが、気にはしない。

 

「あっと、ごめん。今なんか言おうとした?」

 

「大丈夫だよ。お先にどうぞ」

 

 アリスはいつもの調子で、あっけらかんと答えた。

 

「盾の石って聞いて、なんか思い当たることはあるか?」

 

「盾の石?」

 

 突拍子もない単語に、声が裏返った。なにか冗談を言っているのかと思い、アリスはクリスの顔を覗き込んだが、いつになく真剣な横顔からは、ふざけて言っているようには、感じられなかった。

 

 確認できて満足できたのか、彼女もあごに手をあてて、記憶を探っていく。

 

「盾の石……盾の石……あっ! アレかな?」

 

 アリスはジャケットの胸のあたりにある内ポケットから、小さな巾着袋を取り出した。擦り切れていて年季のはいった布地。あまり上等とはいえないが、綺麗に保っているのを見ると、大事にしていることは、一見(いっけん)して分かる。

 その袋の紐を解いて、中身をころんと、手のひらに落とすと、肩越しから腕を回し、クリスの眼前へと差し出した。

 

(盾の石か……確かにそうだな)

 

 アリスが見せてくれた石は、小さな四角張った、まさに盾を模したような形をしていた。大きさはクリスが想像していたよりも小さく、彼女の小さな手のひらでも、余るぐらいだった。

 

 だが、一番目を引かれたのは、その色味だった。透明度の高い石の中に濃淡のある紫色が混じり合って、繊細で美しく幻想的なグラデーションを生みだしている。

 

(アメジストぽっい原石だな。ちと薄いが)

 

 5歳児の自分なら喜んで拾っていただろうな。それがクリスの正直な感想だった。石の表面も、子供が一生懸命磨けば、この程度の光沢はでるだろう、と思えるほどには綺麗で、鈍く艷やかな輝きを放っている。

 

「それはアリスが拾ったのか?」

 

 いちおう確認のため、クリスは問いかけてみた。

 

「ううん違うよ。これはわたしが生まれたときの、初めての誕生日プレゼントだって、お父さんとお母さんが言ってた。ものごころ付いたときには──持ってたかな?」

 

 アリスが首を傾げてくれたものだから、クリスは右へとよろめいた。慌てて体制を立て直して、安堵する。

 ひとつ間をおいてから、幼い自分との繋がりがないかと、クリスは深掘してみることにした。


「ほかには何か言ってなかったか?」

 

「わたしにもよく分からないんだけど」

 

 と、アリスは前置きを入れて、続けた。

 

「ふたりが言うには──これは家族を結ぶ大切な石だって。それと、わたしを守るように、強い意志が込められたお守りでもあるから、肌見離さず持ってなさい。そう教えられたの、だからって訳じゃないけど」

 

 そこまで言って、アリスは手のひらの上で石を弄ぶ、石の輝きが、見つめる彼女の瞳に反射して、同じような輝きを灯しているのが、どこか心を通じあわせているかのようでもあり、印象的だった。

 

 クリスは視界の端にアリスの顔を収めた、誇らしげに微笑む彼女の顔が、何も聞かなくても答えになってはいたが。なんにしろ、アリスはぎゅっと握りしめると、力強く答えてきた。

 

「わたしにとっても、大切な宝物になったんだ。だから、わたしの心にいちばん近い場所にしまっておこうと思ってね。この子の指定席はいつもここ、ジャケットの胸の内ポケット」

 

 それにここにあると、なんだか落ち着くしね。そう言うアリスの顔は、いつになく和やかな顔をしていた。

 

「それで急にこんな質問してきて、お兄ちゃんはなにか知ってるの?」

 

 アリスが肩越しから質問をしてきた。今度は私の番だと言いたげに、じっとクリスの横顔を見つめる。

 彼女の瞳の好奇心は、いつもより控えめだったが。

 

「なんとなく、ふっと頭の中に過ってな……その石については何も知らない。ごめん」

 

「ふ~ん、そっか。ならしかたないね」

 

 あっさりと身を引くと、アリスは石を巾着袋の中に落とし込み、ぎゅっと紐を縛る。

 

「ただな……」

 

 しっぽりとした声を漏らす。

 

「なにか気になることでもあった?」

 

「祈りが込められているんじゃなくて、意志が込められている。そこに強い引っかかりを覚えてな……」

 

 空を見上げ頭を揺らす、そんなことをしても、漠然と湧き上がってくるもやもやは、過去の記憶とは接点をもたず、繋がらない。当たり前ではある、そもそもぼんやりと掴みどころがないのだから。

 

 代わりにこれでも使っとけ。と手渡されたように、どこからともなく違うものが飛び出してきた、クリスは深く考えもせずに、でてきた言葉を発する。

 

「そうか! 石と意志をかけているんだな。はっはっ。そこに気がつくとは、さすがは俺、これはシャレが──すまん。俺が悪かった」

 

 ひたりと爪先が首筋に刺さる。アリスの顔を見なくても、想像通りの形相をしているのは、爪の食い込み具合で分かった。

 

 もちろんそれで歩を止めたりはしなかったが、冷汗だけは止まらない。俺が激しく間違っていた。とクリスは直ぐさま陳謝すると、アリスは聞いて満足したのか、とくに追及もなく、無言のまま手刀を離した。


 アリスは巾着袋をもとあった内ポケットへとしまい込もうと、手を動かした──と、クリスは彼女の挙動を制止するように、素早く口を開く。

 

「なあアリス、それはジャケットの腰ポケットにしまってくれないか」

 

「……さっきのわたしの話、聞いてた?」

 

 あきらかに怒気をふくんだ声で、アリスが静かに告げる。

 クリスは小さく苦笑を漏らした。それが気に入らなかったのか、握られている肩の締めつけが強くなる。しかし、クリスの次の言葉で、アリスの手から力が抜けた。

 

「なあ頼むよ。時々でいいからさ、お兄ちゃんのお願い事も聞いてくれると、嬉しいんだけどな。駄目かい?」

 

 やわらかく語りかけてくるクリスの声に、アリスは不思議と抗うことができなかった。

 

「分かったよ。そこまで言うなら聞いてあげる」

 

 渋々ではあったが、アリスは腰ポケットへとしまい込んだ。

 いつもの胸ポケットにないせいか、すきま風が心にも当たるようで、どこか心細い。むずむずとした心地に、僅かながら貧乏ゆすりなどしていると……

 

 

 

『僕の意地悪!』

 

 

 

(けっ、ざまあみろ)

 

 どこからともなく、誰かの声が聞こえてきたような気がして、アリスはきょろきょろと、怪訝な表情で周囲を見渡した。空など見上げて見て──しばし黙考すると。

 

 クリスへと問いかけた。

 

「お兄ちゃん、なんか言った?」

 

「いやなにも、ただの空耳シンドロームだろ」

 

「……シンドローム? なにそれ」

 

 ぱちくりとまばたきをして、アリスが疑問を口にした。

 

「その……聞かれても困る。まったく意味はない」


 本気で困った様子で、クリスは自信なく答えると。

 

「意味ないんかい! 人生と一緒やね」

 

 彼女の棘つきの言葉が飛んできて、うぐっと、クリスのうめき声が、息吹とともに吹き出された。

 

「えーっと、それよりも、アリスは何を話そうとしてたんだ?」

 

 話題を変えるように、クリスは問いかける。

 心の準備ができていなかった。というわけではないが、逸れていた話題を急に引き戻されて、アリスは、うっ、と固まった声を漏らした。

 

「また今度にするか?」

 

 待っていてもよかったのだが、アリスの言葉がつまるのは、何かしらの葛藤があるからだろう。クリスは先送りするよう、提案してみたが。

 

「えっ……いや大丈夫だよ」

 

 口調とは裏腹に、彼女の意志は固かった。クリスは先を促すように、相づちを打つ。

 

「あの……重い? わたし」

 

 こんなこと聞きたくもなかったけど、ついまわり道をしてしまう。彼女の固めた意志は、固くはなかった……

 

「大丈夫だぞ、体重を気にしてたのか?」

 

 聞いたのは自分だが、ストレートに体重と言われると、なんだか腹がたつ。

 

「まあ分かってたけど、そんなこと」

 

「うぐっ」

 

 何かに叩かれたように、クリスの頭が上下に揺れた。

 

「バニラまで歩いていけるが、軽いというわけでもないんだぞ」

 

 クリスの反撃に、アリスの眼差しが不敵に据わりだす。その据えた目で、彼の背ではなく、空を見つめたのは偶然だった。だがそれが幸運でもあった。

 

 見上げるほど大きくなった城壁が、視界に飛び込んできたからだ──ふっと我に返る。ここで言い合いになってしまったら、それこそ、いつも通りの終わり方をしてしまう。それでは駄目なのだ。

 

 心の裏に隠れてしまった、大事なものを引っ張り出すように、言葉を重ねていく。

 

「思い出さない? この状況」

 

「なにも思い出さないが」

 

「ほら、お兄ちゃんと大喧嘩した時の帰り道。わたしは今と一緒でおぶられてたよね……これで2回目だね。おぶられるのは」

 

 アリスの遠慮がちな声を聞いて、クリスは大きく目を見開いた。

 

「あっ──まだ怒ってたのか? あの時にちゃんと謝っただろ。いいかげん許してもらいたいんだが」

 

「そうじゃないの、わたしはもう気にしてないよ。ただあの時と同じだなと思って、思い出しただけ」

 

 ふっと、息をつくと、アリスはまた空を見上げた。

 

「あの時は帰り道だったけど、いまは……」

 

 少し前まで、上空を飛んでいた烏はもういない。代わりに星が瞬きだしていた。時間すらも、あの時と同じになりつつある。


 それがなんだか時間がないように思えてしまう。なんにしろ彼女は、思いついた言葉を、ぽつりとささやいた。

 

「行くあて知らずの旅がらす」

 

「なんだよそれ。これからは帰り道にすればいいだけだろ」

 

 会話に花が咲く。ほど明るい話題ではなかったが、テンポは取れた。あとはもうひと押しの勇気を、心に送るだけ。

 

「……うん。あのね」

 

 自分を納得させるように、大きくうなずいて、アリスは意を決した。この機を逃せば、一生後悔するような気がしたからだ。

 

「ごめんね」

 

「?」

 

 意外な単語が飛んできて、クリスの時間が10秒ほど止まる。少なくとも、その言葉を理解するのに、それだけの時間を必要としたからだ。

 

「なんだよ急にかしこまったりして」

 

「ここまでいっぱい迷惑かけたよね。だから言っておこうと思って」

 

「ごめんね──を?」

 

 クリスは深い意味もなく、聞き返したのだが、彼女はそうではなかった。何気なく言った言葉が、心に刺さったようで、自責の念を浮かべた表情には、はっきりと陰りが見えた。

 

「そうだね、そうだよね」

 

 アリスは目を伏せて、同じ言葉をくり返した。くり返して、勢いがついたからなのか、自分でも驚くほど、想いが吐き出されていく。

 

「わたしは身勝手で、迷惑かけてばかりで、その……今おぶられてるのもそれが理由だし。べつにわざと意地悪したり、怒らせたりしたいわけじゃないんだけど、だから──」

 

 そこまで言って言葉を止めた。

 

 アリスは大きく息を吸い込むと、最後の言葉を、ひと息に言い切った。

 

「今を変える魔法の言葉──ごめんなさい」

 

 アリスは吸い込んだ空気を、大空へと吐き出すように、上を向いて叫んでいた。

 

 子供の頃に母に教えられた言葉。それを初めて正確に──ごめんなさい──と言えた。素直ではなかったので、使ったのも初めてのはずだ。少なくとも、記憶の限りではそうだった。


 それを今、はっきりと間違いなく、確かに言えた。言えたのだ! 


 この言葉が必ずきっかけになる。揺るぎない信念を瞳に宿して、お母さんは教えてくれた。そんな母は──そういえば、言っていた本人は違う方法で解決していたが──今は忘れよう。

 

 ──そして変化はすぐに訪れた。

 吉凶でいえば、凶。

 

「あうっ」


 クリスが突然立ち止まってくれたおかげで、鼻頭を後頭部にぶつけてしまった。


 クリスのただならない異様な気配に、顔を見る勇気はでてこなかった。異変を敏感に感じ取り、アリスは身構える。

 

「……わたし、変なこと言っちゃった?」

 

 返事はない。クリスは黙したまま、身体を強張らせるだけだった。

 

 本心を吐露した結果がこれでは、あまりにも酷すぎる。

 母に恨みごとのひとつでも、言ってやりたいと思いつつも、なにも思い浮かばない。

 

「その言葉。母さんから教えてもらったのか?」

 

 今にも消え入りそうな、震える声でクリスは問いかけた。

 

「うん。そうだよ」

 

 ひとこと答えるのが精一杯で、これ以上、かける言葉は思いつかなかった。

 

「……そうか、そうか。やっぱりそうだったんだな」

 

 ぼそぼそと、ひとり納得の声をクリスは漏らしている。どことなく彼の肩は震えていた。

 

「なら俺は──」

 

 目一杯に首をまわし、視線を合わせようとしたが、すぐに諦めた。アリスは隠れるように、背中に顔を埋めている。

 ほんの少し息吹を吹き出すと、クリスは前方に向き直り、続けた。

 

「未来に繋がる奇跡の言葉を贈るよ──ありがとう」

 

 いろいろな意味をはらんだ、ありがとう。だったが通じただろうか?

 

「えっ──お兄ちゃん! 知ってたの?」

 

 身体が密着するのも気にせずに、がばっと身を乗り出して、アリスは問いかけた。

 

「ああ、子供の頃に教えてもらった」

 

 きっと通じただろう。アリスの反応を見れば分かる。

 

「なら最後の言葉も知ってるよね」

 

 瞳を輝かせて、嬉しそうに聞いてくるアリスとは対照的に、クリスは渋い顔をみせていた。

 

「知ってはいるけど、なんかの標語みたいで、言うのが恥ずかしんだけど。それはやめにしないか?」

 

「ええ⁉ いいじゃん言おうよ。わたし達の合い言葉になるでしょ」

 

 アリスは譲らないつもりらしい。こうなってしまった彼女を、止める術はなかった。

 クリスは小さくかぶりを振ると、それを合図に、アリスはまたもとの位置に戻る、どうやら身体を密着させていたことに、気がついたようだった。

 

 背中越しから、アリスの準備ができたのを確認して、ふたり一緒に息を吸い込むと、ぴったり声をそろえて言い切った。

 

「勇気をもてば想いが伝わる、力強い握手から」

 

 身体をよじり、左手を差し出そうとしたが、それよりも早く、アリスの小さな手が頬に触れる。

 やわらかく冷たい指が、熱を奪ってくれた。それが妙に心地よくて、乱れていた心を冷静にしてくれる。

 

 それをもう少しだけ味わっていたくて、クリスはなにも言わず、立ちつくしていた。もとより、彼女の言葉を聞いたときから、動く気すらでなかったが。

 

「…………」

 

 ひたりと触れる指先から伝わるのは、生温かい感触。

 それは時をおかずに、指先から手首に向かってつたっていく。

 それは風に当てられ、冷たい雫となって宙を舞い──飛び散っていく。いくつかは、アリスの頬に飛来して、肌を濡らしてくれた。

 

 聞きたいことはある。だけど今はなにも言わない。動きだすまで、このままでいようと、アリスは心に誓った。

 

 ──でも、それはすぐに訪れた。

 

 クリスはなにも言わずに、のそりと歩きだした。彼も、なにも聞く気はないのだろう、沈黙を貫いている。

 

 怒っているわけではない、迷いもない……と思う。ただモヤがかかったような、読み取りにくい気配だけ残しているのは、アリスにでも分かった。

 しかし足取りだけは、今までで一番、力強くなっている、それが確かな証拠となって、身体を揺らしてくれた。

 

 城壁が山のように前方の視界を塞いでくれる。大きいはずの城門だが、壁が巨大すぎて、小さなトンネルのようにしか見えなかった。

 

 アリスは横を向くと、最後の灯火が、西の空に消えていくところだった。とうとう闇が空に覆いかぶさり、夜へと変わってしまう。

 

 闇をはね退ける市内の光源が、城門から外まで伸びていて、人工的な光の境界線へと踏み入ったとき、アリスはぼそりと聞いてみた。

 

「ねえ。聞いてもいいかな……」

 

「んあ、なにを?」

 

 ごく稀にみせるアリスの真剣な声に、どこか背筋が伸びる。

 

「私がお兄ちゃんの妹として生まれてきたことを、怨んだことはある? 妹なんて邪魔なだけ、一人っ子のほうが良かったって、思ったことはある?」

 

 アリスは覗き込むように、顔を寄せてくるが、その瞳は、こちらの目ではなく、口元を映している。

 

「いいや、いままで一度(いちど)も無いね」

 

 クリスは、なにも映していない彼女の瞳を見据えて、断言した。

 

「お兄ちゃんからして、私はどんな存在」

 

 すーっと視線だけを上げて、アリスはなにか意思のある声で、確認をとるように、聞いてくる。

 彼女と重なっていた視線をいったん外し、クリスは城門の前で立ち止まった。

 

 後ろからは、ガラガラと騒音をまき散らしながら、1台の馬車が近づいてきていた。

 

 質問の答えは、はっきりと決まっている。だが、アリスがなにを思って聞いてきたのか、いまいち分からなかった。

 

 少しの逡巡をみせたあと、クリスは歩を進めた。

 

 きっぱりと言う。

 

世界一(せかいいち)、可愛い妹……だな」

 

 肩越しにある、アリスの顔に向けて、にっと笑顔をつくり、クリスは答えた。

 

 アリスの丸い目が、ふっと細くなる。

 

 彼女はまた背中へと隠れるように、さがっていった。クリスもなにも言わず前を向き、表情を引き締めると、速度を少し上げて歩く。

 

 ──と、その時。

 

 肩周りを抱き締めるように腕を回して、アリスは首すじに顔を埋めてきた。

 深く熱い吐息を吹きかけられて、肌を湿らせてくれる。


「うん。わかってたよ」

 

 か細いくぐもった声。でも途切れることはなく、はっきりと聞こえてきた。

 

(……ああ)

 

 ひとり言のように、胸中でつぶやく。

 

 首すじから伝ってくる、温かい感触に、なにも言わないほうがいいだろう、との判断だった。

 

「わたしもおなじだよ……きっとね」

 

 大人色に色づいた心が、ふわりと舞いあがり、心地よい鼓動が胸を打つ。

 ほんの少し、動悸と呼吸が乱れてくると、つま先までもが熱く感じられた。

 

 わたしの鼓動はこんなにも速いのに、とくん、とくんと、やわらかく耳打ちしてくれる鼓動は、遅かった。それがちょっぴり悔しい。

 

「…………」

 

 返事の代わりに、アリスの耳に届いたのは、ひょうきんな口笛だった。それが城門のトンネルの中に響く。

 

「……ふふ」

 

 アリスは笑みをもらすと、耳を背中に当てたままの姿勢で、追いついてきた馬車を見やった。

 

 ガラガラと馬車の騒音に紛れるように、アリスは小さく返事を返す。悔しいから、聞こえないように。

 

「ありがとう」

 

 だが、そんな憂いも必要なかった。アリスの声も口笛も、石畳をひっかく騒音に踏み潰されて、消えてしまったから。

 

 日が落ちたとはいえ、市内は街灯があるおかげで、それなりに明るい。

 いまだに人通りの絶えない大通り。賑やかな喧騒を突っ切るように、兄妹の姿は雑踏の中へと、消えていった。

第1章、兄妹の物語はこれにて完結です。

 次話からは騎兵隊の話に戻ります。それが終わったら、正式に1章完結となります。


 この速度だと、人生のほうが先に完結しそうでが……


 お知らせです。

 気分転換をかねて、思いつきで書いた小説を投稿しています。前に話したのとは、別の作品ですが。

 タイトル名はテンプーレです。興味があったら見てやって下さい。

更新頻度はこっちの方が早いかも、なにせあまり深く考えずに書いていますので。

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