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クリスとアリスの夢物語  作者: たくま
第1章開拓村編

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第11話 支点、力点、妥協点

 お久しぶりです。てみじかにふたつほど。


 軽い虎にまたがるのに夢中になっていました。いつも以上に遅くなったのは……いろいろとお察し下さい。


 あとがきにいつものやつを書いたんですが、本編と同等の文量になってしまいました。

 暇すぎる時にでも、読んでもらえれば嬉しいです。


(うおぉぉぉい。なぜだ! なぜなんだアリス。なぜ体重を後ろへともっていくぅぅ。これじゃあ、おぶりにくいだろうがぁぁぁぁ。ちくしょー。なんだこの苦行は)

 

 アリスが重心を後ろへと傾けているため、全身というよりも、腕の(ちから)だけで体重を支える格好となり、ものの数分とたたずに、腕の筋肉が悲鳴を上げていた。

 

(ぴったし身体をくっつけろ。とまでは言わんが、もう少し体重を前にかけてくれぇぇ。ただでさえアリスは、スカートはいてておぶりにくいっつーのに──ひじ攻撃も地味に痛いしよ。さっきのあの流れで、いったい俺はなにをしたってんだ? ちゃんとおんぶしてあげてるだろうが!)

 

 歩くたびに彼女の重みで、ギシギシと腕の骨が鳴る。肉体的にも精神的にもかなりキツく、歩くことすら、おっくうになってきていた。

 

(キリストも十字架を背負い、歩かされたというが。俺はいったい、どんな罪を背負っていると言うんだ!……ああ──彼もこんな気持ちで歩いていたのだろうか? 今なら、よき理解者になれそうな気もするが)

 

 思考はすでに事切れているのか、胸中で口走った言葉の意味も、理解できないでいた。が、それでもぶつぶつと、クリスはなにごとかをつぶやき続けている。

 

(俺は朝メシもまともに食べていないんだぞ。その身体にこの仕打ち……俺はなんの罪を犯したと言うんだ。もしも、生きているだけで罪と断じるのなら、俺以外の人間がどれだけ無罪になると言うんだ)

 

 とうとう身体も小刻みに震えだす。どうやら腕の筋肉のフィナーレが近いようだ。それでも歯を食いしばり、身体の震えだけはなんとか自制しようと、クリスは努力していた。

 

(そうか、背負っているもの自体が罪なんだな。罪を償うにはどうすれば……)

 

 なにがなんだか分からなくなってきていた。理解できることがあるとすれば、それはただひとつ──


 ──そろそろ限界。ただこれだけだった。

 

 つまりこれ以上腕に重量がのると──例えば、あとほんの少しでもアリスが身体を反らして、重心を後方へと傾けるとか、あるいは貧乏ゆすりなどして、いたずらに身体を揺さぶろうものなら、あっけなく腕がもげるだろうなと、嫌な想像をしてしまい、背筋に悪寒が走る。

 

(……捨てるか?)

 

 唾棄(だき)するように、胸中で言葉を吐き捨てた──と同時に、グリグリと背中を掘るように、当たっていたひじが離れ。

 

(ん? ひじが離れたぞ──ってほわっ──うぎゃぁぁぁぁー。うでがああぁぁーもげるうぅぅぅ)

 

 アリスは肩をぐいぐいと押し始め、全体重を後へと預けてきた。タイミングよくひじ攻撃を止め、一点(いってん)集中型に切り替えてきたので、無意識のうちに(くち)にだして毒づいたのかと、自分を訝るが、そうではない。ずっと歯を食いしばっていたので、声を出すこともままならなかった。心の声は届いていないはず……

 ならば他に理由があるのか──ちっともないのか。それともこれは、なにかの試練なのか……いや、そもそも。

 

(ぢぐじょー。おふざけはしないって約束したのに、うらぎりものぉぉぉー。クソ! それともなにか? 『わたしは真剣に楽しんでいるの』とでも言いたいのか!)

 

 心も身体もそれどころではなかった。

 それでもクリスは、喰らいつくように指に(ちから)を入れる。アリスの太ももに指が食い込むが、そんなこと気にしてはいられない。

 

(そんなに身体をのけ反らせて楽しいか! えぇ⁉ バイカーか? バイカー気分か? バイクでウィリーの真似でもしてるってか! 俺の肩はスロットルじゃないぞ)

 

 ガクブルと身体の震えも痙攣(けいれん)へと変わっていた。もはや自制することもままならないし、抑えようとも思わなかった。アリスに肩を押されながら、1歩……また1歩とふらつきながらも、歩みを進めていく。

 

(これが僕のフルスロットルなんですぅぅぅ。そんなにぐいぐい押されても、これより速く歩けましぇん。コケないようにするのが精一杯なんですよぉぉ。もう限界の壁を3枚ほど突破して、気持ちはちゃんと金髪ロングになってるんですぅ。だからこれ以上は、勘弁してくださいぃぃ)

 

 腕の筋が伸びきっていて、痺れを通り越して激痛まで走っていた。しかしそれもさっきまでのはなし。いまは痛みすら感じない。もしかすると、完全に意気消沈した心では、痛みすらどうでもよくなってくるのかもしれなかった。

 

(あ……ああ。川だ……川が見える。あれは三途(さんず)の川なのか?)

 

 混濁(こんだく)する意識の中で、視界の先に映ったのは大きな川だった。

 

 バニラの手前には、急流のある大きな川、ヌビエ川が横たわっている。ロブスターほどの大きさで、サソリの姿をしたヌビエ海老が棲息していて、それが名前の由来となっていた。その川に架かる橋を渡り、橋を守る小さな砦を抜けて、数キロ歩いた先に──商都バニラが居座っている。

 

 薄らいだ意識の中で、川があることだけは認識できた、だがそこまでだった。

 現実なのか幻なのか、それとも別の世界に踏み込もうとしているのか、閉ざしかけた意識で判断することは、困難をきわめていた。

 

 それでもクリスは自分の中の何かが、歩けと命令してくるようで、立ち止まることはしなかったが。


(父さん母さん、いまそっちに逝っちゃうかも……)

 

 怒りから泣き言、そして祈りへと変わりつつある、クリス。救いを求めるように、ふらふらと橋のたもとへと、進んでいく。あと数メートルの距離まで近づいた──その時。

 

 

 ──はあぁぁぁぁ。

 

(あっふん)

 

 突然(とつぜん)耳元に、熱い吐息(といき)を吹きかけられて、全身の力を吸い取られたような、虚脱感に襲われた。がくっとひざの力が抜けて、クリスはその勢いのまま、倒れ込みそうになる。

 

(うぎがぎらおぉぉー。まずい、これはまずいぞっ──おっ?)

 

 瞬間的になにかが見えたような気がした。もしかしたら走馬灯だったかもしれないが、なんにしろ、目が覚めてすぐに忘れてしまう夢のように、ぶつりと記憶が途切れる。

 そのおかげかどうかは分からなかったが。

 

(おおぉぉぉおうらぁー。負けるくぅあーコンチクショー)

 

 得もしれない力が、身体の内側から湧き上がってくる。倒れ込むぎりぎりのところで、持ちこたえれたのは、奇跡に近かった。

 クリスはぜえぜえと息を切らしながら、胸中で毒づく。


(押してだめなら引いてみろってか。力押しが効かないと見るやいなや、桃色攻撃にでるなんて、なんと末恐ろしい妹なんだ……いやしかし、これはこれでラッキーだったな)

 

 幸運だったのは屈み込んだ勢いで、アリスの身体が背中へと、近づいたことだった。重心の位置が変わり、今までと比べると格段におぶりやすくなる。

 

 そのままさり気なく身体を揺らし、ポジションを整えると、何事もなかったかのように、クリスは涼しい顔で歩きだした。

 

(不幸中の幸いと言うやつか、危機的状況から、抜け出せれたのはいいが……)

 

 どんよりとした陰鬱(いんうつ)な空気が、脳天にのしかかり、長い間、無言の時間を過ごしていたことに気づく。

 

(俺も少し急かしすぎたか、さてどうしたもんかな? 怒ってるんなら謝り倒せばいいし、悪ふざけなら、このさい乗ってやればいいんだが、ただ問題なのは、いじけてたり拗ねてるときなんだよな。ほんと対処法が分からん)

 

 アリスと出会って1年ほど経つのだが、いまだに年頃の娘のなだめ方が、分からないでいた。あるいは彼女の性格が、特殊なだけなのかも知れないが。

 

(なにかないかな? こ〜うナイスミドル的な対応方法ってのは……)

 

 うんうんとうなりながら、クリスは過去の出来事を、思い返してみた──下手(したて)に出ればつけ上がり、強気に出ると反撃を受け、かといってなにもしなかったら──これまた理不尽に怒られる。

 いままで彼女にとっての正解にたどり着いて、無事で済んだことは……極端に少なかった。

 

(……いや、ねぇーな! やっぱ駄目だわ)

 

 今日はやけに真実が目に()みる。

 

 クリスは感情を押し殺すと、歩みを緩めた。

 このまま喋らずに、アリスを放置していると、さらに深く気まずい沈黙が訪れる予感がする。バニラに到着する前に、なんとしてもこの沈み込んだ空気を、入れ替えなければならない。でないと明日の朝まで尾を引くことになるばかりか、最悪の場合、それをネタに数週間にも渡り、嫌味を言われ続けることにもなりかねない。

 

(この沈黙を破れるような、なにか面白い話題はないかな? なんならアリスの気を紛らわすことができれば、他愛もない雑談でもいいんだが……)

 

 クリスは必死に考え込むものの、解決策がなにも思い浮かばないまま、橋へと足を踏み入れた。コツコツと響く足音が、なにかのカウントダウンにも聴こえてくる。

 

 背中にぴったしくっついてきて、離れない足音に、どこか焦燥感のようなものを覚えてしまう。そんな中で、クリスは会話のネタを見つけようと、何気なく橋の上から河原を覗いて見た。

 

 数人が網を使って、ヌビエ海老を獲っている。その傍らでは、竿だけで海老の1本釣りをしている、強者(つわもの)もいたが、どうやって釣っているのかは謎だった。釣り上げるたびに、周囲からは歓声が上がり、それに腕をあげて応えている。

 

(ヌビエ海老っか……見てくれがまんまサソリだからなー、俺はどうやっても食べれなかったけど、家族みんなは美味しいって食べてたっけ、父さんなんかは……)

 

 んんっ、と眉根を寄せて、クリスは記憶に残っている言葉を、思い出した。

 

(……見た目はともかく、味は伊勢海老みたいで美味しいぞって、言ってたな──伊勢海老っか……あんときはゲテモノ料理を前に余裕がなくて、気にもならなかったが。もっと注意深く観察していれば、何かが変わってたのかな)

 

 そこまで思い至ったところで、すぐに(かぶり)を振り、考えを否定した。いまさら疑問を解消したとて、終わりは変わらない。

 

(ほんっと。この期に及んで、なに考えてんだか、こんなのいまさらもう遅い。ってやつだよな……)

 

 亀裂の入ったパイプから、漏れ出る水のように、心の隙間から、少しずつ(ほとばし)ってくる感情を感じるが、それがいったいどんな感情なのか、自分でも整理がつかないでいた。

 

(でも、話したい話題は見つかったな)

 

 不意に意識がいったのは、視界の端に小さな影が横切って行くのを、見たからだろう。気のせいだろうとは思いつつも、視線だけを向ける──が、やはり誰もいない。

 

 見えたのは橋の手すりと、向こう側の景色だけだった。

 少し前に勝手に現れ──そして消えていった幼い自分。

 

 それが脳裏に去来し、映像となって可視化されたのか、それとも思い出せと、訴えかけてきているのか、まあ、どちらでもよかったが。

 

(自分勝手な奴だったからな……いや、自分になるのか?……やっぱ違うぞ! 俺はあんな5歳児じゃなかった、もっと感情(かんじょう)豊かだったはずだ。だってあいつ笑ってなかったし、無表情だったし)

 

 思い出すたびに、自分なのか、他者なのか、よく分からなくなってしまい、おかしくなりそうな頭を抱えて──実際にはアリスをおぶってるので、イメージだけだったが──橋を渡って行く。

 コツコツと響く足音と、脳裏から離れない影を引き連れて、クリスは砦の門を潜った。

 

 門を抜けると、四方を壁で囲まれた中庭。と言うには、あまりにも殺風景すぎる空間で、空地と呼ぶ方が、しっくりくるかも知れなかったが。

 そしてなによりも、砦の中は身を隠す場所すらない、さら地のはずなのに、異様な圧迫感を感じさせられるのは、高さ8メートルほどの城壁が、空を狭くしているせいだろう。

 

(侵攻してくる敵は、あの城壁に開いた穴っぽこや、最上部にいる弓兵らに射殺されるって訳か……)

 

 クリスが見上げた先には、城壁の中間部に設置された狭間(さま)があり、それが窓枠のように、ずらりと並んでいる。最上部の歩廊には、緑がかった鮮やかな青色──セルリアンブルー色の制服に身を包んだ、自警団員達がいた。

 

 所属によって、制服の色やデザインが異なっているようなのだが。制服のデザインが違うと言われても、クリスにはいまいち、その違いとやらが分からなかった。

 

(しっかし。あいも変わらず、緊張感の欠片もねぇーな。青色の制服ってのは、守備隊だったよな。あいつら周囲どころか、下すらも見てないんだが、守備隊がそれでいいのか?)

 

 自警団員達は、警戒している──よりは、暇を持て余している。といった感じだった。

 談笑している者達。武器の手入れをしている者。あくびをして、眠たそうにまぶたを擦っている者。壁を背もたれにして、空を見上げている者までいる始末だった。

 

 それらを見送りながら、クリスは中庭を突っ切って行く。その先には砦の出口──バニラの領土へと続く大門が、開け放たれている。

 門の横には当然(とうぜん)守衛所があるのだが、その室内には大きな文字で、今月の重点項目。“人相の悪い人には積極的に声掛けしよう”とスローガンが掲げてある。

 そのためかどうかは分からないが、自警団員も数名、外に立ってはいるのだが、彼らはちらりと見てくるぐらいで、基本的にスルーしてくれる。まあそれ以前に、こちらに来てからこのかた、今まで1度もまともな入国審査など、受けたことも無かったが。

 

(このゆるさ加減が、この国の強さの秘訣だって、父さんは言ってたけど、どうなんだろ? だらけてるようにしか見えないけどな。それとも余裕のあらわれってやつか?)

 

 通り過ぎぎわに、クリスが胸中でぼやいていると、こちらに気がついた、30代ほどの団員が近寄ってきた。いかにも好青年といった感じの彼は、クリスの顔を覗き込むように見てくるなり、心配した様子で、声をかけてきてくれた。

 

「君たち大丈夫? なんだったらそこの休憩所で休んでいくか? そこまで広くはないが、ひと休みする分には丁度いいからさ。それにみんなで持ち寄った茶菓子も、沢山あるし、好きな物食べながらゆっくりしてるといいよ。なに、遠慮することはない、俺たちじゃいつも腐らせちまうだけだからさ」

 

 彼が指差す先──守衛所とは反対側の城壁沿いに、無理矢理に後付したような、こじんまりとした、休憩所が設置されていた。

 遠巻きに、開けっ放しになっているドアから中を覗いて見たが、人の姿は見当たらない。建物には採光のための窓はなく、そのためか、外はまだ明るいというのに、内部はやけに暗かった。

 屋内の壁に備え付けられた、幾つかのランプだけが光源の全てで、そのランプのか細い灯火と、濃い闇とが混ざり合い、とろんとした橙色の空間を、生み出している。

 

「休憩するには丁度いいかも」

 

 ぼそりとつぶやき、クリスは歓喜に満ちた顔を、彼に向けた。この際ひと息入れるのも悪くはない、入都が日没後になったとしても、とくに問題があるわけではなかった。

 バニラ市内で宿が取れなかったとしても、自警団の詰め所にでも出向き、事情を説明すれば、一晩ぐらいなら休める場所を提供してもらえるはずだ。基本的に彼ら自警団員は、親身になって相談にのってくれる。そう今みたいに。

 それになによりも、この状態で残り数キロを、歩ききる自信はなかった。それこそ途中で行き倒れになっても、洒落(しゃれ)にもならない。

 休憩できる安堵感と、小腹を満たす菓子類まであることを知り、クリスはうきうきとした気分に心を弾ませた。

 

「えっ? い──」

 

「ありがとうございます」

 

 いいんですか? と気持ちよく口に出そうとした瞬間。背後から素早く、アリスの声が割り込んでくる。

 

「でも、私は大丈夫ですのでお気遣いなく、それに兄も日没前には入都したいと、言っていますし、私達はこのまま先を急ぎますので、どうもご親切に、ありがとうございました」

 

 アリスはおぶられたまま、ぺこりと頭を下げると、きっぱりとお断りを入れてくれた。どうやら、先ほどぼそりと言った言葉は、彼女には聞こえていなかったようだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 どんな顔をしているのか、自分には分からなかったが、目の前で同じように無言で固まっている、彼の表情を見る限り、絶望的な顔色を浮かべていることだけは、簡単に推測できた。


「……そうだよね? お兄ちゃん」

 

 反応が鈍いことを心配したのか、アリスは耳もとで、おどおどとした(かす)れる声で聞いてくる。

 

「……うん。そうだ、そうだよ。そうだそうだ、そうなんだよ……そうなんだよなぁ」

 

 あれだけ急かしといて、いまさら休憩を取る。なんて言うのもバツが悪く、アリスの話に乗っかるように、クリスは同意見の意思表示をみせた。

 もちろん、段々と小さく尻すぼみになっていく言葉に、最後の未練を残してはいたが、当然、アリスは気づくはずもない。

 

 それに気がついたのは……

 

「……そうか。それならしかたない。まあ、あんまり無理するなよ……って言うのも無粋だったかな?」

 

 目の前の男と、周囲にいる自警団員たちだった。なぜだか彼らの視線まで集める結果となり、居心地が悪い。

 なんにしろ目の前にいる彼は、あっさりと身を引いた。確認を取るように、ふたりに視線を送り。

 

「バニラまで、あともう少しだ。頑張れよ!」

 

 彼の最後の言葉『頑張れよ』は確実にこちらに向けて、言ってきたのが分かった。分かったからといって、だからどうと言うこともないが。

 

「どうも」

 

 とりあえず、皮肉まじりの返事だけは、返しておいた。

 団員たちの好奇な眼差しにさらされながら、門を抜け、数メートル歩いたところで、大地を踏みしめて、クリスは立ち止まった。

 

 眼前に映るバニラ市街地を、クリスは虚ろな瞳で見つめている。近づくにつれて、大きくはっきりと、見えるようになっていた城壁が、今はやけに遠く小さく、ボヤけて見える。きっと気のせいだろうと、心に決然(けつぜん)と嘘をつく。

 

 すると現実を突きつけるかのような会話が、背後から飛んできた。

 

「おーい。今日の夜警の巡回は回数増やすぞ! 第1巡回も1時間早めるからな、もう準備しておけよ」

 

「担架も必要っすか?」

 

「そこまでは必要ないと思うが、食い物と水ぐらいは、用意しておいてくれ」

 

「それもそうっすね」

 

「それじゃあ頼んだぞ」

 

「了解。──アッシュ準備に入ろうぜ」

 

「なあなあスコット。それよりも賭けしようぜ、賭け」

 

「どんな?」

 

「どこまで歩いて行けるかの賭けだよ。俺は中間地点で力尽きるに、銀貨1枚賭けるぜ」

 

「ほー。なら俺は4分の1で力尽きるに、銅貨3枚だ」

 

「なんだよ。もっと賭けろよ、ケチ臭い」

 

「うるせぇ! 今月はもう金がねえんだよ。それよりもミルト。お前はどうする? 賭けに乗るか」

 

「僕は……最後まで歩ききるに、銀貨3枚賭けます。あの人はガッツがありそうだったから、バニラまで辿り着くと思います」

 

「ほ〜う、まあいいさ。あとで後悔するなよ。で、ケリーはどうするよ?」

 

「お前らなあ、職務中に賭け事なんかするなよ。今しがた副隊長から指示を受けたばかりだろうが。こんなの聞かれでもしたら、この(あいだ)みたいに、また大目玉を食らうぞ」

 

「ならケリーは不参加でいいな」

 

「…………臆病風に吹かれて、引き返してくるに、金貨1枚だ!」

 

「賭け事よりも、ケリーさんの予想のほうが、よっぽど酷いじゃないですか」

 

「はっはっ、ちげえねぇ。おいそれよりも、ほかの連中も誘おうぜ」


 やんややんやと後方で自警団員達が、盛り上がりをみせている。そんな彼らのやり取りが、聞こえてはきていたが、これもきっと空耳(そらみみ)だろうと、クリスは断固否定した。

 

(幻視だって見たんだ、幻聴ぐらい聴こえるさ、しょうがないよ人間だもの。それよりも……)

 

 ごくりと生唾(なまつば)を飲み、前方を見据える。バニラまでもう少しの距離。平常時なら、なんとも思わないのだが、今はやたらと遠くに感じる。

 

(よし、行くか)

 

 いろいろなものが、ずっしりと背中にのしかかってくるが、少なくとも臆病風に吹かれさえしなければ、金貨1枚失う奴がいると、それだけを心の励みにして、クリスは1歩踏み出そうと足を上げた。それとなく祈りも込めて。

 

(おお神よ。なぜこのような乗り越えられそうもない試練を、お与えになるのか……あんた馬鹿だろ)

 

 祈りではなく、悪態へと変わっていたが、そんなこと気にもせずに、クリスは渾身(こんしん)の一歩を踏み出した。

 クリスとアリスのサイドストーリー

 クリスの走馬灯。



(うぎがぎらおぉぉ。まずい、これはまずいぞっ──おっ?)

 

 カメラのフラッシュを受けたように、純白の光が眼前に迫りくる。

 視界いっぱいに広がった光の中へと入り込み、光のトンネル内を旅する感覚に、どこか浮遊感を覚えた。

 その一瞬後には、意識は途切れてしまったが。

 

 そしてまた、意識がつながった時には……

 

 

 

 転移するようになってから、はや1週間。

 

 どうにも人間というのは、慣れる生き物のようで、なすがまま、慌ただしく過ぎ去っていった毎日に、疲労の蓄積はあるものの、特段これと言った体調の異変は、見られなかった。

 

 薄い板張りの狭い部屋。窓辺の近くに置かれたベッドは、寝返りを打つたびに、キィキィと耳障りな音をたててくれる。クリスは重く腫れぼったいまぶたを、労るように押さえつけ、ベッドから身を起こした。ベッドボードを背もたれにして、漠然と部屋の空間を見つめる。


 不慣れで見慣れなかったこの部屋も、今では勝手のよい、見慣れた私室へと変わりつつある。それは自覚している。自覚してはいるのだが……

 

 それでも慣れたこともあれば、当然慣れないこともあるもので、その証拠とばかりに、今もなお大量に舞い上がり、部屋の中に充満している、この煩わしい埃だった。窓から射し込む光を反射して、きらきらと輝いている。

 

「はあ……」

 

 深呼吸のようなため息が漏れる。漏れ出た声は、部屋に反響することなく、薄い壁に吸い込まれて、消えていく。

 深く吐いて──そしてまた空気を吸い込む。気をつけてはいたのだが。

 

「──ごほっごほっ。うぇ。喉がいがいがする」

 

 埃っぽいよどむ空気を誤飲して、思わず咳き込んだ。

 

「しっかし、あいつのモーニングアタックは、どうにかならんのか? このまま放っておいたら、エスカレートしていくのは目に見えてるからな」

 

 妹──アリスからの今日の目覚めの一発は、乱暴に枕を引っこ抜かれると、そのまま顔に押し当てられて、危うく窒息死させられるところだった。

 

「起きろと言いながら、枕で押さえ込んでくるんだもんな。目覚めさせたいのか、永眠させたいのか、どっちなんだよ。たくっ。どこかでガツンと言ってやらなかんな」

 

 数分間の格闘の末、彼女を退けることに成功して、今にいたるのだが、その結果がこの空気の淀みだった。

 クリスはベッドから立ち上がると、足を引きずるように歩いて、窓へと向かう。がりがりと動きの悪い鍵を開け、両開きの窓を押し開けた。

 

 開けた瞬間に、心地よい風が部屋の中へと吹き込み──開けっ放しのドアへと抜けていく。誰かさんはどうにも、ドアを閉めない主義なようで、朝のひと騒動が終わると、いつも閉めずに出ていってしまう。

 

「面倒くさいからじゃなく、二度寝させないためなんだと思いたいが……いや、そうであって欲しいが、そうだとしてもだ、ドアは閉めてけよな。着替えなきゃいけないんだしよ」

 

 ぶつくさと文句を言いながら、それでもドアは閉めずに、早々に着替えを済ます。くるりと向きを変え、とっとっとっ、と軽い足取りで、部屋の隅にある平机へと、クリスは寄って行き。

 

「……それはともかくとして。やっぱいいよな〜これは。ここでの唯一の楽しみと言っても、過言じゃないな」

 

 にやりと含み笑いを浮かべ、クリスは瞳を輝かせていた。汚れを知らない少年のように。その姿に、知性の輝きはこれっぽっちも見当たらなかったが、その代わりにといってはなんだが、彼の佇まいには、近寄りがたいほどの異様な雰囲気が、漂っていた。

 

「いいよな別に。ここは俺の部屋なんだし、この世界じゃ普通なんだろ? きっと」

 

 そう言いながら、クリスの意志に迷いはなかった。スーッと上げられた腕が、机の端に触れる。視線に誘導されるように、その後を指先が辿っていく。机の端に触れていた指が、天板の上を滑り、そのまま目的の物へと、指が辿り着いた。

 

「いいな〜いいな〜。これほんといいよな〜。こんなの現実世界では、なかなか味わえないもんな〜」

 

 形を、感触を、指で手の平で撫で回し確かめる。それこそ頬擦りしたくなるほどに。クリスは異世界にきた当初から、机の上に置かれている剣を飽きもせず眺めては、ひとり楽しんでいた。

 

「でも、この胸に突っかかってくる手触りは、なんなんだろう?」

 

 剣を持ち上げて、裏表とひっくり返し観察した。

 

 初めて見る剣のはずなのに、ひどく懐かしく感じられ、それでいてよく手に馴染む感触が、遠い過去。記憶の片隅にぽつんと置き忘れてしまった、なにかを呼び覚まそうとしてくれる。

 

 ──しかし、それはそれ。

 

 クリスは出かかった記憶を即座に投げ捨てると、いつもの日課へと、思考を引き戻した。

 

 帯刀ベルトを腰に装着して、剣を吊り下げる。クリスは肩の力を抜き、耳を澄ますと、きょろきょろと辺りを見回した。誰もいない、気配もない、窓の外にも廊下にも人はいない。慎重に確認し終えると。

 

 ──ビシッとポージングを決めた! 

 

「……やっぱこうなると、姿見が欲しくなるんだよな」

 

 ポーズを決めて思う。やはり自分の姿を見てみたいと。

 

 いろんなポーズをとったり、柄をにぎにぎしたり、ときには刀身を少し出しては戻したり、と完全に意識が妄想(聖域)へと飛んでいた。それを油断と呼ぶのなら、そうなのだろう──それ故に気づけなかった。

 

 ──コンコン。

 

 ふっと、気配を察知した瞬間。と同時に壁をノックする音が響く。

 クリスはびくりと肩を跳ね上げて、音の聞こえた方──廊下へと視線を向けた。

 

「おはよう。クリス」

 

 ドアは開いていたので、その横の壁を軽く叩いた姿勢のまま、父──ダリスが立っていた。どこか嬉しそうに。

 

「あっ……と、父さんっ……」

 

 だったけ? と言いそうになったところを、口を強くつぐみ、なんとか言葉を飲み込んだ。

 家族を呼ぶこと──これも慣れないことの1つだった。

 

 慣れないことなのだが、この一家の存在は、何故か妙にすとんと胸に収まってくれる。それでも気持の抵抗が無いと言えば、嘘になるが。

 

 それがもやもやとした葛藤を作り、心に消えない傷跡を残していた。

 

「えっ……と。うん。おはよう」

 

 たどたどしく返事を返す。ダリスはさほど気にすることもなく、にこやかに部屋の中に入ってきた。

 

「クリスに頼みたいことがあるんだが、いいかい?」

 

「頼みたいこと? まあ……自分に出来ることなら、別にいいけど」

 

「そうかそうか聞いてくれるか、いや〜よかった。それじゃあ朝食の後に、裏庭でな」

 

「えっ⁉ 裏庭?」

 

 クリスの疑問には答えず、鼻歌まじりで部屋をあとにする、ダリス。ひとりポツンと、とり残されるかたちとなり、しばし呆然と立ち尽くす。

 

「よく分からんが。ちゃっちゃとめし食って、話でも聞くか。面倒事じゃなきゃいいけどな」

 

 

 

「…………遅い。なにやってんのかな? もう10分はたったぞ」

 

 朝食をすませ、言われたとおり裏庭へとやってきたのだが、ダリスは一向に姿を見せない。待つこと、かれこれ10数分はたっていた。

 

「特になにか用事があるわけじゃないけど、こうも待たされると、イライラするな。早くこないかな」

 

 苛立ちが募りだし、それを誤魔化すように、つま先で地面を鳴らす。待ちきれずに、どこかぶらつきにでも行こうかと思った矢先。外壁の陰からひょこっと、ダリスが顔を出す。しきりに辺りを警戒しながら、こちらへと寄ってきた。

 

「クリス悪い、遅くなった。なかなか抜け出すタイミングがなくてな」

 

「それで? 頼みごとってなに?」

 

 ダリスはこちらに近寄ると。さっとクリスの肩に腕をまわして、顔を近づける。ひそひそと小声で話しかけてきた。

 

「アリスのことどう思う? 正直に話してくれ」

 

「どうと言われても、なんとも思ってないよ……朝のビックリモーニングは、そりゃあ、止めてもらいたいけど」

 

 ぱっと、抱いていた肩を離し、ダリスが勢いよくうなずく。

 

「そうかそうか、そうだよな。うんうん分かる分かる。痛いほど分かるぞ。あの跳ねっ返りのじゃじゃ馬暴発娘。誰に似たんだか。って母さんに似たんだけどな」

 

 しみじみと語りかけてくる、ダリスの表情は、様々な感情をはらんでいた。というよりも沈痛な表情のほうが多かったが。過去に相当痛い思いをしたのだろうと、推察出来るほどに。

 

「いや……そこまで酷くは捉えてはないけど」

 

 一応は否定しておく。なんとなく、そうしたほうが正解のような気がしたからなのだが。クリスは先を促すように、ダリスを見つめた。

 

「ははっ。そう謙遜するな。父さんはクリスの苦労も、ちゃんと理解しているぞ。アリスは母の七光りってやつさ。とにかくお上の威光を笠にきて、ふんぞり返る悪代官みたいに、やりたい放題なんだよ。ちょっと村内で人気があるからって天狗になってんだ! モテるのも若いうちだけなのにな」

 

「それを言うなら親の光は七光りでしょ?」

 

 とりあえず、突っ込みやすいところを指摘してみた。もちろん深い意味はなかったのだが、ダリスは本気で捉えたようだった。

 

「おいおい冗談だろ? よしてくれ。それだとあの無警告発砲娘の人格形成に、父さんも関与しているみたいじゃないか。あれは母娘の絆であって、父さんは無関係だ!」


「言ってる意味がよく分からないんだけど。それで、結局頼みたいことってなんなの?」

 

「それなんだけどな──」

 

 ──と、言いかけたところで、ダリスの声が途絶えた。こちらの肩越しに、絶望的なまでの眼差を向けて。

 さらには、なにか見てはいけないものを見てしまったかのような、恐怖に引きつった顔のまま、硬直までしている。

 

「?」

 

 気になり振り返ってみたが、誰もいない。見えるのは家の壁と、まばらに生えた雑草だけだった。

 

「どうしたの父さん? 顔面蒼白だけど大丈夫? なにかいたの?」

 

「えっ……あっ。いや大丈夫だ! 一瞬チラッと、見えただけだから」

 

 ぱっと、顔色を戻して、ぼそぼそと喋るダリス。彼の声は小さすぎて、よく聞き取れずにクリスは首を傾げた。そしてさらに深く首を傾ける。ダリスの肩越しに、アリスの姿が見えたからなのだが。

 

「そんなことよりも、アリスってかわいいし綺麗だろ? 母さんに似て、な! な! クリスもそう思うよな」

 

 急に話題を変えてきたダリス。切羽詰まった様子で詰め寄ってくる。なんとなく彼の慌てぶりを理解したが、しかしそれには構わずに、クリスはアリスを呼んだ。

 

「アリス。どうしたんだ?」

 

 彼女はほんの少し、息を切らしていた。例えるなら、全力疾走で家の周囲をぐるりと回り込んできた、そんな程度の呼吸の乱れ。

 

 ふた呼吸ほどいれ、息を落ち着かせると、アリスはころころとした笑顔で近づいてきた。

 それにあわせ、ダリスの顔色はみるみる曇っていく。

 

「ううん別に、わたしはなんでもないんだけど。でも、こんな所でふたりして、何してるのかなって、気になってね。それできてみたんだけど……お父さんどうしたの? なんか変だよ」

 

 声だけは平静さを装っているが、彼女の目つきは──穏やかではなかった。目の前の男を睨み据えている。

 そしてこの場で冷静でないのは、睨みつけられているダリス。彼だけだった。クリスは巻き添えを食わないように、そっと距離を取る。

 

「あ──アリス。お母さんのお手伝いを、するんじゃなかったのか?」

 

「もう終わった」

 

 間髪入れずに、アリスは答えた。

 

「そう言えば、ギラン君が遊びに来てなかったか?」

 

「はあ? わたしあいつ嫌いだし。追い返したよ」

 

 平静だったはずの声すらも、不穏当なものへと変わってしまい、選択肢を誤ってしまったことを、ダリスは悔やんだ。

 

「ねえ……それよりもお父さん」

 

 アリスの呼び声に、背中に嫌な汗が流れ出るのを感じつつ、ダリスは返事を返す。

 

「な、なんだい?」

 

 アリスはぐるぐるとダリスの周りをまわり始めた。まるで獣が飛びかかるタイミングを、見計らっているかのように。

 

「さっきわたしのこと、なんか言ってなかった?」

 

「お? おお! それはだな。母さんに似て可愛くて綺麗な妹がいて、クリスも心配事が絶えないだろって話をだな。えっと……しようとしていたんだよ」

 

 なんとか首皮1枚で繋がったと、ダリスが安堵の表情を見せたものの、それをぶった切るように、アリスの鋭い声が鼓膜を揺るがす。

 

「あれれ? わたしは跳ねっ返りじゃじゃ馬式ピンボール女──じゃなかったっけ?」

 

 ダリスの真正面で、ぴたりと立ち止まって、アリスは言い切った。とびっきりの笑顔で。

 

「最初っからちゃんと、聞いとったわ!」

 

 ダリスに返答の余地を与えるつもりはないのだろう、即座にアリスは怒声を張り上げた──それと彼女の右脚が宙へと舞い上がったのは、ほぼ同時だった。

 蹴り上げた彼女の脚は、目の前の男の股間に吸い込まれるように、突き刺さる。どすっと重く同情を誘う音が、クリスの耳にも、はっきりと聞こえてきた。

 

「おごっ」

 

 蹴られた衝撃かなにかは分からなかったが、ダリスの身体は3センチほど、持ち上がったように見えた。そのままゆっくりと、前のめりに崩れ落ちる。

 身体を微痙攣させ、丸くうずくまり、もちろん股間は押さえたままで。それでもダリスは声を絞り出した。

 

「お……おぐぅお……あ──アリスちゃん……よく聞きなさい……」

 

「なに?」

 

「よ……世の男性人の股間は、ヴァルハラ条約で攻撃が禁止されている。こう無闇やたらと蹴り上げていい場所では……ありません」

 

「そんなのわたしは知らないもん」

 

「いい機会だから、覚えておきなさい。絶対ためになるから、とくに被害者のほうには……うぐっ! 呼吸すら辛い……」

 

「でも、わたしはお母さんから──」

 

 ばっと片腕を上げ、ダリスは彼女の言葉を遮る。

 

「分かってる。みなまで言うな。父さんはこれがはじめてじゃないんだ──おぐっ……痛い」

 

「はじめてじゃないんだ……」

 

 クリスは思わずつっこんだが、答える者はいなかった。

 

「……まっいいわ。わたしはお母さんの手伝いの続きをしてくるよ。」

 

 最後にダリスを踏みつけて、アリスは家へと入っていった。

 それを見送ってから、クリスはダリスの前で屈み込み、無感情に言う。

 

「どうする? 話はまた今度にする?」

 

「いや夜にしよう。それも邪魔が入らない、村の中央広場で」

 

「……わかったよ」

 

 

 

 ──その夜。

 

「いやー外で飲む酒ってのは、家呑みとはまた違った趣があるよな。どうした? 遠慮して。クリスも飲んでいいんだぞ」

 

 中央広場と言っていたが、そこには行かず、ふたりは反対方向にある、芝草の生えた、空き地へと来ていた。

 

 

「いや俺はまだ未成年だし。酒はやめとくよ」

 

 木のコップに注がれた酒を見下ろして、クリスは断りを入れた。先ほどから迷惑そうに返答しているのだが、酔っぱらいのダリスには認知できないのか、なんども同じことを言わされていて、嫌気が差していた。

 

「未成年っていったって、来年で20歳だろ? 1年ぐらいどうってことないさ。5歳児の子供ってわけじゃないんだしよ。さあ飲もう飲もう」

 

「5歳児って……そんなに子供に見える?」

 

 嫌味で言ったつもりだったが、それすらもおかしいのか、ダリスは笑って受け流すだけだった。

 

「それにふたりして酔っぱらって帰ったら、母さんにどやされるよ」

 

「ふむそうか、それもそうだな。クリス悪いな、父さんだけ飲んでて」

 

「別にいいけど。それで本題の頼みごとってのは、なに?」

 

「ああ〜頼みごと? 大したことではないんだけどな」

 

「なんだ。くだらんことかいっ!」

 

 クリスはたまらずに声を上げた。クリスの大声にも、ダリスは陽気に返すだけだったが。

 

「はっはっ、これは手厳しい。いやじつはな、頼みごとってのは、家の手伝いをしてもらいたいだけなんだよ」

 

「はっ? そんだけなん」

 

「つまらん仕事などに、煩わされる必要などないさ。そこは父さんがしっかりと稼ぐから、クリスは家の手伝い──妹の面倒を見ててくれるだけで、それだけでいいからさ」

 

「一人息子が無職でもいいと」

 

「おお〜いいぞー。引きこもりだと困るが、ニートなんてどうってことないさ。それよりもクリスには、かわいい妹を付きっきりで守っててもらいたい。父さんはそれだけを望んでいるよ」

 

 ぐっ、と力強く拳を握り、ダリスは力説してきた。

 

(それがひいては俺のためにもなる。クリスに押しつける──いや。兄妹仲良くなってもらえれば、自分のすべてが好転する。前々からずっと、俺はこの日を待っていたんだ)


 ダリスは顔には出さずに、胸中で補足を入れた。

 

「……嫌だと言ったら?」

 

「瞑想するのに、ぴったしの森を教えてあげよう」

 

「瞑想なんて興味ないんだけど」

 

「いいのかな? その森は人も寄り付かないから、この上なく静かで、しかもちょっとした湖のおまけ付きだぞ。瞑想だけじゃなく、人知れず剣術の特訓も、できるんじゃないかなぁ〜」

 

 わざとらしく、語尾をのばして語るダリスの顔は、ニヤついていた。

 

「ほっほーう。そんな素晴らしい場所がこの近くに存在していたとは、だけど湖まであるなら、獣が心配だな」

 

 クリスはぴくりと片眉を上げて、ダリスに問う。

 

「ふっふっ心配ご無用。父さんが入り浸るようになってから、動物の姿は消えたよ。またお前かって具合に、鹿にしかめっ面までされてな。ここ数年は父さんも行っていないから、動物たちも戻ってきてると思うが、奴らなど気にせずに精神修養に励んでいれば、あいつらは自然と来なくなるよ」

 

「なるほど、邪魔者は勝手にいなくなると、それなら安心だ。父さんの頼みごと引き受けるよ」

 

「よしクリス。男どうしの約束だぞ」

 

 がしっと、かたく握手をかわす。お互いがなんとも薄気味悪い、笑いを浮かべて。

 

「いやー助かった。これでひと安心だよ」

 

 クリスのコップにも手を伸ばし、ダリスは上機嫌で酒を飲み干した。

 

「今までなんど死を覚悟したことか。母さんだけならまだしも、アリスまでも加勢してくるからな、父さんひとりじゃあ、身が持たんよ」

 

 がははっ、と豪快に笑い声を上げ、ダリスはコップに残りの酒を注ぎ入れた。コップを軽く持ち上げて、乾杯の仕草をいれてから、話を続ける。

 

「クリスに押しつけることが出来てっ──いや、言っておくが育児放棄じゃないぞ。父さんはな、負担率の軽減、いや分担をだな、考えて──」

 

 そこで声が急速に遠のいていき、見えていた映像も、遠方へと流れて小さくなっていく。それと入れ替るように、最初に見た純白の光が押し寄せてきた。

 白く輝く光のトンネルの中に入り込み、その中ではっきりと自覚する──かろうじて、意識は身体を繋ぎ止めていると。


 その残渣のような意識の中で思う。

 

(……たしかに、父さんの頼みごとを引き受けた。それは間違いなく、自分の判断だった)

 

 過去の記憶が、記事のように整然と並び立てられて、読み上げるたびに、消えていく。

 

(先の見通しが悪かったのも事実。アリスのことを甘く見ていたのも認める。そしてあの日を境に、生活に変革(苦労)が起きたのも、紛れもない真実)

 

 仕事などしなくてもいい。と甘い言葉で誘い。

 妹を守ってくれ、と正義心に語りかけ。

 いい森があるぞと、口車にのせられたのは……まあ情けなかったが。

 押しつけるだの、負担率うんぬんってのは、要は本音が漏れたってことだよな。その時に気づくべきだったが。

 

 ──つまりそれって……

 

(己の保身のため、この俺にやっかい事を押しつけたってことかー)

 

 光から抜け出すのと、同時に、得もしれぬ力が、腹の底から湧き上がってきた。

 かわりに記憶は、するりと抜け落ちてしまったが。


 

 かっ、と目を見開き、完全に意識が身体を支配する。ふつふつと湧き上がる感情に、クリスは身をゆだねた。

 

(うおぉぉぉー。なんか知らんが、力が湧いてきたぞー)

 

 

 余談ではあるが、クリスの苦労が増えるにつれて、ダリスはいつの日か無くしてしまった、父としての威厳を取り戻すことに成功した。

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