僕が彼女のために人を殺したと思っている、頭のおかしい人達のために
朝から降り続いた雨は、今は豪雨になりつつある。
ビルの屋上に、男女が二人立っている。
彼らは、ずぶ濡れのままで、何かを話している。
「警察より先に、君に見つかってしまったのか」
「もうじきくるわ」
男性は、懐かしい顔でも見たかのように笑う。
女性は緊張した面持ちで、彼に問う。
「聞かせてもらっていい」
「あぁ、わかったよ」
小学5年生の梅雨の頃。
退屈な国語の授業のなかで、僕は素晴らしい言葉を知った。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
その言葉を聞いた時、幼かった僕は、世界は素晴らしいと思った。
国語の教師は、黒板に意味を書いていた。
僕は、それを赤い文字で、ノートに書きこんだ。
天の張る網は、広くて一見目が粗いようみえる。
しかし、悪人を網の目から漏らすことはない。
悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰を受ける。
それは、どんなヒーローの決め台詞より、僕の心に響いた。
理由はわからないけれど、世の中には悪い人もいる。
だけど、それが全て報いを受けるというならば、生きることに意味があるように思えた。
僕は、特別に得意なことが何もない。
だから、自分の中で誇れることは、一つしかない。
悪いことはしない。
それは、当たり前のようで難しい。
理由は、君だってわかるだろう。
子供の頃は、子供の頃で。
大人には大人の事情で。
嘘をついて、人をだまして、悪いことを隠さないと、人は生きていけない。
小学六年生の頃、クラスの女子が、悪質な悪戯を受けてさ。
その子は、何もできない僕を馬鹿にせず、話をしてくれる人だった。
誰も学校で、そのことを口にしちゃいけないっていっていたけれどさ。
次の日にはみんな知っていた。
その子は、どこかに転校していった。
何年かして、犯人がわかったんだよ。
同じことを繰り返して、ボロを出したんだ。
僕らの担任が主犯だった。
何人かの生徒を虐めに導いてた。
奥さんがいて、子供がいて、教師という仕事に就きながらさ。
アイツは、他にも何人か手にかけて。
見つかって、みっともなく逃げ散らかしてさ。
逃走先で、多くの人を傷つけて。
最後は自殺したんだよ。
それで、事件は終幕を迎えた。
当時生徒だった者たちの罪は償われなかった。
担任が自殺したことによって、すべての罪は償われたんだろうか。
僕は、それで納得すべきなんだろうか。
そう考えるべきなんだろうな。
正直さ、僕にはね。
それは不平等に思えた。
共犯の奴らは、多少は肩身の狭い思いをしたと思う。
でもさ、その程度なんだ。
だからさ、僕はあの言葉を本当にしないといけないと思ったんだ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
ひとりずつ、虐めの実行犯を調べた。
あの教師と、仲間になっていた奴らのことだ。
彼らを調べ上げることは、特にとりえのない自分には難しいことだった。
ネットでね、そういう奴らの特定をしている人たちがいてさ。
いろいろ利用させてもらった。
念のため、自分でも調べた。
確信がもてるまで、ずいぶん時間をかけたよ。
そのまま人と思えないような、そんな生き方をしてる奴もいた。
意外と普通に生きている奴もいた。
だけど、どちらも許せなかった。
だから、殺すことにしたんだ。
殺さなければいけないと思った。
そうしなければ、真面目に生きている人が報われない。
君も、そう思うだろう。
僕も多少は、世の中のことを学んだ。
沢山、過去の事件も読んだ。
死体が出てこなければ、なかなか事件にならないことは、僕には都合が良かった。
調べるのには、何年もかかったからね。
働きながら調べてたからさ。
時間がかかったのは、ごめんね。
お金もすこしはたまったからさ、誰も来ないような山奥に家を買ってね。
レンタルした小さな重機で穴を掘った。
あいつらは全部そこに埋めてあるよ。
細かく刻んだから、区別はつかないかもしれないな。
調べ尽くして、そこから覚悟を決めて、それから実行するまでにね。
5年かかった。
だから、余計に見つからなかったんだろうな。
思ったより、長い間逃げることができたよ。
でもさ、後3人くらい殺したほうがいい奴がいるんだけどさ。
もしよかったら、見逃してもらえないかなぁ。
僕がそう言って笑うと、彼女は泣きながら答えた。
「もう充分。ありがとう」
「そうか」
答える僕の目からも、涙がこぼれた。
じゃあ、僕も捕まらなくちゃいけないな。
彼女は、笑いながら、そして少し泣きながら、怒っているような、悲しんでいるような。
そんな顔をしながら、僕に手を伸ばす。
僕はその手を断って、彼女の眼を見つめる。
「君のせいじゃない、全部僕がしたくてやったことさ」
嘘じゃない。
奴らの命乞いも、断末魔も。
僕を讃えるように聞こえたんだ。
僕は、世界の秩序を守るために戦ったんだ。
だから、彼女の手を借りるわけにはいかない。
彼女のせいにするわけにはいかない。
僕は、僕のために戦ったのだから。
いつの間にか警察官が大勢集まり、僕達をとり囲んでいた。
手を挙げて、そちらに歩いていく。
彼女が警官たちに保護されたのを見送り、両方の手をあげる。
何も武器を持っていないのに、僕が進むと、彼らは後ずさる。
その姿に少し苦笑をしながら、僕は両膝をついた。
彼らは弱いものしか、捕まえることができないのだから。