昇天してしまいそうな程の美しさと神々しさです
調度品は然ることながら、天井から降り注ぐかのようなシャンデリアは灯りを灯していないのに大きな窓から差し込む陽射しを受けて、キラキラと煌めいている。
壁に飾られた絵画も、ここぞとばかりに置かれた壺も、精巧な細工の施された年月を感じさせる大きな振り子時計も。確かに視界に捉えていてどれも素晴らしいことは分かっている。
それなのに。
今はそれらに目を向けられなかった。
目の前、距離は昨日よりも遠い位置なのに、何だかやけに存在感があって、煌びやかでありながら厳かで静かな美術品のように佇むその人は、かの有名な画家が描いた宗教画から飛び出してきた神の使いのように美しい顔貌に僅かな驚きの表情を浮かべてこちらを見ていた。
「…カルミロの天使だわ…」
「……天使?」
どの位の時間が経っていたのか。実際には1分と経っていないだろう永遠かのように思えた沈黙を破り、思わず呟き出たのは今や眼前の人物を描いたとしか思えない、大神殿の壁画として描かれた宗教画のタイトル。
相手が呟きを耳にして怪訝に眉を寄せた途端、ハッと現実に引き戻された気がした。
「あっ……も、申し訳ありません。ご挨拶が遅れました。おはようございます、公爵様。今朝はご出立が早いと聞きましたので、挨拶だけでもと伺いました」
色々な言い訳が頭の中を駆け巡る中、見惚れてしまっていた事実は隠しようがなく、何とか誤魔化そうとやや早口になりながら言葉を紡ぎ、挨拶を済ませる。もちろん、動揺を隠した控えめな微笑みも忘れずに。
「…そうか。朝早くからご苦労なことだ」
何とも素っ気ない返事を寄越し、昨日見たような無表情に戻った天使は、間違いなくローゼンベルク公爵その人だ。
朝陽を背中から浴びて金色の髪が更に輝き、後光が差しているかのように見えたせいで天使に見間違えたのだ。絶対にそうだ。
二度と見間違えて見惚れてたまるかと思い、すすすと立ち位置を変え、視点を変えてみるが、神々しさはあまり変わらず、壁際に控えていた使用人達に不思議なものを見るような視線を貰っただけ損だった。
「公爵様はもうご朝食はお済みですの?」
「…ああ。君はゆっくり摂るといい」
意外なことにありきたりで普通のやり取りが成立した。アジルに手伝われ身なりを整えながらの、こちらに目も向けずに放った言葉だが、社交辞令じみた返しとは言え、応えてくれるとは思っていなかった。
応えてくれたとしても、もっと素っ気ないか刺々しい言葉だろうと踏んで、どう返そうかと考えていたのに。
「…お気遣いありがとうございます、公爵様。あの、ついでと言っては何ですが、折角なのでお願いしたいことがあるのですが」
「…何だ?」
お願い、という言葉に反応したのか、少し眉を寄せてこちらを向いた彼の表情は疑心が滲んでいた。
あんな無茶な条件を出して結婚相手を捜したくらいだ、そもそもが贅沢でワガママで高慢ちきな貴族令嬢というものが嫌いなんだろうか。
「公爵家にある家宝の一つ、高貴なる庭園という絵画を見たいのです」
「…………」
目の前の彼に滲んでいた疑心はあっさりと霧散し、僅かに目を見開いて言葉を詰まらせていた。
「やはりダメでしょうか?」
「…いや、好きにするといい。後で案内させよう」
「…っ、ありがとうございます!」
ダメ元だった分、予想外の了承を得られて少々はしたなく目を輝かせて手を組み、喜びを露わにしてしまった。
喜びを噛み締めるように心の中でガッツポーズをして目を伏せたため、彼から向けられていた目を奪われたかのような視線には気が付かなかった。
「………」
「…公爵様、そろそろ」
「あ、ああ、わかった」
「お出かけになられますのね?行ってらっしゃいませ」
固まったままの彼はアジルから耳打ちするように声をかけると、我に返って食堂の出入口に向かって進んだ。
未だに出入口付近に立っていた私は、彼の進行を妨げないよう立ち位置を変え、歓喜が残ったまま微笑んでここに来て一番の笑顔で送り出す言葉を告げる。
勿論、そこまで良い笑顔になっていたというのは自分では気付いていなかった。
「…ああ、行ってくる」
気まずそうに視線を外しながら、彼は扉の向こうへ行ってしまった。
思いがけない返事は二度目なので驚きはしなかったが、胸の内には不思議な感覚が残った。