プレミアがつくティーセットはやはり素晴らしいです
「…はぁ~」
張り詰めていた気が一気に抜け、とぼとぼと応接スペースのソファへ向かい、腰掛ける。クッション性が良く柔らかいソファはとても座り心地が良く、みっともなく身を投げ出したくなるのを何とか堪え、一息吐いた。
「お疲れですか、奥様?夕食まではまだ時間がありますし、ティータイムになさってはいかがでしょうか」
「そうね…。そういえば、夕食は公爵様と一緒なのかしら?」
「あ…、いえ、その…」
気遣わしげな様子で側に控えたのはテリアだった。彼女は投げかけられた疑問に対して困ったような様子を見せ、言い淀む。
貴女が悪いわけではないのだから、気にすることないのに。
「別なのね。いいわ、気にしてないから。ただ、装いに気を付ける必要があるかどうか知りたかっただけよ。じゃあ、テリア。お茶の用意をお願いね、私達三人分。シュリーは着替えを手伝って。楽な格好にしたいの。聞きたいこともあるし、三人でまったりティータイムにしましょう?」
――――――
応接スペースでテリア、シュリーと向き合って座り、テリアの用意してくれたスイーツを挟んで紅茶を口に運ぶ。香りが良く渋みの少ない紅茶はいかにも上質で高価なものだと分かる。使われているティーセットも有名ブランドで出回っている数の非常に少ないプレミア価値の付く高級品だ。
こんな価値のある物を間近で見られるなんて、これ程の贅沢は他にないとさえ思える。
ほぅ、と息が零れる。訪問時に着ていた、派手さはないが持っている物の中で一番質の良かった青いドレスから質素なクリーム色のワンピースに着替えたお陰か、未だ慣れないこの部屋でも寛ぐことができている。
正面に目を向けると、にこにこと笑っているシュリーと穏やかに微笑んでいるテリアが、二人揃ってこちらを見ていた。
ティーカップがまだ口元にあったお陰で動揺して息を飲んでしまったのは見えていないだろう。
一緒にお茶しよう、なんて、今日初めて会ったばかりの使用人に対して、普通の貴族は言わないだろう。命じられた時こそ少しの驚きを見せた二人だったが、反論することもなく、こうして三人でテーブルを囲んでいる。
邪険にされているわけでもないのに居心地の悪さを感じて、そっとティーカップをソーサーへ戻した。
「あの、奥様。私、奥様のような方にお仕えできて嬉しいです!お美しくて気さくでお優しくて!嫁いでいらっしゃるのが歴史ある伯爵家の方だと聞いていたので、どんな気位の高い方なんだろうと思ってたのに」
「シュリー、言葉に気をつけなさい」
「あっ…、す、すみません、いえ、申し訳ありません」
キラキラと目を輝かせて興奮気味に語るシュリーに、テリアは諌める言葉を口にしながらも否定する様子も慌てる素振りも見せなかった。
「いいのよ、気にしないで。あまり堅苦しくならなくていいわ、今はね。その場に合わせた対応をしてくれればそれでいいの」
「…っはい、奥様!」
一度は落ち込んだ様子を見せたシュリーだが、こちらの言葉を聞くなりぱっと明るい表情に戻り、元気よく返事をした。まるで人懐こい犬のように見えて、思わず頭を撫でてしまいそうだ。
『それにしても…気さくは分かるけど、美しくて優しい…?うーん、新鮮な評価…。お世辞の可能性もあるけど、どうだろうなぁ、この子の場合、それは違う気も…』
耳慣れない褒め言葉を受けたことには少なからず動揺していた。
金で売られるくらいなのだから、家族との仲はもちろん良くない。容姿どころかそれ以外でも褒め言葉など聞く機会があるわけがない。
領地からの税収に頼らず昔から貿易で栄えてきたマクワイア伯爵家において、現当主の父には商才がない。当然、後妻とその娘も同様だ。父自身もそれを分かっていて商談の場など、仕事には私を伴い、利益を得てきた。
にも拘らず、後妻の娘に跡を継がせたいが為、商才のある貴族の子息を婿にしようと唯一の直系である私を追い出した愚かなる家族。
それを見捨ててよそへ嫁いだ私が、果たして本当に優しいのだろうか。
『公爵家、なんていう高位貴族だったのは想定外だけど、あんな契約書を持ち出すくらいだもの、そう遠くないうちに離縁されるだろうし…』
気持ちを落ち着かせようと再び紅茶を口に運び、飲み干す。またほっと一息を吐いてカップを置く。今度は目の前のスイーツでも食べようかと思い立ち、つやつやと輝くイチゴの乗ったショートケーキを一口、口へ運ぶ。
『ん~、美味しい!王都のど真ん中だものね、美味しいスイーツ店だって当然たくさんあるわよねぇ…』
「あの、奥様。先刻、私共に何やら聞きたいことがあると仰っていたようですが…」
「あぁ、そうだったわね」
空になったティーカップにまた熱い紅茶を注ぎながら、おずおずとテリアが聞いてきた。窺うような様子ながらも怯えている風ではないので、単に気になっていたのだろう。
ゆったりとティータイムを楽しみたかったのも勿論大いにあるが、わざわざ二人を誘ったのは落ち着いて話がしたかったからだ。
「まず一つ目。今日はもう予定がないと言われたけれど、本当は明日以降もこれと言って予定はないんでしょう?恐らく式も挙げるつもりがなさそうだし」
「それは…はい、そのように聞いております。ただ、奥様には公爵夫人として、財産管理などの基本的なお仕事はしていただくようにと仰せつかっております」
「成程ね。それじゃあ、食事に関しても何にしても、公爵様と一緒になることは今後もないのよね?」
「はい」
「当然、今夜も公爵様はこちらに来ないわね?」
「…はい」
テリアは少し俯き、言い難そうにしながらもこちらの意図を汲み取ってくれたのか、正直に話してくれているようだ。
その隣でシュリーも居心地悪そうに拳を握って苦い顔をしている。
少し考える間を取るため、ケーキと紅茶を交互に口に運ぶ。目の前の二人は申し訳なさからか気落ちしているように見える。
『二人が気にするようなことじゃないのに、二人とも優しいのね。…初夜をすっぽかすつもりなら、結婚の目的は後継者を産ませることではないのかしら?これじゃあ、いつ用済みだと離縁されるのか予測が難しくなるわね…』
「今日はもう無理だろうけど…、アジル、彼は家令?執事長かしら?彼にも聞きたいことがあるの。その場合も貴女達にお願いすればいいの?」
「ローゼンベルク公爵家には家令はおりません。アジル様は執事長でございます。アジル様は男性ですし、主に公爵様に付いておりますので、あちらから奥様の元に伺う場合は公爵様からの用件を伝える時だけになるかと思います」
「逆に奥様から公爵様に言伝などある場合は私達に仰ってください。私達からアジル様へ伝えて、アジル様から公爵様へお伝えして頂くことになります。つまり、アジル様にご用件がある場合は私達にお申し付けください。あ、勿論、屋敷内で偶然顔を合わせた時などは直接お話しして下さいませ」
「そうなのね、分かったわ」
テリアとシュリーは代わる代わるに話した。
執事長が屋敷の主人に直接仕えるのは当然のこと。しかしだからと言って、女主人である夫人の元には直接向かわないというのは、古いしきたりを守るからなのか、単に私が冷遇されているからなのか。
伝言ゲームになってしまうのは彼女達に申し訳ないような気もするけど、様子を見るにあまり気にする必要はなさそうだ。
しかし、考えれば考える程、優遇されているのか冷遇されているのか分からない。
まず、この私室。位置としては3階の端で移動に苦労しそうだが、東館と中央館の境目とも言える位置で、内装や設備を見るに客間だったとしてもかなり上質な部屋と言える。
公爵本人からの態度と対応だけを見れば冷遇どころの話ではないが、専属侍女を二人も付けてくれていることを考えるとかなり尊重されているようにも見える。伝言ゲームのような連絡手段のことを鑑みても配慮されているのだろう。
公爵夫人としての仕事をさせるというのも、普通貴族の屋敷内において夫人の立場というのは夫から大切にされているかどうかと、財産と屋敷の管理を任されているかどうかで変わる。夫からは放置されたとしても、財産と屋敷の管理を任されている以上、夫人としての立場は守られているし、使用人達に侮られることもないだろう。管理業務を卒なくこなせればの話だが。
「ところで…、私はどこで仕事をすればいいの?ここでいいのかしら?」
「いいえ、奥様。奥様専用の執務室が中央館1階にございますので、そちらで。ご案内致しますか?」
「ううん、明日でいいわ。今日の私の予定はないのだから」
『まさか、執務室まであるなんて…。もしかして公爵は、公爵夫人という肩書を持って働く貴族の女性を雇いたかっただけなのかしら?給料代わりに立派な私室と三度の食事とおやつ、身の回りの世話をしてくれる侍女が二人…。これといった物欲さえなければこれ以上ないくらいの高待遇よね…』
優遇か冷遇か。公爵の目的が何なのか。侍女達から聞ける範囲ではこれ以上の考察は無意味だろう。
私はこれ以上考えるのを諦め、ふぅと零れる溜息をそのままに、ソファへ背を預けて目を閉じた。