友人
まもなくぅ~4番線に急行の電車が参りぃます
危ないですから~黄色い点字ブロックまでぇお下がりくださいぃ
「人間ってさほんとに死んじゃうんだね」
友人のいすみが口を開いたのは、電子音が混じった電車のアナウンスが鳴った時だ。
先ほどの葬式の時のことをかなり引きずっているようだった。彼女の横顔は普段と違って睦沢には見えたし、自分自身も感傷的になっているのは確かだった。
「うん。ほんと驚いた。いやマジで。だっていきなり死んじゃうようなキャラじゃなかったもん」
「交通事故っていつ起こるかなんてわからないけどさ。本当にもったいないよね」
「何が?」
「だってこれから夏休みなのに死んじゃうのどんだけ運がないのって感じしない?百歩譲って夏休みの後だと思うからさ」
「分かる。楽しいことなんてこれからいっぱいあるのにね。私なんか夏休みいっしょに新しいアトラクション行こうって話ししてたのに」
新しいアトラクションというのは地元の中高生に人気の遊園地の話で、睦沢は以前両親にせがんで年間パスポートを買ってもらったこともあった。学生からしたらなかなかの値段がするものだ。おかげでその年のお年玉は両親に勝手に貯金にあてられ、一円も使わせてもらえない惨めな生活を送らざるおえなかった。
確かあの時は兄貴にもからかわれてたっけ。
過去の出来事に睦沢は苦笑しつつ、一緒に遊園地に行く約束をしていた友人について思いを馳せていた。
友人と遊園地に行こうと約束したのはつい先週の話だ。周りの友達と行ったら男子も呼ぼうという話になったり、変に気を使いそうで二人だけで遊びに行こうと計画を立てていた。
その矢先の不慮の事故であった。
塾帰りだった友人は、車に跳ねられて帰らぬ人になってしまったのだ。
友人は睦沢にとって一番の親友。とまでは行かないまでも形だけの友達よりかは心を許せる相手ではあった。
少なくとも葬式で特に親しくもないのにワンワン泣き喚いていた野田よりかは、自分の方が葬式の場に行くのには相応しい人間であるとは自負していた。
あまりに唐突な出来事に、睦沢は彼女の死を受け入れることが出来ない日が続いた。
今日、棺桶の中で綺麗に化粧をされた彼女を見て、「あぁこれは現実の出来事だったんだ」とようやく認識できたほどだった。
「…あの事故、ほんとに事故だったのかな?」
その時のいすみの発言は少しだけ唐突だった。
彼女の言葉の意図を正確に理解するまで、睦沢は考え込んでしまった。
「ほかに何かあるわけ?」
「いや、自殺とかさ」
「それこそありえないでしょ。イジメられてたわけでもないじゃん」
「そうかな…ってどうしたの?」
「ごめん。通知がめっちゃきてる」
制服のポケットにいれっぱなしにした携帯の振動を睦沢は気にしていた。先ほどからいやに通知が多い。「いいよいいよ。私のことは気にしないで」といすみは言ってくれたものの、うんざりして携帯も見ないまま無視することに決めた。
「あのさ。もしもの話だけどさ。人間って自殺したら地獄に行くって言うでしょ?交通事故じゃなくて自殺だったら地獄に行くのかな?」
「うーん、どうだろう。分かんないや。地獄に行ったことなんかないし」
その時、信号機の音が聞こえてきた。睦沢はホームの先端からせまってくる電車が視界に映った。
終電を回っているわけではないが、田舎らしく、次の電車がこの駅に来るまでには三十分ほどかかってしまう。睦沢はこの電車が各駅だったらなぁと思いながら、電車の行く先を目で追った。
人もまばらな急行の電車は彼女達を置き去りにして夜の闇に溶けていく。
その様がまるで死後の世界に向かっているようで、睦沢はふと兄との会話を思い出した。
「うちの兄貴がさ。大学で宗教学取ってるんだけどさ。仏教の世界では自殺とか人を殺さなくても結構簡単に地獄に落ちちゃうんだって」
「簡単ってどういうこと?」
「なんか嘘ついたり、悪口言ったり、怒ったり、人のものを欲しいと思ったり。それだけならまだしも死にたいとか、一人になりたいとか世の中に不満を持つだけでも地獄に墜ちちゃうんだってさ」
「うわ。ただのクソゲーみたい」
「兄貴と喧嘩した時に言われたことだから気にしないでいいよ。『お前なんか死んだら地獄行きだぞ』って言われたから殴ってやった」
「でた。本当はブラコンなんだから素直になりなよ。かっこいいお兄さんでしょ?」
あんなイジワルばかりしてくる兄貴なんてちっともかっこよくない。きっとこの場にいたら人を怖がらせるような冗談を言うような奴だ。睦沢は頭の中で想像した嫌味な笑顔の兄をかき消して、意匠返しの意味も含め、兄の真似をいすみにしてやりたくなった。
「そういえばさ、この駅の噂って知ってる?」
「噂ってどんなの?」
「ここって普段は普通のホームなんだけど、たまに死んだ人間が乗る電車が来るんだって」
「……」
「今日帰りに寄ったサイゼでさ、野田が話してたんだよね。『もしかしたら帰りの駅で彼女も死後の世界への電車を待ってるかも』って怖がってた。あいつ見た目派手なのに怖い話苦手じゃん?」
ただの冗談のつもりだったのに、いすみは黙ってしまった。
怪訝に思った睦沢は、彼女の顔色を伺ってぎょっとした。ぼそぼそと意味のない言葉を永遠と呟き、先ほどまでの快活な口調と今の口の動きに違和感さえ感じた。また、その表情は何の感情も感じられないほど冷淡で、目は焦点すら合っていない。
いすみの顔はこんなに青白かっただろうか。もっと健康そうな肌をしていたのではないだろうか。彼女は今までどうやって会話をしていたのだろうか。そもそも彼女は本当にしゃべっていたのだろうか。
まもなくぅ~4番線に電車が参りぃます
危ないですから~黄色い点字ブロックまでぇお下がりくださいぃ
その時、電車のアナウンスがまた鳴った。
「早く乗ろうよ。電車行っちゃうよ」
いすみはすたすたと電車に乗った。
促されるままに睦沢も続き、乗車した途端、乗客全員が自分を凝視した。
そして、あることに気づいた。
電車に乗っている全ての乗客の顔がいすみの雰囲気にどことなく似ているのだ。てすりに手をかける老人も、あきらかにこんな時間にいないような小さな子どもも、エプロン姿の主婦らしき女も、くたびれたスーツを着る男も生気を感じられない。
その光景を見て、睦沢は頭の中の白いモヤが晴れてくるような気さえした。
自分はいつからこの駅にいすみと二人できたのだろうか?
サイゼで野田たちと別れたときは少なくとも一人でこの駅まで来たはずだったのだ。
手は汗ばんで、先ほどの携帯の通知がやけに気になった。
まもなくぅ~4番線の電車が発車致しぃます
危ないですから~黄色い点字ブロックまでぇお下がりくださいぃ~
この電車はぁ、地獄行きぃとなりまぁす