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第5話 幼馴染のテンプレ

 線路沿い打ち捨てられた空き缶のトマトジュースに止まったらダメ


 線路沿いを歩きながら空き缶を目にしただけで、そんな短歌を詠んでしまうほど、江南二葉(えなみふたば)はセンチメンタルな気分に陥っていた。

 4月初めの昼下がり。暖かな空気が漂う日。

 運動不足を少しでも解消したいと、二葉は自宅近くをあてもなく歩いていた。

「なんだそりゃ?」

 頭に浮かんだ五・七・五・七・七に、自ら突っ込むけれど、理由は分かっている。

 目にした空き缶は、トマトジュースなんかじゃなかった。

 端が錆び始めている缶の表面を赤く彩っていたのはリンゴのイラスト。

 それでも、トマトジュースを連想してしまったのは、二葉の好きな人が好きな飲み物だから。

 隣の家の松崎凉太(まつさきりょうた)

 幼稚園の頃からずっと一緒に過ごしてきた同い年の幼馴染。

 けれど、涼太が二つ隣の県の全寮制高校に進学してからは長期休暇の時にしか顔を合わせることができない。

 そんな生活も3年目になっていた。

 だから、二葉は春休みを楽しみにしていたのに、今年の春、涼太は帰ってこられなかった。


 コロナのせいだ。


 二葉は空を憎らし気に睨む。

 でも、それだけじゃないと、知っている。

 罰則なんてないのに、県をまたいでの移動は自粛するべきだという空気が世間を覆っていた。

 目に見えないものは、怖い。

 それが、ウイルスであれ、空気であれ。

「結局、一番怖いのは人間なんじゃないかな?」

 ゆっくり降り始めた踏切の前で立ち止まり、二葉はそっとつぶやく。

 涼太とは、ラインでくだらないスタンプを送り合ったりとか、たまに電話したりとか、つながりは持てている。

 けれど、やっぱり顔を見たい。同じ時を過ごしたい。

 それができないと思えば思うほど、気持ちが大きくなるのは止められない。

 二葉は顔を上げて、ため息がこぼれそうになるのをこらえる。

 視界の端に、黄色くペイントされた2両編成の電車が映る。

 高架の線路から地上に敷かれたレールへと、徐々に速度を上げる。

 あっという間に二葉の眼前を通り過ぎた。

 チラリと見えた車内に人の姿はまばら。

 もともと通勤通学時間帯以外は、それほど混み合う路線ではないけれど、その電車は空気を運んでいるかのようだった。

「そんなにスカスカなら、あたしを乗せてあいつの所に連れてってよ」

 二葉は、南から北に向かう電車の背に声を掛け、踏切を渡った。



 30分ほど歩いて自宅へ戻ってきた二葉は、門柱にもたれかかり缶コーヒーを飲んでいる見知った顔を目に捉えた。

 にわかには信じられないが、見間違うはずもない。


 涼太だった。


 右手でスマホをいじりながら、左手に持った缶コーヒーをちびちび飲んでいる。

 ブラックコーヒーは苦手だったはずなのに、かっこつけちゃって。

 二葉が内心毒づくのは、照れ隠しだ。

 まだ言葉を交わすどころか、自分がいることにも気付かれてすらいないのに、気恥ずかしい。

 まさか会えるなんて思っていなかったから、心の準備ができていない。


 ――でも、もう我慢できない。


 肩先まで伸びた黒髪を右手で撫でる。

「何してんのよ?」

 二葉は涼太に声を投げつけた。

 心の内を読み取られないようにいつも以上につっけんどんな口調を、涼太は気にしない。

「よう、元気か?」

 スマホをジーンズのポケットにしまって、顔を上げる。

「質問に質問で返さないでよね」

「たいそうなご挨拶だな」

 頬を人差し指でかき、苦笑する涼太。

「幼馴染が帰ってきたってのに、嬉しくないのか?」

 そんなの決まっている。

 嬉しくないことなんてない。

 二葉は心臓の鼓動を必死に抑える。

「……別に」

「二葉は冷たいなぁ」

「そんなことないし。それより、ほんとになんで帰ってきたのよ?」

「暇だからな。学校もずっと休みだし。親とも話して、春休みも帰ってこれなかったし、しばらく家にいようと思ってな」

「へぇ、しばらく、ね」

 気持ちを悟られないように、二葉は目線を逸らして素っ気なさを装う。

「そうだよ。二葉が暇だったら遊んでやってもいいぞ?」

「なんで上から目線なのよ?」

「だって、さっきおばさんに挨拶したら、二葉は涼太くんと会いたがっていたから、よろしくねって言われたぞ?」

 もう、お母さんはいつも余計なことを言うんだから、と二葉は憤る。

 けれど、前と変わらない調子で涼太と会話できていることにホッとする。

「分かったわよ。あたしも涼太と遊んであげるから」

「ったく、相変わらず二葉は素直じゃないな」

 そう言って唇の端を上げる涼太に、二葉の胸はさらに高鳴る。

 けど、どうしてほんとに、あたしは素直になれないんだろうと、思う。

 コロナのせいですっかり世間は変わってしまったのに、あたしが素直じゃないのは変わらない。

 ストレートに好きって言えたらいいのに、できない。

 この関係が壊れてしまうかもしれないっていう考えが頭から拭えない。


「……どうしたんだよ、いきなり黙り込んで?」


 涼太が二葉の目を覗き込み、自分だけの世界に入り込みそうになっている二葉を止める。

 至近距離での不意打ちは止めてほしいと、二葉の心臓は悲鳴を上げる。

 そんな動揺を隠すべく、二葉は口を開く。

「何でもないわよ。それより、涼太はこんな時期に戻ってきて良かったの?」

「いや、さっきも言ったけど、暇だから、しょうがないだろ」

「そういうことを言ってるんじゃなくて、なんかさぁ移動したらいけないみたいな空気があるでしょ?」

「あぁ、そういうことか。確かにそうだな」

 さっきまで軽い受け答えをしていた涼太が真剣な表情になる。

 唇を軽く結んだかと思うと、すぐに言葉を継ぐ。

「俺、ああいうの嫌なんだよ」

「……嫌って?」

「人から価値観を押し付けられることかな。移動すれば感染を広げるリスクがあるっていうのは分かるよ。このまま感染が広がり続けちゃいけないってのも理解するよ。でもさ、なんで行動を制限されなくちゃいけないんだよ?」

「自分でもリスクがあるって言ってるじゃない?」

「だからさ、俺が嫌って言ってるのは、人から何かをしろって言われること。……いや、ちょっと違うな。俺が嫌いなのは同調圧力だ」

「同調圧力?」

 はてと、首を傾げる二葉を見て、涼太は表情を和らげる。

「ごめん、ごめん、二葉には難しい言葉だったな」

「違うっ! 言葉の意味ぐらいは分かるし」

 二葉は顔を真っ赤にして抗議する。

 対する涼太は、ははっと笑う。

「つまり、何かをすることが正しいって空気があって、それを強いられるのが気持ち悪いんだよ。移動することに罰則でもあるなら素直に従うけど、それもないしな。だから、俺は帰ってきた」

 あくまで淡々と大胆なことを言う涼太に、二葉は「あぁ、こういうところに、あたしは心を引かれてしまっているんだ」と自覚させられる。


 いつもこうなんだよ、涼太は。

 スッとした芯が通っている。

 いつだって、どんな時だって自分を曲げない。

 重苦しい空気に押しつぶされそうになっていた自分なんかとは違う。


「とにかくさ、二葉は俺が帰ってきて嬉しいんだろ? それでいいだろ?」

 それでも二葉は、必死に本心を隠す。

「嬉しくなんてないしっ」

「おっ、ツンデレおつ」

「ちっ、違うしっ!」

 二葉は絶対に違うと心の中でも繰り返す。

 あたしの気持ちはアニメやマンガのテンプレ幼馴染なんかとは違う。

 ツンデレなんて変な言葉に押し込めてほしくない。

 この気持ちはそんなに単純なものじゃないって心の中で叫ぶ。

 けれど、

「その反応は……。もしかして、二葉は俺のことが好きなのか?」

 白い歯を覗かせる涼太の眼前に、ビシっと人差し指を突きつけてしまう。

「べっ、別にあんたのことなんて好きでもなんでもないんだからっ!」

 そう言ってしまう。


 恥ずかしい言葉が口から飛び出してから気付く。

 ――これは幼馴染としての同調圧力なのかな?

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