第3話 9月入学ラプソディー
必死になって隠しても、にじみ出てきてしまうものはどうしようもない。
「よしっ、仕留めた」
もうすぐゴールデンウイークに差し掛かろうという、平日の昼間。
中川岳は、自室で一人ガッツポーズ。
テレビにつないだプレステ4で、バトルロイヤル形式のシューティングゲームに興じていた。
平日の昼間にも関わらず、オンラインでの対戦相手探しには事欠かない。
それというのも、休校のおかげだ。
いや、おかげ、と言うのも変なのかもしれないと、岳は思う。
確かに、3月に突然、休校になった時は、ラッキーだと感じた。
友達が全くいないというわけではないけれど、どちらかと言うとボッチ気質の岳にとって、春休みが延びるのは、歓迎すべきことだった。
だが、さすがに4月になっても学校が再開しないことに、うっすらとした焦りも頭をもたげてきた。
年が明ければ、大学受験が控えている。
うんざりするほどの課題は、高校から送られてきてはいるものの、日々の授業がないというのは、やはりどこか落ち着かない。
『さすがだな』
ヘッドセットから聞こえてくる声が、岳の意識を引き戻す。
声の主は、少ない友達の一人、大井大祐。
「そりゃ、あんな分かりやすい所に隠れてれば、誰だって仕留められるだろ?」
『そうか? 俺じゃ見つけられないけどな』
「コツさえつかめば、すぐにできるって」
『どうかな? 俺は岳と違ってオタクじゃないからな』
ククっと、笑いながら言う大祐に、岳は反論する。
「何度も言ってるけど、俺はオタクなんかじゃないからな」
『まぁ、そう言うな。今やオタクにだって人権は認められてるんだぞ』
「だーかーらー……」
岳がさらに主張しようとしていると、ゲーム終了を知らせる表示が画面に映し出された。
岳たちのキャラクターは、フィールドからロビーに移る。
『どうする? まだ続けるか?』
「どうすっかな?」
大祐の言葉に岳は、低い天井を仰いで逡巡する。
特にするべきことも、したいこともない。
けれども、この無為な時間を続けるのも、いかがなものかと思ってしまう。
チラリと、ゲーム画面に目をやる。
そこには、去年の夏休みにもこれほど多くの人はいなかったのではないかというほどのログイン数が表示されている。
自分もその有象無象の一員かと思うと、なぜだかうんざりしてしまう。
「みんな暇なんだな……」
そんなつぶやきが、口からこぼれ出る。
『世界中どこも休校だからな』
「けど、俺たちはまだ新学期が始まったばっかりだからいいよな。外国はもうすぐ年度末なんだろ?」
『あっちの連中の受験とかって、大変そうだな』
「まぁ、人の心配をする暇があれば、自分のことを考えるべきなんだろうけどな」
『だな。でも、こっちでも9月入学がどうのって、この間テレビでやってたけど、どうなるんだろうな?』
何気ない大祐の言葉に、岳は身を乗り出す。
「えっ? 日本でも9月入学になるのか?」
『いや、何か検討するとか言ってたけど……。お前、ニュースとか見ないのかよ?』
大祐は非難がましく言うが、岳はそんな口調よりも話の中身が気になって仕方がない。
「実現すんのかな?」
『どうかな』
と、大祐は苦笑してから続ける。
『だけど、難しいと思うぞ。9月入学ってことは、卒業は夏になるよな。そうなると、就職の時期とかもずれてくるわけだし。梅雨のころに卒業式なんて俺は嫌だしな。とにかく、簡単には変えられないんじゃないかな』
「……そっか」
『珍しいな。岳が世間のことに関心を持つなんて。どうしたんだよ?』
「分からん」
口にしてから、岳は自分でもどうして、この9月入学とやらが気になっているのか、理解しかねていた。
『分からんって、何だよ?』
「分かんねーものは分かんねーんだよ」
投げやりな岳の言葉に、大祐は声を出して笑う。
『まぁ、いいけどさ。今日は、この辺にしとくか』
「あぁ、またな」
プレステの電源を落とした岳は、ノートPCを立ち上げる。
電源ボタンを押し、画面が切り替わるまでの一瞬。
黒い液晶に映った自分の顔は少しふっくらしたように見える。
全く体を動かさない生活を続けているのだから当たり前かと、苦笑した顔を最後に液晶には、デスクトップ画面が現れた。
インターネットブラウザを立ち上げると、検索バーに『9月入学』と打ち込む。
すぐに関連するニュースの見出しが並んだ。
「ふーん、結構話は進んでるんだな」
文部科学省がいくつかの案を提示したというものが目を引く。
だが、そのちょっと下の見出しは、慎重論も根強いと伝えている。
賛否両論ってやつか、とため息をつく。
その時、ふと脳裏によぎったのは、全く別のニュース。
わざわざニュースサイトを見ることなんて普段はないが、そのニュースはツイッターのタイムラインをにぎわせていたことを思い出す。
それは、何かの法律の成立が、ネットの世論に押されて、見送られたというもの。
自分のことをオタクだという大祐には違うと、言って聞かせたが、それでもネットの使い方は、人より知っている方なのは間違いない。
なら、今度の9月入学も自分がネットを使えば、少しは動かせるんじゃないかと、岳は思う。
でも、何でそんなことをしようとしている?
分からない。
9月入学が実現するにしても、たぶん来年の話だから、1年後に卒業を控えた自分には関係ない。
けど、何かしたいという思いが胸にくすぶっていた。
大人は、自分たちに我慢しろと言う。
「命を守るため」という大義名分は理解できる。
誰が感染しているか分からない状況では、外を出回れば感染を広げてしまうかもしれないということは分かる。
実際、我慢している。退屈な日々を甘んじて受け入れている。
ボッチ気質の自分でさえ、鬱屈とした毎日に飽き飽きしているのだ。
他の、いわゆる陽キャの連中は、もっとひどい思いを抱えているんじゃないか。
もし、俺がうまくネット世論を誘導できれば、普段、自分のことなんて気に掛けない連中に、自分の存在を認めさせられるんじゃないか。
いや、違う。誤魔化すのはやめる。
俺は結局、大人に腹を立てているんだ。
理解することと納得することは違う。
いつもは、「一度しかない高校生活です。楽しく過ごしましょう」なんて言う大人が、自分たちに青春を犠牲にすることを強いている。
気付いてしまえば、もう、我慢できない。
慎重論なんて吹き飛ばしてやる。
世界を変えてやる。
我慢を強いられる現状に対して、高校生が怒っていることを知らせてやる。
腹を決めた岳の行動はシンプルだった。
オンライン署名サイトに、アカウントを作り、9月入学に賛成する人の署名を集め始めた。
ツイッターのアカウントも新たに設定し、賛同を募る。
9月入学に肯定的なニュースやブログのアドレスもどんどん流した。
大祐にも短く「協力してくれ」とラインを送った。
すぐに「りょーかいですっ!」と敬礼するアニメキャラのスタンプが返ってきた。
「俺にオタクと言っておきながら、お前もたいがいだからな」
満足げにつぶやくと、岳はノートPCを閉じた。
夕食を済ませ、風呂に入り、部屋に戻ってきたのを見計らったかのように、岳のスマホが鳴った。
大祐からの電話だった。
電話なんて滅多にしてこないはずなのに、と怪訝に思いながら岳は通話ボタンをタップする。
「どうした?」
『どうしたって聞くってことは、ツイッター見てないんだな?』
深刻そうな大祐の声音に、岳はゴクリと唾を飲みこむ。
「……ちょっと待て、見てみる」
慌ててノートPCを立ち上げ、ツイッターを開く。
『生意気なんだよ』『高校生がいきがるな』『どうせ9月入学なんて実現しないんだよ』
作ったばかりのアカウントのリプライ欄に、そんな言葉が並んでいた。
「……何だよ、これ?」
『ひどいよな。さっさと手を引いた方がいいぞ?』
「どうしてだよ?」
『だって、岳がこんなことをしても、何も得にならないだろ? ただ、クソリプを投げつけられて、精神的にへこむだけだぞ』
大祐の声からは、岳を心配しているということが伝わってくる。
岳は唇をかみしめながら、リプ欄を何度も見返す。
そんな岳に、大祐は諭すように語り掛ける。
『それに、あのリプの書き方はひどいけど、俺も全く理解できないってわけじゃないんだ』
「……どういうことだよ?」
岳は思わずスマホを強く握りしめる。
『ほんとに、ネットで署名を集めることで、何かを変えられると思っているのか?』
「分かんねえよ……」
『だろ? なら……』
なおも言葉を続けようとする大祐を岳は遮る。
「けど、俺はやめないぞ」
『何でだよ?』
「俺は許せないんだよ」
『……何が?』
「今の、俺たちが、置かれた状況が、だよ。いつまで俺たちは我慢しなきゃならないんだよ? 俺たちは何もしたらいけないのかよ? 声を上げることすら許されないっていうのかよ?」
慟哭のような岳の訴えに、大祐は何も言えない。
「もう、うんざりなんだよ……」
『それは、分かる。けど、いいのか?』
「いいんだよ。何をしても、何もしなくても、このままじゃ俺の心は傷ついたままだ。だったら、俺は何かをする方を選ぶ」
自分の口から『選ぶ』という言葉が出てから、岳は気付く。
今の状況に辟易しているのは、きっと自分が何も選んでいないからだと。
人から何かを押し付けられることが、これほどのストレスなのだと、生まれて初めて自覚した。
大祐は岳のそんな気持ちをどれほど理解したのか、分からない。
けれど、『分かった』と応える。
『岳が続けると言うのなら続けてみろ。俺もできる限りの協力はするよ』
「あぁ、ありがとう」
『だけどな、絶対に無理はするなよ。所詮はネット空間で起こることなんだから、嫌になったらすぐに接続を切れよ』
「分かってる」
大祐との通話を終えると、岳はクソリプを送ってきたツイッターアカウントをブロックした。
それだけでは、きっと無駄だと分かっている。
似たようなリプは、どうせまた来るだろう。
けれど、そこで諦めることはしない。
それに、武器はツイッターの他にもある。
「ユーチューブか? いや、顔はさすがに出したくないから、Vチューバーでも始めるか?」
次なる手段を探し、ネットで検索を続ける。
「……ふざけんなよ」
知らず知らずのうちに、キーボードを叩く力は強くなっていた。