第1話 カタ・カタ・カタカナ 音だけ響く
どこかで失くしてしまった物を見つけるのは、そうそう簡単ではない。
大学進学や浪人生活を控えた一つ上の先輩たちを送り出した翌日、鈴木さやかは諦めていた。
半年前に買ったブルートゥースのイヤホンの片方が見当たらなくなってから1週間あまりが経つ。
セールで3000円ほどだったのに、意外と音質は良くてお気に入りだった。
しばらく片方だけ着けていたけれど、もうそろそろステレオ音声が恋しい。
そんなわけで、街で一番大きい駅に併設された商業ビル内の家電店を訪れていた。
「で、どんなのにするの?」
待ち合わせ時間から5分遅れて着いた佐野香澄は、開口一番さやかに尋ねる。
2人が出会ったのは高校の入学式。
たまたま同じクラスになったというだけのきっかけだけれど、なぜだか馬が合った。
グイグイ引っ張っていくタイプの香澄と、おっとりしたマイペースなさやか。
ともに帰宅部だったということもあり、いつの間にか放課後や休みの日に遊びに行く仲になっていた。
「んー、どうしよっかな?」
「もう、相変わらずさやかは、主体性がないんだから」
唇に人差し指を当てて、視線を斜め上に向けるさやかに、香澄は腕を組んでため息をつく。
「そんなこと言ったってさぁ、別に私こだわりとかないし」
「どこのメーカーがいいとかないの?」
「えぇ? そんなこと言われても分からないよ」
「じゃあネットで適当に選べば良かったんじゃないの?」
「そうしたら、香澄と出掛けられなかったじゃない」
呆れ気味に言う香澄に、さやかは頬を膨らませて応える。
「はぁ、まぁいいけど……。さっさと行くよ? 外はまだちょっと寒いし」
暦の上では春だけど、古い時代のカレンダーなんて役に立たない。
まだ3月に入ったばかり。冬将軍一味の残党が吹かす風は冷たい。
「ちょっと待ってよー」
さやかは、返事も待たず自動ドアをくぐる香澄の後をとてとてと追った。
「へぇー、いっぱいあるんだねー」
店内に入った2人を出迎えるのは、テレビ。
「夏にオリンピックがあるから、今が売り時なんでしょ」
「そっかぁ。けど、この4Kって何なのかな?」
「画像が良いらしいわよ。よく分からないけど」
「香澄にも分からないことがあるんだね?」
からかうような表情を見せるさやかを香澄はキッと睨む。
「さやかにだって、分かんないでしょ?」
「そうだねー、だから聞いたんだよ」
さやかはえへへと笑って続ける。
「けど、画質がいいって言っても、私には違いは分からないなぁ」
「そうね。きっと私たちには関係ないことなんでしょ」
「だよね。妙なこだわりを持ってる人たちだけが気にすることなんだよね」
そんな2人が眺めるテレビは、昼時のニュースを伝えていた。
どこかの知事が何かを訴えかけていた。
「香澄は、このニュースが何言ってるか分かる?」
「変な言葉を使ってるけど、要するにコロナに気を付けましょうってことなんじゃないの?」
「うーん」
腕を組んでさやかは唸る。
「つまり、クラスターがオーバーシュートすると、ロックダウンされるってこと?」
真面目ぶったさやかの声音に、香澄はぷっと吹き出す。
「何言ってんのよ?」
「えー、真似しただけだよ?」
「さやかが言うと、ほんとに意味分からないからやめてよ」
「そうかな?」
「そうよ。日本語プリーズって感じ」
今度は、はははっと、さやかが声を上げる。
「何よ? さやかの真似しただけなのに?」
「私はそんな変なこと言ってないよー。それに、香澄の言い方がおじさんぽかったから面白かったの」
「おじさんっぽいって、どういうこと?」
「何でもないよー。そろそろ行こっか? どうせこんなニュース、私たちに関係ないよ」
「さやかが立ち止まったから何となくテレビを見てたんでしょ。……まぁ、いいけど」
「そうだよー。こんなニュースなんて桜が咲くころには、きっと笑い話になってるんだよ」
「そうね。みんな変な言葉を使ってたってね」
香澄が頷くのを見て、さやかはイヤホン売り場へ向けて歩き出す。
「フェイクニュース、フェイクニュース」
楽しそうに口ずさんでいるその背中へ香澄は、
「いや、それはちょっと違うと思うけど」
と、声を掛けるが、さやかは気にせず進む。
イヤホン売り場でも2人は、ああでもない、こうでもないと言い合いながら商品を眺めた。
長々と時間をかけて議論した割に、さやかは結局、何のこだわりもなく「一番安いからこれでいいや」と、シンプルな黒のイヤホンを購入した。
「ほんとにそれで、良かったの?」
会計を済ませてからも、なお香澄はさやかに尋ねる。
「いいんだよー。香澄と選んだから、これでいいんだよ」
「……何よ、それ?」
上目遣いのさやかから、目を逸らす香澄の頬はほんのり赤い。
「あっ、照れてる?」
「照れてないっ!」
「そんなに否定するなんて、図星だったんだねぇ」
「もうっ、そんなこと言うなら、もうさやかと一緒には出掛けないから」
「えぇー、それは困るよぅ」
「なら、変なこと言わないでよね」
「はいはーい」
「はいは一回っ!」
「あっ、お母さんみたい?」
「……いい加減にしなさいよ?」
本気で睨みつけてくる香澄に、さやかはからかうのは、この辺にしておくべきだと悟る。
以前、こうやってからかい続けたら、3日間口をきいてもらえなくなったことがある。
その時は、一緒にスイーツを食べに行ってやっと仲直りしてもらえた。
だから、今日も甘いもので口直しを図る。
「ねぇ、香澄、まだ時間大丈夫だよね?」
「大丈夫だけど、どうするの?」
「タピっちゃおうよ? 最近、このビルの中に新しいお店ができたんだって」
タピるなんて、ほんとに口にする人間がいるのかと、香澄は思うが、そこには突っ込まない。
さやかとの会話で、自分が話を脱線させると、なかなか戻ってこられないのは、この2年弱の付き合いで身に染みている。
「あぁ、テレビでやってたの私も見たわよ。確か、東京で流行ってる店が出店したとかって」
「そう、そこだよ。きっともともとこの街にあるのとは全然違うんだと思うよ」
「どこでも似たようなものじゃないの?」
「えぇー、香澄は夢がないなぁ」
大げさに肩を落とすさやかに、香澄はやれやれと首を振る。
「分かった、分かりました。じゃ、さっさと行こ?」
そう言う香澄に、さやかはにんまり口角を上げる。
「おー」と右の拳を突き上げ、左手で香澄の手を引いた。
1週間前にオープンしたばかりだというタピオカ店には、そこそこの行列ができていた。
とはいえ、地方都市の行列はたかが知れている。
10分後、2人の手元にはお目当てのミルクティーがあった。
「やっぱり都会の味は違うね」
うんうん頷くさやかを見て、香澄は首を傾げる。
「そう? 大して変わらないと思うけど」
「違うよー、全然違う。なんて言うか、このストローから吸い込まれる空気が違うね」
「いや、空気は間違いなく、ここの空気だから」
「もう、香澄は強情だなぁ……」
さやかはジト目を向ける。
「何で私が悪いみたいになってんの? ……まぁ、都会と同じ物が手軽に味わえるのはいいことだけどね」
「でしょっ? お母さんが高校生のころは、東京で流行ってるのがこの街にやってくるのは、とっくに流行りが廃れたころだって言ってたし」
「それを言うなら、タピオカももう流行りのピークは過ぎたんじゃないの?」
「うっ……。こ、細かいことは気にしなーい」
明るく声を上げるさやか。
香澄は「まぁ、この子がお調子者なのはいつものことだし」と、静かにストローをすすった。
逆方向の電車に乗る香澄と、改札で別れを告げ、さやかはプラットホームに立つ。
買ったばかりのイヤホンを耳に突っ込んでスマホと接続すると、いつも使っている音楽配信アプリのアイコンをタップ。
サブスク契約はしてないから、曲順は選べないけど、ヒットチャートの曲が耳に流れてくる。
「ん、前使ってたのと音質は変わらない、かな?」
耳をそっと押さえて、さやかは独り言ちる。
1曲目が終わろうとしている時、目の前に止まった電車の扉が開いた。
乗り込むと、逆側のドアの前に立つ。
どうせ乗るのは2駅分だけ。
わざわざ座席を確保するよりも、降りる時に楽な方がいい。
ドアに体を預けると、今度は女性シンガーソングライターのラブソングが優しく耳元で流れる。
好きだった人との思い出を切ない旋律に乗せて届けてくれる。
なぜだかは唄われていないけれど、今は会えない人へ向けられた思い。
会えないからこそ、思いが募ることを切々と訴えかけてくる。
とっても素敵だな、とさやかは思う。
けれど、
「きっとこんな恋は、私には縁のない話なんだろうな」
ガタゴトと静かに揺れ始めた電車の中、そっとつぶやいた。