08 懐妊
「初めて御意を得ます。紀州雑賀荘より参りました、土橋若太夫と申します」
「おお、お主がかの…。畠山より聞いておるぞ、良い腕をしておると!」
「ははっ。恐悦至極に存じまする」
紀伊の国より遥々都までやってきた、侍というより見た目は完全に狩人の土橋さん。
本来は将軍と直言できるほどの立場じゃないけど、まあ私だし今更だよね。
とりあえず偶然出会った体でのお話タイム。
城内の中庭で偶然出会うなんてあるも訳ないけど、まあ建前は大事だ。
建前と言えば畠山高政の紹介というのもそう。
紀伊の守護職とはいえ多分知らなかったと思う。
だから昭高を通じて知らせておいた。
今後は結びつきも強くなるだろう。
実際は鉄砲の名手を服部さんに探してもらって繋ぎをつけた相手。
個人的に事情から仕官を前提に働き掛けていたんだが…。
土橋は俗に雑賀衆と称する鉄砲で有名な傭兵集団の主要人物。
一応粟村城の主らしいが、城といっても砦に毛が生えたようなもんらしい。
いわゆる地侍とか土豪とかだな。
「さて。招聘に応じたお主が、余に仕えるということかな?」
建前は一瞬だけ。
早速用件に入ろう。
源兵衛が目だけで苦笑してる。
器用だな。
狩人土橋が個人的に仕えてくれるのか、一族で仕えてくれるのか。
はたまた別の方向か。
「されば、非礼を承知で申し上げます」
うん?
「公方様にお招き頂けたことは身に余る喜び。
しかし拙者は非才の身にて不調法者。
田舎者にとって華々しい都暮らしは性に合わぬと存じます。
何卒、ご理解頂きたく伏してお願い申し上げます」
言葉通りに平伏してお願いされてしまった。
えー、つまりどういうことだってばよ?
仕官できないってことかいな。
「(源兵衛?)」
分からないなら聞くしかない。
久々に活用、忍声でGO!
問われた源兵衛は軽く頷き、視線を外してアイコンタクト。
え、誰と?
「公方様」
「ん…、式部か」
式部!?
人払いしたのに何で…って源兵衛の仕業か。
「僭越ながら、某にお任せ下さりませぬか」
「雑賀がことか?」
「はい。公方様の御為、悪いようには致しませぬ」
狩人土橋を見ると微動だにしない。
動揺もしてなさそう、ということは…。
源兵衛を見る。
苦笑される。
「よかろう。よきに計らえ」
「御意。では土橋殿、こちらへ」
「ははっ。失礼仕る」
何事もなかったかのように下がって式部についていく狩人土橋。
なるほど、これぞ出来レース。
ところでカリュードって格好いいね。
「源兵衛」
「申し訳ありませぬ。佐々木様のお達しにて」
「そうか、まあ式部なら構わぬ」
おのれ仁木爺。
ほぼ隠居のくせに目端が利きまくる。
長老からしてみれば、まだまだ私も式部も学徒に過ぎないか。
適わんなあ。
後日聞いたところ、伊賀衆のような扱いになったらしい。
式部も子飼いが出来て手が広がると喜んでいた。
昭高と一緒になって色々画策するそうだ。
それはいいけど個人的な当初の目的、鉄砲の師匠はちゃんと手配してね。
せっかくプロがいるんだからお願いしたい。
初陣前からずっとやってる弓術の方は、名人吉田さんの指導によって免許皆伝まであとちょっと。
でも手加減無用の本気で頼んだら中々位階が上がらないの。
そう望んだのは自分だけど、非才の身にちょっと落ち込むわ。
小笠原流も並行してるせいだろうか。
刀剣なんて飾りですよ。
亡兄を否定する訳じゃないけどね。
織田軍の常備武装、三間半の長槍にもようやく慣れてきた。
消耗品じゃない武装も何か欲しいなあ。
鉄砲が近いっちゃ近いけど、玉薬は高価な消耗品。
こっちはこっちで頭が痛い。
干しシイタケと、最近始めた石鹸の運上で潤ってるけど流石に全ては賄いきらん。
石鹸は伊賀と甲賀の直産でやってるが、何かと厳しいもんだ。
甲賀衆は六角の関係でちょっとばらけたから、今は和田さんと多羅尾さんが中心。
その辺の忠誠度が高まってきてるとの報告もあった。
やはり金策は大事だな。
* * *
北近江の浅井家で動きがあった。
朝倉の応援を得た逆心の浅井家と織田家が激突。
勝敗は織田家が勝ちを得たが…。
「それで備前守は?」
「はっ。治療の甲斐なくお亡くなりに…」
「なんとしたことか」
お味方浅井家当主の長政が討死という結果。
彼は信長の制止を振り切って突出。
朝倉勢を突き崩したまではいいものの、囲まれて重傷を負ってしまう。
その傷が元で死去してしまったそうな。
長政には子があるがまだ幼い。
今後は信長の庇護下で家臣化していくしかないだろう。
討死した長政の行為は無駄にはならない。
敵味方に分かれた親兄弟とは違う忠誠やらを示したことで、織田家の中の浅井家として重んじられることになるはずだ。
大きな犠牲を払ったことで、敵の浅井と朝倉連合軍は敗走。
激高する信長の追手を交わすべく比叡山へと逃げ込んだ。
浅井家の内情は複雑過ぎて正直ついていけない。
ともかく長政は信長に従い討死。
それだけは紛れもない事実にして、朝倉軍を匿った比叡山が風前の灯火であることもまた事実。
「十兵衛に通達。御山の事、余に発せよと」
「御意」
明智のみっちゃんは今、信長の家臣にもなっている。
手放した訳じゃないぞ?
決して信長に渡した訳じゃないからなッ!
あくまでも、私の家臣でありつつ信長の家臣団にも連なってる。
出向してるだけだ。
いやホント。
醜い心の内はともかく、みっちゃんとは表裏問わず密に連絡をとりあってきた。
織田家は本家からして守護代の家柄。
どうしても地方の成り上がり大名という部分が出て来る。
革新的とか風雲児とか、そんなことと関係なしに問題視される部分がね。
その辺みっちゃんを通じて上手く操舵。
畿内と齟齬が出ないよう調整してもらっているのだ。
偉そうに言ってるけど、実際のところ私はざっくり指示してるだけなんだけど。
裁量多めに任せたら嬉しそうにしてたからよしとする。
文句なしの仕事ぶり。
閑話休題。
みっちゃんとは以前、御山に対して意見交換済み。
伊賀衆や甲賀衆も交えてね。
その時に大まかな方針は伝えてある。
こんなこともあろうかと、ってやつだ。
あって嬉しい事柄じゃないがな。
転ばぬ先の杖。
傍流を立てた浅井家と越前から出てきた朝倉家。
彼らは本家の長政を討ち取ることが出来たが、信長の怒りに触れて壊乱。
時機を逸して本拠地に戻る術がなくなり、やむなく比叡山に駆け込んでいた。
比叡山は腐っても聖域。
そうそう戦場になることはない。
激高した信長も冷静な部分で何とか踏み留まって、山を囲みながら引き渡し勧告を行っている。
言い含めて派遣した兵部も多少は役に立ったかな?
「叡山の動きは」
「引き渡しに応じる動きはありませぬ」
「驕っておるな」
ちょっとイラっとした。
この目で見た訳ではないが、昨今の宗教勢力は驕り高ぶる傾向にある。
比叡山しかり、興福寺しかり、本願寺しかりだ。
日蓮宗や真言宗も少なからず。
特に比叡山は屈強な僧兵を抱え、権力者たらんとする。
真面目に祈る修行僧と低俗な破戒僧が両立する聖域。
不自然だよなあ。
おっといかん。
上位者たるもの落ち着きを持たねば。
せっかく報告してくれてるのに場がピリッとしちゃった。
フゥー。
深呼吸……よし。
「それで、弾正忠は何と」
「はっ。か、勧告の後に従わねば攻め込むと…」
「叡山は聖域。しかと承知のうえか」
「左様思われます」
うむむ。
聖域と言われる寺社すら荒らされる乱世と言えど、諸宗の根源たる比叡山は流石にちょっと。
「再考を促し、それでも駄目なら連絡させよ。将軍たる余が判断する」
浅井家を介した織田家と朝倉家の争いに見えるが、発端は若狭遠征にある。
これは幕府、ひいては将軍の命で行われたもので、織田家も一応は幕府の一員。
放任してよいものではない。
私は武家の棟梁たる将軍である。
狼藉者が好き勝手に無体するならいざ知らず、正規軍の働きだ。
責任をもって判断するのが筋といえよう。
信長といえども、将軍を奉じる以上は従う義務があるのだ。
そのための十兵衛、兵部の派遣だしね。
そうだ、和田さんに頼んで甲賀衆を増強してもらおう。
十兵衛に与力して上手く動けるように。
「和田主膳をこれへ」
和田さんは敵対的三好一党対策で摂津方面に出張中。
今は影に徹するよく出来た弟、主膳惟増が護衛を管轄。
甲賀衆の差配も信用できる。
もう比叡山の焼き討ちは避けられない気がする。
だから何とか、みっちゃんに上手くやってもらいたい。
惟増に指示を出しながら、そんなことを考えていた。
* * *
将軍は都にあってこそ。
そう思ってた時期が私にもありました。
いや、基本は変わってないのよ。
京の都が政の中心地である以上、将軍が所在する場所なのは間違いない。
日ノ本の首都だし。
ただ下手に将軍候補時代あちこち旅をした経験があるせいで、都の狭さにちょっと思うところがあったりする。
つまり。
たまには外に出たいぞ!
なんて思って、本日は我がセカンド義弟こと三好義継君のおうち訪問です。
「公方様。宜しかったのですか?」
道中聞いてくるのはアザミちゃんに代わって警護役を担う源兵衛。
「だいぶ不機嫌そうでしたぞ」
主語を省いての会話は用心のため。
今日はアザミちゃんがいない。
側室の佐古殿、クノイチのアザミちゃん。
どちらも同行しないで数日過ごすのは初めてだ。
「やむをえまい。常に帯同するわけにもいかぬ」
それに今回の目的はちょっとアレなんで。
帰ったら頑張って構い倒す所存である。
と言う訳で、やってきました義継君の居城。
「公方様。本日は我が城にお越し下さり恐悦至極に存じます」
「うむ、出迎え大儀」
大仰に対応する義兄弟と、それを少し離れたとこから眺めている松永久秀。
表向きの理由(本音)はさておき、実は真の訪問理由が他にもある。
それは久秀に会うこと。
会って聞きたいことがあったのだ。
招聘すればいいというのもあるが、二条城ではちょっと聞きにくい。
そして大和の国に行くのもちょっとした問題があったりした。
興福寺とかその辺が特に…。
だから妹夫婦と会うにかまけて、三好家重臣の久秀も同席させようと画策。
アザミちゃんも同道すると大分ゴネたが、何とか宥めて今に至る。
特にアザミちゃんには聞かれたくないことだからな。
「さて松永弾正。お主に聞きたいことがある」
「は、何なりと」
妹と甥っ子の顔を見て和んだところで宴に突入。
義継君と久秀と私、三人車座になって早速聞き出そう。
なんだけど、聞きたいと言った瞬間キーンとした。
シーンじゃない。
キーン。
耳鳴りのような、極度の緊張感がそう聞こえさせるのか。
思い切り力む義継君と、自然体に見えてガッツリ身構えてる久秀。
あ、政治的な話じゃないんで。
もっとリラックスしてくれると嬉しいが、まあ無理か。
「聞きたいこととは他でもない」
まあいいや。
とっとと聞いてしまおう。
「房中の秘術を知っておるそうだな。是非とも教えて欲しい」
「…はあ?」
場の空気感はキーンからシラーに変化。
これは酷い。
義継君は口をあんぐり開けてるし、久秀もポカーンだ。
先ほどまで漂っていた緊張感はどこへやら。
緩み切った不思議な空間と成り果てていた。
「(なるほど。これはアザミには聞かせられませんな)」
そうなんだよ。
って、やっぱりいたのか源兵衛。
護衛だからそりゃいるだろう。
とは思っていたが、忍声でも呆れ声と分かる程度の近さ加減よ。
「…くくく、わっはっはっは!」
「だ、弾正っ?」
と、弾ける笑い声。
出所は久秀。
弾正だけに。
「はーはっはっはー…ゲボボホッ。んーんんっ、ゴホン!
宜しい。この弾正、責任をもって伝授致しましょうぞ!」
ハタと膝を打って破顔一笑。
何が琴線に触れたか知らないが、房中術は教えてもらえるらしい。
だが笑いすぎだと思う。
「おおそうか!義弟も共に習おうぞ。いや、既に知っておったか?」
「い、いや。某は…」
わたわたと慌てる義継君。
セイカツは大事だぞ。
何とかアザミちゃんを喜ばせたいと思っていたところ、曲直瀬直伝の術があると小耳に挟んだ。
我ながら二人との仲を深める良い一手だったと思う。
さて、ご教示願おうか!
「(緘口令を敷いておきましょう)」
頼む。
とりあえず実践するまでは絶対もれないように。
「オホン。では早速。…公方様、左京大夫様。そもそも房事とは…」
久秀による談義が始まった。
生々しい話に義継君の顔は真っ赤である。
既に子もなしたくせに初心なことよ。
私?
ちょっと前まで僧籍にあった健全な独身男性だ。
推して知るべし。
さあ待っていろアザミちゃん。
新しい世界を見せてあげちゃうぞ!
* * *
義継君や久秀と久闊を叙し、秘奥を伝授されたらすぐ帰洛。
ホントはもっとあちこち見て回りたかったんだけどね。
あまり放置するとアザミちゃん拗ねるから。(願望)
代わりに謹慎中の近衛前久を各地に派遣した。
丹波とか石山とかに。
ん?
ああ前久は関白だよ。
違うか。
謹慎処分は幕府の意向を朝廷が承認したもの。
正しくは織田家の力を背景に承認させたもの。
近衛家は母方の実家で前久とは従兄弟関係にある。
上洛までに色々あってすれ違ってきたけど、ここらでちゃんと話し合いの場を持った。
その結果がこれ。
前久殿下も喜んで下向していったよ。
旅好きなんだな。
まあ近々処分も解ける見込みだ。
将軍家には明るいニュースがある。
それにあわせての恩赦とかそんなん。
何と、私の子供が出来たのだ。
正室はいないから誕生する我が子は庶子扱いになる。
それでも存在は大きい。
伊賀衆も喜んでいた。
全力で守ってみせると息巻いていたね。
表向き宇野氏の娘なんだが。
ああ、伊賀国人宇野浅次郎の縁が云々。
理由付けも一応あるのか。
じゃあ任せる。
「佐古よ。身体をいとうのだぞ」
「はい。ありがとうございます」
懐妊が発覚したアザミちゃんと二人で寝所。
しばらくは添い寝するだけで、当然致すことはしない。
伝授された房中の秘術を上手く行使できたかは分からないが、いい感じだったのは事実。
割と悦んでくれたし、積極的になったのは効果があったからだと信じてる。
術本来の用途から外れてるのは知ってるけどね。
どうしても副次的な技巧面ばかりクローズアップしてしまう。
なにせ有用だから。
そうだ。
侍医の米田求政にも教えよう。
まあ曲直瀬流も学んでたから既に知ってるかもだが。
ついでに側近らにも伝えてやろう。
さんざん苦労をかけてる女房殿らを悦ばせて上げて欲しい。
中々の嬌声、技巧は折り紙付き!
さて、生まれてくる子のためにもお仕事頑張るぞー。
まずは近隣諸侯及び地方の大名や豪族らへの挨拶状を…。
本作における伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆などはざっくりした呼称であり、史実や史学の分類とは異なる場合があります。