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07 暗躍★

まくあい

山城の国、京の都。


第十五代征夷大将軍となった足利義昭の居城が二条通を臨む地に完成。

その名も二条城。

歴代将軍の居城の中でも群を抜いて壮大さを誇る、幕政の中心地である。


城中及び域内では数多の幕臣たち、そして奉公する中間や下人たちが多く働いている。


伊賀衆の束ねとして重きをなす服部保長にもその一画が与えられていた。

保長は元々伊賀の一豪族に過ぎなかったが、今や義昭の信任を得て幕府内でも一目置かれる存在だ。


将軍直属で秘事をも扱う伊賀衆たち。

彼らが集う部屋は保長が管理する区画にあって、他と異なり様々な細工が施されている。


例えば天井。

そして床下、さらには壁の中。

隠し通路や空間が用意されており、常に数名の腕利きが張っている。

防音防諜、そして防犯のためである。


義昭が検分した際には、さながら忍者屋敷だと感嘆したらしい。


このように防諜に優れた部屋に、保長と子の保正ほか幹部数名が集まっている。

彼らが此処に集う理由は密議をこらすため。

議題はどれも極めて重要度の高い秘事ばかり。

そのため彼らのテリトリー内でありながら、場は緊張感に包まれていた。


「それで、佐々木様からは何と?」


「順調とのこと。弥太郎も左兵衛佐様の下で上手くやれているようだ」


伊賀衆の上役は幕府の重鎮、佐々木義政である。

義政は六角家の出身で仁木家に養子に入った源氏の名族。

仁木家は伊賀国守護の家柄で、伊賀衆との関係はそこから始まっている。

その結びつきは元々緩やかなものだったが、将軍義昭を通して今は固く結びついていた。


「それは重畳。して、左兵衛佐様のご器量は?」


「弥太郎の報告を聞く限り悪くはない。左馬頭様に比べるとやや物足りないがな」


「まだお若いですからな」


「世が世なら名門の若殿であったでしょうに、かなり苦労したようですね」


「お陰で我らを無暗に低く見る向きもない。公方様にも忠実。良いことよ」


「幕府の重鎮との養子縁組には血筋も必要。中々持っておるな」


「しかも当代はあの公方様だ。先は明るかろう」


義政は早くに嫡男を亡くしており、しばらく跡継ぎがいない状態が続いていた。

そこで幕府が落ち着いてきた時を見計らい、養子を迎えている。


養子の名は佐々木義郷。

左兵衛佐に任じられた彼は、元の名を六角義郷と言った。


義郷の六角家は傍流ながら、比較的最近嫡流より分かれている。

佐々木を名乗った義政も元は六角家の出身。

大名としての六角家は義昭と敵対し滅んでしまったが、本家に対しては複雑な思いを抱えていた。


これを斟酌して養子縁組を斡旋した義昭の手腕。

人心を慮る見事な采配との賛辞が相次いでいる。

影らの評価も高い。


さて、話の本筋は佐々木家のことではない。


服部保正の属する里で始まり、徐々に伊賀衆の間で広まりつつあるシイタケ栽培。

この管理総代が守護職たる佐々木家であり、現地で監督している義郷である。

そのため彼らとの関係が良好かどうか、服部党幹部たちは常に注視していた。


幸い、保長の三男で保正の弟・弥太郎が、年の近い義郷と良い関係を築けている。

弥太郎は未だ仕官前。

里の助役として経験を積んでいる最中だが、その器量から近々召し出されるとの観測が広がっていた。


佐々木義政は幕府の重鎮。

将軍義昭のよき相談役でもある。


そして栽培されたシイタケは乾燥加工して干しシイタケとなり、上納される。

上納先は将軍義昭。

そもそもシイタケの栽培方法は義昭からもたらされたもの。

保長や伊賀衆が彼らの信頼を得て賜った、とても大事なツールなのだ。


もし佐々木家と伊賀衆の間に齟齬があり、干しシイタケの上納が滞ったりしたら…。


考えるだけで恐ろしい。

今の伊賀衆たちが最も恐れるのは、義昭からの信任を裏切ることである。

自分たちは将軍家と共にある。

半ばそう思い定めるほど、強固な信頼関係を構築しつつあった。



* * *



「時にアザミよ。公方様とのこと、誠に良いのだな?」


服部党領袖として保長が伊賀衆中ノ忍、宇野アザミに問う。


「問題ありません。むしろ、願ってもなき事かと」


「確かに我らにとっては願ってもなき事。故に、信頼を裏切る真似は絶対に許されぬ」


「承知しております」


アザミは幼少の時分より器量がよく、将来を見据えた上忍たちから様々な技能を叩き込まれてきた。

それが要人警護を請け負う成果に繋がっている。

流石に将軍の身辺警護役にまでなるとは誰も思っていなかったが。


「まさか、懸想されることはあっても興味を持たなかったお主がのう」


上忍の一人が半ば揶揄う様に感嘆するも、当のアザミは冷徹な表情を崩さず保長に応えた。


「公方様の為人が故でしょう。このわたくしに、母性なるものがあるとは思いませなんだが」


「御身に触れて疑義も氷解したか。あるいは情が沸いたか」


アザミは考える。

何が切っ掛けかと問われると答えに窮する。


強いてあげるとすれば逃避行の折。

とても貴人とは思えぬ振る舞いに奇行の数々。

当初は訳の分からぬ御仁だと思った。

面倒だとも。


しかしこれもお役目。

いつも通り、これまで培ってきた技能を活用して己が役割を淡々と果たすのみ。


などと思い定めていたはずが、いつの間にやら極秘裏に側室候補へ内々定していた。


近侍して情に絆された訳ではない。

他の武士らと違って分け隔てなく接してくる事には面食らったが、僧侶出身と考えればある程度納得もいく。

血統と育ちの良さから世間を知らないことも理由の一つになろうか。


しかしそれだけではない、何か不思議なものを持つ者。

興味を持ち、望まれるまま雑な扱いをしてみたり冷たくあしらったり。

そうこうしていると、何時の間にか惹かれていた。


義昭の懐が深いのは間違いなく、それに甘えているのは自覚するところ。

しかし最早気にする必要を認めない。

素の自分を出すことが出来るということに喜びを覚えている。


だから伊賀衆として将軍に仕えるのではなく、義昭が安らげる場所となりたい。

今のアザミが思う、正直な気持ちだった。


「わたくしに不満は一切ございませぬ」


「ふむ。まあ当人が言うならよかろう」


女忍アザミ。

器量よしの彼女はその表情や仕草で他者を魅了する。

但し、そのほとんどは作られたもので彼女の素を知る者は限られる。


「(その中の一人が公方様とは。世の中なにが起こるか分からんものよ)」


「…何か?」


「いいや、何も」


一見器量よしでも芯のある、言い換えれば気が強い女性。

戦乱の世にあっては別段珍しいものではない。

それでもやはり、守ってやりたいと思わせる女性の方がモテるのが世の常。

蓼食う虫も好き好きとはよく言ったもの、というと失礼が過ぎるか。


保長の次男でアザミの同僚でもある保正は心中で溜息をつく。

そして湯冷ましを一口飲み、気持ちを切り替えた。


「では、さこ殿について報告します」


保正が口火を切った瞬間、若干弛緩しつつあった空気が再度張り詰めた。


さこ殿とは、現在義昭の側室候補と目されている者の名である。


「播磨赤松の連枝、宇野下野守の娘で間違いありませぬ」


宇野氏は播磨の国で守護を務めた赤松家の傍流で、一時期は大いに繁栄。

しかし隣国備前の浦上氏や、それらと手を結ぶ小寺氏との勢力争いで今は斜陽の時を迎えている。


そんな折に誕生した新しい将軍。

僧侶出身で独身であり、自前の女房衆も侍女もいない。

これ幸いと侍女として娘を送り込み、あわよくばをも狙ったが…。


「明確に表明した訳ではないが、可能性は十分ありますからな」


「もっとも主眼の人脈構築には余念がない様子にて」


「そこに付け込まれた、と言う訳です」


将軍の周囲には常に幾人もの伊賀衆と甲賀衆が張り付いている。

義政をはじめとする幕政に通じた者たち、侍医として米田求政などもいる。

そう簡単に入り込む隙はない。


しかし二条城や京の都を完全に網羅することもまた不可能。

ならば、ある程度の線引きまで許容することで観察する方が得策といえた。

特定の人物を観察することは伊賀衆にとって造作もない。


「それで、背後には?」


「…蜂屋衆が」


「何と!」


場に一瞬、沈黙が下りる。

それほどまでに蜂屋衆という名は彼らに衝撃を与えた。


「蜂屋衆となれば京極、今は尼子か…。いずれにしても山陰」


「あるいは山名が借りた可能性もあるかと」


「正確なところは不明ながら、恐らくは毛利への備えと思われまする」


再び沈黙。

山陰に力を持つ尼子家、そして守護家でもある山名家。

一方で山陽方面を中心に勢力を広げつつある毛利家。

彼らの勢力図は逐一変動し、全てを把握するのは非常に難しい。


「うむ。今のところ毛利は敵ではないが」


「深追いは危険と存じます。播磨か、せいぜい備前までに致したく」


「ならば備前は赤松の勢力が及ぶ範囲としよう」


「承知しました」


一を決してもその次が、さらにまたその次が。

深掘りすればするほど底が見えなくなってくる。

人材も時間も有限である以上、彼らは如何に効率よく運転させるかに頭を捻るのだった。


「手引きした者については構うまい。それよりも当人だ」


「やはり公方様方には報告する必要があるでしょう」


「問題は範囲ですな」


「公方様が信頼を寄せる方で清濁併せ吞むことが出来る方」


「佐々木様を筆頭に一色様、三淵様、細川様、米田様。それに和田殿、明智殿…」


義昭の側近と言われる幕臣たちの名が上がっていく。

情報を司る彼らは正確にその序列を捉えていた。


「とりあえず佐々木様と和田殿でよいのではないか?」


一つの発言により、場の方向性が定まっていく。

義政は伊賀衆の上役。

和田惟政は甲賀衆のまとめ役として繋がりも深い。

もっともな意見に思われた。


しかし。


「否。まずは佐々木様のみに限定し、公方様の判断を仰ぐべきだ」


発言したのは保長。


「ですが…っ」


反論しようとした者を一瞥して黙らせる。

その強い視線をそのまま場の皆に向け、言った。


「これは正しく秘中の秘。独断専行は公方様の不興を買う恐れがある」


義昭が報告・連絡・相談を重視する姿勢でいることを彼らは知っている。

故に、保長の発言は信憑性が高い。


「なればこそまずは公方様にご説明し、ご相談致すべきであろう」


「…なるほど、確かに」


「…その通りやも知れませぬ」


保長の言に場がざわめくが、否定的なものは聞こえてこない。

衆は決した。


「では、ご説明は我と源兵衛で行う。アザミと九蜂は張っておくように」


「「御意にございます」」



* * *



将軍の側室成り代わり計画。

これは義昭承認のもと、伊賀衆幹部の主導で実行された。


さこという娘は付き人と共に退場。

代わって同じ立場の佐古殿という側室が誕生している。

一見して別人と分かる者はおらず、真相を知る者は何も語らない。


こうして宇野氏の娘、佐古が将軍の側室に入った。


「上手くいきましたね」


「ああ。思いのほか蜂屋衆は踏み込んで来なかった」


二条城にある保長の居室。

今日も今日とて伊賀衆の幹部たちが集い語らう。


計画が実行に移され、裏で様々な画策に携わった者らは激しく動いた。

中でも最も大きかったのは蜂屋衆と伊賀衆の対決。


幕臣でこれを知るのは当事者たる保長を除けば義政と藤長のみ。

惟政が多少感付いた程度で他は誰にも悟られず。

薄々感付いた惟政にしても、取り立てて何かを言うことはないだろう。

伊賀衆の義昭に対する忠誠心を知るが故に。


「奴らが引いたなら好都合。深追いする必要はない」


「伏者は残ったようですが」


「見張るに留める。動きあらば知らせよ」


「承知」


戦いは小規模に終わった。

数名の手負いを出した時点で蜂屋衆が引いたためだ。

彼らが早々に引き上げた理由を伊賀衆は知らないが、主因は深入りを避けたことにある。

哀れな娘に対し、そこまでの価値を認めていなかった。


「しかし、一色様は少々意外でしたな」


「そうよなあ」


秘中の秘たる計画の完遂を報告したのは、まず当事者の義昭。

そして伊賀衆の上役でもある義政のみ。


しかし藤長は独自の視点で事実を見抜き、義昭に知らせることで更なる信頼を得ていた。


「正直大器とは思えなんだが、伊達に公方様の兄貴分ではないということかの」


藤長を兄貴分と慕う義昭。

親しげに言葉を交わす二人を影たちは見知っている。


藤長は義昭の近辺に詳しく、よく見てもいる。

そして決して裏切らない。

なぜなら藤長は、義昭の亡兄・義輝の側近で特別仲が良かったとの自負がある。

だからこそ身分を弁えたうえで親友の弟を守るべく、兄貴分たらんとしていた。


今回のことも自力で答えに辿りつき、全て承知して協力している。

並の者に出来ることではない。


分家とは言え由緒正しき守護大名の血脈。

通常なら伊賀衆の計画を苦々しく思うであろうところ、あにはからんや。

弟分の義昭に感化されたのか、最近はそういった態度を示すこともなくなっていた。


むしろ積極的により良い運用について考えている。

今では佐々木家に次いで伊賀衆と近い存在かも知れない。


「想定外であったが、我らにとっても公方様にとっても良いことだ」


「うむ。…それで、アザミの様子はどうだ」


保長は幕臣であるため、主君の側室と言葉を交わすことはできない。

よって連絡その他は全て保正に委ねられていた。


「懸念に及ばず。むしろ公方様には素の顔も見せ始めておるようで」


「な、なんと!」


「それは誠で?」


保正の答えに驚く一同。

思わず聞き返した幹部に頷き肯定。


「付き人に九蜂を入れたからな。周りも同胞で固めておる」


「公方様は素のアザミを受け入れているのか?」


首肯する保正。


「おお…」


声なき声でどよめく空間。


義昭がアザミに対する態度はこれまでも柔らかかった。

対して逆はそうでもなく。

仕事上は問題なかったが、側室に入ったならば睦まじくあって欲しい。

高望みはすまいと自戒するものの、やはり伊賀衆にとっては希望の星。


「御子の誕生もみえてくるの…」


公的には側室・宇野氏の血筋。

だが生まれ来る子、その当人が知らずとも両親は真実を知っている。

ならば先は明るい。

伊賀衆は彼らを全力で守りぬくだろう。


「さて皮算用はここまで。我らは公方様に益々の忠節を捧げねばならん」


「「ははっ」」


明るい未来に表情を明るくさせていた伊賀衆の幹部たち。

保長も表情にこそ出さなかったが気持ちは同じ。

だからかしばらく余韻に浸らせていたが、いつまでも想像を膨らませ続ける訳にもいかない。

心を鬼にして、場に緊張感をもたらした。


「中国路はあれでよい。肝要なのは近場ぞ」


「若狭、伊勢、美濃。そして興福寺と雑賀衆ですな」



* * *



「では次、御山について」


「公方様が特に気にしておられましたな」


「叡山は古くより鎮守の社。さりながら…」


幹部が顔を顰めながら言葉を濁す。

世の乱れとともに比叡山の風紀も乱れている。

それは今や誰もが知るところ。


「このままでは、いずれ灰燼に帰すこともあろうとの仰せであった」


「な、なんと!?」


「確かに二度あることは三度ある。しかし何度やられても同じなのでは?」


驚く者もいれば冷静な者もいる。


比叡山は仏教諸宗の大部分にとって根源とも言える場所であり、信仰を集める存在である。

聖域とされる寺社は穢れを嫌う。

それが灰燼に帰すと言われれば動揺するのも不思議ではない。


しかし、過去にも比叡山は幾度か焼き討ちにあっているのもまた事実。

時の権力者との抗争の果てによるものだが、荒廃と復興を繰り返してきた。


ことに昨今の風紀の乱れは筆舌に尽くしがたいものがある。

女人禁制、飲酒禁止、御仏の教えもなんのその。

奴隷商の出入りや酒造りが公然と行われる始末。

苦々しく思っているのは何も権力者だけではなかった。


その結果として、再度焼き討ちが行われたとして効果はあるのか。

疑問に思う者が多数を占めていた。


「効果のほどはともかく、実施される可能性が示唆されておる」


「我らがすべきは人を入れ、先んじて動ける網を張っておくことにある」


保長に続き保正も言う。

彼らの言に幹部たちは首肯し、提案する。


「御山は近江にある。ならば甲賀衆に協力を依頼すべきと存ずる」


「そうだな。我から和田殿と多羅尾殿に話をしておこう」


伊賀衆の仕事は終わらない。

全ては将軍義昭のため。


幕間:

幕の合い間から誕生した言葉と言われ、「まくま」と読むのは本来は誤用。

番外編のような意味合いで使うのも本来は誤用。

ただ昨今の用法頻度から、完全な誤用と捉える向きは減少傾向にある。(私見)

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