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55 使者

朝廷から使者がやってきた。

零落した流れ公方のもとまでよく来るよ。


とは言えせっかく来られたのだから御持て成し、しないとね。

季節は春から初夏に掛かろうと言う頃。

麗らかな気候に澄み渡る空。

庭に殿を設えて、歌詠みの宴など催してみたり。


銭の消え方が半端ないのが辛い。

地元の方々が献上してくれた立派な物品があったのは勿怪の幸い。

しかし足りない。


裏帳簿に手を付けるのは最終手段。

ならば表の貯蓄を切り崩すしかない訳で、嘆いてばかりもいられない。


…なんてことを考えていたのは随分と余裕がある証拠だったようだ。

ご使者殿の介添えというか、同行者に度肝を抜かれることになろうとは…。



* * *



「公方様におかれましてはご機嫌麗しゅう」


などと無沙汰の挨拶を述べる彼は驚くなかれ、何と信長の使者だと言うのだ。

いわゆる密使って奴だな。

随分と身分の高い密使だが。


「久しいな、斎藤」


斎藤利三。

通称内蔵助はみっちゃんの家臣で幕府奉公衆にも所縁ある凄い人材なのだ。

私との関りは正直少なかったと思うが、明智家の重臣として同席したことは何度もある。

元はともかく今は陪臣だからね。

そんな彼が信長の使者とは一体…?


「はっ。誠に…」


久闊を叙する間柄でもないし、さっさと話しを進めましょう。

時は金なり。


「して、用向きは?」


「我が主よりの文をこれに…」


主…、みっちゃんだよなこの場合は。

側衆を介して受け取り広げる。

…うん、確かに署名はみっちゃんだ。

しかも直筆。


「ふむ?詳細は口述で、とあるが」


「は、口上申し上げて宜しいでしょうか」


「許す」


時候の挨拶と無沙汰の謝罪。

そして今回、信長からの密かな依頼について。

内蔵助を遣わすので直に聞いてくれとのこと。


ならば聞かない事には始まらない。

正式な使者ならともかく密使なんだ。

あまり格式に沿う必要もないとは思うが、まあ側衆らの目もあるからな。


裏側に忍び衆の気配がちゃんとあることを確認して、と。

姿勢を正して聞く態勢はバッチリだ。

さあどうぞ!


そして語られる驚愕の内容。


*


「右府様におかれましては、西国を降すにあたり公方様の御力添えを願っておいでです」


甲斐武田を滅ぼした信長は天下統一が間近に迫っている。

朝廷も事実認識を確りしており、右大臣という異例の官職を用意。

征夷大将軍は私が在位中だからちょっとシワ寄せがね、でも仕方ないよね。


現職の将軍たる私に対するお話なのだが、どうやら信長に将軍職を継ぐつもりはないらしい。

一方で信忠が私の猶子として継ぐ可能性も否定していない。


どういう形の天下を描いているのか、以前語った天下と変わりがないのか。

ちょいと不明瞭で具体性には欠けるのだが、織田の天下を第一に考えている訳ではなさそうだ。

その辺は一つの安心材料。


それはさておき、私の力を西国平定の一助に?

何だどうした?

信長の身に一体何があった!


「どうも孤独を感じておられるようにて」


唐突で予想外の依頼に驚愕し、思わず奴の身に何が!と取り乱してしまったが、早とちりだったか。

なになに…。

譜代の重臣が数多く失脚し、子飼いの重臣が増えてきた。

当人にとっては悪いことじゃなさそうに思えるが、諫言しない奴が増えて組織の質が下がったか?

それは分からんでもない。

しかしなあ。


「明智や細川らがおるであろう」


「主も多忙につき」


兵部は有能だが意外と頼りにされてない?

息子の方が信忠付になってたり、そっちの方に行ってしまったのかな。

明智や諏方と違ってガッツリ将軍家に沿っていた家系だものな。

実兄がこっちにいるし。


そして何処に出しても問題ないみっちゃんは使い勝手が良すぎて逆に手元に居ないことが多い、か。

理解は出来るね。


「それでも孤独、とは」


そこまで追い詰められているとは思えない。

同じ目線で話せる人間がすぐ傍に居ないとしても、どこかに誰か一人くらいは居るだろう。

正室の濃姫とか政治力に長けていたと記憶しているが。


「これはあくまでも主の推測にござりまするが」


状況証拠の積み上げが故に正確性は担保できないとのこと。

それを踏まえて推論するに、本当は私を内に抱えておきたかったのではないか。

有能な嫡男でも立場や経験の差から真に見える景色は異なる。

劣る子弟や一門衆は言うに及ばず、と。


子飼いの武将たちはどこか、信長を神格化している節がある。

若い者たちほど傾向は強いとか。


共に歩んできた者は延長線上にあるものが立身出世そのもの。

個々人で話をすれば通じるものの、理解とくれば果たしてどうか。


こういったことが積み重ねてきて、徐々に信長の心は擦り減って行った。


朝廷との関わりでも同様。

信長の妹たる於市ちゃんは近衛の姫として私に嫁いだ。

摂関家を通じて帝の意思を感じつつ、現実との齟齬を感じざるを得ない。


兵部や諏方などが頑張っていても、対処しきれない場面は多くある。

於市ちゃんも将軍の正室だ。

都にあってその意向は強く現れるが、織田家の面々が唯々諾々と従う訳でもなし。

猶子となった信忠が間に入ってようやく動きがある、という傾向にあるらしい。


…それは知らんかったな。

都方面は順調とばかり思っていたが、そうかあ…細々とした箇所では不都合も生じているのだな。

ちょっと統制を強めておかねば…。


──そんな訳で、ちょっと信長も疲れてきているのでは?

という推測を立てていたところ、西国平定における私の利用について下問があったらしい。


「日向守が聞いたか、その問いを」


「そのように伺っておりまする」


ということは、ほぼ信長の独断か。

みっちゃんが未だ私との繋がりを断っていないことを知っていて、密使を走らせた訳だ。

そして下手な人間を遣わす訳にはいかないために内蔵助が選ばれた、と。


「なるほどのう…」


筋は通っている、気がする。


信長とて人の子。

特に朝廷や有職故実に対して尊崇の念を持っていることは既知のこと。

幕府についても、問答無用に切って捨てるような苛烈さはない。

使えるものは何でも使い、使えないものは一旦脇に避けて、どうしようもない場合に限っては壊してきた。

人や場面によってはそれが苛烈に見えるだろうけど。


孤独を感じ、同じ目線に立てる者を欲するのもあり得る話だな。


「話は分かった。返事は要るか?」


「はっ!主は感触を探って参れと」


おお、言うではないか。

みっちゃんも一端の織田家重臣だな。


思わず口の端が上がるのを抑えられない。

内蔵助も分かっているだろう。

至って真面目な顔つきだが、纏う雰囲気は柔らかい。


「現時点で毛利を見捨てる選択はない。

 いよいよ誠意があれば、真意も見えてこよう」


「御意。確かに伝え申す」


うん。

今言えるのはこれくらいだ。

完全に理解できたわけじゃないし、下手に言質を与える訳にはいかない。

例えみっちゃんからの密使であってもな。

明智日向守が右大臣織田信長公の意を受けて派遣されたご使者殿だ。

何がどう転ぶか分かったものではない。


ま、次に繋がることもあるだろう。

別の面もまた可能性がある。


下がっていった内蔵助の座していた場所を見詰めつつ、考えを纏める。


いやはや、どうにも違和感を拭えない。

何かが引っかかる。


やはり全てが巧妙な罠。

駆け引きである可能性の方が高いかな。



* * *



「では帰洛の要請も?」


「あるとのことだ」


内蔵助が帰ってから二週間。

再び密使がやって来た。

今回はみっちゃんが抱える忍びの衆だった。

そりゃあ、そうそう何度も重臣を遠方に放流は出来ないよな。


二回目の遣いが語る内容は一回目とそう変わらない。

ただ抽象的だったものが少しだけ具体化し、西国を下した暁には帰洛を認めるということだった。


認めるも何も、私は自ら出てきたのだけどな。

まあ一般には追い出されたと認識されてるんだけど。

信長はちゃんと分かってると思ったがな。

もちろん単純に忘れていたり、思い違いしてるだけかもしれないが。

この辺りも違和感を拭いきれない点だなあ。


ヤレヤレ、かき乱してくれるわ。


側衆たちも難しい顔をしている。

優秀な腰巾着たるゴローちゃんも甲斐の惨状を報告してから元気がない。

若狭の本家も安穏とはしていられないらしい。


「まあ帰洛はいい。

 いずれ必ず戻ると約束した故」


於市ちゃん、可愛い娘たちと優秀な息子たち。

キリや彩といった側室たちともな。


なおアザミちゃんこと佐古殿は同道してるからカウントしないものとする。

おっと瞬間背筋がゾワリ。

なあに軽いジョークっすよ。


ともかく帰洛は絶対。

しかし問題はその方法とタイミングだ。


「現状、織田家の要請で戻ることは有り得ぬ」


前に内蔵助に伝えた内容と変わらないね。

当然と言えば当然の話だ。

陰に日向に我々は織田家の天下統一を邪魔する勢力なのだから。


本音はどうあれ毛利家は将軍を奉ってくれる。

九州や東北の諸大名も同じく。

四国と関東は少し違うけどね。


そんな彼らを見捨ててホイホイ変節する訳がない。

分かり切った現実だよ。

例え実利・名分が立ったとしても、それは変わらないね。


「しかし其処を突いてくるとは想定外ですな」


そうなのよ。

現状は変わらないけど、どういう方針転換があったのか。

それがよく分からない。

本当に転換されたのか、ただのブラフなのか。


「確認する必要があるが…方法がないのう」


行間を推理するに、密使の内容は信長の意志をみっちゃんが推測補完して伝えてくれたものだ。

ならば本音は信長以外に知る者が居ないことになる。

調べる方法がない。


「得意の果心居士殿が為されば良いではありませんか」


なんてことを宣う嫌味な奴は誰だね?


「佐古殿、此処は──」

「わたくしはアザミにございます」

「──左様か」


負けないで源兵衛!


「つまりアザミは余に直接出向けと申すか?」


「いいえ」


そんな訳ないでしょ馬鹿じゃないの?

目は口程に物を言う。

久々だなあ冷たい眼差し。


「しかし果心居士と申しても…」


「義山殿に身代わりを頼みましょう」


むっ…。

永山義山。

我が次男、義在が師事する甲賀の名人。

確かに甲賀から安土は遠くないし、頼むことが出来れば確度は上がる。


「しかし奴は金にがめついぞ?」


「裏帳簿を切り崩せば宜しいでしょう」


溜め込む財貨に意味はない。

使うべき時に使うのが善なり。

確かにそうなんだけどね。


「宗司殿、前金と成功報酬。

 総じていくらか弾いて下さい」


「雪殿、二条に伝手を。

 多羅尾衆のお手を借りる手配を」


「春治殿、熊野と安宅に話を」


「「「承知」」」


おお、話が早いなあ。

源兵衛が口を挟まないってことは問題ないのだろうけど。


何時の間にアザミは伊賀衆と甲賀衆どころか雑賀衆も手懐けたんだい?


「わたくし、公方様の女房衆ですので」


「あ、はい─」


どうやら優秀な忍び衆・アザミと有能な愛妾・佐古殿を行ったり来たりしているようだ。

源兵衛も表に出てこないなら何も言わないスタンスか。

ならいいか。


「では義山に頼むこととしよう。

 誰か異議ある者はおるか?」


側衆たちを見まわしても誰も非を唱えない。

義山が何者か知らず、近くの者に尋ねる姿は散見されたが否定的な顔は見えないな。

ま、裏の事は裏の者が適任。

そのことが周知されているようで何よりだ。


*


これで何か分かれば良いのだが。

正確なところが分からずとも、みっちゃんや兵部と符丁を交わすことも視野に入れるべきか。


うむ。

久々に伊賀佐々木、若狭武田、紀伊畠山との繋ぎを再確認するのも良い。

特に佐々木は要の一つ。

都の二条城についても、最新情報を掴んでおくべきだ。

早速指示を出すとしよう。



* * *



あれから少しの時が経過して。

色んな情報が集まって。

看過できない事情も見聞きして。


さざ波は大波となって畿内を襲う。


もう取り返しのつかない場所に立ってしまった。


「公方様、備中からの報せです」


「うむ」


備中国は高松城周辺。

小早川隆景は吉川元春と共に毛利輝元の出陣を仰ぎ、清水宗治の救援に赴いた。


高松城は清水宗治が籠城し、羽柴秀吉率いる織田家の猛攻に耐えていた。

湿地帯に立つ難攻不落の城を攻めるにあたり、しかし秀吉は奇策に出る。

水攻めである。

川に堰を築き、城の周囲に水を流し込み、湿地帯を湖のようにしてしまった。


秀吉はいよいよ終わりが近いと見て、信長に出陣を依頼したと言う。


「毛利へ文を書く。

 式部を使者に立てて毛利へ送れ」


「御意」


式部こと一色藤長を正式な将軍家の使者として毛利家の本陣に遣わす。

肝心な文の内容だが。


一、織田方との交渉においてはいかなる譲歩も不要


二、高松城の城兵は一人たりとも見捨てることなく、必ず助けること


三、いつでも追撃戦に移れるよう、準備を怠るべからず


そして最後。

 前右府が中国路を踏むことはない。よって以上三件、もれなく全うすべし。


*


御内書として式部が持参し、上意を伝える。

毛利としては寝耳に水な話も多く、激震が走ることだろう。


衝撃は大きいほど効果的だ。

あまり好ましい手管ではないが、有用な手段でもある。

この際四の五の言ってはいられない。


全力でやらせてもらうぞ。

覚悟せよ、乱世。


右大臣を辞任して無官となった信長は前右府と称されたようです。


任官していた頃は織田右府。(おだ・うふ)

辞任してからは織田前右府。(おだ・さきのうふ)


一文字違いで大きな差がありますね。


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[気になる点] いよいよ最終回が近いようですね
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