53 密約
陰謀論
ある日のこと、珍客を迎えた。
「このような姿でご無礼仕ります」
やってきた男は修道士のような恰好をしている。
私たちが切支丹を胡散臭いものと知っての発言だろう。
「良い。
また会えてうれしいぞ、筑後守」
しかし今は不問としたい。
だってまさか生きていて、会いに来てくれるとは思ってなかったから。
「ははっ」
彼の名は池田勝正。
荒木村重に係る動乱で行方知れずとなった、元摂津三守護の一人だ。
「洗礼を受けたのか」
「申し訳ありませぬ。
我が身には必要な事でした」
詳しい話を聞くに、義継君の配下である河内衆・三箇頼照に匿われていたらしい。
そこで切支丹である彼らに誘われミサに参加。
思うところあって入信しようと思ったのだとか。
洗礼名はジョアン。
まあ私がその名で呼ぶことはないだろう。
「余は伴天連どもを信用してはおらぬ。
だが宗派ごと切り捨てるつもりもない。
お主が信じた道を行くことを止めはせぬよ」
「有難きお言葉…」
切支丹になったことに後ろめたさを感じているようだったので、大丈夫だぜと言っておく。
実際ね、困った奴は多いが個々人が信じる道を否定するつもりもないのだ。
政治的に如何ともし難くなれば禁止することもあるだろうがな。
さて、もう良い歳の勝正は静かに暮らすのが望みらしい。
それでも出てきたのは思い残すことがあったから。
しかし最早自力で動くのは難しい。
そこで──。
「こちらが嫡子の八郎。
そして次男の三郎にございます」
いかにも働き盛りといった二人の息子を紹介された。
嫡男が八郎直正。
次男は三郎勝恒と言うらしい。
「出来ますれば我が嫡子を御側に控えさせたく」
そして嫡男を出仕させるという。
次男は自分の側に置いて補佐やら実動に使うらしい。
ついでに嫡男は洗礼を受けてはいないようだ。
なるほどねえ。
「良い、其方の願い聞き入れよう」
「有難き幸せ」
一連のやり取りは様式美の面もある。
実は側衆たちにより、事前に折衝したうえでの応対なのだ。
だが直に対面するとやはり違うな。
特に勝正は何かと幕府の為に尽力してくれた。
利益供与が十分だったとは限らないにも関わらずだ。
それが摂津動乱の挙句、行方が分からなくなっていたから尚更な…。
彼の一族一党の一部も引き取っていたし、感動の再会もあったんじゃないかな。
その縁を頼ってやってきたという面もある事だし。
平伏する勝正とその息子たち。
既に孫もいる勝正だが、余生は三箇領で過ごすようだ。
うん、義継君の足元なら大丈夫だろう。
正直なところ、池田家が摂津に返り咲くことは難しいとは思う。
しかし流浪を経て陪臣となり、次代が将軍の直臣に戻ることが叶った。
ならば傾いた家運を取り戻すことも不可能ではないだろう。
不屈の勝正を見てきた息子たちだ。
その矜持と意思を強く持って、今後も前向きに働いてくれることを期待したい。
* * *
「さて、池田が言う情報について協議したい」
「では某から」
勝正は色んな勢力の、色んな後ろ暗い情報を提供してくれた。
側衆に取り立てた直正も実地で見聞きしたことから噂話まで、素直に話してくれた。
こいらが知ってることもあれば知らないこともある。
判明して納得したこともあり、知ってしまってありゃーと思った事案も多々あった。
さてさて、何が本当でどこまで真実であることやら?
伝聞には紛れがあるので恐ろしい。
「まず伴天連どもの宗派に対する熱は個々人による、というのは相違ございません。
一向宗や日蓮宗をはじめ、日ノ本の僧や神官たちとそう大きく異なることはないのでしょう」
国や文化、色や言葉が違ってもそこは同じ人間。
俯瞰すれば大差はない、か。
「教義に対する情熱。
何処に重きを置くのか。
親疎の境を何とするかによるのだろう」
古の鑑真僧正のような、真に伝道師たる者もいれば、無粋な尖兵や物見たる者もいる。
その区別を教義や宗派で分けることが出来ないのが問題だよなあ。
数ヶ月もの船旅を経て来訪するような情熱を持った人間が、過激な思想に走るのも分からんではない。
しかし是非とも徹頭徹尾穏当にあって欲しいものだ。
今のところ難しいだろうが。
国益。
衣食足りて礼節を知る。
大陸や南蛮で見ても日ノ本で見ても同じこと。
やはりまずは戦を無くし、平和な世にすることからだな。
「次にその性格。
大名や国人衆が特定の宗教と合一し、策を弄し戦を行うものと大差ありません」
強いて違いを上げるなら排撃性の多寡か。
その点も一向宗や日蓮宗の法華一揆衆とさしたる差はない。
根付き具合が異なるだけで。
一向一揆衆は大名の統制を受けないが、切支丹は大名をも統制する。
単純な数という戦力ではなく、南蛮渡来の最新武具や戦術があるからな。
あ、思い出した。
伴天連の教えに帰依した肥前大村。
切支丹に傾倒する余り、祖霊を祭った菩提寺から墓まで破壊してまわったとか。
これは見過ごせない。
龍造寺を使って掣肘させてみたが、余り上手くはいっておらぬようだった。
対大友勢力への働きかけには使えたようだが。
最近の豊後大友は英彦山を焼き討ちしたりと、ちょっとおいたが過ぎるからの。
織田に誼を通じてるせいで朝廷工作が上手くいかんのがもどかしい。
祖霊を祭らないということは伝来の土地にこだわらないともとれる。
何処に居ても変わらんということだろう?
いずれ、機を見てその辺りを突いてやろう。
…おっと小心者の気が出たか。
いかんいかん。
ちゃんと広い視野を持ち続けなければ!
「話を絞りまする。
推察される伴天連どもの目的は日ノ本の軍備。
南蛮の王は神の代理人を称しており、その威光を世の全てに行き渡らせることを標榜しております。
貿易による利もさることながら、視線の先には大陸の制覇があるものと」
大陸、即ち明国。
聞いた話でしかないが、大地は広く民の数も膨大だとか。
ということは市場価値も高いのだろう。
現在の明は海禁、つまり鎖国状態。
朝貢貿易も回数を絞っていると聞く。
密貿易で潤う大名が多数いることから、それが万全でないのは明らかだが。
足利幕府も勘合符を使った貿易を行っていた。
経済に目を向けた当時の慧眼は素晴らしいものがある。
それも既に幕府の統制下にはないがな…。
おっと煤けている場合じゃない。
まあともかく。
明国という一大マーケットを得るために、日ノ本を橋頭保にしたいと言う事だろう。
「そして、神の尖兵と称して先陣を務めるのが切支丹となった大名たちにございます」
今は大名たちへの洗礼と領民への布教活動を行っている。
その集大成は日本を切支丹国家として仕上げること。
目標は明国への出兵だ。
「危険だな」
「御意」
そういう話がある、というだけでも十分危険だよ。
ホント、どうしたものか。
「なお口に出すのも憚られることですが──」
まだあるのかい。
* * *
一息入れよう。
考えることが多すぎてとても疲れる。
「ほうじ茶です」
「うむ、すまんの」
宗教関係のアレコレはアザミちゃんとは関係がない。
彼女は神仏に祈りこそすれ縋りはしない。
千歳丸──義高を送り出すと決めた後も無事を祈った程度だ。
伊賀衆は雑賀衆と違って現実主義者が多い。
厳しい山地に拠るもののせいかな。
代わりに山岳信仰といった自然の恵みや畏れを敬う気持ちを大事にしている。
キリなどは甲賀衆としてか知らんが、寺社関係を重視してる節がある。
雑賀衆と根来衆は言わずもがな。
まあそんな訳で佐古殿として神仏へ参る以外、普段のアザミちゃんは気にしてない。
だからこういう時、凄く安らぐんだなあ。
白湯でも良かったが、ほうじ茶を頂けるとは望外の贅沢。
どちらにしても湯を沸かす以上、燃料は使う。
ここは我が身に許される贅沢を堪能したい。
「長引いておりますね」
「うむ、闇も根も深い。
…困ったものだ」
「肩をお揉みましょう」
はぅぁー。
ほうじ茶を啜りながら愛妾に肩を揉まれる幸せ。
こないだついカッとなって致してしまったが、まさか出来てはないだろうな。
なんて取り留めもないことを思うこと暫し。
うん、良い…。
「もういいぞ。大分楽になったわ」
「それはようございました」
んー…。
「ちょっと独り言に付き合ってくれぬか」
頭で考えると堂々巡りになりやすい。
声に出したいところだが、誰かに誤解を与えるのも怖い。
なら理解ある愛妾を侍らせながら独り言をするのが一番かな。
「承知しました。
九州のことでしょうか」
「ああ、うん。
龍造寺と島津を切支丹対策に使いたい。
特に龍造寺は長崎を抑え得る立場にある」
「長崎は大村が寄進したと聞きました」
「天然の良港という触れ込みでな、今は街づくりが盛んらしい」
「港…と言えば、島津は貿易に熱心とか」
「左様。
故に確り踏み込むか確信が持てぬ」
肥前北部は反切支丹を明確に打ち出す龍造寺が領す。
中南部に大村、有馬という過激派がいる。
特に大村は明確に傾倒しており、大変宜しくない。
先程追加で出てきた爆弾のことを考えると尚更許しがたい。
しかし所詮は推測の域を出ない。
可能性はなくはないと思うが、実行する程この地のことを良く知るとも思えない。
であれば脅し文句と考えるのが現実的か。
「島津は大友への抑えに、阿蘇や相良も使えよう」
「肥後は未だ大友の力が強いようですが」
「そこに龍造寺の力が及べば三点繋がる」
「しかし筑前に向かうのでは?」
そこなんだよな。
普通に考えれば。肥後より筑前の方がうま味がある。
筑後を平定した龍造寺なら二面作戦も不可能ではないだろうが…。
既に秋月が筑紫らと共に反大友で一致しているとも聞くし。
ただ秋月と言えば、当主は入信してないが切支丹の布教は許していると聞いた覚えがある。
今のところ政治的スタンスは私と合う気がしないでもない。
一度会って話してみたいものだ。
まあそれもまずは龍造寺か。
しかし──。
「あまりうるさく口を出すのもな。
背中を押す形であれば今後の為にもなる」
「都へも誼を通じているようですが」
それはそれ、これはこれ。
事後のことなら何とかなる──はず。
「本来なら一度下向して直接話をしたいところだが」
「御止め下さいませ」
「分かっておる。
流石に土地勘もない故な」
そういうことじゃねえよ──と目は口程に物を言う。
でも口にしないのはアザミちゃんの優しさか。
ちょこっとだけど四国にも渡ったし、九州にも行ってみたいんだけどね。
尊氏公の時代とも違う今や魔境のようなもの。
無理することは出来ない。
行ってみたいと言えば関東から陸奥もだなあ。
特に奥羽は斯波系と北畠系が多い。
土地勘はないけど人脈は案外あるもんだ。
いずれ、全国行脚はやってみたいわ。
その点、真面目な宗教家たちはフットワーク軽く全国回ってそうだよな。
古の行基和尚など、日ノ本各地に足跡がある。
肖りたいものだ。
段々アザミちゃんの視線が厳しくなってきた。
ま、まあ?
四国は平島に任せて安心。
九州も英彦山や晴気千葉介らの修験者との繋ぎを持っている。
関東には同族がいるし、陸奥はそのうちな!
妄想は程々にして地に足を付けた思考を為さないと。
「都と言えば、近衛太閤の…進藤だったか」
最後にぶっこまれた特大の爆弾。
爆発したらシャレにならんレベルの災害になるであろうアレ。
現実味はないが、冗談と流すのも怖い。
近衛家に仕える家令の一族で、陰日向に主を支える忠臣のようだった。
「あれは影働きを知る者です」
アザミちゃんが断言するように、普通の家令ではない。
いわゆる密使というやつだろう。
凄腕だろうと私も感じた。
「まあ弾正忠は勤皇家だ。
今のところ心配はなかろう」
進藤何某が語った爆弾は伴天連たちの陰謀。
切支丹となった大名たちとの密約。
その全貌。
それを何でお前らが知っているのかという話になる。
朝廷にも切支丹と通じる者がチラホラ出ている。
気になって調べたんだろうね。
そしてら出てきた陰謀の影。
真偽のほどは分からないと言っていたが、真偽に関してはどちらでもいいんだろう。
問題はそんな噂が見え隠れするという事実だ。
先例主義の朝廷は新しいことを忌避する傾向がある、と言われるが案外そうでもない。
南蛮渡来の珍品や酒などが献上されても突き返すことはない。
有難く受け取っている。
物品と行動は違うということかも知れないが。
ともかく、そんな話があるから気を付けろよと言われた訳だ。
遠回しに。
「正気の沙汰とは思えませんが」
「まあそうだな。
だが誰かと話せば道は見える。
助かったぞ」
どう考えてもあり得ないような内容。
しかし何かの切欠にはなるだろうし、実際に意味はあった。
陰謀論でも名分にはなる。
考えれば考える程に有り得ない。
よもや切支丹が国を飲み込み王道楽土を建設。
頂点に立つのは彼らが認めた伴天連たち。
そこに朝廷の居場所はない。
…なんて、な。
陰謀の論説や陰の暴論など。
切支丹黒幕説。
どういった切り口かにもよりますが、以前より提唱されていたもの。
中でも最近、ちょっと面白い視点での説を見たので参考にしました。
こういう話は矛盾を感じさせない論法が出来れば無敵になります。
大変難しい。