50 接近
荒木家の滅亡後、大人しく従った大名や国人衆は概ね本領安堵。
一部減封や左遷された者もいはしたが、虱潰しような殲滅戦は行われなかった。
これは織田家が摂津の安定化を優先したためと考えられる。
摂津が平定され、備前が靡き、間の播磨は時間の問題。
頼みの綱である毛利家は備前を気にして動きが鈍い。
活発なのは山陰と瀬戸内くらいのもの。
とは言え山陰にも織田家の手が伸び、瀬戸内は淡路に魔の手が迫る。
瀬戸内航路が安定しないと備後は鞆の、流れ公方としても大変困る。
よって毛利の要請もあって各地へのお手紙外交を活性化。
あと忍び衆との手合が増えた。
私事として自分から頼んでやってると思うだろう。
しかし実は違う。
アザミちゃんと源兵衛指南のもとでの徹底的な扱き。
そう、私があまりにも傍若無人に振舞うものだから──。
「徹底的に御身へ刻み込む、そう申し合いました」
…とのことだ。
留めるのが難しいならば、いっそ身体に教え込んでしまえ!
なんて、堪忍袋の緒が切れるってこういうことを言うんだろうね。
都の於市ちゃんからも、静かな怒りを湛えたお手紙を頂戴しちまった。
おのれ信忠、チクりとは…しっかり息子しおってからに。
身から出た錆とはこのことよ。
なお、絞られてるのは式部も一緒。
私より年上だからキツイと思うんだけどね、しっかり鍛えてるせいか根を上げない。
伊達に長年外交官やってないな。
よく動くわ。
望月の使いらも驚いていた。
雲慶は早々に離れて巻き込み回避。
きっと平島の義任に面白可笑しく報告していることだろう。
我が日常はそんな感じだが、ちょっと世鬼には見せられない。
流れ公方の名に懸けて!
ま、この辺は宗司らが上手く対処してくれるはずだ。
*
さて荒木家は滅亡したのだが、肝心の村重はどうなったのか?
あれだけ籠城を貫いたうえでの逃走は図れまい。
とみせかけて自分だけしっかり逃げ延びたありえん奴。
嫡男と共に海路毛利を頼って落ち延びた。
毛利としても表向き労ったが、内心軽蔑しきっているだろう。
当人たちも居心地が悪かろうが同情は出来ない。
変なところで暴発したせいで色んな人が迷惑を被った。
奴の勢力圏では根切り・皆殺しの憂き目にあった場所すらある。
なのに当主は降服するでもなく、落ち延びて生きさらばえているとか。
捲土重来を期すとかそんなレベルじゃないぞ。
完全に自分のみが助かる事に特化した逃避行だったと聞く。
おいおいマジかよ。
仮にも戦国大名が…。
などとキレてみるが、生きてなんぼの世界ではあるからな。
御家存続が望めないなら逃げるのもまた一手。
しかしやはり、個人的には女子供や家臣たちを置いて逃げ去ったのは許容できない。
可能な限り保護出来たと知っていても、思い返すだけで腸が煮えくり返る。
私だって於市ちゃんらを都に置いて落ちたけど、手当はちゃんとやってきた。
幕府守護の彼らも対応について抜かりはない。
などと息巻いてみたところで私に出来ることなどない。
せいぜい裏取りを継続させる程度。
暗殺の手配くらいなら可能だけど、意味はないしやりたくもない。
やはり放置しかないか。
はー…っ
切り替えは大事だよな、うん。
* * *
妙な噂を聞いた。
「毛利が織田と接触を?」
毛利家と織田家は山陰と山陽で激しく対立している。
今は播磨で一進一退の状況だ。
なお、言葉を飾らず述べるなら敗色濃厚である。
播磨を抜かれると、備前美作の宇喜多は織田についた。
備中への侵食開始も時間の問題となる。
もっとも但馬や因幡との兼ね合いもあり、逆転の目もあるしすぐさまの可能性は低いのだが。
いずれにしても直接領地への侵攻が始まるのは避けたい毛利。
必死で播磨の親毛利勢力を支えている。
そんなところに織田家との接触を持っているとの噂。
基本的に、敵対してても接触が完全に途切れるなんてことは早々ない。
じゃないと和睦やなんやの交渉も出来ないからな。
だから接触すること自体は、それほど変なことではないのだが…?
「小早川家中の者と羽柴の手の者が密かに…。
まるで他者を憚るかのような接触を持っておる様子。
少なくとも我らは知りませぬし、それぞれの主家も知らぬのではないかと思われます」
「怪しいと言えば怪しい…、といったところか」
報告してくれた者も、気にはなるけど確信は持てない。
そんな感じ。
接触するのは良い。
上に知らせず現場の当事者同士のみで話し合うのもグレー。
問題は内容だ。
「一体何を話し、交換しているのだろうな」
一歩間違えれば利敵行為。
粛清対象にすらなり得る。
そんなリスクを冒してまで行う価値のある会合か。
「ふむ、気になるの」
接触自体は事実。
交渉テーブルの調整を行っているのでは?という疑惑が噂。
…よし。
「気付かれぬよう追え」
「承知」
此処は勘所。
私の魂が何かあると告げている。
こういう勘には従っておくべきだ。
常とは異なり確り申し付ける。
すると、心なしか普段よりも力強く請け負ってくれた。
既に何かを感じ取っていたのかも知れないな。
さてさて、と…。
「助右衛門!兵部に繋ぎを」
* * *
兵部こと細川藤孝。
官位が従五位下・兵部大輔だから通称兵部。
謹厳実直な幕臣で硬軟織り交ぜた話術を展開することが出来る。
一言で表すなら超有能。
今では立派な織田家の重臣。
似たような境遇のみっちゃんの娘を嫁に貰い、彼らは親戚となった。
同じ有能同士でも戦術に関しては一歩劣るかな。
有職故実に重きを置いて、幅広い人脈を生かして差別化を図ってる感じとも。
そんな訳で兵部は織田家の重臣で、さらに京足利家の後見役も務めている。
では京足利家とはどういった組織だろうか。
頂点に立つのは足利嫡流、我が子の千尋丸。
まだ幼いので実権は於市ちゃん、または城代で義兄の信忠が握る。
織田家の人間が上にいるということは、当然信長の意向が反映される。
信忠は信長の嫡男だしね。
しかし実はこの組織、幕府ではない。
如何に幕府のような働きをして、幕臣たる人材を抱えていたとしても、あくまで幕府は将軍とその直臣が常駐し、働く備後鞆の浦にあるものを指すのだ。
実際は名と実、どちらに重きを置くかの違いでしかない。
当代と次代に分立するなんて前例はいくらでもあるし。
それに別の組織と言いつつ、影に日向に交流は保持。
すると発給文書は二種類が存在することとなった。
幕府の正式な判があるものと、ないけど織田家の添状が付いて実効力を持っているもの。
まあ効力はほぼ同じだ。
しかも内容は被らないよう調整されている。
もちろん完全には不可能だがな。
その場合は実効支配力がモノを言う。
つまり地域によるってことさ。
こういった微調整の管轄長官が兵部なのだ。
将軍家との繋がりは太いまま。
みっちゃんとの違いはこんなところにも。
それでいて、都を中心に活動する兵部の心は次第に織田家寄りに…。
実力こそがモノを言う時代。
力を持ち、己の力を振るわせてくれる存在はやはり大きい。
与えた密命を確りこなす。
やはり兵部は見込み通りに超有能。
もし私が今より矮小で、力を持たない存在だったなら。
到底このような関係は築けず、本当に心は離れてしまっていただろう。
仮の想像ながら思わず身震いしてしまう。
うむ、やはり日々の研鑽は必須だ…っ。
さて自分に喝を入れたところで本題。
兵部と繋ぎをとったのは大事な役目を頼むため。
織田家の中にある色んな派閥、そのどれとも接触できる強い糸。
京足利家を良く思わない派閥は案外少ない。
理由は於市ちゃん。
美人で性格も悪くない主君の妹を嫌う者は少ないという論理かね。
一方で外様衆や織田家を第一にと強く望む者は思うところもある様子。
その辺も含めてしっかり探って欲しい。
本命は羽柴と黒田。
対抗に丹羽と蜂屋。
穴で稲葉。
信忠が軍務大臣みたいな感じで忙しそうなので、それを手伝う感じでお願いしたい。
別ルートで信意や信澄といった流れとの確認もしておきたいな。
これはみっちゃんの方がメインになるか。
うーん、この黒幕が暗躍する感じ。
ワクワクするね。
実際の黒幕は私じゃなくて黒田あたりなんじゃないかと張っている訳だが。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
何が出て来るものかね。
長期的に炙り出してみよう。
* * *
「公方様、お人払いを」
色々指示を出して少し疲れたある日。
式部がわざわざ請うてやって来た。
何か嫌な予感。
「如何した」
「紀州が降服するとのことです」
「何!?」
寝耳に水だ。
予定ではもう少し粘って、徐々に引き入れる手筈だったはず。
何かあったのだろうか。
いや待て。
式部が妙に落ち着いている。
ここは詳しい話を聞くべきだ。
「詳しく聞かせよ」
「御意」
紀伊の守護職を務める畠山家は長年織田家と渡り合ってきたが、ここ最近は干戈を交えるよりも交渉の場面が増加している。
毛利の水軍が押し込まれてるのも理由の一つ。
兵站の当てがあるかないかは大きく違う。
織田家側は河内三好家、大和松永家、伊勢北畠家と伊賀佐々木家などが主体となって抑え込みを図っていた。
多かれ少なかれこちらとの縁を持つ家々。
確かに潰し合うのは得策じゃない。
馴れ合いでやるのも限度があるし。
そういう意味では一旦リセットをかけると言うのも分からんではない。
しかも最大戦力ともいえる雑賀衆は、強く結びついた本願寺が織田家と和睦したことで、戦う意義を見失いかけていた。
顕如の件もある。
なるほど納得。
…で、どうするんだ?
「状況は理解した、已むを得まいな」
「御意、已むを得ますまい」
私の言葉に深く頷く式部。
しかし薄く笑みを湛えている。
むむむ、どっちだ。
既に対処方が確定してるが故の、余裕の笑みなのか。
外交官としてのポーカーフェイスなのか。
まだ読めん、この義昭の目をもってしても!
「しかし計画にズレが生じてしまうな」
嘆息すると再び頷く式部。
表情は変わらない。
微笑みが上手いな…いや、これは素か?
私も多少は気配を読めるのだが、特に不穏さは感じ取れない。
「誠、公方様の御深謀には感じ入るばかりにて」
「うむ…?」
え、何が?
「雑賀のことは引き続きお任せ下さい」
「う、うむ」
いやまあ雑賀を始め、紀州の事は包括的に任せている。
それを改めるつもりはないんだけども。
むしろ深謀って何。
「詳細を詰めた後、またご報告に上がります」
ではこれにて──なんて、颯爽と下がっていく式部を黙って見送る。
*
本当は引き留めてちゃんと聞くべきなんだ。
分かってるけどちょっと困惑しちゃって…。
でもまた来るらしいから、その時ちゃんと聞けばいいか。
などと自分に言い訳を。
ああ、嫌な予感はこれかー。
紀州降服自体じゃない。
これも十分ショックを受けのだが、周囲は、少なくとも式部はそれほど衝撃的ではなかったようで。
むしろ私の智謀を褒め称える始末。
そっちの方が余程衝撃なんだけど。
昔から偶にある。
自分の思惑を飛び越えて、何故か良い結果に繋がる道筋がついてしまうという事態。
謀略を良くする黒幕然とする、私としては否定も出来ず、しかし積極的な肯定もやりにくい。
敢えて波風立てることでもないしなあ。
悩ましいが、結局は偶々サイコロの出目が良かっただけ。
それを後出しじゃんけんで良いように言い繕うだけだ。
深慮遠謀はカリスマとの相性が良い故に。
いやホント、どうしてこうなった。
……。
いや、悩む所は其処じゃない。
状況整理が必要だ。
紀州が降服。
雑賀は式部が請け負う。
紀伊畠山の当主は昭高で、雑賀衆からの報告は未だない。
ふむ?
これおかしいよな。
普通に考えたら雑賀衆から急報が入るはず。
続いて昭高から使者が来て、という流れが正当。
第一報が式部というのは…雑賀衆と紀伊方面の担当だから。
取り纏めて人払いして報告するのはおかしくない。
あれ、おかしくないな…。
うん、分からん。
私は未だ混乱の最中にいるようだ。
こんな状況で一人黙考したところで何も浮かばないのは間違いない。
助けてアザミちゃん!
毛利家、畠山家が水面下で織田家に接近。
東でも武田家、北条家がこれまでと違った動き見せ始める。
いよいよ天下は定まろうという兆しだろうか。
しかし、そこに立ちはだかる者がいた。
一体その者の正体とは…!?
※次回予告ではありません。
一色式部少輔藤長
極めて標準的な官僚武将で優秀な凡人。
立場は人を強くするを文字通り体現している。
秘めたる才能は特にない。