49 黙認
摂津荒木家滅亡。
展開が早い!
いや、実際瞬く間に転がってしまったのだから仕方がない。
この間、一年も経ってないのに怒涛の勢いだった。
正直あまり楽しい話ではないが、無視する訳にもいかないので頑張って整理しよう。
*
思い返すのは摂津へのお忍び旅行を断念した頃だ。
市平率いる伊賀衆の完全武装集団は昭英に扮した私を止めに来たと言ったが、やはりそれだけではなかった。
「弥四郎殿を警護がてら随行、勧修寺を追います」
つまり丹後と播磨へ飛ぶわけだ。
但馬経由で丹後から若狭と丹波。
播磨からは摂津を通って都まで。
そんな行程。
具体的な目的は教えてくれなかった。
「源兵衛か佐古殿にお聞き下されませ」
とのことだったが、流石にアザミちゃんに聞くのは憚られた。
ついでとはいえ、伊賀衆きっての腕利き武装集団に私の連れ戻しを頼んだのは事実。
謝罪から流れで話に持っていくのは無理だろ。
「分かった、気を付けてな」
「御言葉有難く。では宗司殿、後は宜しく」
「承った」
そして現れる連行役。
全く信用されていない!?
「御身の安全が第一にござれば」
まだ敷地内なんだけど…。
「御身の安全が第一にござれば」
やはり連行役か!
「御身の安全が第一にござれば」
…さ、行こうかの。
歩き出すと一切の迷いなく愛妾様の部屋へと促された。
うん、いいよ覚悟完了。
──っていう。
いや、アザミちゃんにしこたま怒られたのは置いておいてだな。
大事なのは伊賀衆の腕利きが丹後と播磨に行ったということだ。
報告は随時来てるけど、腕利きが派遣されるとなるとまた変わってくる。
この場合の腕利きってのは戦闘も辞さない、遅れをとらない者達という意味。
有事か変事が起きてるか、又は起きる可能性が高いことを示唆している。
丹後と播磨、というより丹波と摂津だろうな。
後で源兵衛に聞いたら無言で肯定された。
でも詳細は教えてくれなかった。
小姓たちがいたからかな?
でも「公方様の予想通りとなりましたな」って感嘆された。
どゆことー?
とは言えない雰囲気の中、鷹揚に頷いておいた。
ああ、小市民。
寝所でアザミちゃんに慰めてもらったのは完全な余談である。
結果的に御機嫌取りにもなったのは嬉しい誤算だったが。
* * *
当時の私は知らなかったが、備前で激しいせめぎ合いがあったらしい。
世鬼と組んだ配下の忍び衆が苦戦する相手は宇喜多の手の者。
宇喜多が羽柴と手を組み、丹羽・坂井・神戸からなる組下連合がぶつかったと。
痛み分けに終わったと言うが、実質的には撤退したこちらの負け。
でもちゃんと情報は持ち帰ったから価値ある敗北だ。
それは衆目の一致するところ。
だから恥じるな、次に活かせ!ってね。
それに、激しい攻防があるとそちらに目が行きがちだ。
別途、平島という搦め手からの通報もあった。
意外な事だが見事な連携に好感する。
その時の雲慶は見た顔の者だったな…。
三好の一部が羽柴に接近したことで彼の主が不快に感じた。
そこで義任の裁量でやってきた、とのことだった。
いやはや、何が切っ掛けになるか分からんもんである。
ともあれ備前宇喜多は織田家の、羽柴の協力者としての立場を明らかにした。
正式に降ったのかはまだ分からん。
だからか播磨の毛利方は少し動揺したが、そこに摂津荒木の動きが追撃。
荒木家は旧主池田家の影響力をざっくり排除。
血縁すら騙し討ちに処断する大規模な粛清があったらしい。
進退窮まった池田一族は荒木や織田の配下に降り、一部は我らに助けを求めてきた。
その彼らから入手した情報は有益だったが、真偽のほどを確かめるのに時間を要する。
やむを得ないことながら、少し出遅れた感はあったな。
池田勝正の係累もいたのでそちらは摂津で活動を推奨。
他は播磨に引き取った。
粛清に怯えていたからな、喜んで退去を受入れたよ。
播磨は播磨で戦乱の途にある。
それでも毛利の影響力が強く、別所や小寺など勢力として毛利方が多い。
まだ安心なんだろうな。
とりあえず外峯に世話させている。
アイツ、羽柴に仕官したらしい。
改易追放された後、まあまあ苦労もしたから粗忽さも目立たなくなっている。
もはや武芸一貫でどうにかなる年齢でもないしな。
係累の少ない成り上がりの家ではそれなりに使える人材なんだろう。
上手いこと拾われたと。
今は目立たず大人しいところが安牌だ。
*
外峯のことは良いとしよう。
元気にしてるのを重政に報せはしたが、喜んだかどうかは闇の中。
旧主池田一族を粛清して統制を図った荒木村重だったが、意図に反して家中は混乱。
正確には組下の摂津衆に動揺が走った。
まあ当然だよ。
粛清は危険な一手。
誰だって分かっているが、焦りが出たか。
で、仲裁だか説得だかのために荒木家に留まっていた黒田孝高がしゃしゃり出てきた。
どこからどこまで奴の手の内だったのかは分からんが…。
或いは全部だったのかもな。
後になってそう思う。
──黒田は毛利に付く愚を懇々と諭し、今なら羽柴の殿が必ず力になってくれると強く推した。
荒木は黒田と古くから親交があったらしいが、それでも説得に応じず。
むしろ彼を幽閉する挙に出た。
殺さないだけ感謝せよ。
終わったら出してる、運が良ければ生き延びるだろう──。
なんてうたわれているが、半分以上嘘じゃないかな?
旧交があったのは事実みたいだが、織田に降るよう説諭したのも策の一環だったようだし。
幽閉も…土牢に入れられたのは影武者で、本人は座敷牢に入ったという証言もある。
この辺りはまだ不明瞭な部分。
荒木家に仕込んでいた者たちが戻ってくれば、後々詳細も分かってくるだろう。
嫌な予感はしてるがな。
こんな感じで人心の離れた荒木家は孤立。
一族や与力などからも離反者が続出。
荒木家は少しずつ勢力を減らし、織田家に追い詰められていく。
やがて支えきれなくなった村重は城を脱出。
嫡男と一部の重臣だけを伴った逃避行。
家臣どころか己の妻や側室を含む女子供を置き去ってのことだった。
なんて卑劣な奴なんだ!
報告を聞くや脇息を叩いて憤怒した私を皆が見詰めていた。
その目が何というか、印象的でね。
悪い意味ではないけど嬉しくはない。
気恥ずかしいというか…。
そこで源兵衛が左京進からの言伝をくれてね。
曰く、女子供は可能な限り保護したと。
他も根回しは済んでいたと。
そうか、流石は我が臣じゃ!
なんてことないかのように、鷹揚に応じたつもりだが…。
周囲の目がね、優しいの何の。
もう顔が赤くなってないか心配でならんかったわ。
と言う訳で私の心に大きなダメージを残して、摂津荒木家は滅亡しましたとさ。
色んな意味で楽しくない。
ちなみに黒田は織田家によって救出されたが、片足に障害が残ったらしい。
…ということはやはり土牢だったのか?
と思うのはやや早計。
座敷牢でも長居すれば萎えもする。
まだ分からんな。
真に策を弄する者は押し並べて、我が身可愛さとは無縁であることが多いが故に。
* * *
「久しいの、三位殿」
「…何故、貴方が此処に」
播磨の国は明石の辺り。
織田家を率いる若き武将の前には、身形潔…要するに私がいる。
摂津がある程度落ち着きを見せた頃、織田信忠を主将とする遠征軍が播磨に入るとの情報が舞い込んだ。
それを知った私は素早く反応。
海路で現地入りするや、協力者のもとに合流。
次機を窺い、こうして休息をとる仮屋敷で信忠との対面を果たしたのだった。
「全く…手引きしたのは多羅尾か?」
「源五殿と山中殿には日頃から御世話になっておりましてな」
「山中?…いや、それよりもまさか…」
愕然とする信忠にニコニコ笑顔をお届けするよ。
源五さんは彼の叔父にあたる人。
今のところ特段の武功も失点もない。
どうやら茶の湯に興味があるらしく、堺に入り浸りで急接近。
信意のこともある。
仲良くしてて損はない人だ。
「…ふう、相も変わらずの御様子。
私も今更細かいことは言いますまい。
されど、言葉遣いはお願い致します」
「分かってくれて嬉しいぞ、我が息子よ」
ニコニコ無言で答えていると、納得したのか諦めたのか。
肩の力を抜いて懐かしい笑顔を見せてくれた。
そこから始まる四方山話。
どれをとってもどうでも良さそうで大事なお話。
やれ都の様子はどうだ。
やれ甲斐の姫とはどうか。
やれ女心を掴む秘訣は、贈り物は櫛も悪くないが反物も良い、そして房中の秘術について…などなど。
「都の義母上も、口にせぬも心配そうなご様子。
姫たちや千尋丸様とも会えておられぬでしょう」
於市ちゃんがね。
やはり手紙だけでは不十分。
ないよりはマシだろうけど、中々ねえ。
「流石に京は遠いからの」
お忍びで行くにしてもちょっとキツイ。
今回も信忠が播磨まで出張って来たから会いに来れたのだ。
摂津以西は相当頑張らないと無理だろう。
「左様ですな。
私からそれとなく伝えておきましょう」
「すまんな、頼むぞ」
やはり出来た息子だ。
猶子にして良かった。
何なら養子でも良かった。
政治的な思惑で解消されてない猶子案件だが、私としては手放したくない。
ちなみに源五こと長益が黙認するのも、私との義親子関係があるからだ。
信忠も本心から嫌がってないと知ってるのもある。
何よりも織田家を裏切ってる訳ではないという事実が大きい。
利益供与とのバランスが大事なんだな。
この辺の事情を信長が知ってるかどうかは分からない。
或いは認識しているかもしれないが、こちらも黙認されているのかもな。
可能なら信長とも腹を割って話し合いをしてみたいものだが。
一度失敗してるからな、もう難しい。
策も、動き出してしまった。
*
「時に、…義父上様」
信忠は少し躊躇い、私を父と呼んだ。
織田との関係がおかしくなる前も、普段は公方様と尊称していた真面目な息子がだ。
「なんだ息子よ」
だから私は敢えて何時も通りに対応する。
「道中は如何なる…?」
「件の多羅尾がな、上洛ついでに」
今回旅路のコーディネーターは左京進。
連絡がてら上洛ついでに現地入り。
帰りは交代要員が来る手筈になっている。
「なるほど」
小さく頷きながら何事か考えを巡らせている。
何だ?
「実は私のもとに望月なる者がおるのですが」
ほう、望月。
甲賀の忍び衆にも一族がいるな。
「甲賀衆か?」
「いえ、信濃の出と」
信濃?
信濃の望月って…。
あ、ダメだ。
ちゃんと知ってそうな影がいない。
せめて左京進がいればなあ。
「甲賀望月の係累かの」
「本家にあたると聞いております」
それで、と切り出された内容に思わず絶句した。
簡単にまとめるとこうだ。
まず、信忠の正室となる武田の松姫には一定数の従者が必要。
そこで信濃望月の一党からも選出されたのだが、そのうち数名が先行して着任。
彼らの目的の一つに流れ公方との仲介があり、頼まれたそれは政治的にも何かと悩ましい。
決めかねて、とりあえず此処まで連れてきたところに、まさかの本人登場。
ここはひとつ、オフレコで会ってみてくれないか──と。
*
優秀な息子が深く悩んだ末に出した結論。
会って欲しいというならそうしようと思い、オフレコで場を設けた。
信忠臨席のもと、果心居士と自己紹介した上で。
向こうはかなり吃驚していたな。
まあ話をしたら結構面白いこともあったし、会ってみて良かったと思う。
今後の為、二人ばかりを繋ぎとして持ち帰ることに。
そしてあっという間に帰らねばならぬ刻限となってしまった。
いやあ、中々に実りある会談になったな。
短いながらも自慢の息子と直に話が出来て良かったよ。
「それではの、壮健であれ」
「はい。佐古様に宜しく」
別れ際に囁かれた信忠の一言が妙に突き刺さる。
彼女には黙って出てきた。
当然叱られるのは覚悟の上だ。
式部には話を通してある。
きっと一緒になって叱られてくれるはずだ。
黙認した皆も一緒に叱られるといいさ。
今頃真っ最中かもしれないが。
不安を胸に帰路につく。
そして思うのは──。
滅亡した荒木の処分と諸方の行方。
これを元手に確り話し合わなければならない。
やはり羽柴と黒田は要注意だな。
毛利も同様だが、こちらは要点と時機の見極めが超大事。
市平からの情報との擦り合わせが済んだらどれほど化けることか。
楽しみでもあり、恐ろしくもある。
「とりあえず土産でも買って帰るかの」
少しは怒りも和らぐだろう。
息子に女心の手解きをした手前、自分の愛妾から手打ちにされてはかなわんからな。
…。
うん、無理だな。
外峯四郎左衛門盛月
中川重政の弟。
元の名は織田左馬允信勝。
織田家を追放されて畿内から播磨周辺を流浪。
見識を高めて播磨に進出した羽柴秀吉に仕官した。
茶の湯にも通じている。
織田源五郎長益
信長の弟で信忠の叔父。
趣味に傾倒するが武辺を疎かにしないので嫌われていない。
当人なりに色々考えて動いていた。
茶の湯にも通じている。




