04 将軍
少なくない時間と金銭を費やして諸般の準備を整え、遂に上洛に向けて動き出すことになった。
主役はもちろんこの私、足利義昭。
これに供奉するのは織田信長を筆頭とする諸侯大名たち。
主役が私なのは実は建前なんじゃないか。
そんな不安が脳裏を掠める。
当然そんなことは無く、皆の共通認識としても間違いない。
みっちゃんやアザミちゃんでも同じ。
確かにそれで正解なんだけれど。
何かね、違う気がするんだ。
今回の上洛は私が将軍になるためのもの。
同時に織田や浅井ほか、諸侯がまとまるための旗頭であることも紛うことなき事実。
だから彼らの立場は供奉する者達。
そして織田家が軍事的な主力であっても変わらない。
その通りなんだが、どうもね…。
違和感が拭い切れない。
強いて理由を付けるとすれば、後世の者達にそう見られるのか。
疑問を覚える。
とは言え、私は今を生きる者。
先を読むのは確かに重要だが、そこまで思考を飛ばす必要があるのかと言われると首を傾げざるを得ない。
状況からして余裕綽々という訳でもないし。
だったら考えなければいいのは自明の理。
…なんだけどねえ…。
何故だかとても気にかかる。
これは多分、考えても仕方がないタイプの悩みだろう。
不明確で漠然とした不安。
つまり私は相当な小心者ということだね。
少なからず仏道にあった者として恥ずかしい。
しかし一応、誰かに聞いてみたい。
吹聴するのは論外なので、最も信頼できる存在、つまりアザミちゃん。
休息中、彼女だけにコソコソッと聞いてみたその結果。
「(好意的に見られる可能性は低いかと)」
…デスヨネー!
頼りないと思われたらおしまいか。
誰も立ててくれないどころか、場合によっては命を狙われる可能性すら発生する。
それも各地の幕臣はもとより直臣すら危うい可能性も…。
おお怖い怖い。
「(慎重はいいが小心は厭うか。風聞に関わるな)」
頷く気配に納得。
そして安心。
今回アザミちゃんは影に徹し姿は見えない。
休息中の私も俯いてるから会話してるとは誰も思うまい。
将軍(予定)の私の周囲には常に少なくない人数がいて、ならば人の口に戸は立てられない。
だから風に乗せて音を運ぶ、アザミちゃん直伝忍びの技を応用した。
詳しい原理は不明ながら内緒話には重宝する。
相手は選ぶけど、服部さんらと使う機会もあるかもしれないね。
とりあえずアザミちゃんに聞いてもらえて良かった。
言葉に出せないってのは結構なストレスになる。
抱え込まないよう気を付けないといけない。
うーん、やっぱり表でもっと気軽に話せる相手が欲しいなあ。
だいぶマシになったとはいえ、皆のボーダーラインはまだまだ高い。
兵部は柔軟性のある考え方が出来るけど、藤英と兄弟揃って真面目だからちと厳しいか。
なら式部か?
年長者へ相談するという形ならあるいは。
一方で長老格の仁木爺は格式が高すぎるから避けるのが無難。
他には侍医という立場で米田求政も。
メンタルヘルスという概念はないだろうけど。
最近ゴローちゃんに対抗して寵臣の座を射止めようと必死な昭高は怪しい。
基本的に有能でいい奴なんだけど、ちょっと軽いというか…。
というか、目指すなら寵臣じゃなくて重臣じゃね?
甲賀衆に顔が利く和田弾正とは、主従の関係を維持するべきなので除外。
とすると式部が本命、次点でゴローちゃんってところか。
なんて、内心で葛藤を続けていると何時の間にやら上洛を果たしていた。
周りからは真面目に臨んでいたと上々の評価。
どうやら考えてることが表に出るということはなさそうで一安心。
でもアザミちゃんにはダダ洩れちゃうのは何故だろう。
「年季が違いますので」
年の功…なんでもない。
だからそんな睨まんといて。
まあアザミちゃんにならいいんだけど。
「…人が来ます」
おっと危ない。
これからは論功行賞などで会議も増える。
アザミちゃんと話すところなんて見られたら大事だ。
彼女なら抜かりはないだろうが、私の方が気を付けないとな。
色小姓、宇野浅次郎をもっと表に出すべきだろうか…。
* * *
「三好と松永の降服か」
「織田殿は何と?」
「許す意向であるかと」
「なんと!そのような…三好の一党を許すなぞ…」
「左様。彼奴らは左馬頭様にとって亡き兄君の仇にて」
上洛及び将軍就任に臨む諸般の会議。
特に今後を占う色が出る時、皆は力の入れようが凄い。
ちょっと前には幕政刷新の会議を行ってみっちゃんを御側衆に任命。
ただの家臣より若干ランクが上がる程度だけど、喜んでくれたので良かった。
ちなみに私はまだ将軍ではない。
就任が決定したので少し先走って色々してるだけ。
さて、今回の主題は新たな幕府へ帰参を求める者たちの処遇。
中でも三好宗家と松永久秀については議論が白熱した。
喧々諤々。
比較的冷静な者から沸騰する者まで十人十色。
私の意向すら勝手に使われる始末。
確かに三好一党は亡兄の仇ではあるがね。
メンツは大事だけど、それだけじゃいけない。
帰参は構わないと思ってる。
前にも考えたけど、三好宗家と三人衆は別枠だ。
久秀も三人衆とは対立関係にあって苦しいらしく、割かし平身低頭っぽい。
従うってんならしっかり協力して貰おうじゃないか。
政治的にも戦略的にも敵を減らして味方を増やすのは理に適ってる。
私としては早々に答えが出ているのだが…。
それでもある程度、意見の一致をみるまで議論を戦わせるのも大事なことらしい。
全て聞いた上で決断を私(棟梁)が下す。
それが大将の、責任者としての最も重要な役割だと。
長老の仁木爺が言うのだから間違いない。
確かに一人で考えてると見落としの可能性が高くなる。
アザミちゃんやゴローちゃんと話してる時に気付かされる事も多い。
うむ、納得。
「では上様、ご決断を」
一通り意見が出揃った辺りで仁木爺が奏上。
皆の視線が一気に集まるこの瞬間。
慣れなきゃいけないと思ってはいるんだが中々どうも。
いやはや。
「三好左京大夫、並びに松永弾正の帰参を受け入れる」
私が言うと皆が畏まって頭を下げる。
一部からは少し驚く気配も。
どうやら本気で兄の仇を許さないと思われていたらしい。
そんなことないのにね。
あと、ゴネても決着が遅れる上に空気も悪くなるだけで良い事ないのも知ってるし。
若手のホープ三藤は満足そうだし、現状としては問題なさそうかな。
良かった良かった。
同じく満足そうなみっちゃんは最近何かと織田信長の元に入り浸り気味。
連絡役、橋渡し役なのも事実だが、実はそれ以上に大きな理由があるのだ。
何と、織田信長に気に入られて直臣へ勧誘されているとか。
流石は信長。
目の付けどころが違うね。
だが先に目を付けたのは私だ!
簡単には渡さんぞ!?
* * *
「初めて御意を得ます。三好左京大夫にございます」
「松永弾正少弼にござる」
将軍任官の内示が出た辺りで三好宗家の当主・義継と松永久秀に初対面。
彼らが降服を打診したのは信長だけど、形式上は私に降服したことになる。
幕府への帰参、つまり幕臣となる訳だ。
「左京大夫よ、我が義弟となるか?」
「はは!今後は臣として上様を、義弟として義兄上をお支え致す所存」
ついでに顔も知らぬ妹が義継に嫁ぎ、義兄弟となる。
これは信長の仲介。
慶事に水を差さぬよう、縁を結ばせようということだろう。
義継君は年下。
これぞ真の義弟と言えるだろう。
戦いの年季は大分引き離されているけどな!
義弟である義継君とは今後仲良くしていきたい。
嫁ぐ妹の顔は未だ知らぬが、手紙のやり取りは前々からしてる。
中々良妻になりそうな感じだったぞー!
結婚式には父親ポジションで出席しようと密かに画策してみたり。
問題は義継君の隣に座る松永弾正。
コイツが何考えてるか分からない。
以前よりクセモノ感を大いに醸し出していた。
今も私のことを、不思議生物を見つけたような目で見ている。
主家の若者を微笑ましく思ってるならいいんだが、どうもそれとは違う様な気がするんだなあ。
弾正繋がりで和田弾正に色々頼んでおこう。
甲賀者に見張りというか、情報収集とかを。
ああ、和田さんは伊賀守に任官したからもう弾正じゃないな。
和田伊賀守。
甲賀衆の束ねなのに伊賀守。
いいや、和田さんで。
じゃなくって。
上洛を果たして諸般根回し目的の会議も終わり、幕臣たちが揃った。
将軍宣下も時間の問題で所領も回復。
となればお待ちかね、論功行賞だ。
基本的には優秀な家臣の皆さまが頑張ってくれた。
私はそれを承認するだけで済む。
多少口出しすることもあるけど、依怙贔屓は良くない。
よく組織が潰れる理由になってるし。
ただ絶対公正である必要はなく、ちゃんと公平に見えるよう整えることが大事なのさ。
仁木爺がここぞとばかりに本領発揮。
流石、幕政の何たるかをよく知っている。
能力的に勝ると密かに思ってる三藤も、一目置くのはその経験値。
伊達に長老やってないぜ!
ところで私は今後、公の場では一人称を「余」と称さねばならないらしい。
何か偉そうで嫌だ。
実際将軍は偉いんだろうけど。
これについてはアザミちゃんも含め、誰一人として味方がいなかった。
なんてこったい。
* * *
「余が征夷大将軍、足利左近衛権中将である」
この上なく偉そうに言うなり皆が平伏する。
その様子はちょっとした快感であると同時に結構な重荷でもある。
そんな相反する感情が鬩ぎ合うのはなんでかな?
まだ僧侶時代の感覚が抜けきらないのだろうか。
もう最近では、ちゃんとTPOに配慮するなら別に慣れなくてもいい気もしてきた。
どっしり構えたいとは思うが結構難しいからね。
時折苦言を呈するアザミちゃんもこれに関しては最近、最早諦め気味のご様子。
勝った。
ともかく将軍宣下を受けた私は、晴れて第十五代室町将軍となった。
十五代目って最後っぽい印象があるのは何故だろう。
止めてよね、不吉なの。
私の不安を余所に目出度い唱和がモリモリ続く。
それが終われば再び真の論功行賞。
勲功第一位は勿論、軍事面でも金銭面でも抜群の働きをした織田信長。
個人的にも大いに感謝しており御父と呼び慕うことも厭わないが流石に年が近過ぎるからな。
信長だって嫌だろう。
せめて義兄だよな。
父の如く慕い謝する、とかにしておこう。
直情的に言うのは高血統の上位者としてあまり宜しくない。
それに名誉が必要なら他にも色々ある。
尾張の名実に途絶えかけた斯波家の家督とか、管領代とか副将軍の称号とか。
和泉国の守護職、そして貿易港の堺に代官を置く件は承知している。
流石信長、目の付けどころが違うと感心するが別におかしくはない。
おかしいのは私の頭の方だ。
いつかアザミちゃんにも言われたが、やはりおかしい気がする。
どうしたものか。
まあいいか。
解決。
和泉の国は要衝だけど問題ない。
ただ堺の件は一歩間違うと危険な気もするので、みっちゃんも噛ませるのを条件としてみた。
丸ごと引き抜かれたら目も当てられないけど、他に適材がねー。
ここは周囲から将軍家に引き抜きとか、あるいは取り立てるとか考えた方がいいかも。
赤信号、みんなで越えれば怖くない。
いやいや落ち着け。
祝いで浮ついた空気とか、普段より多めに摂取してしまった酒が悪さをしてるのか。
酩酊まではいかなくとも何かフワフワして明らかに思考力が減退。
アルコール度数は低いはずだが、基準が違えば耐性も変わってくるのかね。
まだ論功行賞という名の祝宴は続いている。
「その方の働き誠に見事であった。今後も期待しておるぞ」
浮ついた頭で考え事をしながら、表向きちゃんとできていた。
功績を上げた者に一声掛けるのが大事なお仕事。
どこの誰かは覚えてないが、取次が最初に読み上げるから問題はない。
でも流石に失礼すぎるので集中しよう。
身内連中にも幾らか報酬。
御恩と奉公は鎌倉から続く武家の基本。
頑張ってきたんだから報いてあげないと。
アザミちゃんは服部さんに与えた分から出るらしい。
でもそれだけじゃ詰まらないよね。
四六時中護衛兼相談相手になってくれてるんだもの。
そう、四六時中。
休憩は何時してるんだ?
あ……。
やばい。
* * *
「余は少々疲れたので休むとしよう。皆は構わず楽しんで欲しい。大儀であった」
そう言って主役が席を立ち、祝宴はお開きに。
今頃は貴賓のいない二次会で盛り上がってるんじゃなかろうか。
なんてことを思いながら、人払いした私の部屋にいるのは服部さん。
そして宇野浅次郎という小姓に扮したアザミちゃん。
服部さんに公で発表された報酬は伊賀国の豪族としてのもの。
だからここで、忍者ハットリサァーン!に対する個人的な報償をと思ってね。
「伊賀国が守護職は佐々木左馬頭。そして服部党の領袖は半三とする」
「御意にございます」
仁木爺は幕政参画に際して佐々木左馬頭と名乗りを変えた。
実家の六角家が没落したのを機に、佐々木源氏の嫡流を称するとか何とか。
(もうすぐ)将軍からのお墨付きを願われたので褒美の一環として許可をした。
だから公的には佐々木なのだが、個人的には仁木爺のままがいいな。
その仁木爺が伊賀国守護職にあり、その下に国人衆である服部党が付く。
伊賀衆に関しては現状の追認に他ならない。
あやふやだった服部党を認めた、という事実はあるにしても表立ってはここらが限界。
領袖の服部さんを御側衆にしたので、その名誉が褒章ということも言えはするが…。
だからそれとは別に、ね。
「それと、余が個人的に金品にてお主らに報酬を出そう。ついては頼みたいことがある」
「ありがたき幸せ。何なりとお申し付け下さい」
淡々としてるようで目端に光るものがあったりなかったり。
名誉だけじゃ食っていけない。
特殊技能職員の服部さんだから特にね。
「服部党から信用出来る腕利きを付けて欲しい」
「……それは」
ざわりと場の空気が蠢いた。
背後に控えるアザミちゃんの機嫌が急降下。
「今後は余の行動範囲も広くなるであろう。然るに、一人では心身が持たぬ」
「……あ奴では不足と?」
ちゃうねーん!
技能資格的には十分過ぎるほどにじゅーぶんっ。
だけど一人だと物理的に手が足りなかったり、疲れたりするでしょー!?
交代要員も必要だろうし、多角的な視野も大事。
あと今度は男性がいいな。
女の子だとアザミちゃんとの関係から変な勘繰り受けそうだし。
そんなことを婉曲な言い回しで懸命に伝える。
初陣の時より必死だった気がする。
アザミちゃんなら直接的な物言いで大丈夫なんだけどなあ。
こういうところだよ。
人的資源を大切にしたい。
「…なるほど。我らを大切にお考え頂いておるのですな。誠に有難いことです」
大きく頷く服部さん。
結構頑張って懇々と説明したら分かってくれた。
ちょっと、いやかなり時間かかったが。
「人選はこちらで?」
「うむ。アザミも含めて信頼しておるでな」
「恐悦至極に存じます」
平身低頭しちゃったよ。
まあ任せて安心服部さん。
あとはアザミちゃんとの相性だが、その辺は流石に考慮するだろう。
イマイチだったらその時はその時。
主君として腕の見せ所に…。
ああ、そうだ。
「それから、その者たちを余の直臣としたいのだが」
「は?」
あ、固まっちゃった。
* * *
「初めて御意を得ます。拙者、服部源兵衛と申します」
忍者ハットリサン。
服部さんこと半三保長が紹介してくれたのは彼の息子・源兵衛保正だった。
半蔵じゃないんだな。
「うむ。よしなに頼むぞ」
最初はちゃん上位者として振舞う。
服部さんの息子ならば、ひょっとすると固い方が好みかも知れん。
だったらそれを尊重しなければならない。
違ったら、どんどん距離を詰めちゃうぞー。
とりあえずアザミちゃんの気配は不機嫌でない。
大きな安心材料だ。
顔合わせはしてるだろうけど、折を見てやっとこう。
源兵衛は服部さんの次男で幹部候補生。
長男は既に各地で活躍してるから出せなかったと謝られた。
別に謝罪とか要らんのだけど。
直臣となった源兵衛が活躍していったら、そのうち呼び戻す可能性もあるんだって。
だってよ源兵衛、頑張ってくれ。
源兵衛の第一印象は質実剛健、たいそう実直そうだ。
まあ諸々は追々な。
「早速だが源兵衛。お主ら伊賀衆の里でやってもらいたいものがある」
頼み事は時間がかかる。
実になるかは分からんが、里の実力者一族なら頼みやすい。
ある種の実験みたいなもんだ。
ひょっとすると、直臣初仕事としては拍子抜けになるかも知れないが。
書いたり消したりを繰り返していくうち、色々訳が分からなくなってきます。
これを加齢のせいと断定するのは如何なものか。




