表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/57

48 流通

三遠事変。

徳川家で起こった内部抗争とその顛末が分かった。


事の起こりは今川家が滅んだ頃まで遡る──。


──徳川家康の正室は今川一門の出。

つまり嫡男・信康には今川の血が流れているということだ。

とは言え、誰もが知るこの事実程度では騒乱の根拠足り得ない。

当然当事者たる徳川家としても十二分に気を付けたはずだしな。


家康が遠江国浜松に拠点を移したのもその一環。

今川旧臣の動きを牽制しつつ、心を獲りに行ったということも考えられる。


そして信康は織田信長の娘を妻に迎え、三河岡崎城主となった。

家臣団は主に譜代の三河衆や一門衆から構成され、今川旧臣の割合は少なめ。

むしろ家康と苦楽を共にした側近衆が多く配されたのは、信頼と共に心配もあったからだろうか。


その辺の事情はさて置き、三遠の領主として時間が経ち徳川の名が馴染んできた頃。


甲斐武田に仕えた今川旧臣に動きがあった。


主な任務は武田の先代、徳栄軒信玄が南進するのに合わせた諜報活動。

場合によっては寝返りの打診も。

或いはその噂を流して足元を揺るがせる工作。

上手く行ったものもあれば不発に終わったものもある。

むしろ大部分は不発に終わったのであるが。


その工作の一環として、今川の残り香に火をつけた者がいた。

それは大名として終わりを迎えた今川がいつか復活する、その時の為に備えて冬眠させた種だった。


しばらくは水面下にあって粛々と準備を進め、徳栄軒信玄が病死した時には失敗を覚悟しつつも工作を続け──。


遂に当代の武田勝頼が配下に命じて芽吹かせた。


工作者の本懐は今川の復興にあったが、武田の目的は徳川の混乱。

そこに付け入り、駿河と遠江を奪取する、あわよくば徳川を滅ぼすというものだった。


武田は工作者に目的を伝え、成功すれば今川復活の目があることを囁いた。


そして作戦は実行に移される。


*


彼らの目標は信康を謀反に追い込むことではなく、違うと分かっていても処断せざるを得ない状況に持っていくこと。

あわよくば今川寄りの徳川当主に擁立することも視野に入れての行動だった。


という内容について、忍び衆らが詳細を探り出してくれたけど、正直私の頭ではついていけなかった。

理解を拒否したと言っても良い。

強いて内容を言うなら、何とも悪質で粘性を帯びた蔦が岡崎に絡みついていた、と。


結果、徳川家は当主家康の指示でその正室を処断し、嫡男は謀反の疑いで切腹を命じられた。


工作者は何やらあって徳川家に仕えたまま。

概要を知るはずの徳川家康は一体何を思ってそうとしたのか。

まさか首謀者を特定できなかったなどということはあるまい。


私には何かと理解できないことだらけだった。


*


こうして火付け役の武田家の目論見通り徳川家は混乱した。

しかし倒れたのは当主の妻と長男。

今川所縁の当主家族だけ。


混乱はさせたが時間稼ぎにしかならず、その間の離間工作も成功したとは言い難い。


同盟者の織田家は信康に嫁がせた娘を引き取り、三河には今川と織田の血を伝える徳川の姫だけが残った。


ちなみに足利将軍家は特に介在せず静観。

まあ御家騒動に他所が絡むとまとまるものもまとまらなくなるからな。

当然の判断だと言えるのだが。

今回は裏目に出たかも知れない。

介入してたらもうちょっと上手く収まったかも知れないのに、と思わないではない。

そんな万能じゃないけどさ。


そもそも私は仮想敵対者だし都の足利家にそんな余裕はない。

どちらにしろ動けなかったな。


結局徳川家は全て内部のこととして全て片付けた。


織田も武田とは関係が深い。

敵対はしてるが、徳川のように随時ドンパチやってる訳じゃないからな。

信忠の正室(予定)も武田の姫だし。

干渉されたくなかったんだろう。


大きな犠牲を払い鎮圧に成功した徳川家。

転んでもただは起きぬ徳川家。


全て武田の策略として信康の名を落とし、相対的に当主の名を高める挙に出た。

虚実を織り交ぜ、災い転じて福(?)となす。

戦国大名としては正しいのかも知れないが…。

やはり乱世は早急に終わらせなければならない。

これといって接点のない存在と言えども、どうにも気持ちの上で許容できない。

どう考えても悲劇でしかないからな。



* * *



徳川の混乱は濃尾以西にはほとんど関係がなかった。


それもこれも摂津荒木の変節による混乱があったからだよ。


お陰で摂津表にこっそり出張ろうとした私の計画はお釈迦に!


アザミちゃんが強硬に反対して、源兵衛から藤英に話が漏れて派手に却下されてしまった。


ただ信忠に会いに行こうと思っただけなんだよ。

別にそれ以外でうろちょろする予定なんてほとんどなかったんだ。


憤懣やるかたなし。

へへーん、みっちゃんに時候の挨拶を書いてやるもんね。


えー、前略。

湖の林殿は御元気でしょうか。

以前船遊びした時など大変お世話になりました。

懐かしいものです。

近いうちに滋賀郡など訪ってみたいと「何を書いておいでですか」あ゛ー!


くっ、小姓以外に気配がないから油断した。

手元にあったはずのお手紙はアザミちゃんの手の中でぐしゃぐしゃに。

おいおい、紙って奴は安くはないんだぜ。

伊賀と雑賀で生産してるけど、そんなぞんざいに扱って良いものでは…。


ちょいとアザミちゃんや。

そんな眉間に皺を寄せるとホント般若みたいに見えちゃうよ。

せっかくの美貌が台無しだゾ☆


「公方様」


あ、はい。

正面を向いてササっと正座。


お説教コースですね分かります。

背後を取られた時点で私の負けは決まっていた。

つまり現実逃避。


「此処に書かれていることは誠で?」


「う、うむ」


「ほう…。ではそれはいつのお話でしょうか。生憎近江の林殿が何処の何某で何者かは存じませぬが、少なくとも文の内容を見るにつけ坂本の浮き城ができた後と考えられまする。しかしながら明智様が坂本に配されて、築城後に訪ったという事実は承知しておりませぬ。ええ、わたくしは存じませぬとも。御家中の何方ならご存じなのでしょうか。お教え願いますか。いえ嫉妬ではありませぬ。確と御側に衆が控えていたのか確認せねばと…」


話は中食を挟み、日が傾いてからも続いた。


本人は嫉妬じゃないと言い張るが、これはむしろ過保護なんではないだろうか。

割と重めの。

まあ嫌ではないよ。

確かな慕情を感じるからな。


いやあ徳川、荒木、羽柴のせいでささくれ立った心が癒されるようだ。

足は痺れるけど。


お小言もとい諫言はちゃんと聞いてるよ。

アザミちゃんに限らず我がつまどもは勘が良い。

ちょっと気が逸れるとすぐに気付いて責められる。

まあそれも悪くないと思ってしまうのだから仕方がないな。


*


まあそんなこんなで備後から動くこともままならず。

フットワークが軽いことを売りにする果心居士に出番はない。

信忠に姫との近況を聞いたり、女心と嗜みについての指南とかしたかったのに。


仕方がないから流れ公方お手紙派として、せっせと宣伝活動に従事した。


周囲の家臣たちは何食わぬ顔してるけど私は知っている。


フラフラと出ていくのを阻止した佐古殿の株が爆上がりなのを。

それを利用して愛妾に現を抜かすダメ公方としての噂を周辺に流していることを。

あながち間違いでもないから文句も言えぬ!


既定方針通りではある。

しかし少し釈然としない。


で、そんな状況でも全く油断しない愛妾様の目を掻い潜るのは難儀そうだわい。

やれやれ。



* * *



ある日、朝廷からの使者がやってきた。


「公方様。都より勧修寺様がお越しです」


「うむ、お通しせよ」


都から公家がやってくることは珍しくない。

表向き上位の人はやってこないけど、まあこっちは流れ公方だからね。

それでも武家伝奏や摂関家に縁のある人が下向することはままある。

落ちぶれたとは言え、仮にも現役の征夷大将軍だからな。


何しに来るかと言えば、時候の挨拶やら昨今の情勢について。

さらに和睦の斡旋提案に金の無心など。


流れ公方に金を頼むとか何考えてんだ?

等と思いながらシイタケや大樹酒、裏金などを渡している。


特に大樹酒だが、伊賀で細々とやらせてるのが都でも一応流通している。

しかし数に限りがある以上、価格は高騰。

そう簡単に入手できないレア物となっていた。


大樹酒のメイン産地は雑賀。

ここは未だ私の影響下にあると言っても過言ではない。

だが望めば幾らでも手に入るかというとそうでもない。

紀伊から備後までの輸送は陸路も船便も少々不安定なのだ。


現在の主要な販路は本願寺。

もちろん雑賀衆が絡んでいる。

色々大変だった顕如が少しでも楽になってくれると良いのだが。


まあそういった諸々の事情で大樹酒の扱いが増加傾向。

私でも自由にできる現品は枯渇気味なのだ。


大々的に動かせる資産は運用次第で莫大な利益を出すことが出来る。

これを説明し、理解した時の雑賀衆たちの輝きは凄かった。

目が輝くどころか全身で喜悦していたからな。

護衛で側に居た伊賀衆がドン引きする程と言えば分かって貰えようか。


そんな大樹酒を朝廷に卸している。

正確には裏ルートを通じて帝に献上し、そこから下賜されているのだが。

優れた御用聞きがいると専らの評判だ。

一体どこの甲賀衆なんだ…。


今回やってきた勧修寺は武家伝奏。

比較的頭が柔らかく近衛太閤とも一定の距離感を保つ。

公家らしい公家と言えるだろう。


敢えて言うが、この時期にわざわざ備後くんだりまで下向するような立場の人物ではない。

危ないぞ?

いくら影が引っ付いているからって、もしもはいつでも身近にあるんだから。


「それほど感謝されているということでしょう」


勧修寺が下がって頭を捻っていると藤英が回答を出してくれた。

理解はするが納得出来るかというと…。


「他にも何かあるのではないか?

 数日滞在するようだし、確認しておいてくれ」


「御意」


わざわざやってきてお礼言ってハイさよならはないだろう。

レア物の催促でもなかろうし。

んー…?


「公方様、宜しいでしょうか」


「うむ、なんじゃ」


「荒木と毛利の動きを観察しに来たのではないでしょうか」


「荒木と毛利?…なるほど。

 余がどこまで関わっているか、か」


ちょっと弱い気もするが、そういうことなら朝廷が動いた理由としてはありだな。

都には於市ちゃんと千尋丸を頂点とする次期将軍の足利家がある。

それを戴いて実質的に天下人への足固めを着実に進める織田家もある。


一方で西は荒木と毛利、あと私が。

東では甲斐武田が猛威を振るっている。


朝廷の目は西を。

正確には足利将軍家の当主である私を見ているというのか。


畏きところも見るべき目はお持ちのようだし。

武家とは違う視点で収集し分析する頭脳もある。

ある程度、近衛太閤が話しているのかも知れないしな。


そういうことなら納得出来るわ。

ふむ。

やはりみっちゃんに手紙を書こう。


ちゃんと真面目に、ウィットに富んだ語録は控えめに。


散りばめられた暗号もちゃんと拾ってくれるように。


「文を書く、筆と紙を持て」



* *



勧修寺が帰っていった。

土産として大樹酒を融通してやったからかな、ホクホク顔だったわ。

一応口止めはしたけど、まあ言われずとも分かってるだろう。


都において私の立場は曖昧微妙。

織田家が戴く足利家の次期当主の実父だからな。

その実父は内実はどうあれ織田家が都から追い出したようなもの。

どこに火種が潜んでるかわからない。

下手に突けば蛇どころか龍が飛び出かねない…などと周知されているとか。


こんなこと考えるのは近衛太閤だな。

公家と武家のハイブリッドかな?

そんなタイプの珍しいキャラクター。

乱世にあっては公家もらしからぬ色に染まることもあるのだろう。


件の勧修寺だが、わざわざ下向したのは播磨の冷泉のことがあった為らしい。

冷泉も乱世に翻弄された公家の一家。

荘園を保持するためとはいえ、乱世に城を持って所領を形成するというのは、まるで武士の始まりを見るかのようだ。


北畠は別としても、美濃鷹司、播磨冷泉、土佐一条。

どこも上手くは行かなかった。

冷泉はまだ生きてるが、播磨は戦火に見舞われている。

乱世の終焉を願うのは身分の上下を問わないのだと、改めて思うこととなった。


まあ…。

乱世を立身出世の機会と捉えて、終焉を願わない者も幾許かはいるのだが。

そういった輩は場合によっては御退場願うしかない。

ま、実害が出た時か出そうな時に、だな。


* *


ところで播磨が戦火に見舞われているのは現在進行形なのだが、実は摂津荒木の炎は下火になっている。

鎮火はまだだけど、時間の問題かなーって感じ。


徳川家と連動するわけではないと思うが、似たような経緯で違った末路を辿ることになりそうだ。


*


詳細は把握できてないが、どうも荒木と羽柴、荒木と毛利とでそれぞれ密約があったようなのだ。


交渉に赴いた小寺官兵衛は期限までに戻らず信長は激怒。

荒木の包囲を命じると共に、播磨へも兵を出すよう羽柴に指示。

毛利は荒木を支援して中国路への侵入を阻もうと色々画策。


播磨の国人衆は別所、小寺などと毛利に付くもの。

羽柴に接近し黒田と称した官兵衛の家と同様、織田方に身を投じるものとに分離。


なお、官兵衛は黒田孝高と称するようになったと聞いた。

小寺と決別する覚悟を決めたようだ。

その一方で、未だ荒木のもとにいるようだがどういう扱いになるものやら?


私が備後でのほほんとしている間に、事態は混迷の度合いを深めながらも着実に動いていく。


いかん。

このままでは本当に時代に置いて行かれてしまう。

やはり自分の目で確認すべきでは?


「宗司よ、旅の一座に加わることは可能か」


「可能ではありましょうが、お許しは?」


本来は許しを与える立場なのに、今は何も言えないもどかしさ。


現場でなら独自の判断を許される。

そういう期待を込めての人選だったが、どうやらそう上手くはいかぬらしい。


打合せに来てた雲慶をチラリと見る。

さっと視線を逸らされた。

ちっ、ダメか。


流石に誰の協力もなしには出来っこない。

何とかならんものか。

ぐるっと周囲を見渡す。

幾人かと目が合う。

だがダメ、あれは監視の目…。

最近アザミちゃんの息がかかった忍び衆が私の周りに配置されている。

ぬぅ…。


「弥四郎殿にお願いしますので、それで我慢なさって下さい」


窘めるよう言われるが、うーむ。

弥四郎…そうか、確か近いうちに丹後方面へ行くと言っていたなあ。

お、そうだ!

むしろ当人と交代して抜け出せば…。


*


藤英に比べれば格段に扱いやすい昭英を言いくるめ、旅装を交換してさあ出発だ。

と、静かに高揚する私の前に声が降ってくる。


「弥四郎様、佐古殿がお怒りです。

 大人しく投降なされませ」


完全武装の伊賀衆御一行が現れた。

先頭のこの声は市平?

なんでいるの…。


混乱して無言でいると、伊賀衆が一歩踏み込んできた。


「今ならまだなかったことにもできましょう。

 話が三淵様に漏れれば後には退けませぬぞ?」


低く笑う市平。

それは明確な脅しだった。

昭英を人質に、大人しくしてろというアザミちゃんからの警告。

どう見ても本気だな。


なるほど、もうダメだ。

私は諦めた。



三淵弥四郎昭英

藤英の嫡男。

シイタケが高級品という実感があまりない奉公衆。


服部市平保俊

服部さんの長男で源兵衛の兄。

気配り上手で現場主義の凄腕ニンジャ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ