47 尊崇★
義昭君はお休みです
其之三
※今回は本筋とは余り関係ないので飛ばしても問題ありません
同等の時間軸ながら毛色の異なる世界。
裏の裏に精通する者のみが知りうる景色がある。
表に立って世界を照らす存在には決して見せない光景が。
表も裏も遍く子らを慈しむ。
懐深く慈悲深い。
太陽が如き存在。
それを尊崇するが、自身の手段は選ばず誇りも持たず。
闇に隠れて日に紛れ、唯の一念を以って倒れ往く。
──。
日ノ本は神の住まう国と誰かが言った。
確かに神々は至る所にあって時に恵みを、時に厳しさを与えてくれる。
神仏すら分け隔てる必要はない。
海の向こうから渡ってくる、新しい概念。
既存の神仏とはまた異なるそれも構わない。
只管に子らの幸福を求めるならば。
故に。
当初は迫害する気はなかった。
一向宗や御山の僧兵と同じく、憂いはすれど討滅までは求めなかった。
しかし彼ら、切支丹。
教えを広める伴天連たち。
清貧を旨とし、信心を以って突き進む。
やがて彼らは一線を越えた。
子らの売買は心を痛める。
しかし救われる命がある以上、縁あれば再会する日も来ようと納得させた。
それも偏に日ノ本の中であったからだ。
伴天連たちは日ノ本の民を南方へ売り飛ばした。
言葉巧みに大名を唆し、兵器を購入させて戦火を広げた。
戦を商売とし、広がる地獄に救済を示して信者を増やす。
弱みに付け込む酷い詐欺だ。
許せぬ。
許せぬ。
* * *
我々は帝を尊崇している。
この国──日ノ本の根幹を為す存在でおわすが故に。
我々は公に認知されぬ。
君に拝謁出来る立場にはない。
影であるが故に。
しかし影であるが故、御側に在ることもまたある。
君の陰りを真に感じ入る。
よって我々の一念は常に不変を貫く。
*
そんな我々が好まざるもの。
まず、公家ども。
力を持たず雅を愛し高貴さを自称する。
いけ好かない奴らが多いが、影に日向に帝を支える者が必要なのは理解している。
次に、武家の者共。
元が侍従とて、帝よりも己が土地と権益を優先する木端侍が多くを占める。
甚だ気に食わぬが、それでも不要とは言えない。
そもそも公家も武家も帝の臣民。
公家の祖は平安よりも古の頃より臣たる身。
武家の祖は様々だが、公家や親王から降りた者も多い。
ならば無闇に邪険にするのも憚られる。
最後に、まつろわぬ者。
帝に対し奉り、尊崇の念を僅かたりとも持ちえぬ者共。
遥か古に敵対し討伐された蛮族の末裔。
未だ、少なからず存在するのが嘆かわしい。
しかし、そんな奴らとてこの国の民には違いない。
好むと好まざるとに関わらず…否、好まざるからこそ至近に潜り火種を消さねばならぬと心得よ。
* * *
公家。
朝廷の臣にして国を動かす官僚たち。
─だった奴らの末裔。
今や昔日の面影も虚しいばかり。
権威に縋り争いを忌避する小粒に成り果てた。
思うところは数多あるが、一々上げていくと幾夜あっても到底足りぬ。
*
武家。
朝廷の臣にして国を守る衛兵たち。
その末裔。
それとは別に、民の立場から力を付けて成り上がった者も多い。
古くは平安、藤家の連枝に始まり平家が興り、鎌倉に至って源氏が都から独立。
在地の武家らを従え、征夷大将軍という外官を以って頭となった。
やがて鎌倉が衰えると源氏の連枝が都に戻り、朝廷と結び室町に入った。
氏素性を問えば色々あるが…。
元は源氏、下っては平家の裔・北条氏が率いた鎌倉の幕府は源氏の流れを汲む新田、足利に滅ぼされた。
新田は建武帝に従い、足利は武家を率いて勝者となる。
今も足利は室町にあり、都を守る府として存在。
少なくとも形式上は消えることなく綿々と続いているのだ。
しかし足利将軍が率いる幕府は甚だ珍奇。
征夷大将軍は外官とはいえ帝が任ずる。
全ての武家を統括する役割を求められてのことと、外ならぬ当事者がそう願い、そのようにあろうとしてきた。
そうれがどうか。
昨今の足利将軍家は武家の頂点たるや否や。
疑問を抱かざるを得ない。
足利の世は常に動乱と共にあった。
ある程度の治世を行った足利義満公、義持公らとて同じこと。
義政公も悪くはなかったが、一門の統治に失敗したのが致命的。
その後、坂道を転げ落ちるかのように転落する一方だった足利将軍家。
最早凋落は避けられぬ。
挿げ替えも検討し始めた頃、現れたのが現当主・義昭公だった。
これの出来が中々に悪くない。
公正にして公平。
我々を認知してなお、区別はすれども差別をしないところが特に良い。
古くは楠木に北畠。
極一部の優秀な将にしか見られぬ特徴を備えておるわ。
出身や身分に拘らず登用すると評判の織田ですらこうはいかぬ。
織田を率いるのは平朝臣信長。
義昭公を将軍職に押し上げた尾張の実力者。
為人は苛烈にして大胆不敵。
出身や身分に関係なく取り立てる能力重視でありつつ、勤皇の意志は強い。
一方で承認欲求からくる自尊心が強い一面も持つ。
義昭公と信長。
この両輪が上手く噛み合って都は安寧を取り戻し、日ノ本も健全化が図られることであろう。
*
まつろわぬ者。
氏素性のハッキリしない者共、とは偽りの評。
いや、律令の外にあるという意味では間違いではないか。
元来、古より朝廷と敵対していた者らを指す。
日ノ本が今より狭かったころ、朝家が取込に失敗した者たちの成れの果て。
我々の祖とも言えるし仇敵とも言える。
まあ歴史を紐解いたところで意味はない。
こ奴ら、時折表舞台に出て来ることがある。
その特徴は時代の節目である、ということだ。
古くは阿倍一族。
そして九郎判官に連なりし者達。
ここにきて、彼らに勝るとも劣らない大物が躍り出た。
名は羽柴秀吉。
元は木下藤吉郎、中村日吉などと称した農民である。
当人の出身がどうのという問題ではない。
過程はともかく思想が危うく、まつろわぬと考えられる。
奴は織田信長が取り立てた。
信長は滝川一益や秀吉といった流れ者を取り立てる慧眼の持ち主。
過去や経歴を左程重視せず、その者自身の能力を見ていた。
一定程度まで、との線引きもしっかりしている。
一益は弁えていたが秀吉は弁えなかった。
損得や差引で物事を考える傾向にあるのは共通。
特に信長は親族やお気に入りの家臣以外の、一定程度外の者たちへの対応は冷酷な処置も厭わない。
義昭公曰く、合理主義というらしい。
人によっては思うところがあろうが、我々はそういう勘定で冷徹に割り切るのは能力の一環だと好意的に解釈する。
だから義昭公と織田信長が組んで共に動いている間は良かった。
我々も影ながら支援を惜しまなかった。
しかしそれも今となっては儚きもの。
離間を仕組んだのは織田家臣・丹羽長秀と羽柴秀吉。
信長の強い承認欲求と自尊心を巧みに擽り、己が夢路を歩ませんと欲した。
丹羽長秀は織田家の天下を夢見るが故に。
羽柴秀吉は自己の伸張を欲するが故に。
どちらも強硬にして確固たる信念で動いている。
奴らの心中にあるのは己が栄達のみよ。
我々と相容れぬ存在。
勤皇の志高き織田信長が手綱を握っている間はまだ良い。
しかし自尊心がそれを上回った時。
上回ってしまった時。
その時は、排除せねばならぬ。
丹羽長秀はまだ良い。
我々の敵には違いないが、元が武家なだけあって指向は単純明快。
排除するにも遠ざけるだけで暴発はするまい。
しかし秀吉が良くない。
農民の出であるせいか、身分に対する拘りが非常に強い。
己の出自なども物言いは軽いが、その時の目は透き通るほどに無機質だった。
或いは劣等感かも知れぬが、それにしても遠すぎる存在は畏れる対象にならぬらしい。
我々の知る者らとはあまりに違う。
此奴が特殊なだけだと信じたいがな。
内々の法螺話ながら、近衛の御落胤だの帝の御落胤だの。
不敬極まりなし。
公卿に対する憧れのようなものを感じないではないが、崇敬の念は感じない。
まつろわぬ者が力を持ち、尊きと流れを断ち切らんとする。
実に悍ましい。
到底許せるものではない。
決して見過ごさぬよう常に目を張り付けておかなければ。
あれに迎合する者らも含めて、耳と鼻にもよくよく申し伝えておかねばならぬ。
*
羽柴秀吉に連なり注意すべき者共。
まずは身内で羽柴長秀と浅野長吉。
股肱の蜂須賀正勝と前野長康、それに生駒親正。
他、子飼いで神子田正治、宮田光次、戸田勝隆、尾藤知宣、仙石秀久。
これに通ずる他国者、小寺孝隆と浮田直家、荒木村重。
但し、浮田と荒木は蜃気楼の擬きもの。
いずれも場面によっては容易く切り捨てられような。
* * *
各所へまわせ。
伊賀、甲賀、雑賀は無論のこと。
根来や粉河、熊野と金剛に音羽と村雲も忘るべからず。
また、羽黒・湯殿・石鎚と英彦にも報じるべし。
*
次郎…否、今は弥平次だったな。
あれの発出は一つの賭けではあったが上手くいっている。
義昭公の手綱捌きは誠に見事。
なれば我々も一心発起。
明智と細川をもって畿内を覆おうぞ。
皆に可否を問う。
──可なり。
是。
これより太郎と四郎を加えて出す。
従来通り三郎は近衛と九条の主間に耳目を。
穴は五郎が埋める。
我々は常に動態。
帝を尊崇するが故に、不届きにも頂きを狙う不徳の輩を抑圧する。
しかし未だ機は成らず。
然れば元を手繰り次機を展開すべし。
我々は羽柴秀吉を好かぬ。
集めよ。
原理と情報を。
全ては安寧を願う帝の御為…。
左様称して動く、我々が我欲が故に。
* * *
摂津の国、大物城。
数名の武将が居並ぶ内座敷。
「此度より摂津守を称す」
「なっ!せっかくの任官を無下にすると?」
「確かに信濃守では旗頭としての箔が付きませぬしなあ」
「左様な問題ではなかろう!
仮にも従五位の官職を足蹴にするなどッ」
「官位の返上などはせぬさ。
ただ新たに称するだけだ」
「それは詭弁にございましょう!」
摂津衆旗頭、荒木信濃守…改め、摂津守村重。
村重を中心に座談する武将たち。
彼らは摂津荒木家の一族重臣。
主君に向かって声を荒げるのは一門の重鎮。
穏健派でもある彼は村重の言動にショックを隠せない。
対して他の重臣たちに動揺は見られない。
村重は事前に伝えており、一番反応するであろう穏健派の彼だけに伝えていなかったのだ。
それを察した彼は、さらにいきり立って声を大にする。
「現に御家の大事は今ですぞ。
わかっておられようか!」
「よおく分かっているとも。
故にこうやってお主を呼び、宣言してやったのだ」
そこでふと、場の空気が不穏になっていることに気が付いた。
「殿…これは一体…」
「お主は我が一族の重鎮。
裏切りなどないと信じておったのだがな」
「う、裏切りなど!うぐっ」
村重に詰め寄る重鎮は背中を斬られた。
縋る様に見つめる彼に冷ややかな眼差しを向ける村重。
「ああ弁明は良い。
其方とアレとの繋がりは十分に確認した」
「と、殿…ゴホッ」
「安心せよ、お主の嫡男は今後も大事にしてやる」
「御嫡男殿は大層優秀なようですからの、羨ましいことです」
横合いから脇差で重鎮を一突きした重臣が嘆息する。
「我が子は猪でしてな、どうにも頭が弱い」
「新五郎も場数は踏んだが、まだまだ故な」
目の前で重鎮が事切れようとする中、村重と重臣は淡々と会話を続ける。
異様な空間だが、他の誰も口を挟まない。
「ま、そういうことだ。
安心して黄泉路へ旅立って下され、叔父上」
「ようやく池田の影響は排除できましたな」
「降ってわいた話でしたが、上手くいき申した」
重鎮の意識が闇に沈みゆく中、村重と重臣たちは淡々と会話を続けていた。
その空間を、一対の目が無機質に眺めているとも知らずに。
「(動くか。伊丹に走らせよ)」
史実及び通説を概ね承知した上での暴挙です。




