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43 平島

紀州雑賀荘にて暫しの時を過ごし、頃合を見計らって備後鞆の浦に帰還。

海路は熊野水軍、堀内衆の手による導きで。


熊野水軍は志摩衆との関りが強く、織田家とも気脈を通じている。

木津川の戦いで村上海賊が織田水軍に敗れると、堀内衆は織田方の色をいっそう濃くしていく。

足利義昭と毛利家の勢力は畿内から一掃されつつあった。


なお、紀伊は畿内に含まれない。

畠山は頑強に頑張っているよ。

ただ河内の三好義継が、大和の松永を説得して織田家についたのはでかかったねえ。

将軍義昭は、そんな織田家の伸長を苦々しい思いで見過ごすしかなかった…。


そして本願寺の苦境がいよいよ極まってきた丁度その頃。

私は阿波にいた。



* * *



阿波の国、平島荘。


南から長宗我部の、北から織田などの圧力が日増しに強まる中、ここは比較的平穏を保っている。


*


趣ある庭園を抜けた先の書院造。

ここで私は一人の貴人と対面を果たした。


「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」


「丁寧な挨拶痛み入る。果心居士殿」


見事な所作に反して皮肉気に返事を寄越すのは足利義助。

将軍義昭の従兄弟にして先代将軍・義栄の弟だ。


どこに出しても恥ずかしくない立派な足利一族で、今は阿波国平島荘に居を構えて平島公方、阿波公方などと尊称されている。

現役の将軍である足利義昭としては、己が任じた訳でもない平島公方など、決して認めることが出来ない存在である。

いやはや、従兄弟が最大のライバルとはねえ。


もちろんあちらは私がそうと分かった上でこの対応。

立場を考えればかなり優しい反応だと言えるだろう。

お忍びだとしても。


「このような辺鄙なところに一体何用かのう」


でもって発する言葉はとても刺々しい。

しかし本気で毛嫌いされている感じもしない。

つまりどういうことか?


探られている。

あるいは様子を見ている…といったところか。


阿波ではそれなりに権威ある存在であるものの、決して盤石なものではない。


聞きかじったところによれば、義助は義栄の跡を継ぐべく畿内を目指したことがあるようだ。

しかし三好一門の小笠原何某に阻止されてしまう。

阿波三好家は平島公方最大の支持者。

その一門に阻まれる動きとは…。


まあ阿波三好家も分裂衰退著しく、今や上洛を目指す力はない。

宗家筋の我が義弟・義継君率いる河内三好家の方がまだ勢いがある。

織田家について一定の安全を図ったことから政治力もあると分かるだろう。

それに比べて、せっかく淡路を持ってるのに全く活かせてないのが最たるものだ。


最大の支持者がこの有様だから、義助としても動くに動けず。

結局ここ平島荘で各地の、主に四国の有力者と連絡をとったりしながら機を窺うことしかできない。


近頃は三好から離反しつつある小笠原何某と密かに同調。

水面下で長宗我部を支持する向きもあるとか…。

この誰彼構わず有力者と繋ぎをとる、ある意味節操のなさが凄く足利家っぽいよね!


ここで盛大なブーメランショットが炸裂。


とまあ、そんな平島公方こと義助だからこそ、皮肉気ながらも様子見に徹しているのではないかと。

付け入る隙はある。

それに彼も、兄や父の不遇を見てきた訳で、現実主義にならざるを得ない面もあるのだろう。


「此度はご機嫌伺いに参った次第」


「ほう…、その心は」


おおっと、言葉通りに受け取ってもらえない。

まあそりゃそうか。

でも今回は本当にそうなんだよ。

基本的に。


「今後、畿内は織田家が席捲するでしょう」


門跡時代の語り口を思い出しながら。

果心居士としての在り方がここに結実する!


「都には足利が健在であろう。

 それに摂津は大いに荒れておるようだが?」


流石よく知っている。

長宗我部に思いを寄せつつも、未だ三好の神輿なのは伊達じゃないな。


都の足利ってのは於市ちゃんと千尋丸のことだな。

特に千尋丸は実質的に足利の嫡男。

だからって足利の棟梁に挿げ替えるには未だ至らない。

流石に乳幼児だからな。

つまりそっちは建前。


「左様。しかし嵐はまもなく過ぎ去りましょう」


本題はこっち。

摂津に巻き起こっている嵐の大元、中心地点である本願寺が降服する日は近い。

そういう意味では荒木は枝葉。

小さくはないがな。


よく限界ギリギリまで粘るなどと言われるが、本当の限界に達してからでは遅きに失する。

ある程度余裕があるうちに終わらせなければ潰れてしまうからな。

潰れてしまっては元も子もないのだ。


顕如たちが今、一生懸命降服条件を擦り合わせている筈だ。

近衛太閤が朝廷を巻き込んで進めている和睦交渉。

四方に次が控えている以上、織田家としても引き延ばしは望まない。


「嵐が過ぎれば一時の平穏が訪れます」


興味深そうに聞く態勢を崩さない義助を見ながら続ける。

こういうのは淡々と説明するのが良い。

声を張り上げる説法をと一瞬迷ったが、一応お忍びだからね。

思いとどまった。


さて、本願寺が降服すれば摂津は落ち着くか。

一時的には落ち着くだろう。

時化を生み出す暴風がおさまれば波は穏やかになる。

一方で、穏やかな局面が長続きしないのは応仁前後百年の歴史が証明している。

それをどうにかする力点が入らなければ、ね。


「一時の、か」


「一時の、ですな」


荒木村重をどう動かすか、にもよる。


持参した水筒で喉を潤す。


義助の傍らには茶。

私には白湯でも出ないかなと思ったが、そこは譲れなかったらしい。

まあ足利一門ならともかく果心居士ではね。


「茶を所望するか?」


なんて思っていたらまさかのお誘い。

これを辞退するのは有り得ない。


「宜しければ是非に」


茶の湯。

それは腹を割って話そうぜ!

というお誘いである。


場合によっては毒殺とかもあり得るが、まあ大丈夫だろう。

一応心得はあるし、護衛の影もいることだし。


義助が近臣を呼んで茶と湯の準備をさせている。

本来なら別室で待つって作法もあるけど、まあいいよ。

私は気にしない。


さてさて、軽い挨拶だけのつもりできたんだがね。

どこまで話し込んでいくべきか…。



* * *



「善通寺雲慶と称しております。

 どうぞお見知りおきを…」


茶の湯の席で引き合わされた山伏風の男。

のっけから偽名と注釈してるのが面白い。

雰囲気から義助に仕えている訳ではないようだな。


「果心居士と申します。こちらこそよしなに」


気軽に応答。

私は偽名じゃないからね、変名とか別名とか…そんなのだから。


で、何をさせようと?

義助に視線を遣ると頷いてみせる。

いや喋れや。


「果心殿との音信を担う旨、お任せ頂きたい」


雲慶が話すのか。

いやなるほど、そういうこと。


「願ってもないことですが…。

 全てご承知の上ですな?」


冒頭は雲慶に向けて、後半は義助に確認。

二人が頷く。


忍び衆を抱えるのは何も私だけじゃない。

四国には石鎚山がある。

九州の英彦山と並び称される有名な霊場だ。

修験者が多く所属し、各地を渡り歩く彼らは雑賀衆のそれに近いかな。


それに阿波と讃岐は雑賀や根来に所縁の者も多い。

うん、別段おかしなことじゃない。


「早速ですが我が上役を紹介しましょう」


納得したと見て取った雲慶の発言。

てっきり義助直下で動くものだと思ったが。


義任ぎにん様です」


音もなく入ってきたのは痩せぎすの男。

おいおい、視認するまで気付かなったぞ。

気配薄すぎね?


「平島義任と申す。

 以後は兄に代わり某が承る」


「兄…なるほど、承知しました」


義助の弟か。

一見あまり似てないが、んー…目元は少し似てるかな。


「後の事は任せたぞ。

 では果心殿、またいずれ」


そう言って出ていく義助を見送る。

気配が遠ざかり分からなくなると、漸く義任に存在感が出てきた。

すると茶室の空気も変わった。


つまり、ここからが本番。

そういうことか。


*


「久方ぶりに兄上の御機嫌が宜しかった。

 其方に感謝すべきなのだろうな」


穏やかに話し始める義任。

平島姓を名乗っていたが、義助の弟ということは彼も足利一門。

紛れもなく我が従兄弟殿である。

つまりは高血統。


それにしては随分と、私が言うのもなんだが異質だなあ。


「平島殿、どうやらかなり修練を積んだご様子」


「口調も態度も普通で良い。

 まあ我ながら変人だとは思っていたぞ。

 しかしまさか、征夷大将軍が忍んで来るとはなあ」


敵対的存在だしね。

しかし義助は貴人としての役割を担い、義任が影の部位を補っていたのな。

どっちも一人でやってる私の異質さが半端ないぜ。


すると雲慶と称する者は私にとっての伊賀衆みたいな存在か。

一気に親近感が湧いた。


「変人だな、紛れもなく」


「互いにな」


何だか不思議なシンパシーを感じて笑い合う。

こうなると身内だが内輪でないのが残念でならない。

いやまだ遅くはないが。


「まあ雑談も良いが、実の話に移ろう。

 そちらにはこの雲慶を随伴させる。

 ああ、雲慶というのは衆の総称でな。

 常に誰かが我らの傍らにあるのを理想としている」


「なるほどな。こちらも幾人か見繕おうか?」


「ほほう、噂に聞く伊賀や甲賀の衆か」


「うむ。雑賀の者らも含めて皆が優秀でな」


「だそうだぞ雲慶。負けてはおれぬな」


「誠に左様。しかし我らの強みはまた別義にて」


一にして全、全にして一。

衆として雲慶と称する者たちの在り方はそういったものなのだろう。

伊賀衆の一部には未だ似たような形態がある。

個人的には好ましくないが、それで彼らの強みを否定する訳にもいかない。

実際助かってる面も大いにあるからなあ。


「時に平島殿、其方は表に出ておらんのか」


「平島は仮称だ。義任で良い。

 …普段は病弱ということになっておる」


影武者もいるらしい。

うん、聞けば聞くほど貴人じゃなくて変人だ。

とても高血統とは思えない。

お忍びで各地を旅するほどじゃない分、誰かさんよりはマシな部類。


「自分で動くのは阿波に、せいぜい讃岐くらいだがな」


思ったよりも動いてるな。

それも含めて印象は良い。

仲良くなれそうだ。


護衛の人が微妙な気配を醸し出しているのは気疲れかな?

すまんね。

アザミちゃん辺りには内密に頼むよ。


「深々と話し込みたいところであるが」


「同意する」


笑みを一つ、次いで真面目な顔に。


「ならば長宗我部について、擦り合わせが必要だ」



* * *



義任との話し合いは有意義なものとなった。

雲慶を伴って阿波を後にする。

向かう先は当然ながら備後国は鞆の浦。

私が滞在しているところ。


大々的に協力者や影武者がいての内密とは言え、流石に留守が長くなると色々な問題が出て来る。

次の布石も必要だしな。


「源兵衛に遣る人選を頼まねばな」


「噂に聞く伊賀の頭ですか。

 どれほどの達者か楽しみです」


力量に自信を持つ者ほど別流の技を確かめたがる。

悪いことじゃないけど、まあ程々にな。


「呼称は雲慶で良いのか?」


「左様」


実際には雲慶の何某とかなるんだろうけど、当事者がそう求めるのなら尊重すべきだろう。

恐らく私の前に現れる雲慶は彼がメインになるのだろうし。

それに呼び分けが必要になるほど、かの組織として関わることはないだろうな。

必要になれば義任が出て来るのだろうし。


そう、義任ぎにんだよ。

足利…もとい、平島の義任。


まさか四国にあんな奴が隠れているとはなー。

最初は義助とコンタクトをとるだけの、本当に挨拶だけのつもりだった。

今後の事を考えての顔つなぎ程度のね。


それが存外に好印象で、茶の湯に招待されるわ忍び衆を紹介されるわ。

さらに忍び衆の元締め?上役として義任という知己を得ることができた。

これはでかいよ。

ホントにでっかいよ。


今後の幅が一気に広がる。

特に四国に対しては。


土佐の戦国大名、長宗我部元親。

土佐を統一するや伊予と讃岐に進出し、勢力を強めている。

早くから畿内に目を向けて織田家とも接触してきた。


みっちゃんが折衝窓口らしいけど、どれほどの影響があるのかね。

少なくとも三好家に対する存在として大きいことは間違いない。

台風の目になるや否や。


注視しておきたい。

仕事を増やして怒られるかもしれんが、気付かないよりはマシだろう。



平島ひらしま義任ぎにん

別名…というか本来は足利氏で名は義任よしとお。義佐とも。


十四代将軍・義栄の弟で名前以外実績がほぼ何も伝わらない足利一門。

そこで天啓…自由な創作が許される…かも。


ネタ元は平島公方と足利義助の子孫が平島氏を名乗らされたこと。

そして足利頼氏が創建した天台宗寺院、義任山吉祥寺より。


光善院明岳の父を義任とするものもありますが、兄弟説が主流かな?

他に義任を義助の子・義遠に充てる可能性も…。

そんなあやふやな存在なのですね。


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