41 入津
摂津で荒木一党の動きを見極めんと深入りしてから早半月。
時間的制約から紀伊と河内を諦め、播磨を通って備後へ突入した。
いや、流れ公方の備後入りに間に合わない可能性が出てきたからさ。
少し焦ってしまったよ。
無論、河内、紀伊、大和へは日を改めて果心居士が必ず行くと約束しよう。
「公方様!無理は禁物とあれほど…」
深入りした結果色々把握出来たはよかったが、反面犠牲も大きなものに。
例えば影武者や伊賀衆たちの精神状態。
そしてアザミちゃんと彩の御機嫌などなど。
特に彩とは紀伊で落ち合う予定が未来に先延ばし。
ガチで怒ってるお手紙をアザミちゃんから渡された時の恐怖と言ったらもう。
般若の陽炎が…。
全て我が不徳の致すところ。
批判説教お叱りは甘んじて受け止めよう。
だけど物理は勘弁な。
と、言う訳でやって来ました備後の国は鞆の浦。
足利家の故事によれば由緒正しき縁起持ち。
だけど別に足利の領地じゃない。
安芸毛利家に属する国人衆が支配する地域で主な領主は渡辺さん。
以前毛利の使者としてやってきた渡辺石見守とは同族別流。
お邪魔します。
宜しく頼むよ。
私は紀州畠山家のもとを辞し、御供衆を引き連れ海路遥々やってきた。
──ことになっている。
播磨を素早く駆け抜けて船が入る港で待機。
到着するや影武者と秘密裏にバトンタッチ。
「大儀であったな。
真木島と協力して上手くやったと聞いたぞ」
「勿体なきお言葉です」
軽く言葉を交わして将軍は無事、本体へと入れ替わった。
声役と身体役が別々なのは大変だったろう。
でも場面に応じて使い分けできるってメリットもあるよね。
──なんてことを考えながら毛利家や国人衆の挨拶を受けていた。
そこで発表された毛利家による将軍家の警固番。
メイン警護は一条山城主、渡辺さん。
「名族、嵯峨源氏の裔たる其方じゃ。
ホホホ、頼りにしておるぞ?」
サブ警護は大可島城主の村上さん。
村上は入津にあたり歓迎してくれた瀬戸内海賊衆の一人でもある。
「村上源氏に連なる海賊衆とは何とも心強い。
きっと余を支えてくれよ」
源氏の棟梁として、源氏の流れを汲む二人が側に居るのは心地よい。
などと出自で判断して上機嫌になってみる。
そんな私を冷めた目で見るのは、さて何人いるかな。
…ふむ?
今はまだそこまで多くはないか。
出自のみで判断するのは人を真には見てない証拠。
将軍がそれでは未来は暗い。
そういったところに気が付くのは毛利家から派遣されてきた奉行衆だろうか。
どうやらまだ様子見みたいだ。
ちなみに渡辺はともかく、村上の出自は自称でホントのところは分からない。
しかし海の男らしい立派な体躯。
それだけでも十分頼りにしたいところだけどな。
さて、しばらくは備後に降り立った将軍への歓迎の宴が催される。
酒に珍味に山幸海幸。
貴人の無聊を慰めるためか見目麗しき女衆もあらわれた。
手を付けるべきか少し悩んだのは内緒である。
* * *
名実ともに流れ公方となった足利義昭。
船旅に疲れたのか覇気がない。
都を追い出されて草臥れた姿はとても栄えある征夷大将軍とは思えぬ姿。
宛がわれた女に現を抜かし、酒を浴びる様子はとても見るに堪えぬ。
「──などの噂が出回っております」
「無礼なり!…消しますか?」
私が密行中、影武者声役を務めた真木島昭光が噂話を教えてくれた。
そして影武者本体を務める伊賀衆が物騒なことを聞いてくる。
二人とも落ち着き給え。
「放っておくがよい。
計画に支障はないし変更もなしだ」
「…御意」
なんだかとっても不満そう。
いや物騒だな君。
見れば昭光も軽く頷いている。
最近玄蕃頭を称するようになった此奴は目立つタイプじゃないけど頭は良いし忠誠心も高い。
そんなところが伊賀衆と波長が合うらしい。
今も自然に同調してるし。
感化されちゃったかー。
しかし、どうしたものかな。
影武者係は信頼されている者に限られる。
それはそれで名誉だ恐悦だと大層励みになっているようなのだ。
一方で私の代行代理は近くに居れない。
密行暗躍果心居士。
悩ましいところかもしれないね。
さて、本体役の影君がこれほど憮然とする理由は何だろう。
流言飛語を看過するのが嫌なのか。
はたまた御座所に腰を落ち着ける間も無く旅立つ予定を伝えたからか。
いや、早急に紀州へ向かわねばならんのだよ。
「公方様。影めは狩りを得意とする者。
ご信頼は誉れなれど得手を生かせませぬのは」
源兵衛から助け舟が出された。
なるほど?
影君は暗部の方が性に合ってると。
昭光の方は側衆足り得たいという欲求が強い。
なるべく当人の意向に沿いたいところではあるが…。
ブラックな職場ですまんな。
だが安易に謝る訳にはいかない。
鼎の軽重がどうとか体裁の面もあるが、一部を除く忍び衆は殊更恐縮して萎縮しちゃうんだ。
よって対応は高圧で乱暴なものになりがち。
ストレス加重。
「常にそうある必要はない。
玄蕃頭や右衛門佐らもおる」
昭光はともかくゴローちゃんが影武者足り得るかはさて置き。
まあやり方は色々あるよって言いたいだけだ。
源兵衛なら上手くやってくれるだろう?
期待を込めて見詰めてみると、苦笑しながら頷いてくれた。
やったぜ!
「改めて申しておくが、流言に踊らされてはならぬ」
「御意。只管に踊らせるのみ…ですな?」
ニヤリと嗤う魑魅魍魎ども。
見てて怖いが恐らく自分も似たような感じなんだろうなあ。
最近とみにそう思う。
高血統が聞いて呆れるぜ。
* * *
鞆の浦御座所、離れの縁。
「そう言う訳でな、時を置かずして再び舞い戻る予定だ」
「源兵衛殿も気苦労が絶えませんね」
アザミちゃんこと佐古の方と二人きりでランデブー。
ちなみに佐古は播磨赤松庶流宇野氏出身の娘、という設定。
中国地方ではそれなりに名が通る。
これを利用する日も来るだろう。
それはさておき、久々に愛妾との一時を堪能したい。
深慮なく他者に語って聞かせることで頭の整理にもなる。
しかも重臣たちとの打合せとは異なる視点を持つアザミちゃん。
表裏に通じた彼女ならではと言える指摘に、ハッとさせられることも多々あるのだ。
徒然と語りながら、魅惑の尻を撫でようと手を伸ばして叩き落とされる。
なんでや!
閨では存分に堪能させてくれるやん?
視界の端で九蜂が失笑していた。
おのれ…。
後で絶対触ってやるもんねー!
「公方様、まだ日も高うございます。
左様な事は…閨にてお願い致します」
「む、すまん」
悪ふざけにマジレスされると一瞬で冷静になる無情。
視界の端で九蜂が無音で大笑していた。
絶許。
* * *
アザミちゃんとの情事を経て、九蜂をシバキあげて脳内整理を完成させた私は次なるステージへ向かう。
九蜂はずっと笑っていたので遂にはアザミちゃんに下駄を預けることに。
事実上の無罪放免、完全敗北である。
私は再び果心居士となって中央に戻った。
今回も残念ながら影君の願いに沿うことは出来なかった。
一応、メイン影武者は昭光に頼んだから大丈夫だとは思うけどね。
最近ちょっと動き過ぎかとも思うが今が大事な時期。
多少の無茶は許して欲しい。
淡路衆のちょっかいをあしらいながら海路逆行して紀州和歌の浦に入津。
熊野の皆さん、いつもお世話になってます。
今後とも宜しく。
いやあ、陸路に比べて海路は早いね。
「さ、皆の者。早々に役割を果たそうぞ」
号令をかけて散開する。
今回の密行は前回以上に時間的制約があるため、どう考えても一手では足りない。
だけどお手紙だけでは物足りない。
だったら物量で勝負するのは自然の流れ。
メインは雑賀衆と根来衆。
雑賀衆は言わずもがな、根来衆も目立たないけど働き者。
特に熊野との折衝や大和路その他、アレコレに引っ張りだこの優秀さ。
雑賀よりも穏健派が多く、本願寺に片が付けば織田家に降る予定になっている。
一点集中は危ないからね。
さて私だが、前回泣く泣く諦めた紀伊を詣でる。
高政に挨拶するため昭高を伴ってきたし、彩にも謝らなくてはならない。
徹底抗戦の地。
時間は味方を地で行く国…それが紀州。
幕府三管領が一、畠山家がでんと構える最強の砦だ。
もう管領って役職は形骸化してるけどねー。
潜伏を続ける孫三郎とも会っておきたい。
成長した景泰とともに蜂起の時を待っている。
元大名の一門が見知らぬ他国で牙を研ぎつつじっと待つ、その気力は凄いの一言。
実は現地で後妻を迎えており、彩にとっての弟が出来ていたりする。
だから血統については実は心配なかったりする。
表には出せないのがもどかしい。
もうあと幾年の我慢かな。
* *
「公方様、ようこそお出で下さりました!
昭高も無事で何よりじゃ」
「うむ、河内守も息災そうで何より」
「お久しぶりです兄上」
紀伊国主、畠山河内守高政。
戦上手で内政は苦手。
寺社勢力の強い国内が上手く回っているのは弟・政尚の力が大きい。
もちろん強い主君に従う者が多いのもある。
性格は奔放。
国主の座を昭高に譲りたくて仕方がない。
最近は内政が上手な政尚でも良いと言っている。
必死に宥める政尚と無視する昭高。
兄弟でも性格はかなり違うという見本のようだ。
なんだかんだ高政の国内人気は高い。
乱世にあって、戦に強くて国を上手くまとめることが出来るトップの影響力は凄まじい。
これで人間性がアレだったら残念だけど、高政なら問題ない。
守護大名としてはちょっとアレだけどな。
まあこれは個人の感想ですから。
「さて河内守。
三好左京大夫が事、聞いておるか」
「はっ、おおよその事は」
我が義弟で河内半国守護の義継君。
定石で言えば両名協力して反織田勢力の一翼を担うべき。
しかし現実はそう簡単ではない。
現状、私は征夷大将軍の職位にある。
備後に動座したとはいえ、幕府の機能もある程度担保されている。
一方京の都、二条城には私の正室と嫡男(乳児)がいる。
織田家の影響下にあるとはいえ、室町幕府の権能も凍結はされていないのだ。
これまでにもあった足利将軍家の内紛状態。
即ち幕府が分裂していると見られてもおかしくはない。
しかも都は織田家が押さえており、畿内も概ね治まっている。
そんな情勢にあって片方に、しかも遠方の弱い方に肩入れするのは危険であろう。
元三好家重臣で今でも影響力を持つ松永久秀。
此奴が義継君を唆し…もとい、諫言したようでね。
河内半国と大和の並びで最前線に立つのは避けることにしたらしい。
「未だ確定ではない。
されど楽観は出来ぬ」
「同意致します」
こと戦略上の視点については優れる高政が同意した。
これは大きい。
昭高も異議は唱えない。
既に論議は尽くしてきたからね。
今回の訪問では高政と意見を一つにすることが主目的。
よってとりあえず問題はなくなったのだが。
それだけじゃ味気ない。
前回の埋め合わせもしておきたいしね。
高政が一番喜ぶこと。
彼の望み。
それは昭高に守護職を譲り、私に近侍すること。
とても認められない。
なので次善の策。
「時に、畠山には南河内と紀伊を任せておる」
「は、ありがたきことにて」
「今後の事を考え、守護を分けようと思うておる」
「公方様!それはっ」
何かに感付いた昭高を手で制し、一気に伝えてしまう。
「畠山左衛門佐、紀伊の守護職を任ずる。
河内守には引き続き南河内を任せたい。
また、後見と守護代も任せる」
高政が願ってやまない昭高の守護職就任。
これを半分叶えてやりつつ、高政も南河内守護として留任。
紀伊の国政は引き続き政尚に任せるし、高政の後見も頼む。
つまり、三兄弟揃って紀州を万全に宜しく頼むという依頼である。
普通に考えて褒美にはなっていないのだが、しかし…。
「ははー。この高政、謹んで拝命仕りまする!」
高政は喜んでこれを受入れた。
「…御意」
片や昭高は苦い表情で返事を絞り出す。
対照的だが分かっていたことだ。
ゆくゆくは両国とも昭高に譲渡される。
その過程であると理解した高政は喜んだ訳で、私の側から離れたくない昭高は嫌がった訳だ。
「左衛門佐、其方は紀伊にあって余の代理人足るべし」
今後は紀州担当の式部も頻繁に来ることになる。
橋頭保を築く意味でも頼みにしておるでな。
「大事な場所だ。
故に信頼出来る其方と畠山に任せる」
主君にそこまで言われちゃ忠誠心の高い家臣としては平伏する他ない。
ちょっと卑怯なやり方になっちゃったけど許してくれ。
全ては我が野心のため。
引いては天下万民の為である。
…あれ、逆かな?
「さて、これより余は果心居士となる。
客分として持て成してくれよ?」
固くなった空気を解すべく努めて軽く言ってみる。
すぐさま察した昭高が対応。
「ええ、紀州畠山当主として精一杯おもてなし致しましょう」
ちょっぴり皮肉が利いてるぜ。
優秀な佞臣もいいけど、今後は旧弊の代理人としても頑張ってくれよ。
期待してるぜ!
─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─
「おお彩、久しいの。息災であったげふうっ」
「これはこれは果心居士様。首を長くしてお待ち申し上げておりました。ええ誠に。よもや約束を無視して佐古様のもとへ急ぐなどと夢にも思わなかった愚かな娘をお笑い下さい。しかし大丈夫です。綿花は裏切りませぬ。ああ、これはご協力頂いております根来寺と粉河寺謹製の弦にございます。うふふ、如何に果心居士様とて抜けられませんでしょう?ご安心下さいまし。何もとって食うわけでは…、んー…まあ宜しいではありませんか。さあ、参りますよ。大丈夫です。ちゃんと御簾はありますからね…」
流れ公方の足利義昭。
無事に鞆の浦へと入港。
なお、本人は秘密裏に陸路で来ました。
しかし後日、使者に扮して海路紀州に向かったので問題ありません。




