40 密行
丹後での成果はまずまずってところ。
一色家との会談も出来たし悪くはない。
向こうからすれば、兵部との間で大体の取り決めが出来上がっていたところにダメ押しとばかりにお忍びで流れ公方がやってくるという謎の展開。
そして突然の三者面談。
一色親子は頻りに恐縮していたが大丈夫、こっちの昭辰はしっかりやってくれているよ。
我が頼れる兄貴分、式部との競合状態に変化はないが、足の引っ張り合いもないので不満もない。
安心してくれ。
まあ式部は紀州担当にして雑賀衆の取次役。
今回の密行についてでも調整係を担った立役者でもある。
三藤筆頭としての地位は揺ぎ無い。
そこに張り合わず、自分の役職をコツコツ続けられるのも才能だと思うよ。
うんうん。
ちゃんと評価してる。
だから実家の方も適正に評価しますとも。
さて、丹後は問題ないとして本当は若狭と越前にも顔を出したかったんだけどね。
若狭は武田元昭の守護国。
越前は孫三郎と彩の出身地。
将軍になる前の私も長らくお世話になった地として思い入れがある。
が、やはり織田の領地となって久しい両国は厳しいとの判断から見送りに。
特に越前は一向一揆の関係でイロイロと大変。
仕方がないね。
ま、北陸方面に関しては正信が確り見てくれている。
それで満足するとしよう。
と言う訳で次の予定だが、少し迷っている。
当初の目論見通り丹波に向かうか敢えて但馬に抜けるか。
但馬には四職が一家、山名氏がいる。
一度くらいは見ておきたいのだけど、伊賀とはまた違った山国だから。
旅程で摂津に入るのは決定事項だから、但馬も無理かなあ。
難しいよ。
* *
結局但馬は諦め丹波路へ。
しかし入ったはいいが、波多野と赤井には会わず仕舞。
波々伯部六兵衛の屋敷に滞在して情報収集を少々。
そしたら縁故と権益が絡み合っててもう、色々大変そうだってのが率直な感想。
東北の縮図だな。
今は変に深入りしない方が良いと判断した。
解きほぐすには時間的制約が厳しくてね?
一応、公方様直筆のお手紙を認めておく。
何かあったらみっちゃんを頼ると良いよ。
一口に織田家と言っても様々だから。
明智と細川は信用出来る。
…なんてね。
特に波々伯部は良くしてくれた。
みっちゃんにも知らせておこう。
縁故は大事だいつまでも。
*
出来るだけギリギリまで粘って慌ただしく摂津に入る。
摂津と言っても広いが、メインとなるのは石山本願寺。
今、まさに時代の分かれ目に立つ地域である。
数名なら忍び込めると思うが、果たして出ることが叶うかどうか。
一分の隙もないというのは流石に言い過ぎだが、中々に張り込んだと思える光景。
まだ海上輸送網は途切れてないのが救いだな。
孤軍奮闘はキツイ。
だったら味方を作ればいいじゃない。
そうは言っても中々上手く行かない世の中よ。
摂津にあって蠢動したのは池田と荒木の主従二名。
宗家当主の池田知正は同族で摂津三守護の一人、池田勝正を謀反の疑いありとして襲撃。
唆したのは知正の家老で羽柴やらと親しい荒木村重。
さらに村重は高山を誘って三守護は敵方であると喧伝。
中川清秀と伊丹親興をも巻き込み大論争が発出した。
この結果、対石山戦線は綺麗に機能しなくなって信長のイライラが募ってるらしい。
付け入る隙はあるけど無理はすまい。
頑張れば行けると主張したけど随行員(伊賀衆)に怒られたから諦める。
凄い剣幕だったもんなあ。
在りし日のアザミちゃんみたいだった…。
仕方がないので麓で待つとしましょうか。
* * *
摂津国内で幾つか拠点を転々としながら時機を待つこと暫し。
「現状をご報告申し上げる」
ふらりとやってきたのは本多正信。
そして下間頼龍。
久しぶりだね。
今のところ瀬戸内と熊野の海賊衆が奮闘してて、補給路に問題はないそうだ。
しかし油断は出来ない。
織田方の九鬼、そして佐治の船衆が新しい安宅船を考案したとの噂もある。
鉄張だとか大筒を積んだとか南蛮風だとか。
どれがホントかどれもホントか分からない。
いずれにしても正直ジリ貧だ。
本願寺上層部もその認識は変わらない。
肩入れする雑賀衆や三好の一部も以下同文。
「故に、頑強に抵抗しつつ水面下で接触を図っております」
「本心を悟られぬようするのは骨が折れまする」
持ってあと数年。
もっと早い可能性もある。
「朝廷には織田家からも依頼が入っておるそうじゃ」
互いが互いに大変なことになったと困っている。
意地とか思惑とか曲げられないこととか、色々あって戦いに発展した訳だが…。
本当は顕如も望んでないんだこんなこと。
表向きは威勢よく、裏では悩みに悩む辛い日々。
下手に力を持つと大変だよね。
顕如も、信長も。
私もそうだったけど一抜けしちゃった。
思惑あってのことだから後悔はしてないが、若干の申し訳なさもないではない。
だから裏から少しばかりお手伝い、しましょうか?
「弥八郎、それに按察使よ。
雑賀の者たちを上手く使うと良い。
若太夫には伝えておるでな」
「ご配慮感謝致します。
下間殿も御一党を抱える身。
割振りは大事だと思いますぞ」
「確かにそうですな。
公方様…いや果心殿、忝い」
雑賀衆を追加で派遣。
紀伊で私たちを守っていた中から選抜して投入。
備後に行けば味方になった世鬼もいるから…多少はね。
そういや昔、近江あたりで伊賀衆と少し揉めた蜂屋の者たち。
出雲の方に鉢屋を称する一党もあったようだが、結局どっちだったんだろうね。
今となっては闇の中。
まあどうでもいいか。
餅は餅屋。
「時に弥八郎よ、摂津池田のこと。
詳細は把握しておるか」
「概ね。…ご入用で?」
「うむ、こちらが知らなさそうなことを頼む」
難儀なお達しですな。
なんて苦笑しながらも饒舌に語ってくれた。
相変わらずの弁士ぶり。
羨ましい。
*
摂津の情勢は日ごとに変わって目まぐるしい。
前回入手し精査した情報は既に過去のもの。
もちろん知り得た知識は無駄ではないが。
いずれにしても時は金なり、だな。
ササッとまとめよう。
幕府任命の三守護のうち、勝正と親興は城を失い逃亡。
清秀は高山の説得に応じてしまった。
先ごろ勝正を攻め落とした知正だったが、その権勢は長続きしなかった。
というのも、家臣筋で唆した元凶とも言える荒木村重の裏切りにあってしまったからだ。
その後、池田家を取り込んだ荒木は余勢をかって伊丹城をも攻め落とした。
実に乱世。
ちなみに清秀は高山親子の説得に応じて開城したのだが、高山は荒木に従っている。
これにより、荒木村重は摂津随一の有力者に成りあがったのだった。
そんな彼の言動は色々と矛盾を孕んでいる。
乱世であればよく見る光景であるものの、平穏を夢見る者からすれば嫌悪せずにはいられない。
だからこそ私たちは冷静に注視しなければならないのだ。
「荒木の背後におるのは織田か」
「正確には羽柴と、加担するのは播磨の小寺にござる」
ああ、あの…。
如才ない立ち振る舞いを思い起こす。
現実主義とみせかけた理想主義者で己を恃むこと甚だし。
正信に近いものがあるが、こちらは理想に燃える現実主義者。
似て非なるタイプ。
もっとも、両者のどちらが悪いという話じゃない。
ただ前者は私やその体制と相容れないというだけだ。
感情論はさて置き、気になることを聞いておこう。
「池田筑後守と伊丹大和守は無事か」
「伊丹殿は兵庫助殿ともどもご無事の由。
池田殿については囚われと聞き及んでおります」
伊丹親子が無事なのは良かった。
しかし勝正が捕まったとは。
「救い出せるか?」
「今は何とも…。
されど見張らせておりますので」
「分かった。頼むぞ」
今は斬られてないだけマシと思うしかないか。
…よし。
切り替えよう。
*
「──と言ったところでしょうか」
「助かる。ご苦労であった」
やはり正信からしっかり聞き取りして正解だった。
ある程度理解を示せば上手く話してくれるからね。
逆に聞き流すようだと機嫌を損ねて何も話さなくなる。
とても頑固。
しかし今は果心居士として在る身。
あまり偉そうにするのはどうかとも思うが、一応雇い主でもあるからね。
まあ情報を買う身として考えるなら問題ないか。
「少ないが、これを持っていくが良い。
確り栄養をとり休息もするのだぞ」
「はは、お気遣い痛み入りまする」
「按察使。お主らもだぞ」
「はい。上人様にもきっとお伝え致しましょう」
顕如と本願寺の様子も大体分かった。
息子が武闘派過ぎて大変らしい。
…おい坊さん。
流石は一向一揆の総本山、流石は乱世と流してしまって良いものか。
やはりどうにかしないといけないよなあ。
信長も頭が痛かろう。
「では、我らはこれにて」
そう言って正信と頼龍が下がっていく。
時間があればもうちょっと話し込んでいたかったが…。
私以上に彼らだって忙しい。
仕方がないな。
明日には摂津を起たねばならない。
次は河内かあるいは播磨…。
おっとその前に、堺に寄ってみようかね。
* * *
野宿と称した仮宿にて、揺らめく灯を見ながら考える。
今回の密行も後半戦に入った。
ここらで少し、これまでの情報の擦り合わせと方針確認をしておこう。
但し、あまり声を大にして言う訳にはいかない。
なんせ結界は張ったが違和感を大きくしては意味がない。
せいぜいが程々の人避けでしかないからな。
差し当たり重要なものは丹羽と羽柴の現状と展望。
織田家中での在り方。
そして外部との繋がり。
特に荒木、そして小寺。
小寺は大名の方じゃなくて、猪口才な家老の方だ。
確か官兵衛孝隆とか言ったか。
小寺の播磨では本願寺関連で別所が使える。
繋ぎをとって上手く抑え込めれば…。
要検討事項が増えるな。
あと高山に迎合して荒木の一党に加わってしまった清秀。
彼には一筆認めて現状を追認し、いざと言う時の為に繋がりを保持するよう指導しよう。
具体的には心情を汲み取り分かってると伝え、昔日の思い出を描いて情に訴える。
その上でまた会える日を楽しみにしてると送ろう。
きっと分かってくれるはず。
そして目下の重大事、荒木村重の目的だが…。
これが分からない。
摂津一の勢力に成り上がったにしても、自立するのは難しい。
元より将軍家寄りの勢力ではないし、織田家に属さず本願寺に通じる訳でもなし。
「荒木の目標は何だと思う?」
「さて…。しかし鍵は羽柴にあるかと」
「送り込まれた養女は離縁されておりませぬ」
「播磨…糟屋の娘であったか」
「御意。小寺の縁にて」
話し合うも明確な答えは出てこない。
羽柴との繋がりがあるのは確かだが、より強いのは播磨衆との接点。
織田家へ従属する素振りも見られず見通しが立たない。
こんなことは久しぶりだ。
ままならないことなんて履いて捨てる程あるけどさ。
情報戦で負けるのは我慢がならない。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
もうちょっと近寄ってみるか。
:人名備忘録:
一色藤長:一色式部家当主で御側衆にして御供衆の三藤筆頭。式部少輔。
一色昭辰:丹後守護一色家出身の奉公衆。宮内少輔。
武田元昭:若狭守護武田家当主。義昭の甥っ子。孫八郎。
安居景健:越前朝倉分家出身で彩の実父。紀伊に潜伏。孫三郎。
朝倉景泰:越前朝倉庶流で孫三郎に同行。紀伊に潜伏。七郎。
波々伯部光吉:丹波衆。妻は荒木氏綱の妹。六兵衛。
本多正信:三河出身の一向門徒。弥八郎。
下間頼龍:本願寺坊官で顕如の側近。按察使。
池田勝正:摂津三守護の一人。筑後守。
中川清秀:摂津三守護の一人。瀬兵衛。
伊丹親興:摂津三守護の一人。大和守。
伊丹忠親:親興の嫡男。兵庫助。
池田知正:摂津衆。池田宗家当主。左衛門尉。
荒木村重:摂津衆。池田知正の家老。信濃守。
高山友照:摂津衆。清秀とは親戚。図書。