39 対面
「御台所様におかれましてはこの度ご嫡男を上げあそばされましたこと、誠に執着に存じ上げ奉ります。
公方様をはじめ天下万民も心から慶賀の念を抱き、感涙に咽ぶこと間違いなしと存じ「お黙りなさい」…」
やあ、ボク果心居士。
於市ちゃんが頑張って男児を産んだと聞いて居ても立っても居られず、高野山から遥々祝いの品を携えてやってきたんだ!
此処は都の二条城。
限られた者しか立ち入ることの許されない奥殿。
特に男子で入れる者は本当に極僅か。
それこそ当主である足利義昭か、せいぜい猶子である織田信忠くらいのもの。
於市の実兄たる信長とて許されない。
足利家と関係ないから当然だね。
他に居るとしたら、それはもう表向き存在しない者達だけだ。
ならばさも当然のように縁側に陣取るボクは、一体何者なのでしょう。
そして長々とした私の口上は冷たい視線を湛えた於市ちゃんによって遮られた。
「果心居士、と敢えて申しましょう」
「はい、何でしょう」
最初にそう名乗ったからね。
まあ流石にボクが私であると気付いていないとは思わない。
しかし、表向き居ない者が当たり前の顔をして居るのがどれほど異常なことか。
奥殿の主たる於市ちゃんが知らぬはずもなし。
此処の警備網が凄まじい。
そうなるように頑張ったから。
当然ながら自力では辿りつけない。
伊賀衆に引率され、雑賀衆の協力で都に入り込み、甲賀衆の手引きで城内にまでやってきた。
ならば疑問や不穏の材料となれば、此処にいる理由かな。
そうあたりをつけて聞く姿勢に入る。
どのみち怒られるのは間違いない。
「何故、如何に、如何して…。
聞きたいことは山ほどありますが」
意味深に切って溜め。
於市ちゃんは爆発するタイプじゃないと思うんだが。
ちょっと不安になってくる。
「まずは板間へお移りなさいませ」
「え?ああ、はい」
縁側から座敷の手前、板張りのひんやりした空間に入る。
困惑しながら座ろうとする、と。
「正座」
「ア、ハイ」
流れるようにお説教開始。
「良いですか?
そもそも此処は二条城の奥殿というだけでなく室町の最重要拠点にして例え下野の者とて簡単に立ち入ることの出来ぬ場所しかも警護の者はいずれも手練ればかりわらわたちはかの者たちを信じてまた遠く紀州にて返り咲きを準備する公方様と心を一つにしてただただ信じて…わらわはわらわにしか出来ぬことを一生懸命やっているというのに何ですかこれは如何に服部や多羅尾に土橋といった腕利きを揃え従えるとて危険極まりない状況をまこと理解しているのですかッ!?」
堰を切って出て来るお咎め内容はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
支離滅裂とまではいかずとも、とても理路整然とは言い難い。
いつも冷静な於市ちゃんらしからぬ事態。
でも心配させたというのは分かるので、抱き締めようと身動ぎしたらギンッと睨まれ一時停止。
「誰が動いて良いと申しました」
「アッハイ」
再び背筋を伸ばして綺麗な正座に戻りました。
我が身は蛇に睨まれた蛙が如し。
鋭い眼差しを受け止め続けること暫し。
於市ちゃんがフゥーッと深く長い溜息をついて、場の空気は弛緩した。
そして俯き加減にポツリと漏らす。
「…心配致しました」
軽く頷いて応える。
「公方様が去り、皆が追い。
織田家に阿る者が増えて、心底信じられる者は極僅か」
視線を下げたまま、ぽつりぽつりと語る彼女を黙って見詰める。
「子を授かると分かった時、何としても男子を上げんと。
我ながら無理をしたと思っております」
仔細は聞いた。
精神的に参ってもおかしくない状況だったと。
「それでも、わらわを褒めて下さいますか?」
「無論だ、よくやった」
顔を上げて縋るような視線を受けて今度こそ彼女を抱き締める。
果心居士としてではなく、足利義昭として。
妻を守る夫として。
「名は千尋丸と?」
「はい。公方様より授かった大切な御名です」
「顔を見られようか」
「是非、抱いてやって下さいませ」
織田家の息がかかってない乳母から我が子を受け取る。
小さいな。
壊れそうでとても怖い。
乳飲み子を抱くのは何度やっても慣れぬものだ。
「御台よ、改めてご苦労だった。
今後も苦労をかけるが、宜しく頼むぞ」
「はい。一目お会いできて、嬉しゅうございました」
暫し夫婦の一時を堪能し、私は再び果心居士に戻るのだった。
未練は決意の糧として。
* * *
「まさかこのキリを無視して去るなど、あんまりでございます」
於市ちゃんとの逢瀬を終え、左京進のもとへ顔を出しに行く道すがら。
キリに捕まり静かに詰られている。
どうやら順番が気に入らなかったらしい。
「いや、多羅尾の衆はよくやってくれているのでな。
先に顔を見てからと思っただけで他意はないぞ!」
「御台所様、千尋丸様は優先されて当然のことと分かっております。
されど、キリも於辰と共にお帰りをお待ち申しておりましたのに…」
微妙に話を聞かないのは変わってないなあ。
困ったちゃんだが懐かしい気持ちになったので予定変更。
「やれやれ。於辰も一緒か」
「はい!於江らも一緒にございますよ」
伝えるとキリは満面の笑み。
ああ、娘たちにも会わせようということか。
これは気が付かなかった。
「すまんな」
「いえ。しかし娘たちも内心寂しがっておりました」
もちろん自分も、と心なし悪戯気な流し目にドキッとさせられる。
少し見ないうちにまた強くなったようだ。
二児の母は伊達ではない、か。
ふふふ、と微笑み先導するキリに付いて行った先、娘たちに揃って出迎えられた。
於茶、於初はすっかり女の子。
仮とはいえ婚約者もいるせいか、随分と美しくなった。
於江と於辰はまだまだ幼い。
でも舌足らずながら一生懸命挨拶をしてくれる姿にほっこり。
「今、父は訳あって果心と称しておる。
家族以外に父が戻ったと言ってはならんぞ」
「心得ております、義父上様」
「ご安心ください御父上様。
於江と於辰もちゃんと分かっておりますよ!」
「そうか、偉いな」
ナデナデ。
「えへへ、くすぐったいのです」
褒めて撫でてグリグリしてるのを、キリが少し遠くで眩しそうに見詰めていた。
於市ちゃんが産後間もないからな。
しっかり母親やっててちょっと泣きそうに…。
名残惜しいが時間がない。
娘たちとの触れ合いもそこそこに、キリを抱き締めて本来の目的地。
左京進のもとへと歩を進めるのだった。
* * *
今回シレッと上洛した理由は誕生した嫡男のことが第一等。
でもついでと言いつつ大事な用事もこなしておこう。
時間が限られているので顔を出す程度になるが。
「さて、久しいな八郎右衛門」
「ハッ、よくぞご無事で」
「うむ、まあなんだ。御台の御陰よ」
都における織田家の代官にして取次役。
斯波一族に連なる者として強めの繋がりを持つ中川重政と会談。
その重政が言うご無事ってのは道中のこと。
伊賀衆・雑賀衆の一人としてひっそり動いてきたものの、途上で幾つか危険もあった。
「青地弥平太と申す者が、誰何してきたのだが」
「ふむ、恐らく織田家中の蒲生に仕える忍び衆ですな」
「振り切ってもよかったのだが、争いを避けるべく応じたのだがな」
そしたら甲賀の望月ってのが途中参加。
今思えばあれは手助けだったんだろうなあ。
「合言葉で上手く切り抜けられたわ」
「合言葉…符丁ですか」
そう、果心居士を名乗る時に取り決めた合言葉。
例えば川に柳、堤に餅など。
伊賀、甲賀、雑賀、根来あたりで通用するようだが、具体的な範囲は知らない。
蒲生の青地何某は当然知らんだろうから、望月が知ってて良かった。
「甲賀の望月を知っておるか?」
「望月出雲守なれば、織田家に仕えており申す」
多分、その一族だろう。
彼のお陰で助かったのだが、何故織田家に仕える甲賀衆が私を助けてくれるのか。
しかも助けてくれるということは私の事を見知っているということ。
現在、織田と私は敵対している訳であるが…。
それは恐らく都の於市ちゃんを守護するのが甲賀衆だからだろうね。
多羅尾の手の者がメインだけど、それ以外からも引っ張ってきてるって聞いてるし。
つまり、於市ちゃんのお陰で助かったと言っても過言ではないのだ。
動く理由が於市ちゃんだったなんて言ってはいけない。
*
「して、某に何用で?」
「うむ、勘九郎は如何しておるかと思ってな」
道中話は程々にして、敢えて重政と面会した本題へ。
嫡男誕生は大事だけど、我が義理の長男・信忠の動向も要注意。
「其方から見たアレは如何か。
通り一辺倒のことでなく中身の方ぞ」
動向自体は本人含めて各方面から色々入ってくる。
でも程よい距離で見る者の所見は限られるから重要なのだ。
重政の他には信広と孫十郎くらいだが、接触する機会が中々。
「御多忙の折にて、少々お疲れのことと」
「甲斐が姫のことは」
「御心を痛めておる様子」
信忠の婚約者、武田信玄の娘・松姫との関係は難しい。
織田家と武田家は絶賛敵対中だが、未だ婚約解消には至っていない。
私の肝入りで進めさせたからな。
今はそのせいもあって停滞中とも言えるが。
「他に女子などは」
「知る限り、一人だけ…」
ふーむ。
奥手なのか純真なのか。
政治向きじゃないところで、一度その辺詳しく話をするべきかもな。
「今、勘九郎は何処に」
「…まもなく摂津に入る頃かと」
残念、出陣中か。
「北畠侍従様、明智殿、細川殿らを従えての堂々たる御出陣でした」
「石山か」
「御意」
本願寺を囲む織田家。
信忠は信意ら一門衆を率いて後詰をするのだとか。
そろそろ山が動くかな?
しかしみっちゃんと兵部も参陣してるとは意外だった。
丹波や丹後のことはまだ、本腰入れる段じゃないのだろう。
大和の方はいいのだろうか。
「他に何か気になることは?」
「実は…大隅守様の御加減が余り…」
信広が病。
年齢的なこともあるし、多少は仕方がない。
しかし今後を考えればまだ元気でいて欲しい。
「分かった、こちらからも医に優れる者を手配しよう。
織田家でも手を尽くしていようがな」
「いえ、感謝申し上げまする」
思えば重政とも長い付き合いだ。
当初は織田家の代官として折り合いのつかぬ地合も多々あったが、時を重ねて上手く渡ってこれた。
斯波一族の出ということで繋ぎを持った御陰かな。
さて、細かい情報の擦り合わせも時間の許す限りやっておこう。
色々あるんだ。
越後上杉をはじめ、相模北条に奥羽伊達や最上との付き合いもあるらしいから。
この中では特に上杉だ。
本願寺サイドで正信から逐一情報が入っている。
無理を押して上洛したんだ。
頑張らないと──。
* * *
「ではな左京進。あとを頼むぞ」
「御意。万事お任せ下さい」
多羅尾の若頭に都のことを任せて出立する。
やり残したことも幾つかあるが、あまり長居するとボロが出る。
早々に立ち去ることにした。
紀伊に残した影武者公方と御一行は船で備後に向かうらしい。
いやタイミングがね、ちょっとあれだったから。
今回の動向が表の工程と重なっちゃったの。
「果心殿。進路に変更は?」
「ない。まずは丹後よ」
「承知」
だから開き直ってあちこち寄り道したうえで直接備後に入ろうかと思った訳だ。
今回の都以外は、情報と地の利を得るのが主目的。
あまり時間は掛けずに戻ることが出来るだろう。
案内役の雑賀衆に応えて次の旅路へ。
まずは丹後。
一色義道と会えれば会って話したい。
次の丹波は赤井と波多野の郷土愛が強い過ぎ連合だけど、無理はしないでおこう。
摂津、和泉、河内、大和と通って紀伊の高政に挨拶して備後に向かう。
順不同かつ可能な範囲で臨機応変に。
尚、断腸の思いで伊賀は諦めた。
流石に制圧されたての地域は危険がいっぱいだ。
義郷君も信包に監視されているだろうしな。
今のところ決まっているのは丹後と摂津、河内と紀伊。
場合によっては紀伊を諦めて播磨から備後に入るかも。
時間的制約がな。
備後で迎えられるのは流石に本人がすべきだろうしねえ。
…いや、果たしてそうか?
毛利家に庇護されるとしても、輝元らと面会する機会も早々ないはず。
せいぜい地域の豪族や渡辺などの重臣が主となるだろう。
だとしたら、逆に流れ公方は常に影武者というのもアリっちゃアリ…か?
一考の余地あり。
やあボク果心居士!
久しぶりに於市ちゃんに会えて、つい舞い上がって変な感じになっちゃったんだ。
普段はこんなことないから目を瞑ってくれると嬉しいな!
合言葉の例訳
川に柳:川辺に柳が生えている
堤に餅:堤といえば信玄堤、信玄といえば信玄餅




