38 扇動
紀伊畠山家の支援で建てられた屋敷に起居し、各地の情報を精査する日々。
「──以上が伊賀の顛末にござる」
そんなある日、伊賀擾乱についての報告を受けた。
「詳細はこれに」
側近の手を介して渡された文を広げる。
ざっと一読して同席者へ回覧。
中々ヘビーな内容だった。
「織田の物量は羨ましい限りだ」
「六方面同時侵攻とは流石ですな」
ホントは羨んだり感心したりしてる場合じゃないが、素直な感想としてはそうなる。
実動部隊は半分だったにしても、用意するだけでも凄まじい。
伊達に経済大国やってないぜ。
北畠信意による第一次伊賀侵攻は大失敗。
北畠家の重臣を喪い威信にも傷がついた。
事態を重く見た信長により第二次伊賀侵攻が発生。
上記の通り圧倒的な物量で押し切った。
いくら土地勘を持ってゲリラ活動出来る伊賀衆でも、圧殺が如く押し込まれてはね。
これも入念な前準備があってこそ。
あらかじめ佐々木家を屈服させたのも大きい。
なるべく武力を行使しないで済むよう、政治的な配慮もなされた。
佐々木家への圧力。
守護家のくせに領国治めきれないとか何やってるんだ、と。
仕掛けたのは北畠なんだから言い掛かりも甚だしい。
当人含め皆分かっているが、ゴリ押しでも何でも押し通す必要があった。
そして、それが可能だった。
一概に圧力と言っても色々ある。
良くも悪くも旧態依然とした幕府が命じた守護職。
当然だが、何かと柵も多い。
少し突かれるだけで動きが封じられてしまうこともある。
抵抗虚しく屈した佐々木家は早々に戦線離脱。
密かに仁木義視を出奔させて伊賀衆に合力させることしかできなかった。
って、義視が戦うなら実質全力じゃん!
まあバレなきゃ安い。
さらに義郷君には伊賀の産業保全に全力投球してもらわなければならない。
魅力的な産業があれば、経済が強い織田家は必ず食いつく。
焦土作戦がとられないよう取り計らうだろう。
そのために生じる多少の損失は、やむを得ない。
そんな訳で信長主導の第二次伊賀征伐は…。
…征伐?
まあ征伐…は、織田家の勝利の終わった。
伊賀の豪族たちは矛を収め、佐々木家も領地として一郡を保った。
上出来だろう。
「仁木右近大夫殿は残念でござった」
「首謀者と見なされ申しました故な」
義視は伊賀衆を率いて各地を転戦。
さながら首領のような地位にあった。
元より佐々木家の軍事を担う人材でもあった彼を、織田家は許さなかった。
戦況が悪化し、降服やむ無しとみるや身を隠すべく伊賀を脱出。
都を目指すも甲賀あたりで多羅尾に捕縛され、送還のうえ磔刑に処せられた。
憐れ仁木右近大夫義視。
佐々木家に仕えた勇将は伊賀にその身を捧げ、儚く散った…。
「…では友梅、今後とも頼むぞ」
「御意」
報告してくれた伊賀衆こと宇野友梅が顔を上げてニヤリと嗤う。
具体的にどういう手管で何をどうしたのか。
それは敢えて聞かないことにする。
言葉にしない方が良いこともあるからな。
「仁木のことは残念であった。
かの者の為にも、我らは一丸となり立ち向かわねばならぬ」
「は!公方様、誠に左様でございましょう」
白々しいことでも様式美。
やらない訳にはいかないのだ。
ちょ、お前らまだ笑うな!
ええい、こうなりゃ手早く済ますしかない。
「うむ。皆も頼むぞ!」
「「「ははーっ」」」
謹んで頭を下げながら口元が緩んでるのが見て取れる。
おのれ…。
まあ、伊賀の事は一段落。
あとは下手に掠め取られないよう気を付けてもらうことだな。
* * *
次は伊賀擾乱によって影響を受けた各方面について。
まず伊賀四郡は分割統治。
北畠信意が二郡、織田信包に一郡、佐々木義郷に一郡。
織田家の影響力が直に及ぶ地域となった訳だ。
当然義郷君も無傷とはいかず、佐々木家の守護職は解かれることに。
四郡は程度の差はあれど、戦乱の傷が癒えるのはまだ先になるだろう。
灰燼に帰した訳ではないにしても、従軍した丹羽や滝川らの手で山野が焼かれたから。
奴らはゲリラの恐ろしさを知っていた。
特に滝川は甲賀に縁のある武将だしね。
伊賀に住まう者たちは当然焼け出され、かなりの被害が出ている。
これに関連して比叡山延暦寺再興の話が出てきた。
以前から折に付け話はあったけど、今回は規模がでかい。
近江坂本に領地を持つみっちゃんが旗振り役を務めている。
旧幕臣や商人たちの賛同を得て。
元来真面目な者たちを憐れに思っていたし、兵力を持たせないなどの施策もあって話が通りそうな空気。
そして私のところにも請願が来ていたりする。
これでも一応現職の将軍だからね。
幕府の機能は実質分割されているけど、両方に話をするのはおかしくない。
「御山の事なれば宮様にお尋ねするのが常道ですが」
「織田殿に遠慮してか話が通らぬ様子」
比叡山は都の守り。
朝廷との繋がりも強く、先んじて話がいったのは間違いない。
でも信長の事を恐れてか遠慮してか、遅々として進まなかったようなのだ。
比叡山の焼き討ちを実行したのは信長。
それを命じたのは将軍としてその上にいた私。
さて、再興を求めるならどちらに言うのが正しいのか?
悩みに悩んだようだが、今回のような形に落ち着いたと。
伊賀が片付いたお陰で畿内に多少の余裕がもたらされた。
特に近江と伊勢が落ち着いたことで、山城にも影響が波及した格好だ。
近江といえば、磯野の養子に入って大溝城に入った織田信澄がみっちゃんの娘婿だったな。
伊賀侵攻にも信意の指揮下で従軍したとか。
どうも信長に近い気質を持つとも言われている。
程度は分からんが、影響を与えうる存在は大事にしないとね。
ともあれ比叡山関係。
信長が御山の再興を認める気配はない。
ただ枝葉の寺社についてはその限りではないようで、徐々に復興が進んでいる。
その点、私は積極的に再興を約してみせた。
遠い紀州にあって実行力はないけど、内示は出せる。
いずれ戻った折には悪いようにはしないよと。
「僧房の再建は少しずつ進んでおります」
裏から手を回すも、今はこの程度が限界。
高野山のこともある。
あまり派手に動いて警戒されちゃ元も子もないしね。
そして一番大事なことだが、本願寺への対抗心を煽られると困るのだよ。
「塩梅は任せる。良きに計らえ」
「御意」
便利な言葉。
良きに計らえ。
ただ多用は禁物。
ご利用は計画的に、だ。
* * *
「お初に御意を得ます。
毛利家臣、渡辺石見守と申します」
「苦しうない、おもてを上げよ」
紀伊にあって目先の手合いを確認するのと同時に、各地の反織田勢力とも誼を通じておく。
お手紙バラマキ大作戦は順調そのもの。
反織田と言っても明確なものから潜在的なものまで実に様々だけどな。
安芸毛利家も一時期は織田家と同盟を結んでいたし領地も接していない。
潜在的な方に属していた。
しかしまあ、一向宗と瀬戸内の利権や織田家の西進政策によって徐々に明確化しつつある。
それが今回の様に、互いに重臣の往来が発生することに繋がる訳だ。
渡辺は毛利一門じゃないが譜代に近い重臣。
しかも祖は、かの有名な渡辺綱という由緒正しき嵯峨源氏の嫡流ときた。
源氏の棟梁、足利義昭への使者として実に相応しい!
そんな思惑もあるんじゃないか、と世鬼に通じた宗司が言っていた。
だから私も期待に応えて、大はしゃぎで喜ぶ様を伝えさせておいた。
いやしかし、平安時代から綿々と受け継がれてきたとか感動ものだよ。
我らが足利は清和源氏の嫡流を称すが、実際はどうも鎌倉の御代に頼朝公が…それに新田が建武の折に…そもそも源氏長者すら…まあいいや。
ところで、この毛利の動きは伊賀の平定も関係している。
中央が安定すれば摂津石山が鎮圧されかねず、そうすると中国路を阻む者がいなくなってしまう。
一向宗門徒が多い家中構造も一因だったかな。
そこで、改めて流浪の現役将軍と強く接触し、何とか良い流れに持っていきたいと考えたらしいね。
「我が主、毛利右馬頭は──」
「なるほど。無論公方様とて──」
メインで応対するのは西国担当の藤英。
各地を飛び回って不在の事も多いが、毛利からの使者が来るとあって張り切っている。
なんせ今後を占う一つの基点。
「では摂津の荒木は池田と共に起つ。
左様心得て宜しいのでしょうか」
「うむ。既に石山とは連絡がついている」
摂津の乱が始まろうとしているのだから。
伊賀は犠牲になったのだ。
調整と準備の時間稼ぎとして。
「守護の中川は如何なりましょうや」
「共に動く見込みだが、高山が障害となるやも知れん」
私の一声で守護に就任した中川清秀は、将軍家に忠実で友好的。
しかし何かと織田家に近い高山親子はイマイチ信用できん。
両家は親戚なので、筋を通して説得されんとも限らない。
「…切支丹ですか」
「左様」
渡辺が顔を歪ませて吐き捨てる。
一向宗としては切支丹は異物も異物。
既得権益以外にも受け入れがたいものが色々あるらしい。
ちょっと煽ったのも事実ではあるが…。
高山親子は切支丹。
信長は切支丹に寛容。
危険だよねー。
そして基点となるもう一点。
「コホン。さて、公方様の備後への御動座については」
「摂津に合わせて能登、大和でも動きがありましょう。
その時、紀伊は雑賀を主力に河内へ押し出します」
私が備後は鞆の浦へ移動する計画があるのだ。
* * *
あれやこれやと密議をこらして過ごすのは健全とは言えない。
でもやらねばならぬ。
だけどたまには休息も必要だよね!
と言う訳で今日は熊野詣。
と言いつつ高野山の麓でとある女人と待ち合わせ。
熊野は女人禁制だからね。
「公方様!」
雑賀衆と根来衆が共同で設立した茶屋で一服していると、目当ての娘がやってきた。
「おお彩。久しいの、息災であったか」
何を隠そう我が側室の一人、彩である。
彼女は都から紀伊に下ってきたが、仮御所とは別の邸宅で起居している。
何故か綿花栽培に興味があるらしくてねえ。
それはいいとして、本日は彩と懇ろするために来たのだ。
いやホント。
普段はアザミちゃんがいるから不足しないけど、表向き妾のいない生活はちょっとどうかと思ったりもした。
政務に励むのはいいが、色事に励まない武将はまずいない。
ならばと男色に溺れてると思われるのも困るからね。
よってちゃんとした側室と会い、休息の時とした訳だ。
「お久しうございます。
この通り問題ありません!」
うむ、室内にいるのが基本だった都と違って健康的に焼けている。
色白も良いが、これはこれでそそるものが…。
ゴクリ。
思わず喉を鳴らすと一瞬不思議そうな顔をして、肌を見てると気付いてからは一転恥じらう姿。
こりゃ堪らん。
「公方様、まだ日も高うございます…」
「何、構うまいよ。
偶には月見ではなく花見も悪くない」
強引じゃないよ?
ちゃんと腕は添えるだけ。
自分の意志でしっかり歩く彩を誘導し、ひとまず屋敷に入るのだった。
そこから先は、まあ流れでね。
*
ちなみにこのやり取りは一言一句違わずアザミちゃんに伝わっていた。
おのれ、優秀な伊賀衆どもめが!
* *
「公方様、都より文が届きました」
「ほう。如何したことか」
裏からじゃなくて普通に来るのは珍しい。
偶に都に残った幕臣が一族宛てに送ってくる程度だ。
私宛に来るのはあまりない。
「…御台から、か」
差出人は於市ちゃんお付きの秘書。
女房である彼女が主人宛てに手紙を出すことはない。
つまり、実質於市ちゃんの私信。
何々…。
……ほう。
…ふむ。
………おおう……。
「ふぅ」
「何かございましたか」
「うむ」
うむ!
「子が生まれたそうだ」
於市ちゃんとお付きの彼女(甲賀出身)を想像する。
何かもう、浮き浮きと筆を走らせる姿が目に浮かぶ。
溢れんばかりの喜びに満ちた筆跡。
玉のような男の子だって。
つまり、我が嫡男の誕生である。
女房、侍女、腰元などは女性使用人を意味する言葉。
中でも女房は元々宮中における上級女官を意味し、転じて貴人の使用人という意味合いに変わっていったようです。
よって、甲賀出身の彼女は別に身分が高い訳ではありません。
だったら侍女でいいじゃないかって?
全く持って仰る通り。