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35 伊賀

伊賀なう。


都に戻れなくなった将軍は南河内で燻っている、ことになっている。

今は奉公衆・真木島昭光による影武者代行業。

ゴローちゃんと昭高が両脇を固めているから早々バレはすまい。


もっとも、彼らの鬱憤が爆発する前に戻らねばならないが。


伊賀にやって来た私の従者は主に伊賀衆と雑賀衆で構成されている。

お忍びなので少数精鋭。

代表は扮装したアザミちゃん。


何かを騙す目的もあり、源兵衛は河内に残って情報処理の部隊長。

伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆、根来衆らを束ねて頑張ってくれてるよ。

ホント有能でとても助かる。


私が伊賀上野城に入って仁木義視に面会したのが昼過ぎくらい。

キレた二人のお説教を受けて終わった今は宵の口。


ここまでみっちり絞られたのは久しぶりだ。

反省はしたが後悔はしてない。

怒られるから言わないけど。


や、後悔してない理由はちゃんとあるよ?

お説教の合間に伊賀ほか各地の状況について、詳細と懸念事項をしっかりと把握出来たのだ。

勿論ホイホイ動くことに対する注意喚起は厳粛に受け止めた。


一方で話の流れから、そういえば…とか別のお叱りが発生するのには参ったね。

アザミちゃんがそうなのは最初から知ってたけど、意外と義視も中々…。

これまで密に接する機会がなかったから知らなかったよ。


二人は兄妹。

実の、ではないけどそんな間柄なのだそう。

左京進とキリみたいなものかな。


だからかどうかは知らないが、義視もアザミちゃん同様砕けた態度を任せて安心。

TPOに応じて幾つもの顔を持つのは流石は伊賀衆と感心するばかりだった。


*


仁木右京大夫義視。

別名、宇野友梅。


親類に宇野浅次郎なる者、これあり。

また別記に曰く、宇野下野守の流れを汲む者なり。


そんな感じ。


*


「──宜しゅうございますか、公方様」


「え?ああ、うん。だいじょぶ大丈夫」


「……」


アザミちゃんのじっとりとした視線。

堪らん!

おっと取り繕わねば。

んんっ、ゴホンゴホン……で?


追加で溜息一つ、頂きました。


「伊賀には何時頃まで滞在なさりますか?」


気を取り直して聞いてくるのに暫し黙考。

畿内の情勢は荒れているけど荒れ狂ってはいない。

多少ながら余裕もある。


だからいけるところまで仕込み終えておきたいな。


伊勢対策に植田と柘植、あと福地。

志摩に対しては熊野や堀内など。


ふむ、あとは──


「千歳丸は何処に?」


「お会いになられますか?」


長男が伊賀で修業に入ったのは聞いている。

でも具体的に、どこにいるかまでは知らないのだ。

今のところ会う必要性は特にないのだが、可能なら会っておきたい父親だもの。


「会えるのか?」


「すぐに連れて参ります」


スッと立板の節目を見詰めるや空気が抜けるかのように御意という音が染み出し消え去る。

そんなとこにも居たのかい…。


忍び衆の裏に潜む技術は半端ない。

長年の経験で知っていてもまだビビる。

驚きを表に出さない努力を嘲笑うかのうように、微笑を称える眼前の二人。

おのれィ…。



* * *



「公方様、千歳丸が参りました」


「うむ」


しばらく情報の精査などをしていると、我が長男殿がやって来た。

後ろに控えるのは九蜂?

介添えは丹波守と聞いた気がしたが。

まあいいか。


ところで今、ふと気になったことがある。


それは私の立場。

今はお忍びで伊賀に来ている。

周囲は伊賀衆で固めて警備の面で不安はない。

しかし、一応は用心をしておくに越したことはないはずだ。


「私が公方と称するのは止めた方がよくないかの?」


何かもっと別の、私人としての通称を用いるべきなのではないだろうか!?

どうでもいいと言えばどうでもことだが、一度気になると何かね…。


「突然なんですか」


乗り気でなさそうな、どうでもよさそうな声色の義視。

気持ちは分かる。

でも気になってしまったんだ。

許して欲しい。


「では、果心居士など如何でしょう」


そして意外と乗り気なアザミちゃん。

早速変名を提案してくれたぞ。


「母上、その果心居士とは一体?」


「世の人々を誑かす要注意人物です」


って、うおぉーいぃ!?

ノリツッコミ。


「実在の人物ですか?」


「実在するとされている人物ですよ」


「つまり偽名か」


「妖術使いと流布されておりますな。

 無論、知っているのは限られまする」


千歳丸が尋ね、アザミちゃんが答え、私が呟き義視が補完する。

なるほど大体分かった。


「簡単に弥平次でも名乗ろうと思っていたのだがな」


「それでは明智様と被ってしまいます」


「うむ、よって果心居士とやらを称することとしよう」


「では早速河内へ通達しておきます。

 甲賀などには源兵衛様からお伝え願いましょう」


* *


「ところで果心居士とはどういった由来なので?」


「果心とは人の内より生じた因の果て。

 人心を巧みに操る妙手という意味ですよ」


「なるほど!父上にぴったりですね」


「ええ。わたくしもそう思ってお勧めしたのです」


「流石は母上、えげつない」


「あらあら追加の針行をお好みですか?

 ならば確と九蜂に申し伝えておきましょう」


穏やかに微笑む母子の会話はしかし、中身が物騒この上ない。

そして長男からどう思われているのかちょっと気になるゾ!


「殿。触らぬ神に祟りなしと申します」


ああそうだな。

うん、そうしよう。


背後から降ってきた九蜂の忠告に従い大人しくしておいた。

さり気ない呼称の変化に気遣いを感じてみたり。


「いえ、母上のお手を煩わせるつもりはありませぬ。

 せっかくなので父上の手解きを受けたいと思います」


「おやおや、妬けてしまいますね」


触らずとも祟りは降ってくるもの。

こうなれば九蜂は…いない?

あいつ逃げやがったっ!


「よかろう千歳丸、弓の腕でも見せてもらおうか」


まあ息子との触れ合いは吝かではない。


「お前さま。わたくしの苦無技も如何でしょう」


遠慮します。


* *


ふう、家族団欒は良いものだな。


「…堪能したのなら良かったですね」


うむ、義視は何か言いたいことがあるなら遠慮せず言いたまえ。


千歳丸と一頻り技を見たり競ったり負けそうになって大人げなく全力で勝ち越しにいったり楽しんだ。

アザミちゃんの技にも興味はあったけど、何か怖かったので自重してもらった。


代わりに夫婦っぽいものを味わえたのは新鮮味があったかな。


もちろんアザミちゃんは佐古という名の立派な側室だから、仮初の夫婦と言う訳ではない。

けど、やっぱ普段は正室がいるから側室の方で遠慮が入っちゃうんだよね。

於市ちゃんは左程厳しくはないけど、規律や格式は大事にしてくれてるから。


そのアザミちゃんは今、千歳丸を伴って修業に出て行った。

結局我が長男は、追加の針行とやらから逃れることが出来なかった模様。

母は強し。

南無南無。


「ついでに今日は母子水入らず、泊ってくるよう申し付けております」


「そうだな、偶には息抜きも必要だろうて」


百パーセント善意じゃないのが若干心苦しい。

ただ姦計メインでもないので勘弁願いたい。

長男を人身御供に愛妾のご機嫌を取るってだけなのだから。


「さて、せっかくお越し頂いたのですから計を詰めて参りましょうぞ」



* * *



気を取り直して真面目なお話。

伊賀を中心に色々動く、動かしていく計略の深部について。


義郷君の伊賀守護職は幕府が正式に任命したもの。

彼の養父は私の最側近で色々と縁が深く、その地位に深い関りがある。

これを織田家がまとめる新政権がどうみるか?


「今のところ従来の政策に変化は見られません」


これまで私は傀儡とまでは言わずとも、少なくとも信長が望んだ政策は大体通してきた。

一定ラインを越えたものは要検証、応相談だったとはいえ、な。

それも今となっては懐かしい。


「一方で人事には多少の変化が見られます」


この人事は都を中心とした幕政に係るもの。

守護職の入替などは今のところ聞こえてこない。

だから想定内。


想定外だったのは戦略上の話。

思ったより播磨と摂津が混乱していないんだ。

両方とも本願寺の勢力が強いうえ、将軍に対する好悪がハッキリと混在している。


クーデターに際して、絡み合った紐が解けるように示唆したつもりだった。

それがまさか、これほど強固なものだったとは…。


「摂津の問題は荒木が鍵か」


「むしろ池田左衛門尉では?」


「そっちもあるな」


荒木村重。

池田知正の重臣にして摂津の有力者。

強いて言うなら義継君にとっても松永久秀みたいな存在か。

これがもっと抜きん出てくるかと思っていた。


「今のところは目立って動かず、か」


「やはり都から足利が消えていないためかと」


あー、それなあ。

結構迷ったんだよねえ。

いっそ足利家が都から綺麗サッパリ居なくなった方がいいんじゃないかと。


「御台がおるのでな」


「ええ、止むを得ませんな」


色々考えたけど、でも結局は残留を選択した。

於市ちゃんが懐妊したことが決定打だったね。

無理はさせられない。


次善の策として、なるべく足利の色を薄める人選にはしたつもりだけどね。

上手くいかなかった模様。


「では、もう少し突きますか?」


「摂津がことか」


頷く義視を見ながら考える。

想定外だったとはいえ、緊張の糸は張り詰めている…と思う。

であれば、確かに少し突けば動きは出るだろう。


「いや、しばし様子を見よう」


でも、まだ織田家が大きな動きを見せていない。

これまでは先手先手を目指してきたけど、今後は後手がメイン。

そして後の先をとる戦いとなっていく。


今のところ、相手の動きを見た上で臨機応変に対応するという当初の方針を崩す必要性には至っていない。


「何か見落としはあるか」


「少なからずありますねぇ」


おい。

真面目な雰囲気が崩れたぞ。


「…言ってくれ」


「いえー、今は止めておきましょう」


何故に。

こら、ニヤニヤするんじゃない。


「公方おっと果心居士殿のお手並み拝見、といったところでしょうか」


めっちゃ楽しそうに言ってくれる義視。

いやいやいや。

それじゃ困るんだよ?


「問題があるなら勿体ぶらず教えてくれ」


「いえいえ、見落としと言っても小さな箇所。

 その辺りは我々が潰していくべきものにて」


などと誤魔化される。


「誠に問題ないのか?」


「あれば都度お伝え申しますとも。

 それに、アレが何も言わぬということは。

 …そういうこととお知り置き下されば」


アレってのはアザミちゃんか。

彼女の私に対する信奉…と言うと少し違うな。

信頼とかそんなのは大きい。

普段から鋭いツッコミが冴え渡るのは伊賀衆には周知のこと。

なるほど…?


「分かった。頼りにしておるぞ」


「恐悦至極」



* * *



良い顔したアザミちゃんが戻ってきた。

迎えに行ったらしい九蜂の表情が無だったなのは何があったのだろうか。

果たして千歳丸は大丈夫なのだろうか。


何かと疑問は尽きないが、ここは沈黙は金なりの一手だろう。

高血統たる私は空気を読めるのである。


さて、伊賀へのお忍び訪問も期限が迫っている。

日没までには出立せねばならない。

本日は総仕上げだ。


「皆、議題は分かっておるな」


頷く全員。

ここまでのどこか緩い雰囲気は鳴りを潜め、正しく裏の会合と言った様相。


「伊賀は四郡。

 守護の佐々木家を皆は受け入れている。

 しかし支配者という意味では些か異なる」


守護職を務める佐々木家には、国を代表し民心を慰撫する責務がある。

今まで伊賀衆の大部分が私に従っていたこともあり、概ね平穏であった。

色々と利益供与もやってきたしね。


今般中央でクーデターが起きて、されど守護職は今のところ変わらず。

しかし利益提供者たる将軍という重しが外れてしまった。


そこで改めて、伊賀の支配者は誰かと尋ねよう。

義郷君と答える者もいれば私だという者もおり、伊賀衆だったり誰もいないと答える者も数多いる。


群雄割拠。

それは天下を目指す者にとって目障りなもの。

だから機を見て平定しようとする。


都を中心とした畿内を抑えた織田家。

天下を見据えて動く彼らは果たして、どう見るか。


「邪魔だと思うだろうの」


今は摂津や河内が完全に治まってはいない。

でも遠からず落ち着くだろう。

その次に目標となるのが丹波であり、大和であり、伊賀である。


「大和は松永や筒井、丹波は波多野と赤井。

 では伊賀は佐々木となるか?」


松永と筒井を抑えれば大和はほぼ落ち着く。

丹波も波多野と赤井が大きな勢力を持つ。

しかし佐々木を制しても伊賀は落ち着かない。


「伊賀衆を直接支配するには全て平らげる必要がある」


今すぐという話は織田家にもない。

でもそのうち出て来るのは間違いない。

だったら周囲が落ち着かない今、敢えて攻めさせるという計略。


「植田と柘植を通じて北畠三介を煽る。

 今の北畠に有能な重臣はおらぬ故」


全く居ない訳じゃない。

ただ家の大きさと当主の発言権に対して、という注釈が…。


当主・信意は未だ若輩。

頼るべき重臣から煽られれば迷うに違いない。

そうすると兄・信忠を頼るだろうが、あっちはあっちで都と摂津が忙しい。

そこに付け込む。

うん、悪辣。


「何か見落としは?」


「北畠の周りには長野と神戸、関らがおりますが」


「問題は長野の三十郎でしょうな。

 中々優秀な叔父と聞きます」


長野に養子入りした三十郎信包は信長の弟。

早々に織田姓へ戻ったが、これは優秀さを評価された証だろうか。


今でも伊勢で長野と言えば信包を指す。

長野家の当主は織田信包。

少し分かりにくいが、名跡や家名と家督は必ずしも一致しない一例だな。

それはいいとして。


「そこは張ることで対処する。

 出来るか?」


「今なら容易きことにて」


神戸の隠居や関は経験豊富だけど、織田家に心服してるとは言い難い。

信包は優秀ながら経験値がちょっと足りてない。

よって、今だからこそ対応は容易だと言えるのだ。


「されば各々、確りと頼むぞ」


「御意」


戦国乱世の総仕上げ、ここに開幕。



深掘りするかサラッと流すか。

取捨選択の難しさ。

横道に逸れ易い作風という名の悪癖も大敵。


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