33 下地
「留守は伊勢に任せる。京極と斯波も頼むぞ」
二条城を出立する日が刻一刻と近付いている。
準備は整ったと思うが、一度起ってしまえば何があるかはもう分からない。
だから可能な限り不安の芽は摘むべきなのだ。
「中川ともよくよく相談し、きっと洛中の平穏を図る様に」
室町将軍として都を戦火に晒すことは断じて容認できない。
それは現地に居なくても同じこと。
織田家の京都代官補佐である重政の存在は極めて重要になっている。
「有事の際は大隅守を交えて意見交換するのがよかろう」
信広は織田一門の長老格。
信長の兄でもあり、その格と人柄で京都代官を長年に渡り務めている。
悩ましいのは丹羽の義父にあたる一点のみだが…。
「危急の折には明智を頼れ」
懇々と諭すように指示を出しているものの、、これらは既に細部に渡り打合せ済み。
デモンストレーションの意味もない訳ではないが、やはり我が不安のあらわれであろうな。
実に情けない。
「御台にも伝えてあるが、城を明け渡すことは許さぬ。
洛中の安全と引き換えでもない限り、な」
もしも、将軍が京の都から追放されるなんて間抜けな事態に陥った場合。
それでも我が足利一門は二条城にあるべきだ。
具体的に言うと於市ちゃんをはじめとした奥さんたちと家臣一同。
息子たちは伊賀と甲賀にそれぞれ出向させる段取りであるが。
恐らく最終的には折衷案に落ち着くとは思う。
信広あるいは我が子、勘九郎が城代となり、城主は於市ちゃん。
奥殿にいて表に出てこないし、下手に追い出すより実質軟禁状態の方が楽だろう。
将軍の正室とはいえ信広・信長にとっては可愛い妹。
信重にとっては叔母であり義母である。
身内の心情的にもね。
私が出陣したあと城に残るのは於市ちゃんと産後のキリ。
乳幼児の於辰に養女の於茶、於初。
そして嫡女の於江。
もちろん佐古もいるよ。
病に臥せってるけどね。
そしてアザミちゃんは宇野浅五郎という出で立ちで色小姓やってる。
浅五郎は浅次郎の親戚らしい。
どうでもいい設定だが、つまりそういうこと。
彩は時期を見て紀伊に出立する。
まだ子を生してない彼女の強い意向を受け入れた形でね。
表向きの理由も兼ねて行先は熊野詣とした。
ホントは高野山の方が都合はいいんだけどね、あそこ女人禁制だから。
せっかくなのでガサ入れされると困る人材を周囲に配してみた。
揃って先に出る予定だから大丈夫だろう。
近江から伊勢路を通って伊賀・大和を抜けて紀伊に至る。
完璧だな。
都に残る女衆は奥殿を仕切り、彼女たちを支えながら表も守るのが先ほど命じた伊勢・京極・斯波といった幕臣たち。
斯波と京極はその嫡男をそれぞれ於茶、於初に娶わせる計画が内々定。
知らぬは当人ばかりなり。
しっかり青春するといい。
特に京極の小法師と於初は良い雰囲気になってるシーンが散見されている。
斯波の大蔵も負けずに頑張って欲しい。
これからも定期便での報告を楽しみにしているぞ!
閑話休題。
織田家の戦線とは別に、幕府の軍勢が出陣する。
行先は摂津の国。
蜂起した本願寺の総本山、石山と睨み合う三守護の後詰が目的だ。
「公方様、ご武運をお祈り申し上げます。
…池田左衛門尉と荒木信濃守には御気を付け下さい。
中川瀬兵衛、高山図書らにも手が伸びている様子」
「うむ。気を付けよう」
幕臣伊勢氏は手足が長い。
情報収集能力は極めて高く、その伊勢が言うなら間違いない。
源兵衛に目配せをして意思疎通。
すぐ壁の裏から一つの気配が遠ざかる。
早速行ったらしい。
有能。
「陣触れじゃ!」
* * *
都を出陣。
摂津へ向かう道すがら、方々の大名や国人衆が幕府軍として参集してくる。
まずは摂津衆。
池田勝正、伊丹親興、中川清秀の三守護。
荒木村重と高山親子に塩河党などの有力者たち。
次に河内衆。
義弟の三好義継を筆頭に畠山尚政、三箇頼照が一手を率いて参陣。
他にも和泉衆や丹波衆も少数ながら参加している。
少数と言えば大和からも、それに雑賀衆や伊賀衆。
甲賀衆は京の抑えとして都の守りを固めている。
紀伊、播磨、但馬、丹後、若狭などの幕府に従う諸勢力は抑えとして国許で待機中。
特に若狭の武田元昭は身代は未だ小さいが、我が甥っ子として期待がかかる。
今後の動きによっては合流するかもね。
織田家の人間もいるにはいるが飾りに近い。
一時期都にもいた佐久間弟とかが一応いるけど、佐久間本体は丹羽と一緒に別行動。
こちらは織田家に近い輩の耳目で十分と判断されたか。
そういえば明智のみっちゃんは東部戦線にいるのだが、場合によってはこっちにくるかも。
代将の弥平次がそう言ってた。
東は武田攻めだけど、信長はどこまでやったら満足するのかな?
北からは上杉が迫っているし西は本願寺。
本願寺の後ろには毛利の影が見え隠れ。
南の紀州には高野山もある。
あまり悠長にはしてられまい。
この図面を描いた私が心配するのもどうかと思うが。
ちなみに毛利だが、基本的に織田と仲良くしていたのでまだ表には出てきてない。
彼らの中央への手管は足利を担いだ信長の手腕を評価してのこと。
そんなところに担がれたはずの将軍からお誘いがあれば、困惑するし悩みもするさ。
でも播磨に織田の手が伸びたのを知った時、結構不快そうだったからまあ時間の問題だろう。
「公方様、皆揃いましてござりまする」
諸将と揃って摂津へ着陣。
陣を定めて今から軍議というところだ。
「うむ、大儀」
さてと、予定通りに動くとしますか。
* * *
唐突だが話は若干遡る。
ちょっと前に伊勢国で大事件が勃発した。
残念ながら乱世にあってはさほど珍しくもない、とても凄惨な出来事が。
伊勢国司一党、北畠一族の粛清劇。
実行したのは同族の木造具政と藤方朝成。
命じたのは当主、北畠信意。
指示したのは信意の実父、織田信長である。
実質的に信長主導で行われた北畠一族の粛清劇。
当然ながら織田家によるお家乗っ取りの一環であれば非難は免れない。
一族は揃って反抗を続けるだろう。
しかし実際のところ、確かに非難する声も多少はあったが幕府としては眉をひそめて遺憾の意を表すに留まった。
何故か。
信長への遠慮などではなく、事件の背景にあったのが北畠内部の主導権争いだったから。
内部抗争の色合いが強い文字通りのお家騒動。
この大変な時期に面倒事を…と苦々しく思われるがまあその程度でもある。
争ったのは織田と共に北畠を強くしたい一派と、織田に馴染まず再興を夢見る一派。
破れた一派は粛清の憂き目にあった。
下手に温情かけると泥沼化しかねない世情だから仕方がない。
討たれたのが先々代当主とその息子たち。
先代で信意の養父は軟禁状態に。
そうして騒動が終わり、当主の力が強まったかと言えばそうでもない。
巻き込まれた有力家臣も数多くいる。
領地こそ減ってはないが、一軍を率いる武将の絶対数が大きく減少。
結果、北畠氏の求心力はかなり削がれてしまった。
家を建て直すことに注力するのもむべなるかな。
つまり、北畠氏を継いだ信長の次男は現状に不満を抱えているのだ。
不満があるならそこを突くことが出来る訳で…。
北畠の重臣に柘植という者がいる。
信長、信意親子のお気に入りで実力もそれなり。
隣国伊賀とも強い繋がりを持ち、上昇志向も割とある方。
将軍である私だが、諸事情により都以上に伊賀について詳しいという自負がある。
そんなこんなで情報が入ってきてるのよ。
「公方様、伊賀より報告がありました。
一つ、福地と下山は手筈通り。
一つ、佐々木様の動きも予定通り。
一つ、仕掛けは上々、滞りなく進んでいる由にござります」
だから色々ね、出来ることがあるんだよ…。
伊賀は要の一つ。
上手く行ってることが確認できた今、後顧の憂いなく突き進むのみ!
* * *
さあやって参りました目的の地。
摂津にあって敵とするのは本願寺。
攻めたがる奴もいるが、基本的には待ちの姿勢を崩さない。
「文でのやり取りは既に終わり申した。
後は弓矢にて相手するまでですぞ!」
戦国武将らしくて結構だが、相手は一応大名じゃなくて寺だから。
一向一揆の主体は民衆だから。
だからこそ面倒なのは周知の事実。
「敵は本願寺だけではござらん。
阿波三好の一党がまたぞろ蠢きだしたとの情報もあり…」
「また、大和の松永殿と筒井殿の雲行きも怪しい」
「なればこそ、本願寺を疾く抑えねばなりますまい!」
昨日の味方は今日の敵。
友人知人が敵対勢力にいることもざら。
それが乱世というものだ。
しかし毎日情報が変わるのは頂けない。
こちらの動きが鈍くなれば、向こうの動きも曖昧になっちゃうからねえ。
チラリ。
視線の先で頷く影。
同時に軽く顎を引いて同意を示す者、幾人か。
下手に束縛されないよう、先手を打って動こうじゃないか。
「ではこうしては如何か。
本願寺は摂津の皆様に抑えて頂く。
一手を持って和泉に向かい、三好を牽制」
「ふむ、ならばさらに一手を大和路に向けては?」
「我が方は地の利に優れる摂津、河内の皆様がおられる。
よき御思案かと」
暫定敵方が地の利に優れないと決めつけるのは早計だが。
まあこういうのは言ったもん勝ち。
士気を高めるのも大事だからな、仕方がない。
「では誰が向かうのじゃ」
「本願寺は荒木殿、中川殿、塩河殿ら摂津の皆様が適任。
大和路は三好様、お願いできますでしょうか?」
「問題ない」
「公方様は一旦陣を下げて頂き…。
そうですな、北河内あたりで後詰をお願い致したく」
「余は構わぬ。
外の者はどうか」
やりたがってる奴らにやらせる方向で手綱を握る。
これが一番話が早い。
ただ簡単に過ぎると怪しむ者も出て来るので加減が大事。
偉そうに言ってるが、実際やるのは私じゃない。
有能家臣の皆様である。
ありがたやありがたや。
「我らが公方様をお守り致そう。
それで、和泉は如何する」
「そちらは某が」
「ならば我も」
「活躍の場があると嬉しいのう」
概ねスムーズに軍議が進む。
時折ゴネたり譲歩したりさせたりしながら。
うん?
真面目な表情を取り繕っているつもりで隠しきれてない奴が何人かいるなあ。
持ち場が決まって単純に昂ってるなら微笑ましい。
そうでないなら滑稽だ。
ま、敢えて指摘するのも無粋。
ここは高血統らしく鷹揚に構えておこう。
*
軍を分けて各々任地へ移動。
私も途中まで義継君と同道し、河内に入った。
色んな意味で将軍を本願寺から遠ざけておきたい勢力もこれで安心。
本願寺というより摂津の国から、だが。
義継君は大和路を抑えに行き、後詰として手元に残るのは奉公衆と河内衆の一部。
尚政と雑賀衆、そして当然の如く伊賀衆もいる。
場は整えてやった。
何時でも来るがいい!
* * *
北河内に陣を張り、各地の戦況を見守る日々。
やがてそこに、ある急報が届いた。
どうやら京の都でクーデターが起こったらしい、と。
京極の嫡男:小法師、後の高次
斯波の嫡男:大蔵、後の義康