32 計画
キリが無事に女児を出産。
於辰と名付けた。
母子ともに健康で誠に目出度い。
「ようやったぞキリ!」
「ありがとうございます」
念願の娘。
二人で妊活を頑張った甲斐があった。
しかし、キリは子を生したせいか少し痩せたようだ。
特別難産ではなかったはずだが、千夜丸の時より疲労しているように見える。
しっかり労わってあげないと…。
「そうだ、千夜丸にも妹の誕生を報せてやらねばな」
きっと喜び張り切ることだろう。
…むむ、肝心の母親が複雑そうな顔をしている。
心配事は早めに取り除かねばならない。
「気になるか?」
「あ、いえ…。
左京進様からも聞いておりますので」
千夜丸を甲賀に預ける云々は関係ないのか。
となればなんだろう?
「…サト、人払いを」
「承知致しました」
キリが侍女に命じて人払い。
皆の気配が遠ざかり、私とキリと常在担当の甲賀衆のみ。
忍び衆はいないものなので実質二人だけになった。
さて、なんだろうね。
「奥の者が表に口出しすることをお許し下さい」
「許す。申してみよ」
基本的に名門武家出身の娘から側室に上がった、その姿勢を崩すことがないキリ。
前置きがしっかりしている。
この辺りを特に気に入ったのが於市ちゃん。
武家としての意識高い系だからな。
「織田との対立は避け得ぬことと聞いております。
その時どのように動かれるのでございましょうか。
また、我々は如何に動けば宜しいのでしょう。
ご教示頂きとう存じます」
とか考えていると、案外ズバズバ切り込んできた。
ふむぅ…。
* * *
於辰誕生の吉報に続いて、於市ちゃんの懐妊が確定した。
これまた目出度い。
しかし素直に喜んでばかりはいられない。
母体に負担がかからぬように、全身全霊で守ってやらねばと気合を入れる。
年齢的なこともあり、於市ちゃんもこれが最後と覚悟を決めている。
なんせ絶対に男児を上げると、京洛周辺の寺社仏閣に祈祷を依頼する念の入れようだ。
せっかくなので私も財貨を惜しまず寺社仏閣へ依頼しておいた。
なあにカネならある。
最近は紀州をメインに綿花の栽培が軌道に乗っている。
もちろん無尽蔵にある訳じゃないが。
これでまた一つ汚点が付いたかな?
たっはっはー。
「公方様」
「如何した、横になっておれ」
閨で膨らみつつあるお腹を愛でていたら、急に姿勢を正すや真面目なお話?
いやいや無理しないでよ。
「お答え頂きたいことがございます」
お、おう。
目が据わってらっしゃる。
こういう場合、大人しく言うことを聞くことが正解。
経験として知っている私に隙はなかった。
「申してみよ」
「織田家と戦になるのでしょうか」
ズバリ、核心。
前置きも駆け引きも何もない。
思わず目を瞠ってしまったのは失態だったなあ。
まあ気になるのも分かる。
平穏な城内に反比例して慌ただしい動きが表面化している周辺。
外を見て回ることが少なくても、情報はいくらでも入ってくるからね。
そういうのに特化した人間もいることだし。
特にここ数日は俄に騒がしくなってきてる。
下手に誤魔化すのは悪手だろう。
だったら、んー…。
よし。
「誰かある」
部屋の外から侍女が応える。
源兵衛と左京進を控えさせるよう命じた。
「公方様?」
「今のうちに詳細を知らせておこうと思ってな」
良い機会かも知れないね。
ただ於市ちゃんの周囲には織田家と近衛家に縁を持つ者も多い。
秘中の秘を語るためには結界を張らねばならぬ。
「人払いを…。(蜜)」
*
二条城内奥殿。
左程広くはない一画に於市ちゃんと二人。
周囲に感じられるのは源兵衛と左京進の気配のみ。
案外珍しい組み合わせだよな。
伊賀と甲賀の取り纏めが揃い踏み。
源兵衛は服部さんから正式に次期領袖の地位を約束された。
左京進も甲賀上位陣の思惑を看過することに成功した。
我が両輪と言っても過言ではない。
三藤と合わせて五人いるけど四天王!
バカな事を考えて緊張を解す。
向き合う相手は於市ちゃん。
両輪の二人はカンペである。
忍び声って大変便利。
でも流石に壁を隔てた向こうには届かないから呼び寄せた。
「さて、早速だが先の問いに答えよう。
ほぼ間違いなく戦になると余は見ている」
「そんな…」
予想はしてただろうけど、やはりショックは大きい模様。
そりゃ於市ちゃんにとって織田家は生家。
当然の反応だろう。
しかも二回目の嫁ぎ先、近江浅井家は織田家と対決姿勢を見せたことで実質滅んだようなものだし。
現当主・浅井信政は一門衆扱いで領地持ちだがね。
近江の戦国大名も今は無い。
織田家と敵対して無事な勢力は甲斐武田と本願寺。
それにも影が差している。
残酷な事実だ。
「さらに言えば、余もいつまで都に居られるか」
「なっ…、どういうことですか!?」
「詳細は伏せる「是が非でもお話して頂きまする」…が…」
…。
目を向けると強い眼差し。
私が弱いやつ。
「参ったの」
「わらわは公方様の正室にござりまする」
さっきは青褪めたり取り乱したりしてたけど、今はもう落ち着きを取り戻している。
それだけしっかり覚悟を決めてきたんだろうなあ。
淡々と、それでいて力強さを感じさせる喋り口。
ホント参った。
とか思いつつ今更かとも思う。
女は強いね、みんな。
「ならば話そうか。
余が目論む十年計画を…」
絶対に無理をしないことを承知させ、目論見を披露することにした。
今夜は長くなりそうだな。
源兵衛と左京進。
表立った出番はないかも知れないけど宜しく頼む。
* * *
「公方様、河内と紀伊の仕込みは概ね。
兄上も御動座をお待ちしておるとのこと」
「丹波は波多野と赤井。
丹後は我が兄がお任せをと。
しかしながら但馬についてはあまり上手くは…」
「若狭も同じく。逸見に叛く様子は見えませぬ」
「摂津は表向き安寧ながら、伊丹と池田の間がしっくりきておらぬ様です」
「伊丹と池田…、では荒木は如何かな」
「荒木は地固めを急いでいる様子にて」
「中川がどう動くかが鍵であろうが、高山は織田方か」
「切支丹ですからな。
昨今は何かと過激になりがちで気になりまする」
軍議なう。
方々に散って調整していた幕臣たちが一堂に会して現状報告。
今この場に居る者は皆、全て『分かっている』者たちだ。
それぞれがそれぞれに付く忍び衆が裏付けとバックアップを得て行っている。
少数精鋭。
言葉はいくらでも飾れるが、間口が広いと大変ですね。
さてさて、今回のテーマは切り口。
具体的にどういった理由で動き、目的に向けてスタートダッシュを決めるか。
それを確認するためのもの。
火種は摂津、そして加賀。
ざっくり言えば本願寺。
本願寺については落としどころも既に決めてある。
これは顕如や近衛太閤と確認済。
織田方で変に引っ掻き回されなければ間違いない。
なにせ一向一揆の主体は民。
民を疲弊させるのは本意ではない。
特に顕如が強くそう願っているし、私の意向とも合致している。
一方で顕如には若干の不安要素もある。
清濁併せ吞むには少々理想が高すぎるのかなあ。
類まれなカリスマと政治力で組織を纏めているけど、大きくなるだけ派閥が足枷に…。
今は屋代骨を支える者が多いから問題は表面化していないが。
加賀については能登や越中とも絡みがあるが、越後上杉が動き出す。
一向一揆とは私が仲介して和睦させた。
だから上洛を試みるとのこと。
ちなみに越前にも火種はあるが、これは敢えて別途分として残しておく。
次いで紀州高野山。
こっちはこっちで大きな問題がある。
先日織田家の軍勢が雑賀を攻めるという事件が発生。
小競り合いに終始したし、私の斡旋で割とすぐに和平はなった。
雑賀衆にも目立った被害はなかったし、そこは良かったんだ。
問題なのは織田方の将であった蜂屋って奴。
こいつは立場や考え方が丹羽に近い危険人物として、前々からマークしてあった。
そんな奴が和泉国に進出してきたのだ。
当然織田家の、信長の指示が出ているんだが、そう仕向けた者がいるのは言うまでもない。
本当は大人しくしてて欲しいものだが、無理ならもう全力で利用してやるさ。
ちゃんと供養はするから安心するといい。
高野山の話に戻るが、こっちも宗教勢力で織田家には危険視する者が多い。
一方で擁護する者も多いし、僻地だから後回しでもいいと主張する者もいる。
根来衆との関係もあるしね。
で、危険視する者たちの主張が通れば高野山攻めになる。
その前哨戦としての雑賀攻め。
隣接する和泉は信長が守護であり、概ね織田家の領国のようなものだから入り込むのはとても簡単。
河内と大和は義継君と松永が抑えていて容易じゃないからね。
いや、南河内と紀伊に高政がいるから余計問題なんだけど。
自分で計画したことだけど、やはり面倒だと思ってしまう。
平穏が一番なんだがなあ。
難儀なことだ。
*
「摂津の荒木といえば、播磨の小寺と誼を通じているとか?」
「別所も含めて手の者がよく働いているようで」
小寺というと、いつぞや都に上ってきた外交達者な若者を思い出す。
別所の一門とともに羽柴を取次として織田に食い込もうと頑張ってた。
今はその辺の意を受けて、播磨を纏めようと躍起になってるみたいだ。
「その周囲に外峯と堀という者がいたそうじゃ。
どうも近江者らしいのじゃが…」
堀…ああ、甲賀の宗司が世鬼に渡した堀秀村。
なんで播磨なんかに…。
ひょっとして毛利でも用途を決めかねているとか?
まさかねえ。
片や外峯はスパイとして無事に役目を果たしている。
本人にそこまでの意識があろうとなかろうと。
さて、これまで藤英の動きが見えてこないのは凄い。
前に兵部と会って色々話してたけど、いい刺激を貰ったのかな。
だとすれば嬉しいことだ。
丹羽や羽柴の手が播磨に向かって伸びている。
紀伊は囮と言うか、牽制だろうか。
摂津の火種を知らない訳でもなかろうに。
池田と荒木のラインで問題ないと思っているのかね。
あるいは他にも何か秘策が?
ま、化かし合いになろうとも負ける余地はない。
こちとら十年計画で入念な準備を続けてきたんだ。
転ぶわけにはいかんのだよ!
* * *
翌月、本願寺が挙兵。
これは停戦の約定期限が過ぎたことによるもの。
武田攻めの段取りを急ぐ織田家の虚を突くタイミングとなった。
しかし挙兵したからと言ってすぐさま戦火を交えるとはならない。
まずは互いに様子見、使者が行き来して話し合いが持たれる。
その隙に準備を重ねていく。
虚を突かれる形となった織田家だが、その勢力範囲はとても広く大きい。
東に目を向けていても西を疎かにしている筈もなく。
柴田と金森を北陸の抑えに残し、佐久間と羽柴を遊撃ないし後詰に配置。
蜂屋が和泉で紀州を睨みながら丹羽が摂津に派遣されて本願寺を牽制する。
外様をカウントしなくてもこれだけの動きが出来るのは流石と言えよう。
織田家の備えは万全である。
そこに想定外が二つ。
一つは丹波の波多野が怪しい動きを見せたこと。
こっちは外様だし幕臣でもあるし、そこまで強く気にすることでもない。
もう一つが問題だった。
越後上杉の能登侵攻である。
* * *
能登の国、越中と加賀の先にあるこの国は長らく小戦国時代にあった。
そこに台頭してきた織田信長と接近して権力を握った長一族。
反発する遊佐、温井などが上杉と連絡を取り合い再びの衝突。
怒涛の進軍に織田方の能登勢はなすすべもなく敗退。
能登の大部分は反織田一色に塗りつぶされてしまった。
そこで焦ったのが北陸の抑えを命じられた柴田と金森である。
信長に援軍を頼みつつ、加賀に出撃して迎撃の構えを見せた。
「それで羽柴が参陣を命じられ、佐久間は丹羽の後詰か」
「御意」
色々話を持ってきてくれたのは正信。
近頃は本願寺よりも大和や丹波、丹後によく出入りしていると聞く。
どうせなら私の下向にも随伴して欲しいものだ。
「されば、公方様におかれましてはかねて約定通り、ご出征をお願い致したく」
そうだね。
準備はしてきたけど遂に来ちゃったか。
於市ちゃんの出産に立ち会えないのが心残りだが…。
「手筈は整っておる」
「なれば!」
「うむ。近々陣触れを発する」
迷いは過ちに直結する。
みっちゃんや兵部たちにも苦労を強いているんだ。
己もやるべきことを貫き通すべし。
元気溌剌、やたら生気がみなぎる正信を見送りながら思った。
とりあえず、生まれてくる我が子の名を考えよう。
立ち会えないならそれ相応の対応をしとかないとな。
* * *
「と言う訳で出陣することになる」
「さようでございますか。御戻りは何時頃に…?」
「御台…」
「申し訳ありません、詮無いことを申しました」
出陣が決定した。
すぐの話じゃないけど、想定される出先は摂津の国。
本願寺が動いたんだから当然だよね。
まあそっちは後で。
「すまんな、恐らく子の顔を見るのは当分先の事になる」
公には。
「ついては名を認めておいた」
「…拝見致します」
男女どちらか分からないので、あらかじめ両方決めておく。
当然の処置だね。
「男児ならば千尋丸、女児なら千と」
いずれも世の安寧を願って名付けるものだ。
産まれてくる我が子が長じる頃には、世が平らかになっていることを祈念して…。
今にも零れ落ちんとする涙を必死に耐える於市ちゃんに言い含める。
なんだか最後の別れみたいだな。
妙なフラグは叩き折っておくに限る。
「事を成し終えた暁には家族そろって花見でもしようぞ」
「…はい。その時を、お待ち申し上げております」
…おや。
余計何かフラグっぽくなった?
気のせいだな、うん!
有名どころは特に掘り下げずに進めますので、上杉謙信のことも軽く流しています。
まだ終わってませんが。
これから関りが大きくなる顕如については若干触れています。
描き切れるかは分かりませんが、よくあるタイプではない人物像を想定していますので。