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31 息子

甲斐の国で徳栄軒信玄の葬儀が営まれた。


私の名代として武田信景ゴローちゃんも参列。

さて、ゴローちゃんは幕府の使者と言えるや否や。


いやいや、源氏の棟梁として同じ清和源氏の先代守護大名にお悔やみ申し上げるのは全くおかしくない。

むしろ当然の事だ筋の通ったことだと言えるだろう。


「その理屈は通らぬかと存じます」


…んんっ。

現在の将軍は織田家の軍事力に依存している。

独自戦力も持たぬではないが、少なくとも表向きは依存してると言っても過言ではない。

その織田家と武田家。

今は停戦中とはいえ互いを仮想敵国に認定し、敵対する間柄。


なのに弔問の使者を遣すなんて…。

礼節を尊ぶのは良いが、情勢を鑑みれば悪手だと分かるだろう。

いくらでも口実に使えていまうというのに。

そんなことも理解出来ないなんて、全く困った奴だ。


「困るのは我々にございます」


えーまあなんだ。

つまり、賽は投げられた。


蒔いた種が芽吹き、育ち、やがて収穫される。

遂にその時を目指して動き出す時が到来したのだ!


「育てるのも収穫するのも公方様ではありませぬ」


ぬぅ…。


「佐古よ、さっきから言葉に棘が含まれておるぞ?」


「含ませておりまする」


お、おう…。


何だかアザミちゃん、ご機嫌斜め?


今は閨で睦み事のインターバル。

何が気に食わないのだろう。

キリのことは今更だし、戦略に関しては直接関係ないはず。


はてー?


「公方様」


「なにかな」


改めてアザミちゃんの瞳を覗き込む。

深淵を覗くとき、深淵もまた覗いているのだ。

ヒェ…。


「御台所様が懐妊の由にございます」


「ゑ?」


「未だ表沙汰にはなっておりませぬが、ほぼ間違いないかと」


「そ、そうか。御台がな…」


それをアザミちゃんから聞くことになるとは…。

嫉妬じゃない。

何か深い意味があるはず…。


なんだろうか。


「公方様」


「う、うむ?」


「憚りながら申し上げます。

 御台所様の御歳をお考え下さい。

 危のうございまする」


あっ

於市ちゃんは若々しくて美しいが、御年三十路に差し掛かった。

高齢出産は母体への負担が大きい。

当然の常識であると承知していたが、それはそれと同衾は続けていて…。


「御台所様がお望みのことは承知しております。

 されど、御身を危険に晒してまで為すことではありませぬ」


愛妾にピシャリと叱られる四十路の将軍。

何と情けない。


「わたくしなどと違い、御台所様は何ら訓練を受けておらぬ貴人。

 いくらお抱えの者が優秀でも、危険に変わりはありませぬ」


「佐古よ、自分と違うなど「左様なことはどうでもよろしい」…と」


また怒られた。

出自を気にしてるならと思ったが、そういうことじゃないのか。


「確かに、正室に男子がなくとも手の打ちようはある」


幸い男子は妾腹ながら既に二人いるし、嫡出の娘もいる。

猶子はともかく養女も二人。

キリの子もまもなく産まれる。


「されど今更堕ろせなどとは…」


「公方様ならそう仰ると、分かってはおりました」


言いながら深い溜息をつくアザミちゃん。


「我々は御意志を尊重致します。

 されど、一言申し上げておくべきと考えました。

 この無礼は如何様にも…」


どうやら確り考えてくれた上の覚悟らしい。

顔を伏せて謝るアザミちゃんの頬に触れる。


「其方の諫言、誠に感じ入った。

 今後も至らぬ私を支えてくれよ」


「はい、公方様…。

 早速ですが、威厳が崩れておりまする」


あ、一人称…。

いやそのくらい見逃してくれよ。

息抜きが息抜きにならないとかあんまりだ!


「ふふふ、冗談です」


…ホントかな?


とりあえずスレンダーバディを堪能してみた。

怒られなかった。

やったぜ!



* * *



「千夜丸、息災か」


「父上!」


京近郊のとある寺。

修業を積む我が次男、千夜丸の様子を見に来た。

御供に左京進。


まだ元服にも得度にも早いとは思う。

しかし武士の子として産まれ、寺で修業している現在をどう思っているのか。

今後の為にも確認しておくべきだろう。

思い立ったが吉日、早速やってきた。


いくらか雑談を交わして本題に入る。


「千夜丸よ、お主は紛れもなく余の子。

 しかし我が跡を継ぐ立場にない」


「はい。兄上か、勘九郎の兄さまが継ぐと聞いております」


うむ。

概ね正しく理解しているようだな。


まあ実際のところ、猶子だからこそ信重が足利を継ぐことはない。

征夷大将軍は知らんがな。

於市ちゃんに男子が生まれたら…仮定の話はすべきじゃないな。


「父上、お聞きしても宜しいでしょうか」


「む…構わん、申すがよい」


ボケッと考えていたら何やら思い詰めた様子を見せる千夜丸。

どうした、もっと斜に構えても構わんのだぞ。


「私は父上や兄上の御力になりたい。

 その為に、私は寺に入るべきなのでしょうか?」


…随分と大人びたことを言う。

千夜丸の周囲には甲賀衆が多い。

どうやら現状に不満がある、と言う訳ではないな。

それなりに厳しく躾けられているようだ。


「余は…私は幼くして近衛の猶子として一乗院に入った」


ならば父として、我が子に己の軌跡を教えよう。

その上でどうすべきか一緒に考えたい。


本当はキリにも尋ねたいところだが、早々に一任されてしまったからな。

蒸し返しても仕方がない。


「将軍になる、還俗する日が来るなど夢にも思わぬ日々であった」


ところがどっこい。

運命は悪戯なもの。

あれよあれよという間に武家の棟梁にまで登り詰めてしまった。


「そうなるとな、困ったことが出てきたのだ」


真剣な表情で聞き入る息子の姿に気を良くしながら語り掛ける。


武家に比べて僧侶は体力がないように思われるが、実際は僧侶の体力は中々のものだ。

どんな職や立場でもやっぱり身体が資本。

身体を動かさない修業もあるにはあるが、普通の僧侶は結構あるんだよ。


とは言え、体力は所詮体力でしかない。

身体の動かし方、腕の振り方、足の運び方…。

そういったものは基礎から確り積み重ねないと身に付かない。


三十近くになって初めて還俗。

どれほど頑張っても所詮は付け焼刃。

これは困ったね。


そしてもう一つ、とても困ったことがある。


「考え方の違いだ」


武士、公家、僧侶、商人、農民…。

それぞれ大なり小なり考え方に差異がある。

一番違うのは公家だけど、僧侶と武家の違いもでかいんだこれが。


幸い私はアザミちゃんが最初から付き従ってくれたから良かった。

その後も伊賀衆甲賀衆、さらに雑賀衆とも縁を繋いだ。

普通の武士と違って垣根の低い考え方を持つ者たち。

彼らとの縁が今の私を形作っている。


「私は周囲に恵まれたが、それでも大変だった」


これからも一層大変な道に突っ込んでいくのだが、今は置いておく。


多感な時期をどちらで過ごすのか。

どちらの方が良いのか。

正直判断しかねる。


しかし私が思い描く今後の事を考えると…。


「この寺にて修業を積み、元服の時を待つがよかろう」


「左様な事が許されるのですか?」


千歳丸と千夜丸を別々に行動させるのは決定している。

しかし今は危険も多い。

寺に入ればある程度の安全は確保出来る。


しかし得度と元服、出家を繰り返す行為はあまり良い目で見られない。

だったら最初から出家しなければいいんじゃね?

寺に居座る、預けられる武家の子なんて珍しくもないし。


将軍の子って肩書は少し珍しいかも知れんが。


「千夜丸。お主には甲賀衆が付いている」


「存じております」


「その縁は大切に、そして有効に使うべきだぞ」


今も意識すればほら、空気に徹した甲賀衆が沢山たっくさん

ビクッとなったのは千夜丸の御付きの子か。

即座に左京進から咎める視線が飛ぶ。

まあまあ穏便に。


「本音は武家でありたいのであろう?

 優しく、しかも賢い良い子じゃな。

 父は其方を誇りに思うぞ」


「父上…」


あ、泣いちゃった。

こうしてみるとやっぱ子供だなあ。

いや、息子も良いもんだね。


しかし千夜丸は将来一廉の人物になりそうだ。

武将でも僧侶でもいい。

でも僧侶から武士になるよりは、武将が僧籍に入る方が楽かもな。


「(左京進。千夜丸は甲賀に任せる)」


「(御意。ご信任、忝く存じます)」


端々から居住まいを正す気配が届く。

上忍たちだな。

頼むぞ、我が子を。



* * *



千夜丸に続き、千歳丸にも会いに行った。

順番に他意はないよ、単に立地条件の問題だ。


仁木爺が晩年を過ごした庵。

懐かしさを感じながら庭を回っていると、目的の人物を発見。


「精が出るな、千歳丸」


「これは父上。お久しぶりにござります」


声をかければ木刀を振っていた手を止め振り返る。

その姿は麗しいの一言に尽きた。


息子二人は兄弟ながら似ていない。

見た目以上に中身が。

片方の血は繋がってる筈だが、母方の血かねえ。


周囲曰く、千歳丸はアザミちゃんに似ている。

一方で千夜丸は私によく似ていると専らの評判だ。


「つい先日、母上もみえられましたよ」


そうなのか。

この場合、当然ながら母とはアザミちゃんを指す。


表向きは息子たちの母親は正室の於市ちゃんなんだけどね。

あまり気にしなくてもいい情報だな。

二人とも御台所様と呼んでるし。


キリと違ってアザミちゃんはよく息子に会いに来てるらしい。

何をしにかというと…。


「相変わらず母上のご指導は厳しくてかないませぬ」


やれやれと頭を振る千歳丸。

相変わらず軽い。

アザミちゃんが心配して顔を出してしまうのもよく分かる。


口に出したことはないが、千歳丸の中身は私に似てると思う。

意図して厳粛な風格を出そうと頑張ってるが、私の根っこは結構軽いのだ。

不真面目ではない。

ただ軽いせいで、真面目な人から見ると心配になるのだと知っている。


私も昔はアザミちゃんに良く叱られたなあ。

しみじみ。


「それで、此度は何用で?」


軽い上に切り替えも早い。

御付きの者は苦労が絶えまい。


さて、とりあえず千夜丸に尋ねたことを千歳丸にも聞いてみよう。


「其方は我が長子なれど、嫡子にあらず」


「左様ですな。

 故に寺に入り庵を組み、伊賀の技を鍛錬する日々にござる」


淡々と答えられたので、少し方向性を変えてみる。


「将軍になりたいと思うか?」


「嫌ですよ面倒くさい」


即答であった。


「勘九郎兄者か、於江と結ばれる誰かとなるでしょう」


「千夜丸はお主か勘九郎か、と思っているようだったが」


「私は嫌です」


「嫌か」


「はい」


取り付く島もない。

ある意味正解だから強くは言えないが、御付きの者たちはさぞや心配だろうなあ。


「しかし千夜丸はお主を支えたいと申しておったぞ」


「左様ですか…」


とりあえず出来た弟の意向を知らせておく。

なんだろ、別に説得しに来たわけじゃないんだけど。

変な空気になってしまった。


「千夜丸は良い武将、あるいは高僧となるでしょう。

 そんな弟をこそ支えたい…。

 こう思うのはおかしいのでしょうか?」


少し思い悩むように吐露する。

これは本音っぽいな。

腹違いながら兄弟仲は良い。

母親同士は時々ピリッとした緊張感を漂わせてるからな。

二人ともこのまま健やかに育って欲しいと願うばかりだ。


「決しておかしくはなかろう。

 …しかし其方は僧侶には向いておらんな」


「まあ、見ての通りにて」


しかし現実は非情である。

兄弟姉妹を見守ることを理想に掲げる当人の資質は圧倒的に武将寄り。

将軍の器かどうかはさておき、僧侶の型に嵌めるのは苦労しそうだ。


「いっそ、伊賀衆の頭になるか?」


「母上は中ノ忍ですが」


「よう存じておるな」


「概ね聞いております」


「…決して口外するでないぞ」


「承知しておりますとも」


軽く意識を回す。

控える伊賀衆は全員肯定。

左京進と甲賀衆は門外を任せてあるので大丈夫そうだな。


「上忍だらけだの」


「丹波守と九蜂が主軸にて」


既に伊賀衆の頭みたいじゃないか!


「しかし技量が心許無いと…。

 父上、折り入ってお頼みしたいことが」


「言うだけ言ってみよ」


「伊賀で修業させて下さい!」


「…知っておるのか?」


「はて、何をでしょうか」


…機密が漏れてる予感。

出所はアザミちゃん、は流石にないな。

ならば上忍の誰か…あるいは九蜂か…。

いずれにしろ伊賀衆にどっぷりなのは確定だ。


まあいい。

しかし息子が予想以上の出来で参ったな。


「前向きに善処しよう」


「言質を取りましたぞ、父上!」


何も言ってないのに、中々酷い奴だなお前。

ホント兄弟でこうも違うと驚くわ。


いやまあ、冷静に考えれば藤英と兵部も結構違うからな。

それはそれで尊重しよう。


源兵衛と服部さんにはちゃんと確認しとかないと…。



* * *



前略、勘九郎殿。


下の息子共は揃って君を次期将軍だと認識している模様。

流石は我が自慢の息子だと誇りに思うところである。


ついてはさっさと身を固めなさい。

今でも松姫と文通してるんだろう?

ふふ、父は何でもお見通し!


徳栄軒の喪が明けたらちゃんと検討するよう言っておいた。

私も早く孫の顔が見たいのだよ。

宜しく頼むぞい。



追伸。


能は良い。

とても味わい深いものだ。

余裕があれば嗜むのもいい。

但し、程々にな。



息子たちとの語らい。

猶子は基本岐阜にいるのでお手紙で。


そして物語は後半へ…

これからの時間軸は濃密で膨張する傾向にあります。


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