26 親疎
「若狭守護職、武田孫八郎に加増しよう」
却下。
若年で武功もない。
時期尚早。
…。
「朝倉式部大輔の遺児を取り立てたい」
朝倉…?
ああ土橋信鏡ね。
却下。
奴に遺児などいない。
…。
「安居孫三郎の跡を一族の誰ぞに」
却下。
逆賊の家督など不要。
むしろ一族がいるなら滅ぼす。
…。
「甲賀の六角残党を処断すべし」
そのような事実はない。
却下。
証拠もなく不用意な事を言わないように。
…。
「北畠三介を叙任してはどうか」
却下。
特段の功績もない者への厚遇は無用。
必要になればこちらから依頼する。
…。
「畠山河内守を管領につけてみたり?」
冗談も休み休み言え。
却下。
在京しない者にて相応しくない。
どうしてもというなら京兆家の細川昭元にするべき。
…。
そもそもこの信長を差し置いて、天下を輔弼する者など…ッ!
*
…ふぅ。
ようやく本音を引き出せた。
長い戦いだったぜ。
一定間隔で指示や依頼を出したり疑義を呈したり。
淡々と行うのがミソで、拒否されたらすぐに引っ込める。
決してゴネない。
それでいて諦めず、上述以外にも大なり小なりネチネチ続けて上げた成果。
これ即ち信長の本音。
若狭や越前は織田家の領国化が進む。
近隣に敵対勢力を潜ませるような無策は晒さない。
そして都に影響力を持たない者が今更管領に就任するなど笑止千万。
己こそ天下の執権であるという自負から苛立ちが滲む。
…なんてね。
周囲に煽る輩もいる。
それも重臣クラスで、おべっかじゃなくて本気でそう考えてる厄介な奴ら。
結構感化されやすいのが人間というもの。
意志が強くとも情の深い、歴としたヒトである信長も例外ではない。
もちろん私もだが…。
元高僧予定者としては忸怩たる思いもある。
強く己を律することで自分を保つ。
仏道でも家の心得でもよく説かれるているが、これがかなり難しい。
身内に甘い人間など最たるもので、その点で私と信長はよく似ていると言えよう。
つまり危険ってことじゃないですかヤダー。
話を戻して、煽る輩とは誰か?
報告では丹羽、羽柴、蜂屋、神戸、毛利などの名が列挙された。
丹羽と羽柴、…またお前らか。
更迭されたのに舞い戻るとは、余程有能なのだな。
確固たる信念を持っての活動と見える。
他、蜂屋は信長の馬廻り出身。
神戸さんちの信孝君は信重の弟で若輩者。
毛利は西の毛利とは無関係な尾張の毛利。
まあ小粒だな。
信孝は信長の息子だが影響力は限定的。
これに丹羽と羽柴が接近しつつあるようで、後々担ぎ上げられる可能性はある、かな?
一応留意しておこう。
さて、苛立ちが募り、本音が透けて見えた信長はどんな一手を打つだろう。
ストレートにぶつかってくるにはまだ浅いと思うのだが…。
* * *
本願寺こと一向宗。
権力者にとっては何かと危険な存在になりがちであるが、その指導者との縁は薄くない。
薄くない縁を頼りに越中と越後の手打ちが実現した。
越後上杉にとって越中一向一揆衆は不俱戴天の仇。
どう見ても敵対勢力。
…ではあるが、諸般の事情により和睦が為された。
これまでも暫時和睦は為されてきたが、今回は根本から異なる。
本気で仲介したのが将軍義昭、この私であるからして。
北陸方面の一向一揆は本願寺の言うことを聞かないことが多かった。
独立独歩を指向する傾向にある。
それがここにきて仲介を受け入れた理由とは。
将軍の権威によるもの。
…と言いたいところだがそうではない。
彼らを取り巻く情勢が著しく悪化、厳しくなってきたのがその要因。
一向一揆と一口に言っても元の勢力はバラバラである。
浄土真宗本願寺派の北陸在地組。
その中で加賀何寺社域、何某が治める地域、何某の持つ利権範囲内、能登の、越中の…等々。
正信は越前をメインに活動したが、それでも大変だったとぼやいていた。
奥深くに行けば行くほど深みに嵌ってしまう。
まるで底なし沼のようだと。
そんなバラバラな状態で安定するはずがない。
敵にも勝てない。
仕舞には身内同士でも争いが起きる始末。
このままではマズイ。
だからと言って今更隣の誰かに頭を下げたくはない。
ここに至り、漸く彼らは本山の指導者に縋ることにしたようだ。
正信などは遅きに失すると厳しい反応。
しかし縋られた指導者としては、見捨てることなど出来るはずもない。
どうするか悩みに悩んだ挙句、顕如は将軍を頼る(巻き込む)ことを決する。
そこで私は越前の鐵は踏まないことを条件に仲介の労をとった次第。
越中が治まることで越後上杉は能登への進出が叶う。
本願寺と結ぶことで、加賀から越前を窺うことすら可能となった。
越前に通じれば上洛も夢ではない。
今はまだ画餅に過ぎないが、エサとしては十分だろう。
一応越後上杉は親幕府の大名と認識されている。
細かいことに目を瞑れば十分使える。
亡兄がやったことが生きるか死ぬか、そんなところまで来るとは思いもしなかったがな。
しかし越後か。
更に北上して最上に大崎、浪岡辺りまで繋げてみたい気もするなあ。
以前ゴローちゃんが頑張った経過はまだ生きてる。
これまで通りお手紙外交、頑張るとしますかね。
ちなみに越後と越中の和睦は将軍の意向で為されたけどね。
イコール織田家と火花散る展開にはならないよ、まだギリギリで。
*
「で、どう見る?」
折よく正信がやって来たので本願寺の内部事情を聞き取り調査。
摂津や越前、加賀には一定数遣ってるけど、やっぱり本物の声は違うよね。
「左様…」
茶碗を持ったまま暫し瞑目。
どこまで話してよいものか、ではなく何から話そうかと考えてる雰囲気。
顕如とは近衛太閤を経由しても誼を通じた。
それでなくとも立派な人物だとは思っていたけどな。
正信も承知している私の考えだが、残念ながら万人に共通するものではない。
一向一揆に悩まされた信長や三河徳川家、一部の幕臣たちにとっても憎い相手。
忌避する者が多い訳は、その激しい排他性にある。
理解が容易な教えが浸透しているため、武力も相当で攻撃性を助長している。
天台宗や真言宗、日蓮宗も大概なところはあるが、それ以上だからな。
どこか九州で増えつつある切支丹に通じるものがある。
敵の敵は…で現状がある訳だが、先々どうなるものやら。
諸々踏まえて行動せねばならない。
そこで必要となるのがブレーンだ。
「ではまず越中について。
上杉と椎名は昵懇。
神保が動きを控えている間は上手く行きましょう」
是非とも正信にお願いしたい。
嘱託でもいいから家臣になってはくれないものか。
「能登は遊佐と長の対立が深まっており申す。
ただ温井、三宅らが畠山春王丸を守り立てておりますれば」
ちゃんとした知識を持ち、自らの足で赴いて現地人とも論じることを厭わない。
知見を得るのはとても大事。
本山の指導層とも懇意であり、即断即決する頭脳もある。
「加賀については特段変化ありませぬ。
強いて挙げるとすれば、上杉の手の者が入り込みつつある程度にて」
自分の手となり足となる者もしっかり抱えている。
修験者というのも悪くない。
「飛騨では織田と上杉にハッキリと別れました。
小国の山国なれば、影響は軽微かと思われまするが…」
そしてこの情報分析能力よ。
実地検分できる頭脳ほど強力なものはない。
嗚呼、欲しい。
「越前ですが、朝倉の痕跡は徹底的に抹消。
席次の低い傍流は見逃されておりますが、陪臣に過ぎず」
各国の状況を踏まえて漸く本題。
迂遠と嫌う者も多いと聞くが、全て必要なことだと私は思う。
「石山にあっては北陸の快挙を喜ぶ者が多数。
上人様は緩みを警戒しておいでの模様」
そこで一区切り。
茶碗をグイッと呷る。
ゆっくり呼吸を整えよ。
と、こちらを窺う正信と目が合う。
「如何した」
「公方様が動かれたこと、顕如上人は大層お慶びでございました」
「ふむ。それで?」
「下間侍従らが力を得たとして頻りに便りを寄越しているそうで…」
加賀は越前を抑えた織田家が次の標的としている国。
落ち目の一向一揆は上杉と結んで対抗したいと考えており、仲介に動いた私も味方に勘定しているとのこと。
まあ、そうなるよね。
分ってはいた。
「顕如殿は苦悩されておるか」
「苦悩とまでは申しませぬが、遣る瀬無いお気持ちのようでした」
顕如も分かっていただろう。
全て納得出来るとは限らないけどな。
「改めて問おう。お主はどう見る?」
「戦になりましょう」
バッサリ。
これだよこれこれ、このズバッと感!
近臣たちや忍び衆は悪い報告の時、私のことを慮って口籠ることが多いのよ。
源兵衛ですらそうだから。
例外は服部さんやアザミちゃんといった一部の人間だけ。
「戦になるとして、具体的には」
「まずは加賀、その先に能登。
遠江が落ち着いている今、恐らく摂津と播磨」
敬意がないとかじゃなくて、言うべきことを確り言う。
これが出来る人間は貴重なんだよなあ。
みっちゃんと兵部を織田に遣ったのは惜しかった…。
式部に期待したい。
「石山が狼煙を上げるか?」
再度の問いに正信はすぐには答えず、じっとこちらを見詰めてくる。
ああ、また悪い報せか。
「答えよ」
「公方様にも動いて頂くことになろうかと…」
いよいよ来るか…。
「その時に其方はどうする」
「これまで同様、時折伺いまする」
やっぱり仕えてはくれないのか。
残念だが仕方がない。
「よかろう。
お主には米三百俵を遣わす」
「お仕えする気はありませぬが?」
口ではそう言っても実質仕えてくれてるよ。
御恩と奉公。
形は違えど似たようなものさ。
「これまで通りでよい。貰うだけ貰うておけ」
「褒美ならば、米より酒を頂きとうござります」
おいおい、どんだけ酒好きだよ。
米三百俵よりも酒の方がいいとか。
思わず笑ってしまった。
…え、下手すれば酒を支給すれば仕えてくれるとか?
まさかとは思うが少し怖い。
「大樹酒か?」
紀州に広がったことでそれなりの量が作られるようになった銘酒。
評判が評判を呼び、各地から求められることも増えてきた。
諸般の事情から西国への流通は絞っているが。
「はい、是非とも!
これぞ真に天上の美酒でござればッ」
お、おう。
目の前の奴ほど極端な者は少ないが、愛好者は多い。
今や当座の褒美として機能するほどだ。
そうまで望むなら多めに持たせてやろう。
「酒は渡そう。だが米も少しは持っていけ」
米から作られるとはいえ、酒で腹は満たされない。
というか腹が膨れる程飲むんじゃないぞ。
此奴やべえ。
結構重要な話し合いをしたはずなのに、酒寄越せ時の眼光が一番鋭かった。
周囲が感化されないよう注意させないと…。
* * *
「戦になりそうか?」
「可能性は潰えませぬ」
「むしろ高いと某は見受けまする」
正信の意見をそのまま転送。
内容自体は寝耳に水ではないので誰も驚かない。
ただ当事者に近い、しかも知恵者の見識であることに揺れる者もいた。
一笑に付す者が皆無ということは、誰もが一定の評価をしたということ。
危ないなあ。
「備えは進めておるが、今のままでは十分とは言えまい」
「御意。織田の目を完全に欺くのは至難にて」
織田家は織田家で忍びの者を抱えている。
甲賀衆の一部なんかもそうだし、その他にも色々。
伊賀衆に比べて技巧派は少ない一方で、雑賀衆のような商人系が多い。
根来衆も好意的と聞く。
私の忍び衆と違って傭兵扱いが多いが、金払いが良く離れる者は少ない。
津島や熱田との関係もあって金持ちなんだよな、織田家って。
実質堺も抑えている訳だし。
「ここはひとつ、目先を変えてみては如何でしょう」
どうしようかと考えを巡らせていると、左京進の背後から意見具申の声。
誰かなー?
お、見覚えがある。
越前でかなり頑張ってくれた甲賀衆。
中でも表に出て孫三郎の代役を用意した功臣だな。
顔は知ってるが名前は覚えてない彼に視線で先を促す。
「世鬼を頼りましょう」
ん?世鬼?
頼ることが可能な相手は大体ピックアップしている。
その中にセキという名はない。
「関、というと伊勢の?」
「ああいや。毛利の方にて」
関盛信。
伊勢の名門ながら今現在、信長に疎まれつつある人物だがこっちではないそう。
毛利ということは忍び衆か。
世鬼一族が仕えていると聞いたことがある。
詳しくは知らないが、繋ぐではなく頼るとはどういうことだろうか。
「先般改易を申し渡された堀次郎を使います」
「堀次郎…近江の者か」
「御意」
記憶の端っこに存在した堀次郎秀村。
何とか引き出せたが流石です!みたいな顔すんなや。
改易についても聞き及んでいる。
元家臣の不手際に連座という理不尽な仕打ちを受けた近江の国人。
成程、今は甲賀に身を寄せているんだったか。
そうそう。
織田家の領国化が進む近江国内にあって、大きな領地を持つ在地領主は邪魔だと排除されたって見方が強かったな。
元は羽柴と密接に繋がっていたから安泰かと思われたが、元家臣の件でそちらの縁も切れた…。
あるいは、敢えて切った?
一気にキナ臭くなるな。
「それで、堀をどう使う」
「西へ逃します」
それで世鬼を頼る、頼らせる。
分かったような分からんような。
周囲からはほうだのへえだの感心の吐息。
だったら分かってそうな奴に任せて…お、そうだ。
ここらで西国への取次を決めておこう。
式部は南海を取り仕切ってるから…。
「大和守」
「はっ」
「協議して決まったら報告するように」
「御意」
双璧、政略担当の藤英に任せよう。
円熟した味のある大人である彼なら問題ない。
あとはー。
「其方、名は」
「ハッ!宗司と申しまする」
「うむ。ならば宗司よ、世鬼の件はお主に任せる。
大和守や左京進ともよくよく相談し、任務を全うせよ」
「ハハーッ」
オオ…。
地面と水平になるくらい綺麗に折り畳まれた礼をする奴だな。
普通の武士には出来ない所作。
はっ…これも忍びの技ってヤツか!
さてさて、こちらの準備は進んでいる。
あちらの方針も決まっちゃった頃かな?
北陸方面に動きがあり、各地に飛び火する様相。
変化の兆しは水面を揺らし、やがて大波となって押し寄せる…。