17 流言
「大野の方様が京兆家の若当主に嫁ぐ方向で纏まったようにございます」
「ふむ、そうか」
死角から降って来る突然の報告に驚くも、顔には決して出さない。
忍びの衆を扱う上位者にとり、不動の心は必修科目。
長年仏道にあって己を律してきた私は密かに自信を持つ項目である。
アザミちゃん等には惑いを見抜かれるが、そこは絆の深さ故としておこう。
それはいいとして、大野の方か。
於市ちゃんの妹で名前は…確か、於犬ちゃん。
美人で有名な姉妹の片割れですな。
尾張で有力な水軍衆の佐治氏に嫁いでいたのだが、先の戦で旦那が討死。
嫡男が家を継いだから出戻りはないやもと思ったが、姉に続いて結局再度の政略結婚。
まあまだ若いからな。
「六郎は如何か」
「乗り気と聞いておりまするが…」
政略結婚であっても愛情を育めないことはない。
私と於市ちゃんがそれを証明している。
…しているよね?
細川六郎昭元。
管領を務める家柄で、細川京兆家と呼ばれる名門の当主。
姉さん女房になるが良い縁だと思う。
だからこそ。
「呑まれぬよう、気を配らねばな」
「…ははっ」
おっと源兵衛の前で言うことじゃなかったな。
色々と気になることもあるようだし。
「ところで和田主膳の件はどうか」
「甲賀衆の同意は取れた由。あとは太郎殿の出方にございますが」
「奴は我が手元に置く。文句は言わせぬ。
名乗りも変えさせよう。仮にも一家の当主故な」
「妙案かと」
惟長の通称を太郎から伝右衛門尉に変えるよう命じる。
理由はさっき言った通り。
傍らに置いて暴発しないよう手綱を握る。
業は持っているのだから、ここで腐らず心機一転鍛えなおして欲しい。
ちゃんと応えてくれるといいのだが…。
* * *
「公方様」
閨。
それはココロオドル男女睦の場。
今宵は於市ちゃんとお楽しみなう。
和田さんのことで傷心の時、癒やしをアザミちゃんに求めてから於市ちゃんが積極的だ。
意外だったのはキリが機会を譲っているということ。
もっとガツガツしてたのに、どんな心境の変化だろうか。
遠慮の理由が千夜丸だからおかしくはないんだけどさ、草食動物風肉食系女子のキリだ。
ちょっと違和感あるよね。
奥殿で派閥争いとか止めて欲しいが。
まあ於市ちゃんと重なることに異存はない。
「お聞きしてもよろしゅうございましょうか」
「何なりと聞くが良い」
ひとしきり燃え上がった後、インターバルを挟んでのお問い合わせ。
なんでしょうか。
「彩殿へのお手付きは何時頃と思し召しでしょうや」
「む?」
「斯様な場での無粋をお許しくださりませ。
されど、大事なことにござりますれば」
「ああ、それは構わん。しかし彩がことか…」
最中じゃないから別の話題でも問題はない。
問題はないのだが、まさかの話題でちょっと頭が追い付かないと言いますか。
於市ちゃんの表情は真剣そのもの。
本気で考えてきたのは間違いない。
確りと答えを待っている眼差し。
とは言え、こっちはまとまってないのだよ。
「考えてはいる。しかし急ぐこともあるまい」
「左様でございまするか」
気のない返事を寄越す於市ちゃん。
期待に応えられなくてすまないな。
しかし政治的な絡みもあって、簡単には決められないんよ。
孫三郎の娘、彩。
越前から避難してきた者らのまとめ役を任せているが、確かに居候より側室の方が収まりがいいのは確か。
当人も乗り気と報告を受けていることだし。
とりあえず式部らに諮ってみるかねえ。
チラリと横目。
何をか思い悩む様子の於市ちゃん。
将軍の正室として何かと忙しい彼女の悩み事は少ない方がいい。
「あっ……んむっ」
とりあえず今は第二ラウンドを開始するとして、早めに対応しようと心に決めるのだった。
* * *
賢者モードも醒めぬうちにと早速に閣議招集。
近臣を中心とした幕臣らに諮問委員会。
「構わぬと存じます」
「むしろ御台所様が乗り気ならば、是非とも進めるべきと思いますぞ」
「公方様には何かご懸念でも?」
問題ないらしい。
正室が乗り気なら話は早い。
何ともイケイケゴーゴーな空気。
「懸念というか…。京兆家がことは存じておるな?」
「細川六郎様と大野の方様のことですな。無論、存じております」
「御台所様を通じて良い縁で繋がりましたな」
昭元の昭は私の昭。
先代と色々あった流れで当代とも最初は敵対関係にあったが、義継君が帰参した辺りに帰属。
慣例に従い一字を与えた。
以降恙なく過ごしている。
「先代殿と違って若当主は至って誠実。問題ありませぬ」
今は主に外交官として活躍する昭元。
家格が高いので式部とセットで大活躍。
ここで織田家の娘を嫁にすることでさらに箔がつく。
将軍と相婿でな。
おっと於市ちゃんは近衛家の姫として嫁いでいるから表向きは違うが、まあ実質な。
ところでその近衛家から、というか太閤前久から不穏な囁きが齎された。
曰く、そろそろ頃合かな?と。
確かにそろそろかも知れないが、いざとなると中々踏ん切りがなあ。
織田家が奮闘してる相手の武田家は先代よりも当代の方が積極的。
当代は陣代というのが狙い目だと正信が言っていた。
建前もバカには出来ないということだと。
時代は動く。
それも唐突に。
背景にあるのは、天下泰平を願う諸人の想いと純粋なる天子様への思い遣り。
あとは過程と強弱の違いがあるのみ。
まあそれが軋轢を生む訳だが。
特に過程で淘汰される既得権益。
そして生まれる独善的な正義感。
分っていても抗い難きは人の営みに根付いた欲が故か。
先々代の将軍であった兄上が在位中に殺害され、今は不可思議な魂を持つ私が将軍位にある。
是非もない。
「では彩の事、内々に進めてくれ」
「御意。恐れながら某にお任せ頂ければ…」
「任せる。ある程度固まったら御台に知らせる前に余に報告するように」
「ははーっ」
これまでは適当に決めてきたが、奥の差配は正室が行うもの。
だから報告は於市ちゃんにすべきなんだけど、一旦私を通して欲しい。
何にしても心の準備って必要だからね。
優秀な家臣たちは見た目動じない私を少し勘違いしてる節がある。
放置すると、突然知ってる前提で話し始めたりするから困るのだ。
報連相。
人の機微に関わることほど大事なものはない。
ふぅ。
また側室が増えることが確定したか。
不満はないが、不安はある。
ま、一つずつ潰していくしかないな。
* *
と言う訳で早速だが。
「ところで皆は知っておろうか。
大隅守を通さず直接流れてくる、弾正忠の意図とされるものを」
突然の話題転換に目を白黒させる幕臣たち。
それでも即座に食いついてくる彼らはホント優秀だわ。
「織田家中の一部が公家衆らと接近しつつあるという噂にございますか」
丹羽長秀と羽柴秀吉。
この二人が中心となり、信長の名代として京に居る信広を差し置き朝廷との繋がりを模索している。
秘密裏で小規模な動きだが、これは信長の差し金なのかどうなのか。
これまでは表向き、根も葉もない噂として処理されてきたのだが…。
ひょんなことから事実だと分かった。
それは信広がふと零した愚痴。
長秀の妻は信長の養女で信広の娘。
繋がりが薄いはずもなく、黙認してたのかさせられていたのか。
都で主君の代理として地道に地均しを行い、今の地位を築いてきた己。
それを無視した動きを見せる娘婿。
程度の多寡にもよるが余り面白くは感じないだろう。
耳聡いのか地獄耳なのか。
評価は分かれるだろうがともかく、動きがあると知れた。
そして詳細を探り出したのは雑賀衆。
雑賀衆と言っても武士じゃなくて商人なんだが、伊賀衆とも繋がりが深い手練れだった。
商人なのに手練れってちょっと怖いよね。
最近は甲賀衆も伊賀衆も、何かと入り込んでくるネズミが多くて大変らしい。
今後のこともあるし、雑賀衆との繋がりもっと密にするのも良いな。
式部が運用する鉄砲衆に紛れて色々画策してた。
いいぞもっとやれ。
話がずれた。
噂が真と知れたなら対策するべし。
対策するためには深く知らねばならぬ。
情報の相互通行においては取捨選択の主導権を握っておきたい。
これまで通り遠回しだったり尊大な言い回しをすると、周囲が気を利かせて勝手にやってくれる。
しかし制御できなくなっても困るからある程度は知っておきたい。
さて、此処に集う幕臣たちは得意分野に違いはあれども皆が優秀。
知らせ、聴かせ、答えを用意させよう。
織田家と公家衆との繋がりはあってもいいが無視はできない。
信広や幕府を通さず秘密裏に行っている点がまず怪しい。
誰の意図かがはっきりしないのがなお怪しい。
「皆はどう思う」
漠然とした問いに顔を見合わす幕臣たち。
やがて頷き一人が進み出る。
「織田様の意図がないとは思えませぬ。
大隅守殿が黙認されてることが何よりの証拠かと」
で、あるな。
信広が気付いたうえで何も言わない、報告してこないなら相応の理由があるはず。
娘婿の失態を庇うという線は薄い。
だったら信長の意図があるということになる。
ではその意図とは何か。
実は薄々分かってるんだよねー。
でも考えるにつけ、こう胸がざわざわする。
あまり口に出したくはない。
「公家衆の特定を進めよ。それ如何で対応は変わる」
「御意」
今わかってるだけで二条と勧修寺。
五摂家と武家伝奏だから目立つんだよ、流石に。
ちょっと用心が足りないんじゃないか。
余計なお世話だろうけどさ。
あるいは囮の可能性も…?
* * *
突然ですが謀反の疑い、これあり!
織田家の重臣、丹羽長秀から急報が届いた先は岐阜の信長。
謀反を企てた不届きな輩は将軍義昭とのこと。
…なんだって?
この私が謀反とな。
それは誰に対してだね。
信長?
織田家?
あー、ちょっとキミィ。
謀反ってのは下の者が主に叛くことを言うのだよ。
この私が武家の頂点、足利将軍と知っての物言いかね。
控えよ、下郎!
ちなみに下郎ってのは身分の低い者を指す言葉。
だから目下の者や部下であっても身分が高かったり貴種であれば下郎にはならない。
生まれが卑しいとか、そういった罵り言葉としてよく使われる。
将軍から頭ごなしに怒鳴られた場合、正しい使い方だったら相手は委縮する。
しかしそうではない、またはプライドの高い者は逆に激昂することもある。
表向き平伏してても心の中では憎悪に染まるってね。
つまり下克上がおきる伏線となる。
使い所には気を付けなければならないのである。
まあ正しく使ってても、相手によってはヘイトを稼ぐ場合もあるがな。
さて、目下の問題は謀反が云々という点。
一体全体どういうことなのか。
ちょっと経緯を辿ってみよう。
* * *
事の発端は摂津の国に三好三人衆が侵攻してきたところまで遡る。
和田さんが討死し、惟長の失態もあって幾人もの国衆が敵方へ寝返った。
事態を重く見た幕府は軍勢を動かすことを決定。
信長としても東を抑えるために頑張ってるところ、西は安定していて欲しい。
畿内周辺に所領を持つ武将で動かせる者を派遣。
搦め手として調略も併用しつつ、抑えることを主眼とした。
ところで軍勢の派遣は急ぐ必要がある。
しかし大人数を一気に動かすには準備が必要。
時間もカネも大いにかかる。
カネについては将軍の懐が潤沢であるため問題なし。
奉公衆の数に限りはあるが、雑賀衆を通じて根来衆と話がついた。
中々の出費だったが背に腹は代えられない。
取り急ぎ仕立てた軍勢を泉州堺に進出させた。
摂津にも河内にも睨みが利かせられる、地の利を生かして後詰を待つ。
さて、その後詰である。
ここで将軍出馬の話が持ち上がった。
将軍家が戦場に出ることはここ最近ない。
幕府が盛り返したことを示すには絶好の機会であると。
私が出馬することに対する否定的な意見も確かにあった。
危ないからってのが多数。
確かに危険はあるだろう。
でも私は将軍になる前襲われて戦った以外、目立った戦功はない。
武家の棟梁としてはどうかなって思わないでもないんだよね。
いや、将軍に武功が必要かって言われると悩むところだけど。
色んな議論があったけど、結局和田さんの仇っていう面もあって出馬することにした。
あくまでも決めたのは私。
傍らで源兵衛と左京進が思い詰めた表情をしていたのが印象的だったが。
左京進ってのは多羅尾の嫡子、光太のこと。
最近は多羅尾一族との接触も増えたのと、当主の光俊から宜しく頼まれたこともあって区別するために通称で呼ぶことにした。
キリのこともあるし。
源兵衛との両輪として、もっと色々任せることにしてみた。
両輪と言えば、先々四天王制…四輪駆動にしたいと密かに思う。
将軍お抱えの忍び衆、即ち闇の四駆。
コレジャナイ感が凄いネ。
さて、将軍自ら兵力を整え出征する。
ここしばらく無かった事態だ。
当然都は騒然となる。
古くは六角、あるいは細川。
近くは三好と織田による兵力進駐はあったものの、足利中心となると義尚の頃だろうか。
その義尚も陣没してて、あまり良い先例ではない。
というか足利将軍に良い先例として挙げられる人物が少ないという事実には蓋をしよう。
私の立場上、口が裂けても言えないことだ。
何にしても都に足利二つ引の紋旗が翻る光景は素晴らしい。
私以上に老臣たちが感激していたな。
当然信広を通じて織田家には連絡したし、参内して朝廷にも報告した。
その上で粛々と軍勢を動かして畿内を行進。
目的は先に言ったように摂津や河内への後詰。
しかしここで騒ぎ立てる者がいた。
清和源氏の名門、甲斐武田家と結んで織田家を挟み撃ちにするための挙兵だと。
そんな愚挙を考える馬鹿などいまい。
あるとすれば敵対する織田家を惑わすために武田家が流した噂の類で、踊らされる方がおかしい。
少なくとも織田家の重臣であるならあり得ないと断言できる。
でもそれが、二重三重に張り巡らされた謀略の一端だとしたらどうだろう。
こうして私の出陣は挙兵という形で岐阜へと伝達されたのだった。
足利将軍ってホント碌な奴がいませんよね。
色んな功績残してはいるのですが、どうにも印象が…。
本作の義昭君には負けずに頑張って頂きたいところです。