14 正室
於市の方が近衛家の娘として嫁いできた。
事前に情報収集を指示していたが、これが表裏問わず次々と舞い込んでくる。
「近衛家よりの行列ですが、お歴々の方々に勝るとも劣らないものと存じます」
「(煌びやかの費えは八割方、織田家より出ており申す)」
「公家衆も皆さま心待ちにしておられます」
「(太閤様は密かに舞い戻り、義父としてお立合いになるそうです)」
「此度婚儀に際し、祝いが遣わされた氏名は全て控えており申す」
「(孫三郎が彩殿を送り出す際、側室にと言い含めていたようにて)」
なるほどなるほど…っておい、最後の関係ないだろ。
しれッと挟むんじゃない。
というか近衛太閤、戻ってきてるのか。
相変わらずフットワーク軽いな。
近衛家の慶事でもあるから、当主として出席しなければならないのは分かるんだが。
於市と私は概ね十歳違う。
似合いのカップルと言えよう。
一方で、義兄となる信長と岳父となる前久は私とほぼ同い年。
義兄はともかく岳父はちょっと。
些事ではあるが、養女は養妹でもよかったんじゃないのとか思う。
それで義理の三兄弟になるのもちょっと微妙…。
私の複雑な心中を他所に、婚儀は盛大に執り行われた。
織田家は戦時中で大変だから参列者は限られる。
戦は近衛家に関係ないから公家衆の出席者が多い。
当然の帰結であるが、やはり気疲れするわ。
於市は三度目の輿入れ。
私は初婚。
あまりに堂々とされて、十歳上の将軍ともあろう者が形無しである。
裏から見てるアザミちゃんが失笑してる気がする。
気のせいだと信じたい。
一方、視界の片隅で織田家からの使者に名を連ねる羽柴秀吉は間違いなく失笑していた。
おのれ秀吉。
個人的な恨みは中々消えないと知るがいい。
晴らす機会があるかは知らんが。
織田家から参列したのは信広、信重、坊丸改め七兵衛信澄、長秀、秀吉ほか有象無象。
みっちゃんと兵部が居なかったのは残念だが、戦線の都合上仕方がない。
兵部はそもそも、こういう時こそちゃんと信長の側に居させようと派遣したんだからな。
でも別口で祝いの使者が来てるのは流石だ。
信重と信澄、長秀と秀吉はこの後摂津方面に出陣するらしい。
元服して磯野家を継いだ信澄は初陣だとか。
しかもみっちゃんの娘婿になったんだって。
順調に織田家に溶け込んでいるようで何よりだ。
幕臣はほぼ全員が参列。
和田さんはちょっと無理だった。
でも義弟の義継君と若狭から武田元昭が、伊賀から義郷君が来てくれた。
久秀は大和と三好軍を預かってる関係で残念ながら。
房中の秘術は独自の研究を重ねつつ絶賛有効活用中である。
是非ともお礼をしなければ。
参列出来なかった幕臣たちともども、陣中見舞いと称して新作の酒と石鹸あたり、ちょっと色付けて送っておこう。
きっと喜んでくれるはず。
そして於市と故・浅井長政の間にできた娘二人。
茶姫と初姫は私の養女とする。
まだ幼いので母と一緒の方が心強いだろう。
浅井家に残すという選択肢もあったけど、諸般の事情でこうなった。
信長が後見するとはいえ、未だ幼い信政の基盤を盤石なものとするのに有効らしいよ。
政治的思惑ですな。
あー、世知辛い。
そういえば、もう一人くらい娘がいたと思ったがどうやら気のせいらしい。
男子ならもう一人側室との間に生まれていた。
彼はいずれ浅井一門として重きをなすことになるだろう。
頑張って頂きたい。
将軍家と近衛家の婚儀は盛大且つ格式ばったもので肩が凝る。
それに正室ともなれば、側室との過ごし方とも違う感じになるんだろうなあ。
可能な限り柔軟に処したいところだが、よくよく見極めねばならぬ。
於市は今後、御台所と呼ばれる。
大名の奥方でも大変だろうが、将軍ともなれば猶の事…。
嫌われない程度に構っていく所存である。
問題はスタート地点の好感度が分からないことだが。
とりあえず初夜からだな!
閨の都合により夫婦の絆が決まると言っても過言ではない。
上手く高まり合えればいいのだが。
場合によっては滑る秘薬を処方することも視野に入れよう。
* * *
「不束者ですが、幾久しく、お願い申し上げます」
初夜。
寝所に入ると口上と共に出迎えてくれた。
「うむ。しかし婚儀で疲れたであろう。無理はせぬがよいぞ」
初夜が大事とは言ったものの、長々と盛大な婚儀で正直疲れた。
於市…御台も疲れたんじゃないかな。
まずは寝て、疲れをとってからでも遅くはない。
無理しても高まらないからな。
「いいえ、大丈夫です。されど、わらわも若くはありませぬ。
公方様がお望みでないならば、お手を付けずとも…きゃっ」
言わせないよ!
「そこまで言うなら仕方がない。ささ、こちらへ参れ」
可愛い悲鳴を上げる御台を抱き寄せ、胸に抱く。
あ、いい香り。
「な、何も言っては…。公方様に御無理をなさせるわけには参りませぬ」
「無理ではないぞ。御台こそ、遠慮はいらぬ」
若くないとか言うけど二十代半ばの御台…やっぱ於市ちゃん。
未亡人云々は脇に置いて十分に魅力的だよ。
美人だし。
「ならば身を任せても、宜しゅうございますか」
ジッと強い意志を感じさせる瞳で見詰めてくるのに頷いて応える。
「構わぬ」
強張ってた身体の力を抜く於市ちゃん。
伊達に子を生してきてはいない。
良い意味で慣れてることに安心する。
さあ、クノイチたちに鍛えられた足利流房中術の秘奥をその身に受けるがいい!
間違えた。
側室たちね。
あと房中術に流派はない。
勝手に名乗ってるだけだ。
心の中で。
*
…ふぅ。
もっと拒まれるかと思ったが、しっかり覚悟決めてきたんだろうなあ。
予想以上に乱れた。
明日はちゃんと仕事が出来るだろうか。
別にいいか、一日くらいしなくても。
いやいやダメだろ。
昼からとはいえ養女たちとの顔合わせもある。
父親としてちゃんとしないと。
「…ん…」
隣を見ると色っぽくはだけた於市ちゃん。
薄目でボンヤリと天井を見上げている。
覚醒ちょっと前の姿に何かが滾る。
フォーウ襲いたい。
しかしこれ以上は明日に響く。
自重すべし。
「まだ夜明けは遠い。眠るが良い」
「…公方様」
「うむ」
「心を通わせても、構わぬのでしょうか」
「…ふむ」
乱世の女は強くあらねばならぬ。
そうは言っても孤高ではやっていけない。
頼るべき縁を見出す能力は必要だ。
於市ちゃんは賢いから、解ってしまっているんだねえ。
「構わぬ。余を信じよ」
だったら受け入れるしかないでしょうよ。
女一人救えずして何が武家の棟梁か。
関係ない気もするけど、こういうのは勢いだ。
「織田家も浅井家も、近衛家も足利家も潰させはせぬよ」
「はい…」
そう言って瞼を閉じる於市ちゃん。
どこまで心に響いたものか。
我が根底にある気持ちに変わりはない。
適当に言った訳ではないので、その通りに行動するだけだ。
さて、私も寝るとしよう。
於市ちゃんが嫉妬深くないことを祈りつつ…。
* * *
キリが男子を出産。
於市ちゃんキレるの巻。
まあ落ち着け。
順を追って話そうじゃないか。
* *
初夜の翌朝、於市ちゃんは目覚めるといそいそと準備に去った。
恥じらいある乙女のなさり様に心が躍る。
二児の母とはとても思えんぞーッ。
さて、本日はその二児との対面である。
茶姫と初姫。
二人は私の養女として二条城の奥に住まうこととなる。
賑やかになりそうで楽しみだ。
対面の場は私の私室。
「茶々にござります」
「初にございまふ」
於市ちゃんに連れられやってきた二人の娘。
茶姫は楚々とした所作で挨拶を行うが、初姫は緊張のためか噛んでしまった。
中々に愛嬌がある。
「うむ、本日より余がお主らの父となる。気兼ねなく過ごすがよい」
茶姫も初姫も於市ちゃんによく似て美人顔。
将来モテモテ待ったなしだな。
これは早々に安牌な相手を探さざるを得ない。
斯波と京極の嫡子などはどうか。
それぞれ織田と武田との縁がある。
うむ、良縁。
頭の隅にメモしておこう。
*
義娘たちとの縁組は恙なく終わった。
これからは親子として気兼ねなく接してくれると嬉しいぞ。
娘たちといる時の於市ちゃん。
昨夜閨で見せた於市ちゃん。
随分違うのは母と女の違いというものか。
アザミちゃんなどとはまた違ったタイプでそれぞれ良い。
眼福なり。
将軍と言えどもプライバシーはある。(一応)
私的空間では言葉や態度を崩しても構うまい!
「と言う訳で御台よ。余は膝枕を所望致す」
「ダメです!お母さまのお膝はわたしのものですー」
「あ、お初ずるい!わたしだって母上のお膝大好きだもんっ」
「あらあら。二人とも甘えん坊ですね」
無視された。
いやいや、娘たちを優先したに過ぎないよ。
ここでグイグイ押しの一手もアリっちゃアリだが、流石に娘たちや侍女らが見てる前ではな。
プライバシーとはパーソナルスペース。
他者に囚われない、自分だけの意識空間である。
ちなみに侍女、小姓、護衛、影らは他者に含まれない。
だから問題ない。
いや、解ってても無理でしょ?
まだ影とか見えない存在ならワンチャンあるけど、侍女とかめっちゃ見とるがな。
しかも於市ちゃんの侍女は織田家からついてきた者多数。
近衛家が集めた者と多羅尾家からも来てるけど、いずれにしても彼女らは仕事熱心だから。
親子水入らずはともかく、夫婦のイチャイチャは閨が基本となる。
ともかく平穏な空間がそこにある。
大切にしていきたい。
この時点でアザミちゃんの嫉妬心が溢れるのは容易に想像できた。
でもどうしようもない。
適宜対策を講じていこうと心にメモリー。
そして同じ頃、キリが出産のときを迎えていた。
*
「公方様!キリは、やりましたっ」
キリが男子を出産。
ニッコニッコ満面の笑みで報告してくれた。
本人が。
寝てなさいよ。
キリが生んだ男子は第二子つまり次男。
これまた出家コースが濃厚ながら男子は男子である。
「ようやったキリ。この子は、千夜丸と名付ける」
「はい。公方様、ありがとうございます」
目端に光は嬉し涙か。
ここまで感情を露にするとはね。
余程嬉しかったのだろう。
いや、私も嬉しい。
これでもう、キリの目からハイライトが消えることはないだろう。
女子でいいとか言ってたが、やっぱ男子が良かったんだねえ。
私は娘がいいなと密かに思ってた。
まあ娘は二人できたけどな。
猶子の信重は除くとして、将軍家の男子は千歳丸も千夜丸も庶子扱い。
このまま行くと出家させることになる。
それでもいいのか、一応は聞いておこう。
建前じゃなくて本心をね。
今のところキリはアザミちゃんを立てているが、今後はどうなるかな。
正室に入った於市ちゃんは近衛家の義娘。
甲賀衆の多羅尾家は近衛家の支族。
キリは多羅尾に近い存在で、於市ちゃんの周囲にも甲賀衆が多い。
変な感じにならなきゃいいけど…。
*
さて、遠からず於市ちゃんにも伝わるだろうが、早めに私の口から言っておこう。
変な感じになる芽はさっさと潰すに限る。
「御台。入るぞ」
なんて思いながら奥の間に入ると、中には於市ちゃんが一人で待っていた。
「公方様。お待ち申しておりました」
「お、おう?」
挨拶する於市ちゃんにどこかで感じたような圧を覚える。
どこだったっけか。
いや、今はいい。
それよりも。
「実はな御台。此度余に…」
「公方様。キリという側室に男児を産ませたと聞きましたが誠で?」
「お、おう」
報告しようとしたら遮られたうえ矢継ぎ早に問い詰められ候。
なんか怒ってる?
あ、アザミちゃんに少し似てるかも!
「今!また!他の娘がことを考えましたか!」
「お、おう?」
いかん。
突然の事態に混乱して語彙力を紛失している。
でも、ここまで激高するようなタイプには見えなかったんだが。
どっちかというとキリのように静かな…。
あー、そういや信長の妹だったなあ。
癇癪持ちの信長が愛する妹。
だったら兄妹似ててもおかしくないかー?
* *
現実逃避をして今に至る。
「御台よ、まずは落ち着け」
「わらわは落ち着いておりますッ」
「そ、そうか」
激高した於市ちゃんを宥める任務は悉く失敗。
仕方なくそのままの状態で、辛抱強く話を聞くことに。
どうやら嫉妬じゃなくてキレてるだけのようだ。
良かった良かった。
いや良くはねーよ。
Q何故キレてるのか。
Aキリが男子を産んだから。
於市ちゃん風に言うなら、私がキリに男子を産ませたから。
同じなんだけどね。
話を要約するとこんな感じ?
*
正室として入って、初夜も恙なく終えた。
養女となった娘二人もどうやら落ち着けそう。
閨でのコトは正直良かった。
年齢は少し気になるが、感覚的に子を孕める期待値は高い。
織田家と将軍家の架け橋となる自分の役目は無事に果たせそうで嬉しい。
役目を果たしたら、いよいよ最後の幸せを掴むことも出来るのではないか。
なんて思ってた自分がバカみたい。
輿入れした同じ月に側室に男子を産ませるとか信じられない。
男ってのはどいつもこいつも。
長政も信長も見境なしだらけかこの野郎共!
*
浅井信政の母は側室だったし、信重の母も側室だった。
将軍家の嫡男も側室に持っていかれるという危機感を抱くのも致し方なし。
うん、なんかごめん。
これまで溜めに溜めてきた不満なんだろうね。
それがここにきて落差に耐えかねて噴出したと。
ある程度吐き出してスッキリしたのか、大分落ち着いたご様子。
とりあえず正室を尊重する気持ちに嘘はない。
千歳丸も千夜丸も元服前に一旦寺に入れる。
ある程度修業させて適性を見た上で、元服させようと思っている。
それまでに於市ちゃんとの間に男子が生まれれば…。
とか何とか宥めておしゃべり。
…うん?
激昂した於市ちゃんを見せないよう人払いした今、案外チャンスなのでは。
ちょっくら深いとこまで話してみよっか。
「御台よ。少々立ち入った話をしようか」
* * *
於市ちゃんが近衛家の養女として将軍家に嫁いだのには色んな側面がある。
織田家と足利家との繋がりを得ること。
足利家の御台所は近衛家から得る慣習に基づくこと。
猶子、信重の地位を確たるものとすること。
地位協定など。
「御台の存在が当家、近衛家、織田家の要石であることは間違いない」
「ですがそれだけではない、ということでしょうか」
頷いて肯定。
これは秘密なんだけどね。
「実はな御台。弾正忠とは、太閤殿を介した密約があるのだ」
書き起こしてない、三人で交わした口頭のみの盟約が。
元々、その柱石たる当人に知らせる予定はなかった。
でも彼女の心の支えと成り得るならば、ある程度なら教えていいと思う。
正室の権利みたいなもんだ。
多少漏れても許してくれるだろうし。
驚く於市ちゃんに気を良くし、口元を緩めて軽やかに話を進める。
「…まあそんな訳でな。概要は解ったかの?」
コクリと頷く彼女に微笑み、計画深部について思いを馳せる。
語るにあたり、取捨選択を一部間違ったのは墓場まで持っていく所存である。
なあにバレなければいいのだよ。
どうせ誰も分からん。
正室は側室たちを束ねる立場であり、女衆は全て正室の配下となります。
通常、家長と言えども女衆への人事権や管理権は持てません。
リアル戦国ハーレム構築までの道のりは険しく遠い。
まずは正室を中心に据えた女社会の構造を正しく理解・把握するところから。
さあ、痴情の縺れなんか恐れずレッツらGO!