13 推移
「公方様。多羅尾左京進殿がお目通りを願っております」
「ふむ?通せ」
「はっ」
唐突に多羅尾の訪問を受けたのは、まだ風雲急を告げない京の都は二条城。
でもそろそろ告げられる気もしてちょっとソワソワしてるのは内緒だ。
「本日はお目通り叶い恐悦至極」
「苦しうない。面を上げよ」
などと形式ばったやり取りを通していざ本題。
突然やってきた甲賀衆の嫡男は、一体何を告げようというのか。
ちなみに多羅尾がやってきたという時点で必要最小限の人員構成での面会となった。
盟友らしい源兵衛といつもの側近たち。
そして義郷君の代理と称して宇野浅次郎。
いやいやアザミちゃん何やってんの!?
クノイチに復帰するだけに飽き足らず、よもやフェードアウトしたはずの色小姓に扮してまで入って来るとは…。
どんだけ鬱憤たまってるのかと。
ゴローちゃんが居なくてよかった。
チラリと多羅尾がアザミちゃんもとい浅次郎を見た。
多羅尾はキリの義兄らしいからな、やはり何かしら思うところがあるのだろう。
「して、わざわざ如何した」
「単刀直入に申し上げます。我ら甲賀衆に調略の手が入っております」
「なに?」
「国衆たちはもちろん、和田殿や我ら多羅尾の旗下にまで及んでおるようで」
ほう、甲賀衆を調略するときたか。
元来彼らはそういうスタンスもとってきた存在なので、話自体は珍しいことじゃない。
しかしだ。
少なくとも和田さんや多羅尾さん、他いくつかは将軍家直臣である。
そこに踏み込んでくるとは…やってくれるじゃないか。
「誰だ?」
「…織田家の方、のようです」
「具体的には」
焦らさず言えい!
ええい、胸がざわつく。
喉元に何かが刺さったかのうような不快感を飲み込み、詳細を急かす。
「されば羽柴殿。美濃衆と見ましたので、与力の竹中やもしれませぬ」
「命か、独断か」
「恐らく独断かと」
「公方様。あるいは黙認やもしれませぬぞ」
「確かに、そうよな」
本当に風雲急を告げる報せだった。
フラグだったか。
やっちまったな。
HAHAHA!
じゃなくて。
ほら、アザミちゃんが冷たい目で見据えてる。
なんか懐かしい。
急な事態にテンパるとこうやって叱咤してくれる。
これまで何度助けられたか。
心が落ち着いてくるのを自覚しつつ口を開く。
「して、甲賀衆の反応は」
「一部、水口の衆が応じた模様にて」
「監視を怠るな。何か起これば、分かるな」
「ぎ、御意!」
今の時点では別に裏切った訳じゃないから何もない。
ただ何かが起こればどうなるか分からん。
一番怖いのはトカゲの尻尾切り。
私の大事な甲賀衆が使い捨てにされるなど、言語道断である。
「く、公方様…ッ」
なんてことを多羅尾に、例によって凄く偉そうにオーバーリアクションで言ったらめっちゃ目がキラキラしてんの。
わたし、かんどうしました!
って言われてるみたいで凄く眩しい。
ふと気付くとアザミちゃんの目が据わっていた。
何故だ。
普段はここらで苦笑する源兵衛は無表情。
伊賀衆の方も調査が必要とか考えてそうね。
藤英と昭高はいつも通り冷静…いや、昭高は目をキラキラさせてる。
どうも昭高は感激屋らしく、ゴローちゃんとは違う方向で激しやすい。
あと高政がそろそろ守護職を投げ出しそうで怖い。
頻繁に手紙が来るんだ。
どんだけ守護職が嫌なのか、又は弟が好きなのか、もしくは私のことが好きなのか!?
あ、またアザミちゃんの目が冷たく鋭く…。
「(集中して下さい)」
「んんっ!…左京進よ、よくぞ報告してくれた。これからも頼むぞ?」
「御意!」
「うむ。せっかくだからキリの顔でも見て行くがよい」
そしてご機嫌を取っておくれ。
「は!ご配慮痛み入ります。…庭先を失礼しても?」
「良い。ご苦労だった」
音もなく庭から奥へ滑り去る多羅尾を見送る。
あまり目立たないが、その忍びの技はやはり見事なものだなあ。
しかし今回の報告は中々衝撃的だった。
甲賀衆も一枚岩ではない。
豪族の集合体だから当たり前なんだが、ここらで再認識。
それに、こうして注進に来てくれる存在の価値は高い。
大事にしてやらねば。
キリのことは多羅尾に任せるとして、私はアザミちゃんの相手か。
さっきボソッと呟いた以外ずーっと黙ってるんだ。
いや、あれこれ喋る立場にないのは事実だけど、忍声出来るのに喋らないのがね。
そして注がれる視線が熱い。
火傷しそう。
「あ、浅次郎」
「…はっ」
「ひ、久方ぶりに、せっかくだから酒でも酌み交わすか」
「御意…(二人きりを所望致します)」
「(ぬぐ。わかった…)」
「む。宇野殿、公方様は……いえ何でもないです。某はこれにて」
ゴローちゃん程強くない昭高はアザミちゃんの眼差しに負けて逃げ去った。
空気を読んだというより危険を察知したように思えるが、どうだろうか。
藤英も色小姓相手にいい顔はしないが、何も言わず下がっていく。
今はちゃんと側室を二人も持ったし、子も出来たから目を瞑るって感じか。
気が利く大人は格好良い。
だが今回は空気読まないゴローちゃん力も欲しかったぞ。
源兵衛、こっそり笑うんじゃない。
ちょ、待って少し話そうよ。
「では、公方様…」
孤立無援。
* * *
「畠山次郎四郎、改め左衛門佐。今後とも励むように」
「ははー。粉骨砕身、公方様の御為尽くす所存!」
ふと、腰巾着たちが権勢を振るうと言いつつ任官してないことに気が付いた。
寵臣なのに。
と言う訳で、昭高とゴローちゃんに箔付けだ!
「右衛門佐も頼むぞ」
「御意にございます!」
武田右衛門佐信景。
畠山左衛門佐昭高。
二人は寵臣。
せっかくなので左右で揃えてみた。
昭高については紀伊守と言う案もあったが、まだ手放したくなかったのでお流れに。
畠山高政を河内守に任じてるせいで、守護職が云々と言いだされると困る。
深読みしすぎとも言えない恐ろしさ。
「何はともあれ五郎、いや右衛門佐。大儀であった」
「勿体ないお言葉。各地の武田一族は皆、公方様の御為に働く所存にて」
ゴローちゃんが戻ってきた。
東北各地はあまり長居できなかったようだが、房総の庁南にも足を伸ばしてきたらしい。
彼は表向きの役割に全力投球。
鎌倉公方については支族が多くてよく分からなかったそうな。
ちなみに裏向きの役目は同行した裏方衆がキッチリやってくれました。
足利一族の枝葉に至るまでフォローアップ。
*
甲相和合。
甲斐武田家と相模北条家が約定を結ぶ。
同盟には至らんかったが、まあ良しとしよう。
甲越手打ち。
甲斐武田家と越後上杉家の停戦合意。
北信濃の緩衝地帯を一時的に保留要件として高梨と真田が入る。
村上が入るとややこしくなるので我慢してもらった。
武田家は南と東へ目を向け、北条家は関東で注力、上杉家は西と北に臨む。
誰が図面を引き、誰の手引きで話がまとまったのか。
見る人が見れば分かっちゃうよね。
毒にも薬にもなるヤバい劇薬だけど必要だったから。
ちなみに信長は武田家に対して婚姻政策をとっている。
武田の子息と信長養女が結婚して子を生してたり。
その内室は亡くなってしまったので、新たに信重と武田の姫が婚約した。
上杉家に対しては領地を接してないこともあって大きな動きはない。
贈り物をしてご機嫌伺いとかはしてるっぽいが。
上杉といえば、現当主と亡兄は仲が良かったらしい。
会ったことはないけど、互いに側室のみだったり多少の親近感を覚える。
でも私は亡兄と違って剣戟の才能がないから仲良くなれないかもしれんな。
弓術と砲術ならある程度自信があるんだが。
*
そういや正室が決まりそう。
これまでもほぼ確定してたけど、於市の方で最終調整に入ったらしい。
浅井家では万福丸が信長の後見を受けて元服。
浅井新九郎信政となった。
これを見届けた於市の方がようやく輿入れを受諾したとか何とか。
二人の娘も一緒に来るかも。
てことは千歳丸に義姉妹が増える!?
姉妹と言えばキリが懐妊した。
娘でもいいから云々言ってたけど、本音はやっぱ男子を望むんだろうなあ。
以前多羅尾が来た時に聞いたんだ。
盗み聞きした訳じゃないぞ。
アザミちゃん扮する色小姓と一夜を共にしたところを見られて静かにキレられた。
その時にチラッと言ってたからね。
抑えきれない対抗心とか。
いやー、ハイライトの消えた瞳で淡々と述べる女はとても怖いね。
例え胸が豊かで抱き心地が最高だとしても。
抱き締めてたらサクッと貫かれそうな恐怖を感じたぜ。
ゾクゾクした。
あの後よく燃えた。
そしたら懐妊。
うん、よく分からん。
しかしこれでキリも落ち着いてくれるだろう。
…うん?
アザミちゃんは……うん、落ち着いてくれるといいんだが。
* * *
時期は多少前後するが、怒涛の乱世タイム。
*
先日顔合わせした信重の弟・具豊が北畠氏の家督を継承。
血の粛清と共に。
あわせて名を信意に改名。
事実上、北畠は織田家に染まったね。
これで伊勢の国は落ち着いたかと思いきや、一向一揆が凄惨なことに。
尾張との境界に位置する長島で大規模な戦闘。
お膝下での火種に信長も放置は出来ず、一門重臣を送り込むも次々に負傷や討死。
危機的状況。
*
越前朝倉家滅亡。
将軍になる前にお世話になった朝倉さんだが、信長に抗しきれず滅び去った。
当主の朝倉義景が自害する一方、一門重臣の多くは投降。
一門でも上席にある者は朝倉姓を捨てて服従姿勢を示すことで許された。
信長は朝倉旧臣の前波吉継を越前守護代に任じ、軍勢を引き上げた。
彼は元重臣ながら、比較的早めに裏切ったことで信任を得たものか。
桂田長俊と改名し越前を治めているが、上も下も不満が大きくて苦労してるっぽい。
正信からの情報を交えてもう一波乱ありそうな悪寒。
孫三郎も領地を安堵されて安居孫三郎と称した。
娘をキリが預かっているが、他の者も避難させるべきかなあ。
事が起こってからでは遅いからな。
念のため、伝手を使って人を入れておこう。
ちなみに。
「公方様。彩殿のお部屋は如何致しましょう」
孫三郎の娘・彩を預かった当初、キリより上申があった。
世話人が部屋をどうするかと問うのは側室にするかという暗喩。
微笑みを湛えての問いは落ち着いた佇まいであったが、目のハイライトが消えてる時点で推して知るべし。
ちゃんとしてそうで嫉妬深いのは誰得か。
嫌いじゃないぜ。
「彩は大事な預り人ゆえ、な?」
私の嗜好はともかく、秘密裏に預かったのだから側室として表に出しちゃダメなんだよ。
ということで頑張って説得して押し留めて何も無かったことにした。
これはまだ子が出来てない時だったから、今はもう大丈夫だと信じたい。
*
武田家が遠江の国に本格的な侵攻を開始。
遠江は徳川家が領国化。
その徳川家は織田家と同盟している。
武田家がこれを知らぬ訳がない。
必然的に、武田家と織田家が干戈を交える事態に突入。
本願寺顕如と武田家は盟約を結んでいる。
織田家がこれを掴んでるかは知らないが、東西に戦火を抱えた信長は文字通り東奔西走。
多忙を極めて輿入れどころではない。
ちなみに私は蚊帳の外。
いよいよヤバくなったら和睦交渉に駆り出されるはずなので、今はのんびり構えている。
表向きは。
* *
堺で遊ん…勉学に励んでいた米田さんから提供されたお酒に一工夫。
淡き澄み味極めて旨し。
朝廷に献上して禁裏御用達の看板をゲットだぜ。
醸造精製は甲賀衆と雑賀衆をメインに河内と紀伊で行わせる。
元締めは藤英の嫡男、昭英に任せた。
義継君と高政にも旨い汁を吸わせてやろう、物理的に。
伊賀でやらないのは米が取れずらいから。
服部さんは理解してくれたのに、アザミちゃんから責められたのは納得いかない。
郷土愛が強いのだろうか。
酒好きが多いこのご時世。
下賜品、贈答物から販売品まで用途は多岐に渡る。
渡りすぎて品薄状態が続いているのに督促が多くてうるせえ!
おっと失礼。
干しシイタケほどではないが、石鹸に勝る売り上げを誇る。
原価の問題で利益は負けてるのが難点だが。
* *
以前改易蟄居の憂き目にあった重政だが、徳川家に陣借りの形で出陣したらしい。
武功を上げれば処分が解けるかも。
しかし相手は武田家本隊。
結果はまだ届いてないが、無事でいて欲しい。
下馬評は大負け。
織田家からも援軍が出たが兵数が少ない。
本願寺が攻勢に出てて摂津は不安定だし、越前も伊勢も、近江までもが揺れている。
美濃でも東部の岩村に武田家の勢力が食い込んでいた。
みっちゃんが岩村攻めに向かったらしいが、本拠地近辺に割く兵数割合が多いのは仕方がない。
やがて続報が届く。
徳川家は敗北。
織田家の武将でも幾人かが討死。
重政は無事。
うん、まあそうだろうね。
とりあえず重政が無事でよかった。
ちなみにこれらの情報は伊賀衆甲賀衆雑賀衆の他、織田家の武将からも届いている。
公式の連絡じゃなしに。
それは信重からだったり兵部からだったり、もっと別の一見関連の薄そうな相手からも。
伝手や縁が如何に大事かは誰もが知るところ。
柵とは表裏一体だ。
*
摂津の国、和田さんが出張して頑張ってる地域。
三好三人衆の一党が勢力を盛り返してやってきた。
摂津のお隣播磨の国、周辺は丹波の国からも援軍が出たり裏切ったり。
将軍として摂津表に軍勢派遣の指図を行ったりしているが、直に出陣することはない。
ないのだが、ちょっと目を凝らせば何かが見える気がする。
遥か先の向こう側、うっすら影が見え隠れするのは中国地方の大大名、毛利家である。
毛利家は将軍家はもちろん、織田家とも敵対してない。
しかしまあ魑魅魍魎が跋扈する乱世の習いとでも言えばいいのか。
何がどう絡まって付かず離れずを保っているのか、とかね。
とりあえず毛利家としては、一向宗とは切っても切れない縁で結ばれてると言っておこう。
* * *
とかなんとか、正室の輿入れなんてまだまだ先だろうと。
そう思っていたのだがねえ。
「此度、輿入れの儀。誠に喜ばしく存じ上げ奉ります」
あれよあれよという間に決まってしまった。
於市の方。
浅井家から織田家に戻り、信長の妹という身分で近衛家の養女となる。
そして近衛家から将軍家への輿入れという流れ。
実際婚姻はもうちょい先だが、何か急ぐ要因があったのだろうか。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます…」
「おめでとうございます!」
各々区別されて唱和されない同音異義風の言葉。
私室にやってきた女衆からのおめでとうコール。
上から佐古、キリ、彩。
キリはお腹が大きいのだから無理してはいかんぞ。
彩は何故それを羨ましそうに見ているのか。
そして佐古…アザミちゃんは不自然なほどに凪。
「う、うむ。色々想定外はあったがの…」
アザミちゃんは顔を俯け感情は窺えない。
キリはちょっと…焼もち?
彩は羨望か。
ちょっと待て、彩。
まさか側室希望とか言うまいな。
いや敢えて触れまい。
ここは藪蛇、撒き餌には触れないのが賢い選択だ。
「ともあれ正室を迎えることとなる。
佐古とキリ、お主らは余の側室としての立場を弁えるように」
本来私が言うようなことじゃないのだがね。
アザミちゃんとキリはちょくちょくクノイチの顔が出て来る。
彩は甲賀衆に守られる存在だからまだいいとしても、於市の方は正規の姫。
ボロを出すわけにはいかない。
もちろんクノイチたる彼女たちがボロを出す可能性は低い。
しかし二人に突かれた私がボロを出す可能性。
これが無視できない。
だから頼むよ、ホントに。
おや、アザミちゃんの口角が上がって…?
嫌な予感。
側室が男装して付き従うことは稀にあったようです。
通常は文化的に慣習化した男色を基軸にした添い方が多かったようですが。