12 失脚
「…と言う訳で、中川八郎右衛門は改易されましてござります」
突然ですが事件です。
中川重政が失脚したという。
伝えてくれるのは信広。
詳細は割愛するが、重政は改易のうえ追放処分。
三河徳川家にて蟄居を申しつけられたそうな。
「今後は丹羽、羽柴のいずれかが取次となる見込みにて…」
丹羽長秀には信広の娘が信長の養女として嫁いでいる。
羽柴秀吉は信長お気に入りの家臣。
信長とのパイプ役としては申し分ない、のだが…。
「中川を引き取ることは可能か?」
「…ご遠慮頂きたく、存じまする」
無理か。
せっかく重政とも良い関係が構築できつつあったのに。
口惜しいな。
「分かった。今後も何か進展あれば知らせよ」
「承知致しました」
信広が下がっていくのを見ながら色々考える。
重政が改易されたのは柴田勝家との領地争いの結果だという。
彼の弟が勝家の代官と揉めて斬ってしまったんだって。
乱世ではよくある事だが、信長の統制下にある重臣同士ってのがちょっと気になるなあ。
織田家も所詮は…と断じるのは簡単だが…?
重政は斯波氏傍流から織田家に入った一門衆。
信長の母衣衆から立身した股肱の臣とも言える存在。
文武両道で貴重な戦力であるはず。
斬った当人が処分を受けるのは当然ながら、その兄が連座で改易というのはね。
監督不行き届きとか理由は分かる。
でも連座はともかく、処分が改易ってのに少なからず作為を感じるのよ。
これは当事者に聞くのが一番だな。
「(源兵衛。織田左馬允を保護せよ)」
「(御意。隠密裏に、ですな)」
軽く顎を引くと気配が遠ざかる。
指示に動いたようだ。
結構久々な気がする忍声を使った裏の命令。
案外伊賀衆はこういうのを好む者も多い。
源兵衛は気にしないけど、気分の問題だろうか。
甲賀衆は直に言われる方が好きな奴が多い気がするな。
似て非なる存在、それもまた楽しい。
さて、織田左馬允信勝。
重政の弟で勝家の代官を斬った張本人だが、今のところ改易追放以外の沙汰が出てない。
まあ蟄居じゃないから生活基盤を完全に失ったとも言える。
遠からず困窮するだろう。
信長の勢力圏では安全じゃない可能性も高い。
となれば、身柄の確保も難しくはないはず。
今回の事件には何か裏があると最近煩い私の勘が囁いている。
あまり勘に頼るのも良くはないが、当事者から真相を聞けば解決する話。
妙手となるか毒となるか。
見極める事が多くて大変だわ。
* * *
「子を生したせいでしょうか、少し弛んでいると思うのです」
「いや、十分美しいぞ」
「なので公方様。わたしくもそろそろ本格的に動こうかと」
「待て待て。千歳丸をどうするつもりか」
「乳母らがおりますよ」
「そもそも其方は我が側室であるぞ」
「キリ殿にお相手頂ければ宜しいではありませんか」
「アザミよ、もしや怒っておるのか?」
「怒ってませぬ。ええ、お渡りになる回数の増減など大した問題ではありませぬ。
正室にどこの誰とも知りえぬ織田家の寡婦を迎えようとすることに比べれば全く!
近衛様の養女にすれば良いとは申し上げましたが、よもや後家がお好みで?!」
「落ち着け!」
* *
「公方様。キリにも子を授けて下さりませ」
「あ、おお。愛い奴よ。されど子は授かりもの故、我らは祈り為すのみぞ」
「千歳丸を抱く佐古様を見てると、とても切のうなって参るのです」
「う、うむ。しかしキリはまだ若いから」
「浅ましき女とお笑い下さいませ。されど、キリも必ずや公方様のお役に立ってみせまする」
「話を聞け!」
* * *
「正室が決まらぬせいか、女どもが妙な不安を感じているようでな」
「は、はあ…」
アザミちゃんとキリの言動が不安定。
私が織田家から近衛家経由で正室を求めるとしたせいなんだろうけど。
「弾正忠は何か言っておらなんだか」
「今は小谷の方様に万福丸殿の元服の件があり、中々」
進展がないことに責任転嫁して話を振るが、向こうもゴタゴタしてる模様。
犬姫は佐治家の家督がどうこうとあるから難しいと返事がきてる。
他の妹たちも軒並み婚姻済み。
離縁させてまで嫁がせるなんて血も涙もないこと、信長が好んでするはずもなく。
つまり停滞中。
ま、焦っても仕方がない。
急ぎの案件でもなし、大人しく待っておこう。
そういや浅井長政の遺児・万福丸が元服するらしいんだが、その領地に関連して重政の旧領にも動きがあったらしい。
…まさか、この為に?
いや流石にこじ付けか。
「さて、本題に参ろう。武田家の様子はどうか」
「五郎殿から若狭は順調。甲斐は不調とうかがっております」
「ふむ。越後との手打ちは」
「薄曇りと言ったところでしょうか」
「ままならぬものよな」
「御察し致します」
ゴローちゃんは武田家巡りの旅。
若狭武田家と甲斐武田家は同族なので色々と融通が利く。
その縁を生かして、将軍として出来る活動をと思ってね。
越後上杉家と和睦仲介をも担っているのだが、どうにも不調の様子。
思わず嘆息すると、藤英が慰めてくれた。
兵部は信重が猶子になると同時期に岐阜に旅立った。
まあ、扱いは洛中に常駐する信広みたいな感じかな。
式部は最近各地へ使者を務めることが多く、不在がち。
和田さんは摂津方面に出ずっぱり。
仁木爺は老齢で屋敷に引っ込んでることが多い。
跡を継いだ義郷君は基本伊賀に常駐。
米田さんは侍医として南蛮の医学も修めるべく堺に行ってしまった。
最近は専ら嫡男の是政が米田家のことを仕切ってる。
まだ家督は譲られてないのに、半ば当主とみられる向きがあるほどに。
家庭内不和が生じなければいいのだが。
結果、周囲には藤英と昭高くらいしかいない状態なんだ。
まあ幕臣自体は沢山いるけどね、伊勢さんとか。
私が大きな信頼を寄せる存在がちょっと散ってるってだけで。
寂しいが、今後のためには根回しと情勢把握は必須。
やむを得ない。
で、ゴローちゃんは今頃日本海側を北上中のはず。
蝦夷地の蠣崎が若狭武田家と繋がりが深いので、その辺りを伝手に安東氏とかと接触を図る。
そこから下って南部、葛西、大崎、伊達などを歴訪する予定となっている。
あまり無理はさせたくないが、当人が張り切っていたから信じて送り出した。
ついでに奥羽の修験者らと繋ぎがつくと嬉しいかも。
さて、甲斐では武田の動きがちょっと怪しい。
ちょこっと囁いたのが大きなエフェクトとなって甲信越地方を襲う予感。
お手紙外交も悪くはないが、やはり基本は人と人。
ゴローちゃんの表裏があまりない話術は強い。
本願寺との縁もあって、妙な大波となってしまいそうでドキドキだ。
「兵部からは何と?」
「明智殿との繋ぎは表向き必要最小限に留め、水面下を活発にしたいと申しておりました」
「流石は兵部、重畳、重畳」
亡兄の頃は血気盛んだったと聞くが、今は武略軍略に政略が加わって最強に見える。
風流人だし、みっちゃんとはまた違った有力者になること間違いないね。
直に褒められないのは残念だが、声に出しておけば藤英が知らせてくれるはず。
時と場合によっては兄より優秀な弟になり得るのに、この兄弟はホント仲が良い。
雅よのう。
* * *
「公方様。本多殿より報告です」
「うむ。大儀」
正信は存外律儀に連絡を寄越す。
手紙より口伝が多いのは用心深いのか何なのか。
「時に石見守。市平は息災か?」
「はは!愚息めの心配までして頂き恐悦至極。問題なく務めております」
服部さんの長男は元気らしい。
正信の周囲で密かに警護と監視をしている凄腕さんなんだが、ちゃんと休んでるのだろうか。
しかし相手はプロ。
あまり口を挟むと信用してないみたいで宜しくないね。
「して、何ぞ特報はあるか」
「御意」
あるらしい。
手紙には極めて簡潔に「順調也」としか書かれてなかった。
「安居の孫三郎が靡きました」
「ほう!」
朗報である。
私は越前朝倉家に少なからず縁がある。
なんやかんやで敵対関係となってしまったが、縁が続くなら非常に喜ばしい。
朝倉孫三郎景健。
一門衆でも上席の重臣で武勇に優れる安居城主。
俗にいう武断派だが、政治感覚がない訳ではないようだ。
「後ほど娘が送られてくるそうです」
「む…弥八郎が指示か?」
「いえ、孫三郎からの要請です」
どうも越前の情勢が中々に宜しくない模様。
朝倉家の行く末を憂いてたところ、正信を通じての話に心中揺れている。
やはり厳しいようだな。
「粗略には出来ん。秘密裏に…キリにでも任せるか」
「…まあアザミは…失礼。あー、佐古殿には御子がおりますからな」
ホントは伊賀衆のうちで、と思ったのだろうが声を濁した服部さん。
アザミちゃんは佐古として庶子をもうけたが、その後クノイチに復帰。
とても保護対象を預けることはできない。
表に出せない秘密ばかりだから。
正信の警護役は甲賀衆。
だったらキリに任せても問題はない、はず。
女同士穏やかに過ごしてくれれば……無理だったら別の重臣に任せよう。
* * *
「公方様におかれましてはご機嫌麗しく。
本日は我が主より文を預かって参りましたので、ご披露致したく」
重政が失脚して以降、代わりにやってきたのは丹羽五郎左衛門尉長秀。
そして羽柴藤吉郎秀吉。
長秀と秀吉が対応に当たるとは聞いていた。
今回は二人ともやって来たが、今後どちらかが来ることになるそうな。
で、使者の用向きだが。
ざっくり言えば信重を猶子にしたことで両家の繋がりが深まり誠に喜ばしい。
正室についても鋭意調整中なのでしばしお待ち頂きたい。
あと妙な動きは謹んで下さいね。
武田五郎が今どこにいるのか教えろ下さい。
重政の弟を匿っているなら織田家に引き渡すように。
など。
非常に丁寧で遜った表現だったけど内容は概ねこんな感じ。
武田家がちょくちょく動いてて、過敏になってるのね。
だから応えて上げたよ。
「五郎ならば遣いに出ておる。そろそろ陸奥に着いた頃であろうか」
「は、陸奥…でございますか…」
想定外といった顔の長秀。
若狭は陸奥の日本海側と交流がある。
その辺のことを仄めかして話したらまあまあ納得を得られたかな。
そもそも、詳細を聞かれても全部は把握してないから答えられん。
式部に聞いてくれ。
今いないけど。
甲斐武田家にゴローちゃんを遣って良からぬ企みをしてるんじゃないかと危惧したんだろうが…。
此処にいない理由はそう言う訳だ。
言いがかりは止してもらおうか!
陸奥に向かう前に甲斐にいたのは事実だが、敢えて言うことでもない。
物は言いよう。
そして重政の弟、信勝の行方。
重政を引き取りたいと言ったことが伝わったらしく、どっちもダメってことらしい。
「中川の弟については了解した」
すんなり承知したのが意外だったのか、二人とも妙な顔だなオイ。
見つけたら通報するよう念を押されたが問題ない。
今後、見つけたらちゃんと通報するよ。
もう既に接触、放流済だから。
信勝は外峯四郎左衛門盛月と名を変えて旅立った。
河内、和泉から摂津のあたりで身を隠すとのこと。
今頃どこで何をしてるかは知らないが、和田さんの息がかかった甲賀衆が同行してる。
問題ないだろう。
事件の詳細も聞き出し済。
身の安全を保証して、今後について話してやったら割とすんなり。
陰謀論もあながち暴論じゃなくて世知辛い。
兄と弟に迷惑をかけたことを悔いていたが、あれはどうしようもないね。
上手く潜伏して期の到来を待つしかない。
影ながら応援してるぞ。
信勝もとい盛月はこうなってしまったが、案外今後そういった奴が増えるかもしれないな。
権力闘争はある程度仕方がない。
しかし自己責任の範囲を超えてしまったやつに関しては流石に思うところがある。
武家の棟梁として、あと一応は信長の上司として、出来る限り掬い上げてやるべきだろう。
ただ拾うだけじゃなくて、ちゃんとした任務を与えてやれば矜持も満たされる。
例えば盛月。
適宜、彼の兄弟や斯波一族との繋ぎに使う。
私が表に出ないことで、いい感じに動けるはず。
ああ、私も私で足元を掬われないように気を付けないと。
伊賀衆甲賀衆がいるからって慢心してはならない。
そろそろ雑賀衆も形になってきたので、別の方にも手を出してみようか。
根来とか。
「それでは公方様。我々はこれにて」
恭しく頭を下げる長秀と秀吉だが、二人を見てると胸がざわつく。
どちらかというと秀吉が強いが長秀も中々のもんだ。
そういえば長秀は、元々斯波家の家臣だったが織田家に鞍替えしたんだよな。
別にそれは構わんのだが、長秀の柔軟という評判。
これが合わさると危険に思えてくる。
適用される相手は上位者でも変わらないのだろうから。
要注意だ。
* * *
織田家との関係性が薄っすらと変わってきたと思い始めた頃。
信重が一門を連れて上洛してきた。
「ち、義父上様。ご無沙汰しております」
「うむ、良く参った勘九郎。健やかそうで何よりだ」
未だ慣れずにどもってしまう様子が微笑ましい。
「此度は叙任に骨折り頂けたとのこと、誠にありがたく」
「なに、他ならぬ我が子の為だ。左程の事ではない」
従五位下の官位を授かったお礼を言われた。
奏上したのはもちろん私だが、費用は実父たる信長との折半。
実際たいした労でもない。
いやー、やっぱ信重は良い子だねえ。
お礼言上は社交辞令であっても、心が込められた話しぶりにジーンとする。
魑魅魍魎が跋扈する乱世にあっては感じ方も一入。
「さて義父上様。本日は我が弟たちを紹介致します」
そう言って順々に紹介される背後に平伏した若者たち。
「まずは三介。南伊勢の北畠の嗣子にござります」
北畠三介具豊。
信長の次男で、今まで見た中では一番信長に似ている。
「次に三七郎。同じく伊勢にて神戸家を継いでおります」
神戸三七郎信孝。
信長の三男。
目元がよく似てて溌溂としているが、少々癇が強い感じもするな。
「そして従弟の坊丸。元服後に磯野家の養嗣子となる予定です」
織田坊丸。
元浅井家臣で近江高島郡を領する磯野員昌の養嗣子候補。
ずらっと見渡すと、案外信重が一番信長に似てないな。
母親似なのか。
彼らがゆくゆくは一門衆として、次代の織田家中枢に入ってくる訳だ。
その時、私は果たして…おっと。
「うむ。皆良き面構え、良き武者振りよ。大和守、あれを」
藤英を通して立派な拵えの刀をそれぞれに与える。
武家の棟梁からの引き出物。
喜んでくれると嬉しいなあ。
「「ありがとうございます!」」
お礼を言いながら平伏する若武者たち。
うん、元気があって宜しい。
面通しと挨拶を受けた後、若者たちは退出して行く。
信重だけは残って親子水入らず。
色々とお話しましょう。
せっかくなんで色々突っ込んで話してやろう。
どうも、事態は切迫しつつあるようなんでな。
発想力があっても作文力や表現力がないと具現化できません。
なお、発想力ならあると言ってる訳ではありません。