10 火種
「かの通り数多の功をここに賞し、正六位下に叙すものなり」
二条城の大広間。
今はここで、叙勲式が執り行われている。
正式に朝廷から使いを迎えて勲功多き家臣を表彰。
規模は小さくとも意義は大きい。
さて、読み上げられた書付を仕舞う使いの者と頷きを交わす。
朝廷からの使者は上品に下がっていく。
仮にも将軍を交えての表彰式。
遣わされた公家もそれなりの者だった。
使者殿の気配が完全に遠ざかったのを確認し、咳払いを一つ。
ずぅっと平伏しっぱなしの表彰人に向き直って告げる。
「では服部半三保長。これより石見守と称すが良い」
「は、ははー。恐悦至極に存じ上げまする…」
ニンジャ服部さん。
ふとした思い付きで三男の正成を半蔵にしてしまったので、代わりと言ってはなんだけど叙任させた。
正六位下、石見守。
立派な朝廷の臣下である。
誇っていいぞ。
ちなみに叙任推薦に係る朝廷への献金は将軍たる私が整えた。
表彰するんだから当然だよね。
例えそれが、元は伊賀の産物から得たものであったとしても、都合した事実に変わりはないヨ!
「今後とも我ら服部党は、公方様に忠誠を捧げる所存…」
服部さんは感涙に咽びながら忠誠の儀を続けていた。
軽く調べさせた限り、伊賀服部党で叙任された者は過去にいない。
だから感激してくれるかもとは思っていたが、予想以上の反応。
うん。
喜んでくれて何よりだ。
今後、服部さんは服部石見守と称される。
私の中では服部さんは服部さんで変わらんけど。
ホントは伊賀守が似合うと思ったんだけどね。
上司の佐々木が伊賀国守護職だし、そもそも和田さんが既に伊賀守になってたから見送り。
その代わりじゃないけど、律令制に基づいて官位相当で奏上してみた。
これで服部さんは官位持ち。
源兵衛と半蔵も私の直臣で幕臣。
長男の市平はどこで何してるんだろう。
出来れば一緒に頑張って欲しいんだがなあ。
* * *
慶事は続く。
みっちゃんが南近江で領地を貰った。
琵琶湖に面した坂本城主。
立派な領主になっておくれ。
比叡山が焼かれ、浅井家が縮小し、六角残党は掃討された。
結果、近江の国は織田家のもとにまとまることになった訳だ。
幕府領や荘園はあるし独立領主らもいるけどね。
琵琶湖周辺は信長の信頼が厚い武将たちが領地を貰っている。
柴田勝家、丹羽長秀、中川重政、明智光秀、羽柴秀吉らが重臣と見なされる存在が。
そう、みっちゃんってば信長の家臣として領主になったんだよ。
だからといって手放した訳では決してない。
断じてない。
いいね?
ここまで織田家の拡大が続いていたのだが、それも一向一揆が本格化したことにより一時停止。
摂津の国では敵対的三好一党の攻勢が続き、戦線は一進一退。
大和の国でも松永に対して、興福寺と筒井などがバチバチやってる。
幕府方の有力諸侯は伊賀佐々木に河内三好、そして紀伊畠山。
これに若狭武田と丹後一色が加わるかも?
若狭は朝倉を追い出して武田家が守護職に復帰。
当主に甥っ子の元昭。
しかし残念ながら名目上の、という言葉を付けざるを得ない。
今はまだ。
ゴローちゃんも頑張ってくれてるし、支援は惜しまない所存である。
丹後の一色家は幕府に従っているけど積極性がない。
領国を上手く統治してるとも言い難い。
山間部が多いとはいえ、日本海に面した港の活用とか色々やりようはあると思うのだが。
あまり細かく口出しできないのは足利幕府の弱さだな。
いずれ当主の弟を送り込んで立派な領国とさせてやろう。
今は式部と藤英が中心となって教育しているが…。
何とか覚醒してくれれば良いのだがねえ。
* * *
「十兵衛、それに兵部。此度はご苦労であった」
比叡山焼き討ちと、それに伴う諸般の雑事が片付いたところで功労者を賞する。
今回は信長の指揮下で実動部隊として活躍したみっちゃんと、将軍の使者として随伴した兵部の二人。
側近の中でもとりわけ信頼を寄せる者たちだ。
みっちゃんは外様衆として仕官したので、幕府の禄を食みながらも領地持ちじゃなかった。
それが織田家の人間として、ではあるが城主となった。
お家再興を成したと言える。
目出度い。
「十兵衛殿は織田様の覚え目出度く寵愛を受けておりますが、公方様の御側衆であることに変わりはございません」
兵部が敢えて説明してくれるが、みっちゃんが信長のお気に入りなのは紛うことなき事実。
みっちゃんもそれに応えて功績を上げているのだが、優秀過ぎてやりすぎちゃった感も少々。
「公方様。この十兵衛、受けた御恩と信頼を裏切る真似は決して致しませぬ」
「ふっ。余が自ら引き立てたお主ぞ?全て承知しておるとも」
全ては言い過ぎだけど、まあ大体分かってるよ。
三藤に次ぐ存在感を放つみっちゃんだもの。
影から探らなくても十分知ってるともさ。
今の信長お気に入り衆では筆頭に近い。
やりすぎでござるが、お陰で城持ちになれたのだから祝う他ないネ。
「そ、そこまで我らのことを…。このことは兄にも伝えておきまするっ」
三藤とみっちゃんを信頼してるよって言っただけなのに兵部のこの反応。
ちょっと忠誠心が溢れすぎてやいませんか。
伊賀衆や甲賀衆はその立場、地位を考えればまあ分かる。
でも君ら正規の幕臣でしょ。
なんでそこまで?
いやまあ、何となくは分かる。
今までの将軍たちが酷過ぎたんだよね。
猜疑心が募りすぎて殺伐としてきたのが足利将軍家だ。
亡兄を含め、各々に言い分はあるんだろうが。
高血統の上位者が大変なのは分かるけど、そんなのに仕えて楽しい訳もなし。
ここ数代では割と力を保ってる将軍という自負はある。
あとはリーダーシップと部下との相互信頼を構築すれば負けはない。
そう思って行動してきた。
その結果がこれだよ!
もちろん悪い訳じゃない。
ただ、予想外の動きに繋がりかねないのは困るんだ。
人の心ってのは中々に難しい。
悪い方に傾けば当然の如く一気に転落する。
一方で今のように舳先が良い方向を向いている場合でも、過ぎたるは及ばざるが如し。
溢れる忠誠心は暴走にも繋がりかねない。
なんせ乱世だからね。
気を付けないと…。
目を逸らし気味ではあるけれど、自分の外面が立派にできてる自覚はある。
それが皆の忠誠心を刺激していることも分かってる。
でも別に、着飾ってる訳でも仮面を被ってる訳でもない。
ギャップが故に上手く回るということもあるのだろう。
まあ、一部の者には気付かれてるけどな。
それもまたよし。
思考が逸れたが話はしっかり続けている。
これはもはや芸術と言えまいか。
あとでアザミちゃんに自慢してみよう。
呆れられるかな?
それもまた一興也!
とりあえず働きぶりを褒めて、今後も頼りにしてる、引き続き力を貸してくれとお頼み申す。
それだけのことを回りくどい表現で威厳たっぷりに話すだけの面倒くさいお仕事です。
早く癒されたい。
そうだ、キリにも構ってやらないと。
静かにキレるからな、アイツ。
それも可愛いのだが…。
あれ、ひょっとして見抜かれてる?
まあいいか。
キリには房事の秘奥から、女子に恵まれやすい巡り日を選んで致そうと思う。
正室はまだいない。
* * *
「公方様。…このお手紙の束は…?」
珍しく昼間に部屋を訪れたキリが目を瞠る。
視線の先には言葉の通り、束になった手紙の数々。
「越後の長尾、甲斐の一条。こちらは相模の北条ですか」
思い切り見やすいよう並べて置いてる手紙の数々。
これは各地から送られてきた大名や、その一門重臣たちからのもの。
「それだけではないぞ。こちらは陸奥と出羽から、留守に白河、最上や大浦らだ」
「まあ…ほとんど存じ上げません」
だろうね。
畿内から見れば関東はともかく東北ともなればほぼ僻地。
羽州探題の最上はともかく、家臣筋の者なぞ幕臣でも詳細を知る者は限られる。
「彼らは一体何と…」
おや。
セカンド側室のキリがここまで踏み込んで聞いてくるのは珍しい。
ふと気づけば、目が愛妾のそれじゃなく正しくニンジャのそれに。
クノイチのアザミちゃんとも少し違うのは、果たして伊賀と甲賀の差なのかどうか。
「ふむ、多羅尾か?」
甲賀衆と一口に言っても指揮系統がいくつかある。
実技が強い多羅尾と裏方が強い和田。
キリは多羅尾に近い。
しかし遠国のこととなれば裏方の和田から、とも考えられるか。
「…あっ」
ニンジャとして踏み込んできたのかと考察して聞いてみると、口に手を当てハッとした。
え、素?
職業病ってのは恐ろしいもので、無意識で動いてしまう。
赤面して俯く彼女は凄腕の刺客だったらしいよ。
超可愛い。
閨だったら間違いなく乱暴してたね。
そして返り討ち。
危ない危ない。
「んんっ!ま、簡単に説明しようかの」
「…はぃ…」
耳まで真っ赤で消え入るかのうようなか細い声。
耐えろ、我が理性。
本気になれば軽く捻じ伏せられるのは私の方だぞ!
されないと思うけどね。
お手紙将軍を自称する私だが、最近は各大名からの依頼も増えてきた。
傾向としては和睦の仲介が多いかな。
次いで朝廷への奏上関係。
官位の執り成しとか、献金について。
ともかく和睦仲介の依頼なんだが、将軍の手打ちという形が望ましいと言ってくる。
実際効果を発揮する見込みは薄いような場合でも、どうも将軍が見てるって実証を欲しがられてるようなのだ。
正確に言うと、和睦仲介の依頼じゃなくて中央による介入依頼に近い。
但し、大名自身はその介入を迷惑だと思っている。
でも将軍の言うことなので止む無く、仕方がないから条件付きなら受け入れてもいいぞ。
そんなパフォーマンスをしたがってるみたいなんだ。
舐めとんのか。
まあ、ある意味で舐められてるんだろう。
畿内ではそれなりに力を持ってると認められてきたが、中距離地方で自立する戦国大名たちへの影響力は極めて限定的。
それもやむを得ない。
これが九州とか東北の端とかになると、まだ私というより将軍のネームバリューからくる権威が生きてくるのだが。
ともかく依頼がある訳だが、そういった事情から大名自身から依頼が来ることは極僅か。
大半は大名の名代、一門や重臣らがこっそり送ってくるわけだ。
金なら払う。
だから頼む、宜しく。
ってね!
実際、前金と成功報酬を足せば結構な額になる。
現物支給や献上品も魅力。
貧乏公方としては喉から手が出るほど欲しいものだ。
私は歴代将軍の中でも個人資産がそこそこある方だと思う。
それでもカネは沢山あって困るものじゃない。
そんな訳で、副業としてマメにやり取りしてたら束になってきた。
もちろん無作為に乱発なんてしてない。
下手すりゃ価値が下がるわ治安が悪化するわ、良いことないので相手を見極めて実行してるよ。
「…と言う訳だ。地方の大名たちも苦労しているようだな」
この乱世、苦労してない奴なんかいないだろう。
下克上やらなんやらで大名の地位を掴む奴らも、その甲斐があったと感じてるのだろうか。
感じる奴もいるのだろうが、已むに已まれず下克上を行った者ほど辛いだろうな。
守護大名から戦国大名に脱却した奴らも例に漏れず。
この私の活動は幕臣なら誰でも知ってる。
アザミちゃんには呆れた目を向けられたが、何も言われなかった。
彼女の包容力の成せる業か。
母になっても変わらず包み込んでくれるので甘えまくりである。
側室に入ってからは奥向きの活動がメインなキリが知らないのも無理はない。
しかしクノイチとして勘は鋭いし、頭も良い。
果たして反応はどうか?
「…消しますか」
誰をーっ!?
何が琴線に触れたのか、ガッツリ目が据わってる。
とてもじゃないが貴人の愛妾がしていい顔じゃない。
「落ち着けキリ。お主は我が側室ぞ」
「はっ!こ、これは御無礼を…平にお許し下さりませ」
うん。
側室の地位を忘れるほど激高するとは思わなかった。
静かにキレるアレはキャラ付けかと思ってたが、素なんだな。
下手に怒らせないようにしよう。
「(うぅ…なんて無様を…。棟梁に叱られる…)」
あ、可愛い。
忍声でウィスパーされても聞き取れる地獄耳な将軍です。
今宵の閨は祭りだな!
* * *
二条城、謁見の間。
比叡山が焼却されて以来、久しぶりに重苦しい雰囲気に包まれていた。
理由は信長からの使者がやってきたことによる。
まずは信長の名代として洛中に常駐してる信広。
そして正使としてお手紙を携えやってきた中川重政。
あと、晴れて織田家で重臣の地位を確立した随伴の明智光秀ことみっちゃん。
彼ら三名が私の前にずらりと並び、将軍に対して質問というか詰問というか。
信広は気遣わしそうに。
重政は淡々と。
みっちゃんは無表情を保とうとしてる感じで。
三者三様とは正にこのこと。
縁の粗密が現れてるな。
ちょっと面白い。
さて、個人的な感想はさておき事態はちょっと緊迫している。
簡単に言うと信長から私に対する質問状がきた。
今それが披露されている訳だが…。
「公方様はここ最近、各地の大名たちと音信を交わしていると聞き及んでおります」
「また彼らから献金を受け、様々な便宜を図っているとのこと」
「中には織田家と誼を通じていない者もいるとか…」
こんな感じ。
お手紙大作戦が悪い方に転がったとも言えるが、一部はちょっとこじつけかなあ。
お陰でゴローちゃんとか昭高とかが激高寸前。
三藤は比較的落ち着いてるけど、気遣わし気な視線を感じる。
まあ、こうなることは分かっていたんだ。
大名からの依頼も断ることもできたし、実際一部は断ったこともある。
でもねえ…。
ちなみに中級以下の幕臣たちはこんな反応。
「いかに織田様とはいえ、些か口が過ぎませぬか」
「慮外者め。公方様が如何に苦心して仲介の労をとっておられるかも知らぬ癖に」
「所詮は尾張の田舎者。天下の事が何もわかっていない…」
不満を口にするのはまだマシな方で、陰口を聞こえるように小声で言うあたり悪い奴らだよ。
まあ長らく京洛で暮らせば公家のような感じにもなるのかな?
おっと別に公家を悪く言ってる訳じゃないぞ。
彼らの嫌がらせ行為が移ってるなって思っただけで。
質問者三名はその辺もちゃんと分かってる。
分かってても当然良い気はしない。
都に常駐する信広と、幕臣でもあるみっちゃんは後で労おう。
加えて重政にも、いくらかフォローしといた方がいいよなこりゃ。
流石にちょっと空気が悪い。
早々に切り上げよう。
「弾正忠が心配事、しかと受け止めた。返書を認める故、一旦下がるが良い」
と言って席を立つ。
周囲には立腹したように見えたかもしれない。
別に怒ってはないんだ。
ただ、来るべき時が来てしまったのかなって恐れてるだけで。
凄く胸の辺りがざわざわする。
いや待て。
まだ慌てる必要はない。
「式部少輔らをこれへ」
とりあえずいつものメンバーを集めて作戦会議だ。
ある程度の方向性はもう決まってる。
それでも擦り合わせと再確認は大事だろう。
しかし信長も信長で割と大変な時期だと思うんだがなあ。
早めに釘を刺しとこうってあたりかね。
一向一揆が各地で猛威を振るい、権力者たちの手足を縛りつつある。
特に顕如の指向性を得てからは殊更に。
その結果、越前で青色吐息だった朝倉家に復活の兆し。
しかし中身が既にボロボロだと私は知っている。
敵の敵が味方とも限らない最たる例。
ま、張子の虎でもバレなければ十分抑止力にはなり得るか。
甲信越は、甲斐武田家と越後上杉家が覇権を争う地域。
それぞれ信濃と上野に導火線を抱えてるが、共に実力があるのは衆目の一致するところ。
守護家には幕府方になって欲しいが、小笠原家の事もあって難しい。
畿内は一見平穏を保ってるように見せつつ、水面下では違う。
本願寺はもちろん、興福寺や高野山にも何やら動きが見え隠れ。
彼らに影響を及ぼすことが出来る存在は限られる。
それは将軍たる私であり、摂関家の近衛であり、天下に近い信長である。
信長は幕府と一定の距離を置き、独自路線を指向しつつある。
近衛は太閤前久が各地の有力者と縁を結んでおり、その軽いフットワークもあって隠然たる影響力を保っている。
そして私は諸侯との音信を欠かさない。
お手紙将軍は継続中である。
送った挨拶状をただの挨拶と素直に受け止める諸侯が居るや否や?
式部が昭高と共に育てた雑賀衆との縁も、ようやく実を結びつつある。
将軍としての仕事も内職も、精力的にこなしてきた。
誰が味方で誰が敵か。
そして敵の敵となるのは一体誰なのか。
見逃せない。
* * *
「では、これを弾正忠に渡してくれ」
「…御意」
返書を認めて使者へと託す。
腹の内はともかく、努めて無表情に。
手紙の内容は次の通り。
信長に対する不義理は何もしていない。
少々行き違いがあったようだが、全て将軍の職務範囲内である。
しかし信長を不安にするのは本意ではない。
そこで、不安解消のために次の通り申し入れる。
内容を要約すると主に三つ。
一、理解に齟齬が起きないよう、細川藤孝を信長に伺候させる。
二、信長の嫡男を将軍の猶子にする。
三、信長の妹を近衛家の養女としたうえで正室に迎え入れる。
さあて、どうなるかなー?
石見守 正六位下 平保長(花押)
書付を眺め、ニヤニヤと笑みを隠し切れない服部党の領袖がいたらしい。