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私の頭は便器に突っ込むには少し大きすぎる  作者: アキーヌ・ササファソー
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第8話 クズはカスを評価できない

翌日、僕と二遊間は朝のHR 終わりにさっそく芋ようかんに話しかけた。「相談したいことがある」と言うと、彼はあからさまに嬉しそうな顔になった。おそらく、担任を受け持っているにもかかわらず、生徒から相談を受けることがめったにないからだろう。たしかに、大半の生徒たちの悩みごとは、芋ようかんに相談するくらいなら赤の他人に相談した方が解決に向かいそうな気がする。

「恋の悩みならいくらでも聞くぞ」

芋ようかんがなれなれしく二遊間の肩を小突きながら言った。万年フラれ男が何を言ってるんだと思ったが、どうせいつものへらず口なので好きに言わせておいた。

「誰もいないとこで話したいんです。昼休み時間ありますか?」二遊間が言った。

「じゃあ、俺の部屋に来いよ。人払いはしておくから」

『俺の部屋』というのは、体育館内にある生活指導室のことだった。べつに芋ようかんの部屋でも何でもないが、彼が自分を大きく見せようとするのはいつものことなので、好きに言わせておいた。

昼休みになると、僕たちはさっそく生活指導室に向かった。昼飯も食べずに行ったのに、体育館の奥のコートにはすでに男子バスケ部の一団がいて、熱心に3Pシュートの練習をおこなっていた。

その練習の様子を数分ぼんやり眺めていると、芋ようかんがやってきた。白いTシャツに紫のジャージー姿で、ハートマークの入った女性アイドルグループのタオルを首にかけている。さっきまで運動場で授業をやっていたらしく、見ている方が暑苦しくなるほど大量の汗をかいていた。

「まぁまぁ、遠慮せずに入りたまえ」

芋ようかんはジャージーのポケットから生活指導室の鍵を取り出して解錠すると、なぜか得意げにドアを開いて僕たちを中に招き入れた。

僕は個別指導を受けたことがなかったので生活指導室に入るのはこれが初めてだったが、一見して息苦しそうな空間だと思った。小さな窓がひとつあるだけの6畳ほどの狭く細長い部屋で、部屋の中心に教員用のデスクと学童机が向かい合わせに置かれている。まるで拘置所の尋問室のようだ。

それ以外に机はなかったが、奥の戸棚の上にはポットや数個のティーカップ、紅茶のティーバッグ、シュガースティックなどが雑然と置かれていて、とりあえずいつでもお茶ができる状態にはなっている。窓際には背の高い鉄製の本棚が置かれていて、背表紙に日付が書かれただけの謎のファイルが多数収納されていた。頭上の回しっ放しにされた古い換気扇からは、絶え間なく耳障りな雑音が響いている。

「椅子がひとつ足りないな」

芋ようかんはそうつぶやくと、部屋の隅に重ねて置いてある丸椅子をひとつ引き抜き、生徒側の椅子の隣に置いた。続けて「コーヒーでも飲むか?」とたずねてきたが、僕たちは芋ようかんが淹れるコーヒーがおいしいはずはないという偏見を抱いていたため「のど渇いてないんで大丈夫です」と断った。

「そうか」芋ようかんは軽くうなずくと、戸棚の横に置かれている小さな冷蔵庫から透明な液体の入ったペットボトルを取り出して、ひと口飲んでから教員用デスクの上に置いた。それは芋ようかんがいつも飲んでいる自称『特製ドリンク』だったが、生徒たちは皆その飲み物がポカリスエットとアクエリアスを半分ずつの割合で混ぜたものであることを知っている。芋ようかん曰く「混ぜた方がおいしい」とのことだったが、少なくとも僕が知るかぎり、誰の賛同も得られてなかった。

「さて、迷える子羊たちよ。相談したいことっていうのは一体どういう内容だい?」

芋ようかんが両手を広げながら、芝居がかった様子でたずねた。

「そういうの、いらないから」

二遊間がぴしゃりと言い、きわめて真剣に朝川運子のいじめ問題について話し始めた。昨日折野先輩にもまったく同じ話をしたせいか、昨日よりも説明が上手になっている。

芋ようかんはひとことも口を挟まずに、じっと腕を組んで二遊間の話を聞いていた。折野先輩とは違い、話が朝川運子への凄惨ないじめ内容に及んでも、芋ようかんはまったく感情を表に出さなかった。いじめの主犯格が学校のアイドルの鬼頭由梨花だと打ち明けられたときでさえ、芋ようかんは眉ひとつ動かさなかった。はっきり言って、僕には彼が何を考えているのかさっぱりわからなかった。

「そうか。鬼頭由梨花か」

話が終わると、芋ようかんは自分の胸に言い聞かせるかのようにひとりつぶやき、意味もなく足を組み換えた。眉間に皺を寄せ、口を真一文字に引き結んでいる。その反応でようやく、鬼頭由梨花の名前を聞いて彼が臆していることがわかった。

「やっぱり、相手が学校のアイドルじゃ、訴え出るのは厳しいですか?」

二遊間が単刀直入にたずねた。

「そういうわけじゃない。ただ、俺は鬼頭由梨花が絡んでいる問題には、表立って協力することはできない」

芋ようかんが頭をボリボリかきながら答える。そのしぐさを見ていて、僕はいつものように芋ようかんに対するイライラがこみ上げてきた。僕はチクリと言った。

「生活指導教師のくせに、ただのいち生徒が怖いの? 元刑事だって聞いたけど、ずいぶん悪者に優しいんだね」

「そう言うな、庭崎。俺には俺の事情があるんだ」

「何ですか、事情って」

さらに詰め寄ると、芋ようかんは降参だ、とばかりに肩をすくめた。彼はドアの近くまで行って誰も聞き耳を立てていないことを確認すると、戻ってきて再び椅子に座った。こちらに顔を近づけ、息をひそめながら言う。

「いいか、これから話すことは、絶対に誰にも言うなよ」

そうして芋ようかんは語り始めた。


それはつい2週間ほど前の話だった。その日の放課後、芋ようかんは鬼頭由梨花を生活指導室に呼び出した。3年生のある男子生徒から、鬼頭由梨花が無断で旧校舎に立ち入っているという噂を耳にしたので、噂の真偽を本人に確認するのが目的だった。

校長からは「旧校舎への立ち入りは危険なので、無断で立ち入った生徒がいたら厳しく対処して下さい」と日頃から常々言われていたし、実際に以前職員室から鍵を盗みだして旧校舎に侵入した生徒のグループは全員停学処分になっていた。

とはいえ、芋ようかんはこの問題を深刻には考えていなかった。何せ鬼頭由梨花は品行方正そのものの優等生だったし、生徒会副会長でもある。単なるいたずら目的で旧校舎に侵入するはずがない。

仮に旧校舎への出入りが事実であっても、そこには『やんごとなき』事情があるはずだ。だから、最初から芋ようかんは鬼頭由梨花を軽く注意するだけで話を終わらせようと考えていた。あとの時間は学校のアイドルとふたりでおしゃべりでもできたらいい。むしろ、芋ようかんとしてはそちらの方が楽しみだった。

鬼頭由梨花はなぜ自分が生活指導室に呼ばれたのか理解していない様子だった。椅子に座ると、戸惑いを含んだ表情でまっすぐにこちらを見つめてくる。あまりの可愛らしさに芋ようかんは思わず、本題を忘れて飼っている熱帯魚の話を始めてしまったくらいだった。

「あの、そのグッピーと私と、一体どういう関係があるんでしょうか?」

そう言われてようやく芋ようかんは本来の目的を思い出した。旧校舎にきみが立ち入ったという噂があるが事実か? とたずねると、鬼頭由梨花は一瞬固まったものの、すぐにうなずいた。

「ごめんなさい。先輩方がどのような環境で学校生活を送っていたのか、どうしても気になってしまって、好奇心に負けてしまいました。普段全校生徒に『ルールをきちんと守って皆が気持ちよくすごせる学校にしましょう』なんて偉そうに言っている私が自らルールを破るなんて、本当に最低です。私に副会長をやる資格はありません。もう生徒会は退会します」

「ちょっと待ちなさい」

いきなり話が大ごとになってしまい、芋ようかんは焦った。鬼頭由梨花の目には涙が光っている。彼は女性の涙にめっぽう弱かった。

「大丈夫だ。まだ上の人間には話はしていない。今回は注意するつもりで呼んだんだ。反省して今後気をつけてくれれば、こちらとしては何も問題はない」

そう言って慰めたが、鬼頭由梨花は一向に泣き止まなかった。見ているあいだにも、嗚咽がいっそう激しくなってくる。このまま放っておくと倒れてしまうのではないかと心配になり、芋ようかんは椅子から立ち上がって彼女に近づいた。芋ようかんは彼女の背後に回り、背中をさすってやるつもりだった。ところが、芋ようかんがそばに寄ってくるなり、鬼頭由梨花はいきなり彼に抱きついてきた。芋ようかんがかわす間もなく、唇に唇を重ねてくる。今まで泣いていたとは思えないほどの強引さだ。

そのとき強引に振り払っていれば、ひょっとしたら深みにはまらずにすんだかもしれない。しかし、彼女の魅惑的なキスと女子中学生離れした豊満な肉体が、芋ようかんの性欲に火をつけてしまった。年齢的には遥かに上だが、恋愛経験の少ない芋ようかんはあっという間に彼女の色気に呑み込まれた。

芋ようかんは積極的に彼女の欲求に答えた。そのままふたりは生活指導室で『とてもいやらしいこと』をおこなった。彼女がたびたび大きな声を上げるので、部屋の外に聞こえるのではないかと心配になる一方、俄然芋ようかんの興奮は高まっていった。校内で淫行をおこなった男女は他にもいるのだろうが、おそらく生活指導室での淫行は前代未聞だろう。

ようやく正気に戻ったとき、芋ようかんは局部を露出したまま教員用のデスクの上に座っていた。ここにきて自分がやったことの罪深さにやっと思いあたり、芋ようかんの顔は真っ青になった。

しかし、本当の意味で彼が寒気を覚えたのは、鬼頭由梨花の顔を見たときだった。彼女は乱れた制服を整えると、汚物を見るような冷ややかな視線を芋ようかんに向けた。そのまま、荒々しく芋ようかんのあごを片手でつかむ。

「おい、よく聞けよこのどスケベ淫行教師。今のやりとりはすべて録音させてもらった。私がこの音源をしかるべき場所に送れば、あんたは学校をクビになるどころか、間違いなく刑務所行きだ。そうなりたくはないだろう?」

鬼頭由梨花は聞いたことのない恐ろしい声で言うと、もう一方の手を無造作にポケットに突っ込み、中からICレコーダーを取り出した。見るからに安物ではない、高性能のレコーダーだ。彼女は芋ようかんに悪魔の笑みを向けたまま、まったく画面を見もせずにレコーダーの再生ボタンを押した。

そのレコーダーにはふたりのあえぎ声が実に鮮明に録音されていた。音声だけでも、どんなことがおこなわれているのかおおよそ想像できるほどのリアルさだった。そして芋ようかんにとっては不都合なことに、たびたび鬼頭由梨花が「お願い! 芋野先生やめて!」と叫ぶ声までもクリアに捉えられていた。

その音声を聞いて、芋ようかんは唇まで真っ青になった。これではまるで、彼が嫌がる女子生徒に強引に襲いかかっているみたいではないか! 現実には合意の上での行為だったと彼が主張しても、この音声を聞いた人は誰も信用してくれないに違いない(鬼頭由梨花は未成年者なので合意していたとしても確実にアウトだが、レイプとなると段違いに罪は大きくなる)。ヤってる最中は彼女が興奮のあまりどM的に「やめて」と言っているのだとばかり思い込んでいたが、おそらく鬼頭由梨花はすべて計算に入れた上でそのようなセリフを吐いたのだろう。その狡猾さに戦慄を覚えずにはいられなかった。

「よく理解できたか? イモ野郎、今日からあんたは私の下僕だ。とりあえず口止め料として50万私の口座に振り込んでもらおうじゃないか」

鬼頭由梨花は芋ようかんを完全に見下し、あごがそのまま破壊されるのではないかと思うほど強く握りしめた。彼女の握力は、見た目からは想像もつかないほど強かった。柔道部の男子生徒につかまれているみたいだ。

「このくそったれ美少女め!」

芋ようかんはわけのわからない罵声を吐きながら、勢いよく彼女の手を振りほどいた。そのまま、ICレコーダーに向かって手を伸ばす。このまま相手に屈してしまったら、絶えずゆすられ続けることになるのは目に見えている。そうなるくらいなら、たとえ暴力に訴えてでもICレコーダーを奪い、処分してしまった方がいい。

しかし、芋ようかんの手が彼女に届くことはなかった。一瞬にして鬼頭由梨花の姿が視界から消え、代わりに天井が現れた。そのまま空中浮遊の感覚を味わったのも束の間、1秒後には背中から激しく身体を固い床に叩きつけられる。受け身を上手く取れなかった芋ようかんは痛みにうめいた。

しばらくのあいだ何が起こったのかまるで理解できず、芋ようかんは天井を見上げたまま呆然としていた。ようやく鬼頭由梨花から一本背負いを喰らったのだと気づいたとき、彼女は上履きを履いた右足で芋ようかんの脇腹を荒々しく蹴ってきた。あまりの衝撃に、もう少しで昼に食べた焼肉弁当を嘔吐してしまうところだった。芋ようかんは激しくむせこんだ。

「バカな男だ。私に勝てると思ったか? 私は100年以上も続く柔道一族、鬼頭家の一員だ。叔父は五輪のメダリストでもある。警察学校で護身術程度に武術を習った奴に負けるはずがない」

鬼頭由梨花は恐怖のあまりすっかり萎縮してしまった芋ようかんの局部をちらりと見たあと、生活指導室を立ち去った。


芋ようかんの話を聞いて、僕と二遊間はあきれ果ててしまった。過去に学校のセクハラ問題を解決した教師が、よりにもよって女子生徒と淫行をおこなうなんて、ふざけているとしか言いようがない。いっそのこと警察に逮捕してもらった方がいいのではないだろうか。鬼頭由梨花は人間としてカスかもしれないが、芋ようかんも充分すぎるほどクズなので、全部自業自得である。

とはいえ、今は芋ようかんの貞操について議論していても仕方がない。僕らにとって重大な問題は、芋ようかんが鬼頭由梨花に弱味を握られているせいで朝川運子のいじめ問題解決の役に立てないという1点のみだ。

「もう帰ろうよ、二遊間。けっきょく芋ようかんに頼ろうとしたのが間違いだし」

「待ちなさい」

僕らが椅子から立ち上がり、帰る素振りを見せると、芋ようかんが重々しい口調で引き止めた。

「たしかに俺は教師としてやってはいけないミスを犯し、弱味を握られてしまった。だから表立ってはお前たちに協力することはできない。だが、裏でこっそりとアドバイスすることならできる」

それを聞いて、僕たちは再び椅子に座り直した。僕は机から身を乗り出すようにしてたずねた。

「じゃあ、教えてよ。これから僕たちは何をやればいいと思う? どうすれば狡猾な鬼頭由梨花に立ち向かえる?」

「1番手っ取り早くすむ方法は、こちらも鬼頭由梨花の弱味を握ってしまうことだ。だが、そのためには相手に近づく必要があるし、おそらくそう簡単に彼女はボロは出さない。

だから、ひとまずいじめの犠牲者側と連携してみたらいいんじゃないか。1度朝川運子と話をしてみたらいい。そこから何かいいアイディアが見つかるかもしれないだろ?」

その提案は、僕にとってもっとも気が進まないものだった。























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