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私の頭は便器に突っ込むには少し大きすぎる  作者: アキーヌ・ササファソー
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第7話 パワハラとセクハラが多すぎて、かなりハラハラする

折野先輩に頼ること以外に何も考えを持っていなかった僕たちは、途方に暮れたままいつもの帰り道を歩いていた。すでに夕焼けが空に広がっていたが、このまま何の策もないままではお互いに夜眠ることができないだろう。どちらかが提案したわけでもなく自然な流れで、1時間ほど僕の家で作戦会議をすることになった。

僕の自宅は団地の片隅にある中古の一軒家だった。うちの両親は3年前に年収に不釣り合いなその素晴らしい住宅を破格の値段で購入した。不動産業者によると幽霊物件らしいが、幸いにもうちの家族は誰も霊感が強くないので、何ひとつ不自由していない。

妹など幽霊に会いたがっているくらいで、「ゴーストさんこんにちわー。私もいよいよ年長ぐみに入ったよー」など、定期的に彼らへのメッセージをトイレのドアに貼っていた。『統計的に見て、トイレは霊の出現率が高い』というのが、心霊現象の専門家でも何でもない母の、非科学的な考えだった。

玄関のドアを開けると、待ち構えていたかのようにタメゴローが廊下を疾走してきて、僕に飛びついてきた。タメゴローというのは、この家に引っ越してきたのと同時に飼い始めた我が家の愛犬である。

タメゴローは秋田犬と柴犬の雑種だったが、両方とも似たような犬種なのでほとんど『雑種感』は感じられない。見た目としては、気持ち大きめの柴犬といったところだ。

当初は番犬として飼う予定だったが、誰にでもよくなつきすぎて役目を果たせないため、今ではただの愛玩動物に成り下がっている。もちろん、僕たち兄妹にしてみれば、かわいいのでまったく問題ない。ただ、小さな鳴き声ではあるが、興奮するといつまでも絶え間なく吠え続けるクセがあって、たまにうっとうしくなるときがある。

「健四朗、お帰りー。あれ、二遊間くん。珍しいわね、こんな時間に遊びに来るなんて」

妹を抱っこした母が出てきて、笑顔で二遊間に言った。二遊間という呼び名は最近保護者たちも当たり前のように使うようになっている。

妹の胡桃(くるみ)は他の何も視界に入らないといった様子でじっと二遊間だけを凝視している。5歳にしてイケメンを察知する能力を備えているかのようだ。二遊間が愛想よく挨拶しても、眉ひとつ動かさなかった。表情には出さないが、ひょっとしたら照れているのかもしれない。

母は二遊間としばらくおしゃべりを続けたそうにしていたが、「2人で話したいことがあるから」と言うと、長く引き止めはしなかった。僕たちが階段を上がり始めると、タメゴローが尻尾をちぎれんばかりに振りながらさっそうと追いかけてきた。胡桃もついてきたがったが、今は妹にまで気を回す精神的余裕がなかったので、引き続き母に世話を見てもらうことにした。

自慢じゃないが、僕の部屋は毎日のように自分で掃除しているので、同級生の誰の部屋よりもよく片づいていると思っている。あまりたくさん物を買わないので、室内は常に北欧デザイン的なシンプルさと清涼感が保たれている。童話や画集が好きなので本棚にだけはかなりの数の本が詰まっているが、その本(友)たちもジャンルごとにしっかり整頓されていた。

最近の悩みは、二遊間がうちに遊びに来るたびに勝手に自分の物を置いていくことだ。今では、自分の持ち物よりも二遊間の持ち物の方が多いぐらいかもしれない。その大半は漫画本だが、たまに扱いに困ってしまう物もある。掛布のサイン色紙を勝手に壁に飾られて、一体それを見て僕はどういう気分になればいいのだろう?

二遊間が前に自分で持ってきたクッションに先に腰を下ろし、僕は学習机の椅子に腰を下ろした。この学習机は中学の入学祝として父が奮発して買ってくれたもので、高級なオーク材が使用されている。重厚な造りの家具は質素な部屋全体の雰囲気の中で明らかに浮いていたが、個人的にはその机がとても気に入っていたし、多少は勉強にも身が入るようになっていた。

すぐにノックの音がして、母が飲み物を持って入ってきた。母は僕に冷たい麦茶を、二遊間に輪切りレモンの入ったレモネードを渡す(なぜか母は、二遊間が来ると必ずレモネードを出した。本人が要望したわけでもないのに)と、二遊間のお礼にうなずき舞台の黒子のようにさっといなくなった。

「これからどうしたらいいと思う?」

僕がたずねると、二遊間はすぐに答えず、小物入れ用のカートから自分が持ってきた野球ボールを手に取り、こねくり回し出した。ボールに触れているとき、彼の思考力は最も研ぎ澄まされる。あるいは、部活が休みだったので単に身体がうずいているだけかもしれない。タメゴローはボールをじっと見つめながらも、おとなしく自分用のクッションにおすわりしていた。

「折野キャプテンはダメだったけど、あきらめる必要はないと思う。どんな方法にしろ、要は鬼頭由梨花のいじめを止められさえすれば香川さんは満足なわけだし」

二遊間がボールに意識を集中させたまま言った。

「その方法がわからないから、香川さんたちも困ってるんじゃないの? それともやっぱり、先生に言う?」

「まあ、無理だろうな。先生たちの大半は学校のアイドルの味方だろうし。向こうもボロを出さないように周到にやってるだろうしさ。仮に証拠をつかめたとしても、学校側は世間体を考えて俺たちの方を葬り去る決断をするかもしれない。教育委員会に訴えるという手もあるけど、彼女の父親が地元の有力者じゃ、そっちの線も見込みは薄いだろうな」

二遊間が険しい表情で言った。

「じゃあけっきょく、あきらめるしかないってこと?」

僕は絶望で目の前が真っ暗になる思いだった。ディズニーランドが遠のいていく。

「どうかな。とにかく、たった2人で立ち向かうには相手の力が強大すぎる。とりあえず、明日『芋ようかん』に相談してみるのがいいんじゃないか」

「『芋ようかん』なんかが、頼りになるかなぁ。あんなのただの教員免許を持ったお子様じゃん」

二遊間の提案に僕は首をひねった。芋ようかんというのは、僕たち1年2組の担任教師、芋野羊一(いものよういち)のあだ名だった。独身の体育教師で、実年齢は34歳なのにどう見てもハタチ前後にしか見えない。

青二才的外見としょっちゅう自分が担当する授業時間を間違えてしまうほどの天然ボケで、生徒たちからはもちろん、先生たちにさえバカにされていた。恋愛意欲はあるらしく、学内の20~30代の女性教師にしばしばアタックを試みていたが、まったく誰からも相手にされていなかった。

職員室では、彼が同僚にフラれる光景が恒例のネタのようになっていた。だから、少なくとも他人を楽しませる才能はあるみたいだ。誘われた女性教師たちも見下しながらも半ばやりとりを楽しんでいる感じで、誰も不快には思っていないようだった。感覚的にいえば、5歳児から告白されているようなものなのだろう。

誰よりもフレンドリーで、話も達者なのでたしかに生徒たちからすれば話しやすい存在ではあるが、不思議とそれが尊敬や信頼感につながらない。僕のような地味な生徒からも等しく見下されている学校内でいちばん教師らしくない教師である。

一方で、僕たち1年生は目の当たりにしたことこそないものの、芋ようかんは怒るととんでもなく怖いらしい。聞くところによると、彼は年に4~5回くらい本気でキレることがあり、あまりにも普段とギャップがありすぎるため、恐怖のあまり被害者(そもそも、理由があって怒られているので、被害者もクソもないけど)の生徒は100%の確率で泣いてしまうという。ただ、重大な道徳にもとる行為やルール違反を犯さないかぎり絶対にキレないので、本人をバカにするくらいはぜんぜん安全だ。

ちなみに、彼がキレると新聞部が号外を出し、今回はどのような件でキレたのかを詳しく解説する。当該生徒のインタビューも掲載される。「コンクリート詰めにされて、海に沈められるかと思いました。自分の葬式の様子まで、ありありと想像できました」これは、昨年12月にキレられたK先輩の証言である。

普段あれほど生徒になめられているのに、芋ようかんの授業が学級崩壊にならずに成立しているのは、皆がその『一瞬』を畏れているからだ。同じ理由で芋ようかんは生活指導教員の任務も中心になってやっている。どんな不良生徒も内心では芋ようかんのことが怖いので、憎まれ口を叩きながらも最終的には必ず指導に従ってしまう。

「ひょっとして、芋ようかんにキレてもらおうと思ってるの? 鬼頭先輩に対して? でも、そんなに都合よくあの人、キレるかなぁ」僕は言った。

二遊間は苦笑した。「たとえキレたとしても芋ようかんに鬼頭由梨花を止める力はないよ。アイツもしょせん学校という組織では下っぱだし。だけど、彼が持っているコネは利用できるかもしれない」

どういう意味なのか聞いてみた。

「知らないのか? 元々芋ようかんは少年課の刑事をやっていたんだ。だけど、毎日たくさんの非行少年と接しているうちに、彼らが過ちを犯すもっとも大きな原因が日本の教育にあるように芋ようかんには思えてきた。それに、ベビーフェイスな彼は非行少年たちはもちろん、同僚刑事たちからもなめられてしまって、刑事という厳しい仕事を続けるのはかなり困難だった。そこで、大学に入り直して教師に鞍替えしたんだ。教育を通じて健全な青少年の育成に自分も貢献しようという強い志を持って。

警察をやめてかなりたった今でも、現職の刑事と交流があるらしい。少年課は非行少年を扱うスペシャリストだ。彼らに聞けば、鬼頭由梨花っていうモンスターと闘う方法がわかるかもしれない」

「芋ようかんがそんな苦労人とは知らなかったよ」

僕は感心しながら言った。人は見かけによらないとはこのことだろう。ついこのあいだも、僕はサイフを持ってくるのを忘れた芋ようかんに弁当代を貸したばかりだった。彼はそれほどバカだった。

二遊間が肩をすくめた。「あまりにも普段バカすぎるから誰も認識してないけど、本当は芋ようかんってすごい人間なんだよ。

5年前に彼が赴任してきたとき、うちの中学は無法地帯みたいなもんだった。生徒たちは至って真面目だったけど、そこで働く教員たちにとってはひどい環境だったんだ。

当時の校長と教頭がクソみたいな人間で、何かにつけて教員に暴力をふるったり、嫌がらせのように必要もない書類の作成を命じて何時間もサービス残業をさせたりしていた。深夜に校長の自宅に突然呼び出されて酒の相手をさせられたり、まったく学校に関係のない家の雑用をさせられることもあったらしい。断ればさりげなく減給や転任をほのめかされるので、下っぱの教師たちは嫌々従うしかなかった。

特にひどかったのが教頭の一部の女性教員へのセクハラだった。教頭は自分では声を上げられないおとなしそうな教員を毎回ターゲットに選び、握手のような気軽さで彼女たちの身体に触れた。執拗に毎日毎日同じ女性にセクハラをするので、精神を病んで学校に来られなくなってしまう女性教員もいるぐらいだった。

マスコミに嗅ぎつけられなかったのが不思議なくらい、かつてのうちの中学はパワハラとセクハラの巣窟だった。そこに突如として現れた救世主が芋ようかんだった。彼は自身に対する脅しにもひるまずに校長や教頭と粘り強く交渉を続け、結果的にすべてのパワハラとセクハラを辞めさせることに成功した。もちろん、セクハラもパワハラもれっきとした犯罪だけど、警察や教育委員会やPTA の手を一切煩わせずに内々に問題を解決した芋ようかんの手腕は評価されていいと思う。それに、最終的に校長と教頭は『加齢に伴う体調の不安』を口実に揃ってその年の年度末で退職したからな。今の学校の平和は芋ようかんが作ったと言っても過言じゃない」

二遊間の話を聞いて、僕の中でかなり芋ようかんへの期待感がふくらんでいった。それだけの実績のある彼なら、きっと朝川運子のいじめ問題の解決に役立ってくれるに違いない。















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