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私の頭は便器に突っ込むには少し大きすぎる  作者: アキーヌ・ササファソー
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第3話 鬼と龍の城

「朝川運子が上級生たちから陰湿ないじめを受けていることは知っているか?」

キャノン砲が言った。

何を今さら、と僕は思った。運子はもちろん、あらゆる人々から四六時中いじめを受けていた。

僕たち生徒は狭い水槽の中で絶えずストレスにさらされている魚の群れと同じだ。少しでも教室の中に異端分子を見つければ、襲いかからずにはいられない。

運子のような変わりすぎている名前と性格を持った人間は、絶好の獲物だろう。

ローザンヌは図々しくも僕の机の上に腰を下ろした。彼女は言った。

「もちろん、運子は今までだっていじめを受けてた。それこそ学内の生徒にかぎらずにね。理由もなく小学生から小石を投げつけられたり、バケツに入った泥水を頭にかけられたり、果ては散歩中の犬にいきなりかみつかれることさえあったな。

見知らぬ人でさえそうだから、学内でのいじめは残酷そのものだった。特に3年生にもなると受験のプレッシャーが半端ないから、一部の生徒にとって運子いじめはいい『ガス抜き』になってる。最近は飽きてやらなくなったけど、3年2組の男子グループが一時期熱心に運子いじめをやっていた。髪をいきなり後ろから引っ張ったり、運子が通る道に落とし穴を作るといった嫌がらせをね。中には運子への嫌がらせを動画に投稿して学校から処分された生徒もいたみたい。

たしかに彼らのいじめもかなりひどかったけど、今回ばかりはまったく種類が違ういじめなんだ」

「種類が違ういじめ?」僕は言った。

ローザンヌはうなずいた。「そう、運子は最近、3年生の女子生徒たちに集中的にいじめられてる。いじめというよりほとんど、虐待の域かもしれない。

夏音が極秘に得た情報によると、放課後になると彼女たちは運子を旧校舎の3階女子トイレに連行して、和式便所に無理矢理頭を押しつけたりしてひどくいたぶっているらしい。それも、毎日のように。

ときには、便器を強制的になめさせたり、誰かがしたばかりの大便に運子の顔面を押しつけたりしてるそうだよ。彼女たちからしたら、『運子にはウンコが1番お似合い』ってことになるんだろうけど」

想像するだけでおぞましい光景だ。旧校舎は今の校舎の南側にある建物で、僕たちが入学する2年前までは実際にそちらの校舎でも授業が行われていた。今では建物の老朽化や児童数減少の影響で、旧校舎は完全に閉鎖されている。

「旧校舎には鍵がかかってるんじゃなかったっけ?」

僕はたずねた。好奇心旺盛なクラスメイトたちが過去に何度か旧校舎に忍び込もうと企んだ話を聞いたが、彼らはきまってどこからも侵入できなかったと嘆いていたからだ。

「実は1つだけ鍵がかかっていない窓があるんだ。ものすごくたてつけが悪いからコツがわかってない人間には絶対開けられないけど、慣れている人間なら簡単に開けることができる。そのことを知ってるのは、全校中でおそらく彼女たちと私たちだけだろうけど」

「なるほど」僕はキャノン砲がどこからその情報を得たのかが気になったが、話が脇に逸れそうなのでそのことについては黙っていた。

「そんなにひどいいじめなら、先生に言ってやめさせればいいんじゃないか?」

僕は正論を吐いたつもりだったが、ローザンヌはあっさりと首を振った。

「ムリムリ、絶対無理。何しろいじめの主犯格はあの鬼頭由梨花(きとうゆりか)なんだ。先生にチクったところで、こちらが嘘をついてると思われるだけだよ」

「鬼頭先輩がいじめを…」ショックのあまり、僕は一瞬言葉を失った。

鬼頭由梨花は、学校全体のアイドルのような存在だった。容姿端麗で、成績は常に学年トップ5に入り、おまけにスタイルは抜群と、非の打ち所のない宝石のような人物だ。

生徒会副会長を務めているが、面倒見のよさと聡明さで後輩たちからも慕われている。最近は忙しい学業の合間を縫って芸能活動も行っていて、シチューのCMに出演したり、女子中高生なら誰もが知っている少女ファッション誌の表紙を飾ったりと大活躍していた。

鬼頭由梨花のような『Perfect Girl』が田舎の公立校にいるのはある意味奇跡だが、聞くところによると地元の市議会議員である父親が彼女を溺愛しているため上京を許してくれないらしい。

どちらにしても、鬼頭由梨花の悪い噂など僕はこれまで1度も耳にしたことがなかった。彼女は学校全体にファンを持ち、女子からも男子からも熱狂的に支持されていた。彼女はいつも優しくて礼儀正しくて、誰に対しても平等に接することを心がけているような人間に見えた。いじめの当事者からはもっとも離れた場所にいると言ってもいい。

「鬼頭先輩がそんなひどいいじめをするとは、ちょっと信じられない。悪いけど、何かの間違いじゃないかな」

僕はおそるおそる言った。ローザンヌは「はぁー」とため息をついた。『やっぱりお前もそういう反応か』と言わんばかりのため息だ。

「間違いってことはありえない。なぜなら目撃者がいるから」

ローザンヌは香川さんを指さした。香川さんは相変わらず暗い顔で僕の正面に立ちつくしている。長い睫毛が小刻みに震えている。ちょっとした刺激を与えたらすぐに泣き出してしまいそうな、脆さを感じさせる表情だった。

「香川さんがいじめの現場を目撃したの?」

僕の問いかけに、香川さんはほんのかすかにうなずいた。

「私、鬼頭先輩の大ファンだから、1度彼女と面と向かって話がしてみたかったの。それで、1週間前の放課後サイン色紙を持って、3年生の教室から出てきた鬼頭先輩のあとを追いかけた。先輩がひとりになったタイミングで声をかけようと思っていたけど、なぜか先輩は校門の方じゃなくて、旧校舎の方角に歩いていった。3人の女子生徒を引き連れて。

私は好奇心をそそられて、そのまま先輩たちに見つからないようにあとについていった。先輩が旧校舎の窓を開けて中に侵入したとき、明らかにそこには危険な匂いがした。あとを追うべきじゃないって私の頭は言っていたけど、なぜか足はひとりでに前に動き出してた。私は少しだけ先輩たちから間をおいてから、(かなり開けるのに苦労したけど)窓を開けて旧校舎の中に飛び込んだ。

3階にいる彼女たちを探し出すのに、あまり時間はかからなかった。長年廃墟のようだった建物の中にいると、人が通ったあとの気配って手にとるようにわかるものなの。

そして、私は女子トイレにいる先輩たちを目撃した」

香川さんはそのときの情景を思い出したのか、ほんの一瞬激しく身を震わせた。

「廊下の陰から見ていただけだから、中にどれほどの生徒がいたのかはわからない。だけど、少なく見積もっても7、8人はいたと思う。全員が女子生徒で、話しぶりからするとおそらく全員が3年生みたいだった。

しばらくすると、鬼頭先輩と仲がいいことで有名な龍田叶(たつたかなえ)先輩の姿が見えた。生まれつきの燃えるような赤毛がトレードマークだから、彼女のことはすぐにわかった。龍田先輩は誇らしげな顔で何かを報告していたけれど、やがて再びトイレの奥に引っ込んだ。

その場にいる生徒たちの中で1番龍田先輩が身体が大きかったけど、明らかに場の空気を支配しているのは鬼頭先輩だった。鬼頭先輩がこのグループのリーダーだった。やがて、彼女の指示でいっせいにいじめが始まった」

香川さんはそこで少しだけ話を切った。彼女は心なしか呼吸が荒くなっていた。顔色も青白いし、言葉をつむぎ出すこと自体が少しつらそうだった。そういえば、香川さんに喘息の持病があることを僕は思い出した。おそらく、このいじめの話をするのは彼女にとってかなりの精神的負担なのだろう。

「すぐにトイレの奥から、小動物が補食者に襲われているときのような凄まじい悲鳴が聞こえてきた。ほとんど人間には出せないレベルのかなきり声で、離れていても鼓膜が破れるかと思ったくらい。だから、最初は朝川先輩がいじめられてるってわからなかった。猫を虐待してるって思ったの。

だけど、しばらくすると、激しい物音と共に朝川先輩の怒鳴り声が聞こえてきた。姿は見えなかったけど、彼女は彼女なりに必死の抵抗を試みてるみたいだった。身動きは封じられていたけど、マザーファッカーがどうとか、『お前の親父、頭にちんこがついてんだろ』とか、思いつくかぎりの罵詈雑言を吐きまくってた。

朝川先輩が激昂する姿を見て、女子生徒たちはゲラゲラ笑っていた。笑いながらも、絶えず攻撃を続けている音が外まで響いてきた。何度も朝川先輩をサディスティックに挑発する龍田先輩の声が聞こえた。明らかに龍田先輩が暴行の中心人物だった。そして、鬼頭先輩はおそろしいほど冷静に『手下たち』に暴行を指示していた。

いじめに一段落ついたのか、すっと鬼頭先輩がトイレの入り口に戻ってきた。先輩の顔に一切笑顔はなかった。そこにあったのは、ただただ冷酷な人間の顔だった。普段の先輩からは想像もできない鋭い眼光を見て、思わず背筋が凍った。そのときの先輩の顔は、まるで快楽殺人を繰り返す性犯罪者みたいだった。

あぁ、これがこの人の本質なんだって、その一瞬だけでわかったの。いつも学校で見せている鬼頭先輩の姿は、すべて演技にすぎないんだって。この人は善人の仮面をかぶって生活してただけなんだって、はっきり理解できてしまった。あのときの彼女の表情、私は一生忘れない。

ようやくトイレから出てきた朝川先輩は憔悴しきっていて、もはや反抗する気力もないみたいだった。小声で『マザーファッカー、マザーファッカー…』って繰り返すのが精一杯だった。それでも多少はやり返したのか、出てきた生徒のうちの何人かは明らかにケガを負っていた。私は見つからないうちにその場を離れたけど、足音を聞きつけられる危険はほとんどなかった。彼女たちは『お祭り』にすっかり夢中だったから」

話が終わると、不意に香川さんは激しく咳き込んだ。キャノン砲が慣れた様子で背中をさすったが、なかなか彼女の咳は止まらなかった。カバンから吸入薬を取り出し、それを吸ってようやくおさまってきた。僕はそのあいだ、鬼頭先輩がいじめの主犯格であるという、衝撃的な話について考えていた。

「それでも、ちょっと信じられないよ。やっぱり、香川さんの勘違いじゃない? あるいは、龍田先輩がいじめの中心人物で、鬼頭先輩は嫌々参加させられてるだけとか」

僕は言った。ちなみに僕もそれなりに鬼頭由梨花という学校のアイドルに憧れの感情を抱いていた。彼女がいじめの主犯格とは、どうしても信じたくなかった。

「明らかに鬼頭先輩がボスで、いじめの指示を出してた。それだけは間違いないわ」

香川さんは体調不良の人間とは思えないほど強く僕を睨んだ。

「私がこんなに一生懸命に話しているのに、どうして信じてくれないの? そんなひどいこと言うなら、私、庭崎くんのこと嫌いになるから」

すでに大ナメクジにたとえるくらい嫌いじゃないか、と思ったが、そのことについては黙っておいた。

僕は、持ち前の『まとめ力』で話の要点を整理した。

「わかったよ。つまり、香川さんは、朝川先輩が鬼頭先輩にひどくいじめられてるのがかわいそうで仕方ないからどうにかして助けてあげたい。そういうことだね?」

「大体合ってるけど、かわいそうっていうのが理由じゃない」

香川さんは言った。そして、なぜか彼女は顔を赤らめた。

「朝川先輩は、私の命の恩人なの」








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