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男は森を歩いていた。
森の中で大きな次元の揺れを感知したからだ。
いつもの様な規模の小さい次元震なら日常茶飯事であるため放っておいたのだが、今回ばかりはそのふり幅の大きさに確認をしに行くことを決めた。
【次元震】とは、世界の揺れによって生じる界の穴である。
この世界と、どこかの次元を繋ぐ門が開くのである。
しかし、開いたとしても瞬きの間に閉じてしまうと言われ、実際に見た事がある者はほとんどいない。
(……かなりデカかったな…。こりゃ、何が流れ着いてっかね?)
面倒そうな気配を隠そうともせずに、目的の場所に向かう。
(精霊どもが騒いでんな…こりゃ決まりだな。………ったく!世界はなんでこんな面倒な現象を修正しないんだか…)
男はそれに気付くと、次元震に発生個所と思われる場所へ急いだ。
辿り付いた場所には、一人の子供が倒れていた。
(やっぱりな……あん時と同じかよクソが!!…………しょうがねぇ、世界を恨んで暇つぶしでもするか…)
新は夢を見ていた。
父と、妹と、叔母と、幼馴染がみんなで笑っていた。
場所は、ホテルの一室の様だ。その光景から、これはみんなで旅行に行ったときの記憶だと思いだした。
しかし、違和感に気付く。
(…あれ?――――――――俺が、いない?)
この時の事はしっかりと覚えている。
これは新が中学一年の時、父がまだ存命の頃の事だった。
だから自分もしっかり行ったはずだ。なのに――
(…そうだ。世界に俺の居場所はなかった…俺自身もそう理解したから…これは俺の妄想か…葵――…)
「…き…!」
(…ん?)
「おき…ってい……だ…!!」
(…父さん?)
「いい加減起きろ、このクソガキ!!男のくせにメソメソ泣いてんじゃねぇ!!」
「ッ!?ゲㇹッ、ゴホッ!!」
新は、勢いよく咽た。
肺から水を排出しようとする体の生理現象に抗えず、激しくせき込む。
それが落ち着いた頃、顔を上げると――――――
「やっと起きたか?」
毛玉の化け物がいた。
毛色は茶色がかった黒色、恐らく顔と思われる所にはには恐ろしいまでの鋭さでこちらを覗く金の瞳が2つ。
呆然とその生き物を見つめていると、生物から音が発せられた。
「起きてるよな?俺の言葉は分かるか?」
「……はい。分かります。」
「そうか。なら移動するぞ。あまりゆっくりはしてられねぇ。ほら、立てるか?」
恐らく人であろうその男は、新の腕を引いて歩き出した。
何がなんだか分からないが、言われるままに付いて行く。
その間、会話は無かった。
しばらく歩き続けていると、開けた場所に到達する。
男は地面に腰を下ろし、何かを口ずさむ。
新はしばらく立って周囲を確認していたが、男がこちらをを見ている事に気づいた。
しばらく見られていたが、男は視線を逸らし一つ溜息を吐いた。
その様子を新は疑問に思ったが、ひとまず質問してみる事にした。
「あの…、あなたは神様ですか?ここは…天国ですか?それとも、地獄ですか?なら、あなたも…」
「待て待て待て。…はぁ…。色々分からない事があるのは分かるが、俺がお前の状況を説明する。その間の質問は無しだ。面倒くせぇからな。」
「…はい。」
それから長い説明を受けた。
まず、ここは新の世界とは別の世界らしい。
天国でも地獄でも好きに呼べと言っていたが、とにかく世界には唐突に穴が開き別の世界とのトンネルの様な物が出来る事がある。
新は、運悪くそこに落ちてしまった、という事の様だ。
それから、男はたまたま近くで大きな穴が開いた事が分かり、様子を見にきたら新を見つけたという。
はっきり言えば意味が分からなかったが、説明が終わり「何か質問はあるか?」と問われた。
新はしばらく黙っていたが、少しして口を開いた。
「…俺は、死んでいないんですか?」
「はぁ?死んでたらここにいねぇだろ。ここに来る前にお前は何してたんだ?お前は……いや、まず名前はなんだ?あるか?」
「はい。俺は田中 新といいます。」
「ん?…あぁ、そうか。アラタな。んで、アラタはここに来る直前の事、覚えてっか?」
「…………」
答えられなかった。死のうと思っていた。
死のうとした事を思い出し、ここは死後の世界かと思ったが、死んではいないらしい。
「…かなりの水を飲んでいた様だが……お前、事故か?それとも…自殺でもしてたか?」
「…………」
「マジか…。面倒くせぇ上に、諦めて逃げた奴か!クハハッ!皮肉が効いてやがる!!ハハハハハハ!…ハァ。」
男はまた溜息を吐くと、新に問いかけた。
「間怠っこしぃのは嫌いだ。面倒くせぇからな。ここに一人でいりゃ、すぐ死ねるぜ?俺に付いてくるなら…まぁ、面倒くせぇが少し面倒みてやる。どうする?」
「死にます。」
新の即答に、男はそうかとだけ返し立ち上がると、僅かの夋巡もなく去って行った。
一人になった新は、座りこみ俯いた。
今更生きようとも思わなかった。
世界が違えども、いや世界が違うからこそ、ここにも新の生きる理由など見出せない。
ここにいればすぐ死ねると言った男の言葉の意味は分からなかったが、死ねるならとそこから動かない。
それから体感で数時間経った。
薄暗い森の中だが、寝転んで空を見ていると日が沈み月が出て夜になった。
月は二つあった。
それを見てここは新の世界では無いと実感した。
まだ死の気配は無い。
あれから半日経った。
薄暗い森の中だが、寝転んで空を見ていると月が沈み日が出た。
まだ死の気配は無い。
あれから2日経った。変わったことは無い。
まだ死の気配は無い。
あれから7日経った。死の気配はまだ無い。
あれからどのくらい時間が経ったのか。
未だ死の気配はない。
おかしい事は分かっていた。
腹も空かず、喉も乾かない。
森であるのに獣のかすかな気配も感じない。
ただ、このままでは死ねない事は分かった。
だから、行動をおこす。
学生服の内側に入っていたボールペンを直接胸に当てて、息を吐く。
膝立ちの状態から、腕を押し込もうと―――――
(―――あれ?)
もう一度、腕に力を入れて――――
(―――――――――なんでっ)
「やっぱりな。だろうと思ったわ。」
不意に男の声が聞こえた。
振り向くと、この世界に来て新を見つけた男が樹木に寄りかかって立っていた。
男は溜息を吐きながら、頭を掻くとこちらを向いて語りかけてきた。
「お前は、出来ねぇよ。大方前回も水の深い所目掛けて、力抜いて倒れる様に落ちただけだろ?そして、今回も…流れに身を任せて餓死でも狙ってたか?」
「…?」
「…ハァ…付いてこい。」
新は男が言うまま後を付いていく。
しばらくすると綺麗な水の流れる河に着いた。
河幅がかなりあり、河の中ほどではかなり深さであろう事が見てわかる。
流れも早い。
「オラ、死にたいんだろ?死にたきゃドウゾ」
「ありがとうございます」
「…………ハァ。」
溜息が聞こえた気がするが、新は気にせず河へ進む。
しかし河に入り水嵩が腰の辺りまできたとき新の足が止まる。
いくら力をいれようとも進まず、むしろ流されない様に踏ん張ってしまう。
いう事を聞かない自分の身体に悪戦苦闘していると、後ろから声が掛かる。
「お前は死ねねぇよ。自分じゃな、死ねないんだよ。アァ、勘違いすんな?変な意味じゃねぇ。アラタ、お前はな、死ぬのが怖いのさ。いや、死ぬ過程にある痛みや苦しみが怖いんだ。」
「そんな事ありませ「じゃあ進め。」……。」
言いかけた言葉に被せる様に発せられた男の声に新は少し苛立ったが、それでもなお進もうとする。
しかし―――進めない。
「ほらな?」
「違う……違う!俺は「あ〜うるさいうるさい、んじゃ早くろっての!」…あんた、なんなんだっ?さっきから!」
この男は何がしたいのか?
新には理解できないし、この言われ様も新の心を波立たせる。
死のうとする人間のそばにあって、まるで心が動いた様子もなく自殺という行為を助長する。
死のうとしているのは自分だが、何故か無性に腹が立った。
「あん?あ〜、んな怒んな。そうだな…死にたいとか言う割にそんなことも出来ないお前がムカつくだよ、面倒くせぇ。」
「なら…あんたが殺してくれ。」
「言うと思ったぜ。なんでおれがクソガキの介錯してやらにゃならん?ここまで囃してるだけでも面倒くせぇのに、おめぇの命になんか責任もてっかよ。」
「……怖いのか?」
「分かりやすい反応だな。はいはい、最後のチャンスをやるよ。」
挑発する様な新の言葉に男は呆れた様な反応をみせ、腕を前に出しフィンガースナップを一回。
その直後、新の全身が総毛立った。
明らかに視線を感じる。あの男の物ではない、舐める様な獲物を見つけた様な視線だった。
そして森の奥から喉を鳴らしながら一匹の狼が現れた。
「ほれ。あいつならお前を殺せるぞ…ってもう聞いてねぇか。」
新は狼が現れた直後、いや視線を感じた時から一目散にに駆け出していた。
視線の反対側へ、視線の主から逃げる様に。
しかし唐突に転ぶ。
バランスを崩して倒れてしまった。
転んだあと手を付いて立ち上がろうとすると違和感が襲う。
そんな場合では無いと思いながら右手に目をやると
肘から先が無かった。
「っ!?ぐっ!がああああっぐぶぅっっぎぃいいぃいぁあぁああああ!!!」
経験した事のない激しい痛みが新をおそう。
そうしてのたうち回る新だったが今度は、足に痛みを感じたかと思ったら、激しく揺さぶられ全身を地面に擦る。
それが漸く止まると、朦朧とした意識の中、視界に移ったのは空だった。
ふと視界に影が差し視線を下に向けると、異様なほど大きい灰色の狼の顔があり、口の周りに血が付いていた。
狼は、こちらをジッと見つめていた。
まるで獲物を嬲るのを楽しんで知るような感じがした。
「っづ……あ…」
うめき声が漏れるが、それ以外の行動を起こせない。
この時、新が感じていたのは恐怖だった。
そう、怖いと思っていた。
その事を自覚したとき新に浮かんだのは、やっと死ねる、という喜びでは無く
(ーーあぁ…葵。葵にもう一度…会いたかったなぁ)
後悔だった。逃れようのない死を感じた時――――。
その時、もう一度だけでもあの幼馴染の顔を見たかった、と思った。
自分が死んだら、彼女は罪悪感を感じてくれるだろうかと益体も無い事を考え、そして
狼の鼻先に噛み付いた。
新の僅かばかりの抵抗だった。
どうにかなると思っての行動ではなく、本能に従っての行動だった。
しかし、無駄だとばかりに地面に押し倒された。
狼はなんの痛痒も感じ無かった様で、ただ獲物に反抗された事に苛立ったのか、低く唸り声を上げ新の胸の上に乗せている前足に力をかけ始めた。
「ぐ…ぞ…おぉ」
そして―――――
今度は狼が目の前から消えた。
二転三転する状況に付いて行けない新に声がかかる。
「ほれ、まだやりたい事あんだろ?生きたいか、死にたいか?口に出して言ってみろ。」
「………おばえゔぉお、、、ごろす…。」
「クハハッ!上等だ!」
それ以降、新の意識は途切れたーーー。




