6話
☆★ ★☆
世界は汚くて怖い。いつ、自分の物を奪われるかわかんないよ――誰が、何を奪っていったのか。耶夜は何を失ったのだろう。
高く、空を突き刺すように建つビル。伸びるアンテナの先の星は、今日も蒼い光を放っていた。
手の中で、ちゃぷりとジュースが音を立てる。
「というわけで、今日は二つジュースを持ってきました!」
そして、今日も登場は突然だった。手すり向こうから、耶夜の顔が覗く。
「本当に持ってきたんだ」
「あれ? 驚かないの」
「別に」
軽い身のこなしでテラスに降り立つと、耶夜は手すりの上に缶を並べた。アボカドチョコは、今日も異様な雰囲気を放っている。
これを飲むのかと思うと、胃の底がぐらぐらした。
「いつもこんな時間に来て、親には何も言われないのか?」
「えぇ〜、何それ。質問から質問で逃げる気?」
飲みかけの缶を傾けると、炭酸が唇の上をチリチリと這った。「というより、今更でしょ」
「……」
「ねぇ。……分かった、分かった。言えばいいんでしょ」
仕方がないなぁといった風に大袈裟に肩をすくめると、耶夜は自分の缶を開けた。プシッと空気が抜ける。白い喉が上下して、少しの間緊張した空気が流れる。
「実はね、耶夜は天使なの」
「っ!?」
危うく吹き出すところだった。
鼻に入った炭酸が痛い。
「羽をもがれて、飛べなくなっちゃったの。だがら帰る家もないのよ」
「はぁ!?」
「うっそぉ」
「……っ」
「親なんてモノいないよ」
それは、いつもとは違う、耶夜の大人びた顔。
耶夜の携帯についた羽の鈴が、風に揺れて鳴っていた。
「……その羽は?」
「そうやって、質問から逃げる気だなぁ?」
「随分大切そうにしてるけど」
「あぁ、あぁ、いいわよ。少しの間だけ付き合ってあげる」
そう言うと、耶夜は羽のキホールダーを手に取った。
「このキーホルダーはね、母の形見よ」
きらりと、月光を反射する。
「言っておくけど、嘘じゃないからね」
「分かるよ」
自分でも、疑われるようなことをしてきたという自覚はあるのか。母親が亡くなったことをわざわざ強調しなくても……。
「前に言ってた、奪われた物って?」
「ぶぶー。質問コーナーは終了。締め切りました〜。さて、睦の番だよ〜」
もう答える気はないのか。
耶夜は大きくバツを作ると、これ以上答える気はないと、牽制してきた。
「私は何に手を伸ばしていたでしょうか。外れたらアボカドチョコだから」
実は、答えはもう、質問されたあの時から出ていた。
「さぁな」
「……何それ」
「知らないよ」
ひくりと、耶夜の顔が引きつり、凍りつく。
「何それ、何それ! ずるい!!」
缶を打ち付けながら、耶夜は憤りを露わにした。打ち付ける度、甘ったるい匂いが広がる。
硝子玉のような碧い瞳の瞳孔が、散大しているのが見えた。
「約束と違うじゃない。狡い、狡い、狡い」
「誰が……」
狡い――誰がだ。嘘を吐いて、逃げて、答えを人に求めて。
「睦は狡い!!初めから、答える気なんて無かったんでしょ。睦もあいつと同じだったんだ」
最初から狡かったのは自分ではない。
「約束も何もなくて、無視して、もう、やだ!!」
「狡いのは、耶夜だろ?」
「え?」
缶を打ち付ける手が止まった。
「自分が考えるのが嫌で、人に押しつけてる」
「……違う」
「本当は気がついているのに、気がつかない振りをしている」
「違う。何、言ってるの?」
そう言う耶夜の声は震えていた。
「俺がこの問題を解くことは、一生ないよ」
答えなんて、初めから睦に答えられるわけがないのだ。
「答えは、耶夜の中にあるんだから」
「私の中に……」
「本当は、知ってるんだろ。父親が何のために、働いていたのか」
「っ!? 睦、あなたは……」
少し、喋りすぎたか。"これ"は、今話すことではない。
「あの黒のベールの向こうに何があるかなんて、俺は知らない。耶夜がその向こうに何を期待してるのかもな」
炭酸が弾け、抜けていく。
「ベール向こうに何があるってんだ? 目の前のことから目を背けて、勝手に期待して」
「煩い!」
きんっと甲高い声が耳を刺した。白い顔はいつも以上に白く、いつも以上に人形のようだった。
「目の前の事に目を向けてない? さっきから知った風に。睦が私の何を知ってるって言うのよ!!」
「ビルの向こう、見てみるか?」
「え……」