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 帰宅したのは、午後九時半過ぎ。

 塾の友達と教室に残って遊んでいたので、遅くなってしまった。

 ある子が持ってきたタロットカードがきっかけで、最近は、占いや心理テストがはやってる。手相や四柱推命、カバラー数秘術など、とどまるところを知らない。

 かくいうわたしも、ちゃっかり占ってもらってしまった。なにを占ってもらったのか、結果は、などは……ひ、み、つ。

 えっ、別にそんなの知りたくない、ですって? 失礼しちゃうな! こういう時は、ご愛想でも知りたいなあって言っておくもんなの。

 お向かいの家のゴールデンレトリバーが、わんわんわんっと吠えたてるのを聴きながら、

「ただいまー」

 わたしはレイの家の玄関を開け、靴をタタキのすみっこへ揃えて脱いだ。仮の我が家とはいえ、レイの家に帰ってくるとほっとする。

 煌々と明かりのついたリビングでは、ソファに座り、レイが新聞のスクラップの整理をしていた。ソファの周りには、本のタワーが復活してた。あれだけ言ったのに本棚に戻せてないのが気になるけど、まあ合格としましょう。朝の状態よりは百倍マシだ。

「おかえりー。夕飯は食べたの?」

 眼鏡をかけたレイが、インデックスだらけのファイルをローテーブルに置いて、訊いた。

「うん、コンビニのおにぎり……でもちょっと、おなか空いちゃった」

「なら、台所におかずが余ってるよ」

 レイが買ってきたお弁当の残りかな。こんな時間にポテトチップスをかじるよりは、お料理のほうがまだ健康にはいいよね。

 ぐううーっと、おなかの虫が鳴った。

 腹ぺこって、切ない……。「敦子はまだまだ、色気より食い気だね」という、さくらちゃんの辛辣な指摘を思い出す。食べた分はちゃんと運動してるし、高校生か大学生になったらママみたいに色っぽくなる予定だからいいんだもん。

 なにがあるだろうとわくわくしながら、台所の冷蔵庫を開く。

 あれ? たいしたものが入ってない。

 冷凍庫にも、それらしいタッパーや器が見つからない。そのうえ、朝に冷蔵庫を見た時よりも材料が減ってる気がする。

 ガスコンロには、お鍋がひとつ。

 そんなわけない、よね。

 わたしはフタを取った。

 予想に反して、お鍋の中には、美味しそうな肉じゃががあった。

「レイ! これ、自分で作ったの?」

「あー……えっとね、ネオンが……」

 レイは大きな切り抜きを読みながら、もごもご言ってる。

 はいはい、あの霧島さんが来てくれたわけね。

 背の高い、キレイな金色の髪をした霧島さんを思い浮かべる。

 でもこれで、最悪の事態は回避されたみたいだ。

 わたしだったら、心底憎かったり脅迫しようという相手に、ご飯なんか作ってあげないから。

「霧島さんって……やさしいねえ?」

 当たり障りのない訊き方をしてみた。

「んー、そうだね。逆に、やさしくない牧師のほうが珍しいんじゃない……」

 輪ゴムを器用にヘアバンド代わりにしているレイが、そんなことより面白い記事に夢中だとでも言うように、上の空に答えた。

 ま、いっか。ありがたく、おこぼれをいただくとしましょう。

 まずは自分の部屋で、堅苦しい制服をTシャツと短パンに着替えた。それから温め直したほくほくの肉じゃがをダイニングでいただき、食器を片付けて、わたしは再び自室にしている和室へ引っ込んだ。

 板張りの廊下をどんどん進んだ、レイの寝室兼仕事場の横、つまり一番奥の部屋。きっちり畳三枚分のこの部屋が、夏目邸でのマイ・ルームだ。

 狭くないか、って?

 全っ然。「立って半畳、寝て一畳」ということわざがあるでしょ。勉強するためのレトロな文机、座布団が敷けて、それにお布団を敷くためのスペースがあれば問題なし。

 服はわたしが本当に住んでいるマンションの部屋に置いてあって、必要な分だけこっちへ持ち込み、押入れの中の衣装ケースに入れている。マンガやCDは、もともとこの家にレイの私物がたくさんあるから、わたしのものを持ってくる必要はない。

 わたしは使いこまれた文机の前に座り、デスクライトをつけた。

 よーし、さくらちゃんに渡したメモを、もう一度書き起こしてみるか。

 霧島さんが悪だくみをしているとは、思いたくない。だから今は好奇心というよりは、霧島さんは悪い人じゃない、って自分を納得させるために、どうしても暗号が解きたくなっちゃった。

 雑記ノートに、電車の時よりは苦労せずに、問題のメールの内容を再現できた。

 ここから、一体どうしたものかな……。

 単純に、五十音の表で置き換えはだめだった。

 じゃあ、アルファベットは?

 考えるまでもない。アルファベットは全部で二十六文字しかないんだから、この数字にアルファベットを順番に当てはめるという暗号だったら、一通目のメールにある「30」がアウト。

 五十音の表以外に使えそうなもの、ねえ。それはレイが使えるものじゃなきゃだめ。使えなきゃ、解けないもんね。

 そうだ! ケータイがあるじゃないの。

 ケータイのひらがな入力で、この数字を打つっていうのはどうだろう。鞄からケータイを取り出し、やってみた。

 「あああわあはあさわあ」。

 不気味な叫び声みたい……。この最初の三文字を、五十音で七つずつ前へずらし、また後ろにずらし、無駄な努力に笑えてきた。やっぱり意味不明な言葉しか出てこないや。

 他には、そうだな、パソコンとかワープロのひらがな入力でその数字を打つっていうのはどうだろう?

 わたしは押入れから、レイがパソコンに買い換える前に使っていたワープロを引っ張り出し、キーボードを確かめた。

「1 1 10 1 6 1 30 1」は、「ぬぬぬわおぬあわぬ」。

同じく五十音順で前や後ろにずらしてみたけど、わたしの知っている言語にはならなかった。

 ワープロは、再び押入れにしまった。

 だめだー、完全にお手上げ! さっぱりわかんないよーっ。

 さくらちゃんの言葉を信じるなら、「根気を使う」みたいなことを言っていたっけ。

 頭を使わないで、根気で、暗号なんか解けるの?

 それに、二通目の「…7 7 7」が引っ掛かる、とも。

 「…7 7 7」ねえ。連想するものといえば、スロットマシーンくらいだな。

 この7が三つ並んだスリーセブンの由来を、さくらちゃんから聞いたことがある。

 発祥は一九三〇年代のアメリカと、意外に新しい。どこやらの野球チームが、ゲームの七回で奇跡的な逆転を連発したことから、もともとラッキーな数字の「7」を三つも並べてスリーセブンとしたんだって。

 敵チームにとっては、アンラッキーな数字だよね。

 野球も多分、関係ないか。レイはスポーツにはとことん疎い。オリンピックが何年に一度開催されるか、わたしに聞いてきたくらいだから。

 暗号と野球は関係ないだろうに、スリーセブン。……なんで?

 わたしは腕組みをして、そのまま後ろにばたーんと倒れた。

 これは畳敷きである和室の特権。洋室でやると、たんこぶができちゃうから要注意だ。なんなら、このまま目を閉じて夢の世界へ行けるのも和室の醍醐味。

 今日は疲れちゃったな。塾で抜き打ちテストはあるし、暗号解読は進まないし、もう瞼が鉛のように重く――ぐー。

「あっちゃーん」

「う、わわわっ」

 襖がするすると開き、隙間からレイの目が覗いた。わたしは跳び起きて、思わず正座をした。

「び、び……っくりしたー」

「ふふふ、なにその驚き方。ラブレターでも書いてたの? お風呂、そろそろどうかと思って」

「ああ……じゃあ、レイが先に入って。あとでわたしが掃除をしておくし」

 レイは、お先にいただくねーと言い、ウサギ柄の襖をまたするすると閉めた。

 驚いた。

 心臓が、ばくばくしてる。

 洋室と違ってノックのしようがないっていうのは、和室の難点かな。


***


 わたしのケータイには、パパとママから毎晩交互に電話がかかってくる。

 今夜は寝る前に、ママから電話がきた。

 久しぶりに、ママもわたしもたくさんおしゃべりをしたい気分だったみたい。春の新ドラの話や、ママの仕事のことやわたしの学校のこと、パパのこと、新しいクラスメイト数人と緑地公園でバレーボールをする計画を立てていること。それに、レイの近況にも触れた。

 レイの話題になると、どうにも気がかりなのが暗号だ。頭の中にぐるぐると、霧島さんのメールにあった数字が回る。

 ママにも訊いてみようか?

 とはいえ、どう説明したらいいんだろう。レイに宛てた霧島さんからのメールをちょっとした事故で読んでしまって、それをさくらちゃんに相談して、わたしも一生懸命考えてるんだけど……って正直に話せば話すほど、なにを余計なことに首を突っ込んでるの、と叱られそう。

 わたしは隣の部屋にいるレイに聞かれないよう、声を潜めた。

「ねえ、ママ。……暗号のメールってもらったことある?」

「あるわよ」

 ママは即答した。

「えっ、どんなだった? 誰からもらったの?」

「たくさんあるわよ。仕事で、たまに文字化けしたメールをもらうでしょう、それに英語の苦手な人が無理をして書いてくれた英文のメールも読めないでしょう」

「それ、暗号っていうか……」

「あら、暗号よ。考えなきゃ内容がわからないもの。そうそう、最近だとパパからも送られてきたわね」

「パパから?」

 にこにこしたパパの顔が思い浮かぶ。

「ママね、三日前までは何本も取材と締め切りが重なっちゃって、すっごく忙しかったのよ。それなのにパパ、『来月はエリさんの誕生日だけど、レストランの予約はどうしますか』だとか、『プレゼントは何がいいですか? 指輪のサイズっていくつでしたか?』とか、まあ次々にメールを寄越すの。それどころじゃないから返事せずにいたら……」

「いたら?」

「ちょっと待ってね。パソコンに来てたメールだから、探すわ」

 カタカタとキーボードを打つ音が、かすかに聞こえる。

「ああ、あった。『明後日、そだまれしなくてもいいですか?』だって。意味わかんないでしょ。『そだまれ』って一体なんなの? 日本語ではないし、ぱっと思いつく限り知ってる言語でもない。それは明後日に、しなきゃいけないことらしい。まったく心当たりがないし、どんなに考えてもわからない。それで、つい忙しいのにパパに電話したのね。そうしたら、『特に意味はない造語ですよ。変なメールを送れば返事をくれるかと思って』だって」

「なにそれー」

 笑ってしまった。お母さんの気を引きたくてわざと悪さをする、小さな男の子みたい。パパってしっかりしてそうで、コドモなんだ。

「ママ、相当怒ったでしょ」

「ううん、怒ってないわよ」

「うそー、意外」

「逆に、『ごめんね』って謝ったわ。パパに、そこまでさせちゃったことに」

 ママはしんみりと言った。

「暗号自体には意味のない暗号も、あるってことね。その暗号を作った人の気持ちを解かなきゃいけない暗号……ハッピーだったり、プラスの気持ちはわざわざ暗号にしないわ。暗号にするのは、伝えにくい、でも伝えたい、そういう気持ち。家族にそんな思いをさせたことが、申し訳ないと思ったわ」

 そんな考え方もあるのか、と感心した。ママって本当に家族思いだ。だから離れていても、わたしもパパも、ママのことが大好き。世界で一番素敵な女性だと思ってる。来月のママの誕生日に作るズコット、最高に美味しくできるよう頑張って練習しようっと。

「ところで、敦子ちゃんがもらったの? 暗号のメールとやらを」

「うーんと、わたしじゃないんだけど」

「じゃあ、レイね。さしずめ、ケータイが同じだから間違えて見ちゃった……ってところでしょ」

 するどいっ、と答えそうになり、自分の口を手で塞いだ。

 ママは電話の向こうで、楽しそうに笑った。

「ふふっ、図星かしら。敦子ちゃん、他の人のメールを見るなんてマナー違反……なーんて細かいことは言わないわ。それくらいはちゃんとわかってるわよね。ママは、可愛い敦子ちゃんのことを信じてるから。でもね、こればかりは言わせて。――レイに構ってる時間なんかあったら、早くカレシを作りなさいっ」

 わたしはげんなりした。

「もー、またその話。そんな料理を作るみたいに簡単にできるものなら、とっくに作ってるってば!」

「あら、簡単よ。敦子ちゃんがちゃんと周りを見れば、パスタを茹でる間にでもできちゃうわ。いい? 敦子ちゃん。恋愛って本当にステキなものよ。世界が、それまでの数倍輝いて見えるの。どんなささいなことでもハッピーに思えるし、悲しいことがあったら、その人と分かち合って乗り越えられる。その人からたくさんのことを学んで、人間的にも成長できる。なにを迷う必要があるの。手近な男の子と、さっさとくっついちゃえばいいのに」

 はいはい、と聞き流しつつ、さっきのママの言葉を心の中で繰り返した。

 暗号を作った人の、気持ちかあ。

 直接訊いてみたい。霧島さんに。

 霧島さんはどんな気持ちで、暗号を作ったの?

 レイに、なにを伝えたかったの?


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