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 結局さくらちゃんに、朝のメールの話の続きを言い出せないまま、放課後になった。

 ババ抜きはジョーカーがもう一周し、久田くんが負けた。

「もしおれが死んだら、棺には『きのこの山』を入れてくれ……『たけのこの里』を入れたら化けて出るからな。あと、今週のジャンプも頼む」

 と言い残し、職員室に単身乗り込んだ久田くんは、長らく戻って来なかった。

 様子を見に行こうか、とみんな本気で心配しだした頃、ようやく久田くんが興奮して戻ってきた。

 横山先生、今年結婚するんだって!

 数十回におよぶお見合いが実を結び、三つ年上の看護師さんと、秋にめでたくゴールインするそうだ。せっかくだから、なにかお祝いをしようという話になった。寄せ書きの色紙だけじゃ芸がない。わいわいと意見を出し始めたところで、わたしは残念ながらタイムオーバー。塾に向かう時間になっちゃった。

「――っていうわけなの。どうしようかなあ、ねえ、なにかいいアイデアはない? さくらちゃん」

「ない。というか横山先生のプライベートに関心がない」

 隣に座ってるさくらちゃんが、素っ気なく言った。

 座ってるといっても既にここは教室じゃなく、塾へ向かう地下鉄の電車の中だ。

 窓の外には、眺めていてもなんにも面白くない真っ黒な世界が広がってる。激しかったり、そうでなかったりする震動に、不規則に身体が揺さぶられる。

 いくらなんでも、さくらちゃんとは塾まで一緒に通ってるわけではない。レイの件をいつ話そうか迷ってたら、帰り際に「僕もN駅前の本屋とかに用事がある」と同じN駅行きの地下鉄に乗ってきてくれたというわけ。

「さくらちゃん、冷たい。レイに、あることないこと言いつけてやる」

「卑怯だな、ぼくが尊敬してやまないレイ先生の芳名を出すなんて。……当たり障りのないアドバイスしかできないよ。教師相手にお金をかけられないとしたら、かけられるのは手間くらいしかない。究極に手間のかかることでもしてみたら」

「たとえば?」

「そうだな……結婚は秋なんだろ? 体育祭の季節だよな。全校生徒がグラウンドに出る行事だ。横山先生になにか理由をつけて校舎の屋上にあがってもらって、全校生徒で『おめでとう』の人文字でも作って、めでたい歌を合唱したら盛り上がるんじゃない? ぼくはその日、必ず休むけど」

「――それ、すごくいいっ!」

 思わず大声を出したら、同じ車両の乗客に、一斉に振り向かれてしまった。すみません。電車内では声もマナーモード、と。

「来週、みんなに提案してみる。なんか、すっごく楽しみになってきちゃった、横山先生の結婚。いいよねえ、結婚式。いいよねえ、新婚旅行。いいよねえ、新居での新婚生活……」

「敦子の想像と、現実はかなりかけ離れてると思うけどね」

「なによー。知ったような言い方しちゃって」

「ぼくが今どこに住んでると思ってるんだよ。新婚生活じゃないけど、他人との共同生活なら経験中だ」

 そうだった。

 さくらちゃんのお父さんは、これがうちのパパとママに負けず劣らず多忙な人で、ほとんど日本に帰ってこない。そのためさくらちゃんは、おじさんの大親友である小児科医の恵裕介先生宅に居候してるんだ。

「生活をする上でのこまかい価値観のアンマッチは必ずある。いくら似た者同士だって、別々の家庭環境で育ったんだ、思考回路や行動が一から十まで同じなんてありえない、絶対どこかずれてくる。ぼくとめぐ兄のように結構付き合いが長い男同士でも、随分とお互い歩み寄ったつもりだけど、いまだにそれは発生してる。男女ならなおさらだよ。それを『仕方がない』で済ませない場合のストレスは、想像しただけで胃が痛いね。離婚しなきゃ半永久的に続くんだから」

「レイといいさくらちゃんといい、どうしてわたしの周りはそう……レイとはまた違った方向で、夢がないなー」

「レイ先生はなんて?」

 興味津々に訊かれた。わたしは朝に交わしたレイとの会話を、ざっくり話した。

 現実主義者の幼なじみは噛み締めるように聴き、数度頷いた。

「含蓄のあるお言葉だ。一心不乱に打ち込まなきゃ何事もなしえない、なしえた者はあとに続く者のために、それに邁進する義務が伴うということだ。ぼくはそう解釈した。大変勉強になる」

「わけわっかんない。どこが大変勉強になるのよ、レイなんか、小説以外のことに無関心すぎるだけじゃん。せめてノーメイクにジャージ姿は卒業して、ちょっとだけオシャレに興味を持ってくれたらなあ……そこそこ美人だし、カレシでもできそうなものなのに。なんでも面倒くさいって一言で済ませちゃうから、恋愛も結婚も別にいい、ってなるんだよ。レイ、結構寂しがり屋のくせしてさ。あ、そっか、さくらちゃんは一人がデフォだから寂しいとは思わないか」

「そんなことはない。ぼくは敦子と――」

 さくらちゃんは、ちょっと言い淀んで、

「だからその……レイ先生と住むのは、楽しそうだと思う」

 と耳を疑うようなことを言う。

「冗談でしょ。さくらちゃん、それ、本気?」

「うらやましいよ。あのレイ先生と一緒に暮らしてるだなんて。敦子には当たり前すぎてわからないんだ。全国の中学生に嫉妬されてるぞ」

 わたしはさくらちゃんの言葉に、首を傾げた。

 あのレイと、暮らしたいって? 全国の中学生が?

 姫宮レイっていうペンネームの発案者は、わたしのママだ。

 レイ――その時はまだ夏目みつる――の初代の担当さんはレイの雑誌デビューにあたり、レイ本人ではなく、当時、既に姫宮千花名義でジャーナリストとして活動していたママにペンネームの件を相談したそう。

 ママは、迷うことなく「姫宮レイでいいわ。あの子、文章を書く以外、なーんにもできないから。レイは、ゼロって意味ね」と宣った。

 いやーな由来だけど、当たってる。

 わたしが夏目家にいる間にしなきゃいけないことといえば、炊事に掃除、洗濯、「肩痛いよー」と騒ぐレイをなだめてマッサージ。

 機械類の操作が全くできないレイのために、HDDに観たい番組の録画。録画した番組の再生。DVDを借りてきたら、その再生。FAXの送信。パソコンがフリーズしたら、何回教えても覚えようとしない強制終了。果ては「何ワットで何分温めていいか書いてないスーパーのお惣菜」を、てきとうな時間に設定して温める電子レンジの操作など、エトセトラエトセトラ。

 目を離した隙にいつの間にか部屋が荒らされていくため、床に置いてある色んなものにつまずいて転んでばっかのレイに、傷の手当……数え上げたらキリがない。

 価値観だのなんだのって、考えてる暇なんか、ない。

 花嫁修業を志望の子なら、いい経験になるかな?

「それより敦子、書けた?」

 さくらちゃんが、せかすように言った。

「待って待って、あと少しだから……」

 わたしは持ってるシャープペンのおしりで、頭を書いた。

 朝に一瞬だけ見た、レイに送られてきた謎のメールを、記憶を頼りに書き起こしてるところ。

 さくらちゃんはうちのレイの大ファンで、著作を読み込むばかりか、インタビューの切り抜きも収集してるという熱の入れよう。わたしを通じてファンレターを渡してるっていうのは、さくらちゃんのことね。

 そのレイに謎のメールが届いたとなれば、当然さくらちゃんはじっとしていられない。事情を聞くやいなや、ただちにそのメールを正確に再現するようわたしに命じた。

「でも、こうやってレイに来たメールの解読をするのって、マナー違反だよね……」

 心配になったことを口にしてみた。

 好奇心でこんなことを始めちゃったけど、自分宛のメールを他人に読まれたくないっていう心理は当然だし、また、勝手に読んじゃいけないっていうのがルールだ。

 さくらちゃんは、他の乗客には聞こえないような小さな声で、

「確かにね。でも万が一、不穏な内容だったら? たとえばその人がレイ先生を脅していたり、よくないことに巻き込もうとしているんだったら、見逃すことはできないだろ」

 可能性はなくはない、と言った。

「それに『心配は猫を殺す』という成句もあるしね。心配のもとは、できるだけ取り除いた方がいい」

「キュリオシティ・キル・ザ・キャット。『好奇心は猫を殺す』っていうことわざも、知ってる?」

 さくらちゃんは聞こえなかったフリをした。都合のいいやつだ。

「なんの問題もない単にプレイベートなものだったら、ぼくや敦子以外に広めなきゃいいんだよ。一切、忘れてしまえばいい。それにぼくは言い触らせるような仲のいい友達なんか、いないしね」

 忘れてしまえばいい、っていうのは一理ある。さくらちゃんに仲のいい友達がいないかどうかは、疑問だけど。わたしのあだ名を広める人脈は持ってるくせに。

 それに昼間の八木くんのことだって、――円ちゃんのことだってある。

 四六時中、一緒にいるわけじゃないから、さくらちゃんが実は誰と仲良くたって驚くことじゃないか。

「むしろ敦子の方が、口は軽そうだ」

 さくらちゃんはにやにやした。

 うるさいよ。わたしはおしゃべりが好きだけど、無神経に言い触らしたりしないもん。

 うーん、それにしても。

 あの人がレイを脅迫するかなあ?

 あの人――霧島ネオンさん。

 霧島さんは、近所のプロテスタント系教会の牧師さんだ。

 牧師さんって、「白いお髭の生えた、しわくちゃ顔のおじいさん」っていう、まるでサンタさんのようなイメージがない?

 ところが、会ってみてびっくり。霧島さんはレイより少し年上の、三十二、三歳くらいかな。まだ若い男の人なんだ。しかも、モデルさんみたいに背が高くて格好いいの!

 ただ、ちょっと変わった人だった。

 金髪にヒスイを思わせるグリーンの目。目の色は本物のようだけど、髪は「染めました」って本人が言ってた。教会にいる時も、いかにも牧師さんって感じのかっちりした服装じゃなく、夏なんかはTシャツに膝丈の短パンだった。あまつさえ、首からタオルをかけちゃったりしてる。レイといい勝負のラフさ加減だ。

 その半袖からカラフルな二の腕が見えた時には、結構ショックだった。「若い時はやんちゃでした」とあっけらかんと言った時の頬笑みは、いかにも牧師さんらしく、とても穏やかでやさしいものだったけど。

 レイとは取材で知り合ったんだって。キリスト教系の学園を舞台にした小説を書くにあたり、霧島さんにキリスト教の教義とかを教えてもらったらしい。今ではレイは暇があると教会のお仕事を手伝いに行ったり、霧島さんがレイの家を訪ねて料理をしてくれたりと、案外親しい。

 レイがあんなふうじゃなくって、霧島さんが牧師さんじゃなかったら、いい感じのカップルになってたんじゃないかな、って思う時がある。なにせレイは執筆にかかりきりで恋愛に無頓着だし、牧師さんは恋愛禁止じゃなかったっけ? とはいえ、二人が作家と牧師じゃなかったら、出会うこともなかったんだけど。世の中、うまくいかない。

 さくらちゃんもわたしに連れられてしぶしぶ、教会の青年会主催のミニコンサートを手伝ったことがあるので、霧島さんとは面識がある。

 まさかあの霧島さんが……?

 でも、若い頃はやんちゃだった人だし、実は今もやんちゃかもしれない。わたしが霧島さんと直接顔を合わせたのは三、四回くらいしかないから、あの人の素顔を知ってるとはとても言えないんだよね。

「――えっと、できたっ!」

 わたしは書き終えたメモを、さくらちゃんに手渡した。


[受信メール]

解けても、わからないでしょう。おやすみなさい。…7 7 7


[受信メール]

1 1 10 1 6 1 30 1


[送信メール]

どういう意味?


「完っ璧。このスリーセブンの前の点々の位置まで、一言一句間違いないよ。わたしが読んだのは、この順番ね。うん、二番目のを『伊藤いむい、去れい』って思ったもん」

「『伊藤』じゃなくて『いいとう』じゃないか」

「こまかいことは、いいの。とにかく合ってるんだから」

 がたん、ごとん、と地下鉄は揺れながら走る。目的の駅まではあと五分足らずだ。

 わたしからシャープペンを借りて、さくらちゃんは、

「受信や送信した時刻は、わかるか?」

「うーんと……一番新しいのが、遅い時刻だなあって思ったから、たぶん二十四時近く。その前のは、最新のと、かなり時間が離れてたのを覚えてる。送信メールの時刻までは、見てないや」

「ふうん」

 わたしの言ったことを、走り書きした。

「こういう短文の場合は、チャットみたいに交互に送り合うことが多いよな。あとは文脈から推測して……」

 さくらちゃんはわたしがしたためた横に、きったない字で次のように改めた。


[K氏]

1 1 10 1 6 1 30 1


[レイ先生]

どういう意味?


[K氏]

解けても、わからないでしょう。おやすみなさい。…7 7 7


「この順番。もう一つ、こういうパターンが考えられる」

 さくらちゃんはメモの裏に、新しく足した。


[K氏]

1 1 10 1 6 1 30 1


[レイ先生]


[K氏]

解けても、わからないでしょう。おやすみなさい。…7 7 7


[レイ先生]

どういう意味?


「ここのコメ印に、敦子が見てないレイ先生の送信メールが存在してた場合。でもまあ、最初のパターンの方が、しっくりくるかな」

 言われてみれば、納得。おかしなことには知恵の働くさくらちゃんだ。

 さくらちゃんは、メモを睨んだまま黙った。

 わたしもさくらちゃんの真似をして、じっと考え込む。

 わたしは名探偵じゃないから、暗号なんて解いたことはない。けど、レイの小説にちょくちょく出てくるし、コナンとか金田一とかのマンガでも見たことはあるから、どういうものかとか、いくつか解き方も知ってはいるつもり。まずは単純に、数字をひらがなに置き換えてみよう。

 ひらがなの一番目は「あ」。十番目は「こ」、六番目は「か」……。

 全部つなげると「ああこあかあほあ」。

 明らかに違うわ。これ、何語?

 おっと、ここで諦めちゃいけなかった。

 霧島さんからの二通目の、「…7 7 7」が「更に、七つずつずらして読め」という指示だったら?

 「あ」を後方にずらして、――「く」? 「こ」は「ち」になる。ずらす指示は、「7」が三つ並んでるだけだから、三文字分のここまで。

 つなげると「くくちあかあほあ」? 何語だろう……。

 同様に、前にずらしてみる。

 つなげると「りりうあかあほあ」。

 わたしはがっくりと項垂れた。置き換える方法はダメみたい。大体、これ、元々の数字の羅列がおかしいよ。一文、もしくは一単語を表すはずの数字の列の中に、「1」が五個もある。「1」がどんな文字に置き換わるにしても、それらはみんな同じ文字のはず。そんな不思議な言葉、日本語でも英語でもあるのかなあ?

 やがて、さくらちゃんがつぶやいた。

「『…7 7 7』が引っ掛かる」

「え?」

「そうか、……頭より根気を使うタイプかもな、これは」

「一体どういうこと? スリーセブンが、どうかした?」

「敦子」

 さくらちゃんは、わたしの困惑をよそに、突然こんなことを質問した。

「レイ先生が今執筆してる、もしくは執筆しようとしてる原稿って、どんなの?」

「うん? キリスト教とユダヤ教がどうしたとかいう内容だったような……前に出した学園モノの続編みたい。それでちょっと前まで、また取材しに霧島さんの教会によく行ってたみたいだよ」

「そのあたりで探ってみるか」

 車内アナウンスが、目的地への到着を告げた。総合駅なので乗客のほとんどが立って、下車の準備をし始める。

 さくらちゃんはシャープペンをわたしに返し、メモを制服の胸ポケットにしまった。

「着いた。ほら、行くぞ」

 電車が停車すると人ごみに紛れ、開いたドアからさっさと出て行ってしまう。待って、わたしにも説明くらいしてよ! わたしはコンコースへの階段を上りかけたさくらちゃんの腕を、ぐいっと引いた。

「待ってよ、さくらちゃん。まさかわかったの?」

「いや、まだ。でもヒントは掴んでる」

 「宿題やってきた?」という問いにでも答えるように、さくらちゃんはあっさりと言い放った。

 さくらちゃんって――今更ながら、ものすごく頭いい?

 しかもヒントを掴んでいながら、平然としてる。わたしだったら、ヒントを掴んだだけでも舞い上がっちゃうのに。大人なんだな、さくらちゃん。こういうところはぜひ見習わなきゃ。

「そういえば、敦子」

 さくらちゃんは歩調を緩めず、ちらりと振り返った。

「なに?」

「……その、堀江のメールアドレスって知ってるか」

「え」

 階段の途中で、思わず立ち止まった。周囲のざわめきが一瞬、消えた。

 堀江って、堀江円ちゃんのことだよね。

「なんで……」

「いや、……知ってたって教えるわけないか。いいよ、なんでもない」

 そう、とだけ返事をした。

 「言いたいことがあるなら、はっきり言ってよね!」って、いつもみたいに返すことができなかった。さくらちゃんから、例のオーラが出てた。――この件に関しては決して触れてくれるな、と。

 本当は訊きたかった、すごく。ああ、違う。正確には、訊きたいけど、訊くのがなぜか怖い。どうして教室で円ちゃんを見ていたの? どうして円ちゃんのことを、そんなに気にしてるの? 

 内心もやもやしながら、さくらちゃんと改札で別れ、塾へ向かった。


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