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 朝日がリビングに差し込んでる。開け放った掃き出し窓からは時折思い出したようにそよ風が吹き込み、レースのカーテンを揺らす。

 ちちち……。

 玄関先で、小鳥が可愛らしく鳴いてる。

 わたしの目の前のダイニングテーブルには、甘酸っぱいイチゴジャムを塗った焼きたてのトースト。熱々のカフェオレは、お気に入りのマグカップに注いだ。

 さわやかな、春の朝。

 そう、さわやかな、はず。

「うわー、崩れるー。困ったなあ」

 すぐそばの本棚付近から、どさどさどさっ、という派手な音。

 ああ、またやってるし。

 さっきからこのセリフを連呼している同居人のせいで、ちっともさわやかさを満喫できないよ……。


 わたしは江川敦子、名古屋市立汐ノ路中学校に通う中学二年生。

 好きな科目は英語。得意な科目、と言えないところがつらいかも。いつか世界中の人と仲良くなれるよう勉強中!

 趣味は、友達とのおしゃべりと、ソーシャルゲームと、お菓子作り。近々、ズコットっていうイタリアのお菓子に挑戦するつもり。来月にママの誕生日があるから、それまでにおいしいズコットが作れるように練習しなきゃ。

 長所はいつでも元気なところ。短所は、たまーに暴走しちゃうところ。やると決めたら絶対やる、好きなことはとことん追究する。熱中しすぎて、周りが見えなくなっちゃうことも。クッキーとかのお菓子を作りすぎてクラス中に配ることになるのは、デフォね。

 なになに? そんな説明では、どんな女の子か具体的に想像できません、ですって?

 言っときますけど、体重やスリーサイズは教えられないからねっ!

 えーと、背は低めね。適当な言葉があるとすれば、とーっても不本意ながら、チビ。毎日牛乳を飲んで、夜だって早めに寝てるのに、どうしてわたしの身体は成長ホルモンの出し惜しみをするんだろう?

 髪は、ママ譲りのブルネットの癖毛を肩より長めに伸ばし、生徒手帳にある通り「華美ではない」ゴムで二つにしばってる。

 顔立ちは、芸能人の誰々に似てるって言えるほど、美人じゃない。ただし友達から「あっちゃん、この角度だとアイドルのあの子にめちゃ似てる」って言われて照れたり、寝る前に鏡と睨めっこして、「うん、確かにこの角度が……」って思い込むことはできてる。

 ん? なになに? フツーすぎてつまらない、って?

 悪かったわねえ、フツーの女の子で。

 同居人があんまりフツーじゃないから、わたしがフツーくらいで、釣り合いがとれていいの。

 その同居人は床に散らばった本を拾い集め、ぶつぶつとつぶやいてる。

「どうしてうちは頻繁に、昨晩まではあったものがなくなるのかな。もうこれは神隠しとしか思えない。一度、神主さんかエクソシストにお祓いしてもらったほうが」

「あのね、レイ。どう見ても、お片付けができてないのが原因だから」

「おそるべし四次元。新しい担当さんにもらったおまんじゅうも、きっとそっちの世界に吸い込まれちゃったに違いない!」

「聞きなよ、姪っこの話を。ちなみにおまんじゅうはわたしが捨てました。カビてたから」

「えー、せっかく大事にとってあったのに。カビてたって、一皮むけば中のアンコは無事だったかもしれないじゃない。まったく、あっちゃんは姉さんと同じでなんでもかんでも捨てたがる……わあっ、崩れるー」

 つまずいて、また別の書籍タワーをバベルの塔のようにバラバラにしてしまった、この人。

 ふにゃふにゃの癖毛は、わたしと同じブルネット。

 わたしとそんなに変わらない、低めの背丈。

 なによりの特徴は、わたしとうりふたつのベビーフェイス。ろくにお化粧もしないものだから、今年で二十七歳になるというのに、まだ高校生に間違われるらしい。

 わたしはうんざりして、ため息をついた。

「もう、ここは、わたしが帰ってきてから掃除してあげるから……これ以上、リビングをぐちゃぐちゃにしないで!」

「うう、でも、今日中にあげなきゃなんない原稿があって……確かこの辺りだと思ったんだけどなあ。この『アフロ・アジア語族』山の七合目から八合目にかけて辺り……行方不明一冊、ヘブライ語辞典……」

 レイはわたしの制止もおかまいなしに、のろのろと探索を続ける。

 しょうがない叔母さんだよ、まったく。

 わたしは制服のスカートに埃やシワがつかないように気をつけながら、レイの探し物に付き合うことになる。

 この人が同居人、姫宮レイこと夏目みつる。ママの妹、つまりはわたしの叔母さんにあたる人だ。両親が揃って多忙なわたしは、パパやママの仕事が忙しい時期は、古今東西の本が溢れかえるレイのこの借家に住んでる。

 だからレイは仮の保護者――のはずなんだけど、どう考えてもわたしがレイの保護者なんだよね……。

 まずレイは、料理ができない。

 見ての通り、整理整頓や掃除もできない。

 洗濯も、いちいち柔軟剤を選んだりアイロンがけをするのが面倒みたいで、いつも同じようなジャージを着用。外出する時は、新しいジャージを着用。寝間着は、寝間着用のジャージを着用。体育の先生ばりのジャージ率だ。

 趣味は読書と、お散歩と、庭の草むしり。

 座右の銘は「忘れそうなことは、メモしておく」。……座右の銘っていうか、ただの生活の知恵でしょ、それ。

 しかもよく、用事を書いたメモをなくして半泣きになっているので、役に立ってないみたい。

 こーんなレイができること。

 「作家 姫宮レイ」として小説を書くことに限る、かな。

 レイって、わたしたち中学生や、高校生のお兄さんお姉さんにとってはかなり有名な作家さんなんだ。

 新刊が出るとどの本屋さんでも背表紙じゃなく表紙を向けて――平積みというらしい――何冊分ものスペースをとって並べられるし、クラスでも話題になるもん。いわゆるライトノベルの、ちょっとミステリっぽいシリーズを中心に書いてるからね。わたしみたいに普段本を読まない子も、根っからの本の虫も、どちらもファンにしているのがレイの強みのよう。

 他にもちらほらと大人向けの小説も書いてるみたい。わたしの幼なじみなんかは、かなり熱心なファンの一人だ。新刊が出るたびきっちり便せん五枚分のファンレターを、毎回わたし経由でレイに送ってる。

 わたしはレイの職業より、ママのジャーナリストとして世界中を飛び回る姿に憧れてる。将来の夢を聞かれたら、迷わず、ママみたいなジャーナリストって答える。もちろん作家もジャーナリストと同じ、「なにかを伝えようとする」やりがいのあるカッコイイお仕事だとは思うんだ。

 思うんだけど――。

 隣でレイは、せっかく積み直した本の塔を、また崩してしまい、回収するのにあたふたしてる。

 こういうレイは、ちっともカッコよくない!

 レイがいつまでもこんなふうだから、わたしがしっかりしなくちゃならないんだよね。

「いい? レイ。本棚から出したものは、読んだら元の位置にしまうこと。その辺に出しっぱなしにしておかないの。この足の踏み場のなさじゃあ、本っ当にいつまでもカレシできないし結婚もできないよ」

「姉さんと同じこと言うなー。別にいいもん、私は今でじゅうぶん幸せだよ。好きな小説が書けて、読めて、たくさんの人たちに面白かったって喜んでもらえて。デートなんかする暇があったら一通でも多くファンレターの返事を書いていたい」

「……作家としては優秀だと思うけど、年頃の女性としてその発言はどうだろう。カレシが欲しいなー、とか、ロマンチックなデートがしたーい、とか。ほら、真っ白なウェディングドレスを着て教会で結婚式を挙げたーいだとかさ。そんなふうに思ったことあるでしょ」

「んー、あるかなあ。あったかなあ」

 『大空の殺人』という本を抱えて、悩んでる。

 なさそうな言い方だ。

 女の子なら誰しも小学生の頃から持っている恋愛に対する夢が、レイにはすこんと抜けてるみたい。

「もしかしてレイ、今まで好きな男の子とか、一人もいなかったの?」

「いるよ。そりゃもう、たくさん。明智小五郎でしょ、シャーロック・ホームズ、エラリー・クイーン、北詰拓、御手洗潔、火村英生、竜王創也……」

「いやいやいや、全部このリビングにいる人たちじゃん」

「うん、そうだね。好きな人に囲まれて幸せだねー」

 レイはのほほんと笑う。

 男の人と付き合ったこと、一回もないのかな? そのわりには、泣けちゃうくらい胸がキュンとなる恋愛小説も書いてるんだよね。

 経験するどころか興味もないのに、全部想像で書いてるとしたら、それはそれですごい気もする。

 レイがどう生きようが、それはレイの人生だ。究極的には。でもさすがに心配になった。

「言っておくけどレイの言うその好きな人たちは、レイにはなんにもしてくれないんだからね。お誕生日におめでとうも言ってくれないし、手もつなげないし……そんなの寂しいと思うけどなあ」

「いいよ、慣れてるから。それに一年の内の半分はあっちゃんがそばにいてくれるから、ちっとも寂しくないよ」

「あのねえ、わたしだっていつか結婚しちゃうんだからね、多分。そうしたらレイと一緒に住めないからね」

「えっ、それは困る。……あっちゃん、ダンナさんはうちの近所の人にしなよ。できれば転勤しない人ね」

 と、レイは腕時計を覗いて――家の中でも欠かさず腕時計してるって、この人、変でしょ?――のんびりと言った。

「面倒くさいから諦めよーっと、著者校で忘れずに直せばいいし。ところであっちゃん、八時十五分になるよ。急がなくていいの?」

「……え? 急ぐよ!」

「じゃあ、急ぎなよー」

「『急ぎなよー』じゃないよ! 信じられないっ、どうして、もっと早く言ってくれないのよ!」

「今気が付いたんだもん」

 そりゃそうか。

 レイに怒っても、時の流れは止まってくれない。わたしは大慌てで朝食の残りをかき込み、学生鞄とテーブルの上にあったケータイを引っ掴み、玄関に走った。歯磨きは、今日は省略! 四月早々の遅刻なんていう不名誉な事態を避けるため、やむをえない。

 大体、レイがいけないんだってば。朝から世話を焼かせるし。

 それにね、レイのこの小さな借家っておかしいんだ。だって、ちゃんとした時計がたった一個しかないんだよ。レイの寝室にある目覚まし時計を、台所に置いたり、リビングに置いたりして、わたしとレイが共用で使ってる。あとはDVDデッキやファックス機についてるデジタル時計もあるけど、表示がちっちゃくて見てない。

 レイ本人は「家中に時計を置くより、こっちのほうが経済的じゃない」なんて理屈をこねて、家の中でも腕時計をしてるからよくても、わたしは常にケータイで確認していないと、たまにこういうミスをやらかしてしまう。

 壁時計を一つ、実家から持ってこようかな……。せめてリビングに常備してないと、落ち着かないというか、不便というか。

 それともお小遣いで、新しいのを買おうか?

 うん、そうしよう。すっごく可愛いデザインのやつを買っちゃおう。遅刻するよりは、絶対にマシ!

 玄関のタイルの上でローファーをはきながら、わたしがケータイを開いた。

 もちろん、学校へのケータイの持ち込みは校則違反。

 言い訳になっちゃうけど、わたしだって普段は自分の部屋に置いていくんだよ。でも今日は、塾に直行しなきゃならないから特別ってことで。

 用意し忘れたものがないか、塾から来たメールの連絡網、チェックしておこう。

 受信メールのフォルダを見る。

 ん?

 なんだこれ。

 昨日の夜、23時45分の、一番新しい受信メール。

 ――あの人からだ。


[本文]

解けても、わからないでしょう。おやすみなさい。…7 7 7


 わたし、こんなの読んだことない。

 ボタンを押して、二番目に新しい受信メールを読む。受信時刻は、最新のメールからさかのぼること約30分前、23時11分。


[本文]

1 1 10 1 6 1 30 1


 わけがわからない。なんの数字? というか、いつこんなメール来たっけ? 既に開封してあるけど、こんなメール、わたし読んだかな? まったく記憶にございません。

 わたしはこの人に、どう返事したんだろう、と首を傾げて一番新しい送信メールを見てみると、


[本文]

どういう意味?


 ――こっちが聞きたいよ!

 ちょっと待った。落ち着いて、敦子。

 ダイニングテーブルからぱっと持ってきたこのケータイ、わたしにまったく覚えのないメールがやりとりされてるっていうことは。

 これって、わたしのじゃない。

 レイのケータイ?

 そういえばレイ、最近ケータイを替えたとか言ってなかったっけ。五年も使い続けてきた愛機が、ついにうんともすんとも言わなくなっちゃったとかで。

 ピンク色のボディを裏返す。そこにはでかでかと、「夏目みつる」ってマジックで書いたお名前シールが貼ってあった。

 うわー、だ、ださいっ。二十七歳の女性がすることじゃない!

 案の定、レイが同じ機種のケータイを振りかざして、ばたばたとリビングから出てきた。

「あっちゃん、それ私のケータイだよー! あっちゃんのは、こっちだよ」

「まぎらわしいな、もう! なんで、よりによって同じ機種の同じ色なのよっ」

「その方があっちゃんに、操作教えてもらいやすいじゃない」

 不精な理由に呆れた。説明書くらい、自分で読みなさいよ。

 レイはなぜかむくれた。

「あと、色は、それしか残ってなかったんだもん」

「じゃあせめて、ストラップは変えてよ……ストラップまでわたしと一緒って……」

「仕方ないでしょー、二人とも姉さんのお土産つけてるんだから。あ、ほらもう時間、時間。急いで」

 レイとケータイを交換して、玄関のドアを押し開く。

 うん、いい天気!

 眩しい日差し――からっと晴れた青い空。春の空って、どうしてこうもすがすがしいんだろう。まじりっけのない水色が、電線に区切られながら、でもどこまでも続いてる。

 パパやママが今いる東京も、晴れてるのかな? 同じようにこの空を見て、今日も張り切っていこう、って思ってるかな。

 わたしはレイを振り返って、早口で言った。

「わたし、今日は塾で遅いから、夕飯は自分で作ってね」

「うん、自分で買ってくる」

 作るんじゃなくて買うのか。いつもながら情けない。

 レイはのほほんとした笑顔で、手を振った。

「帰りは暗いから、気をつけてねー」

「はーい。行ってきます!」

 元気よく門から飛び出した。わたしは八時二十五分のボーダーラインに間に合うよう、気持ちのいい春風に応援されながら、学校へ全力疾走した。

 走りながら、ちょっと考えた。

 あの不思議なメール。

 まさか……暗号?

 なぜか、あの人からの――。


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