これは本来わたしの知るはずのない、ある日の二人のワンシーン。
場所はS区北山町、住宅街の真っただ中に建つ北山教会。礼拝堂の隣、牧師館一階のダイニングルーム。
日はすっかり暮れて、窓の外は暗い。牧師館の周りは多様な木々で囲まれている。ざわあ、ざわあ、という木ずれの音が聞こえる。
ダイニングテーブルには、温かで、手の込んだ料理が何品も並んでいる。
テーブルをはさみ、向かい合って座る二人。
一方は男性で、もう一方は女性。
男性はこの牧師館の主、つまりは牧師さん。女性はくるくるとしたブルネットの癖毛と幼顔が特徴で、きっといつものジャージ姿。
「おいしい。それにしてもきみはいつも豪勢な食事を作ってくれるね。名探偵ならさしずめポアロにでもなった気分だ」
上機嫌でこう言ったのは、女性のほう。
「牧師って、もうかるの?」
「もうかりませんよ。神の御慈悲でやっと生かされてます」
食事前のお祈りを終えた牧師さんは、女性の言葉に苦笑する。
「……今度なにか持ってくるよ。肉とか魚とか」
「どうぞお気遣いなく。空を翔ける鳥たちが飢えないように私も飢えませんから」
「ん? それ、なんだっけ……福音書にあった……」
「ご存じでしたか」
牧師さんはちょっとびっくりする。そして、穏やかな表情で諳んじるに違いない。
「マタイによる福音書6章25節、山上の説教です。『空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に収めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる』」
「そう、そうだった。なんかね、パラパラっとしか読んだことないけど、聖書って結構食べ物の話が出てくるよね。マナがどうこうとか、羊がどうこうとか」
「聖書は案外、現実主義的なんですよ。人は食べなければ生きていけない。そして、キリストが私たちにその身体と血をパンとワインとしてお与えくださったように、食事をともにすることは実践的な愛そのものなんです。たとえば、お母さんが赤ちゃんにお乳を与えるような、どうか生きてほしいという行動を伴った祈り。だから、……あなたはこうして私と食卓を囲んで、おいしいと言ってくださるだけでいいんです」
「ふうん。きみはやさしいね」
女性は心からそう言う。精一杯の好意と、敬意、感謝の気持ちを込めて。
牧師さんはなにかを言いかけて、やめる。女性がもぐもぐと、本当においしそうに料理を頬張っているのを、幸せな、でも悲しそうな顔で見ている。