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序
彼は言葉を話した事がなかった。自分の名すら知らなかった。
物心ついた頃には、気の障れた母と二人で、格子付きの塔の最上階に幽閉されており、日に二回、食事を運んで来る下働きの男の顔を見るのが日課だった。
ある日、何もない宙空から、漆黒のローブを身にまとった、怪しい風体の男が現れ、彼に言った。
「お前は、自由が欲しくはないか?」
彼は、言葉を話した事はなかった。だが、言葉を理解することはできた。下働きの男の独り言や愚痴や、塔の外から漏れ聞こえる声や物音に、いつも耳を澄ませていたから。
だが、自由という言葉の意味は知らなかった。
無言で男を見上げた彼に、男は言った。
「お前が望むなら、ここから出してやる」
彼は頷いた。
「出たい」
彼が生まれて初めて口にした言葉だった。 男は頷き、彼の手を握った。男が何やら呟くと、知らない部屋に移動していた。
「今日からここが、お前の寝室だ」
男が告げた。彼は無言で、男を見つめた。
彼はまだ、事情を把握できていなかった。彼は何も知らない、幼い子供だった。