第7話:有念無雙
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・二月:日乃本協和國/病院/時刻は昼
牙白少尉は俺の病室に入ってきた医者と看護婦を追い返すと、懐から口付煙草を取り出して口紙を十字につぶした。
ライターで火をつけ、煙草の煙を呑みこみはじめる。なかなかの肺活量があるようだ。肺の中で転ばした紫煙を吐き出すと、紅茶のごとく華やかな香りが部屋いっぱいに広がった。
ここ病室なんだけど?
「俺は特務機関――『安平機關』に所属している。機関の主な仕事は皇國へのスパイ活動だ。……そして、これからデカい案件に関わる」
煙草を持つ少尉の左手小指が異常に発達していることに気が付いた。小指半掛けで突き技を使う妙見流銀劍術を修めているのだろうか?
「お前を助けてやったのはその任務の駒として使うためだ。報酬は総額にして五千万匁の『人間化手術』。成果によってはボーナスも付ける。これで文句は無えだろ?」
なるほど、皇國へのスパイ活動なら当然吸血鬼が適任か。
「ええ、わかりました。もちろん命を賭けてスパイ活動に励みます。俺が療化隊に入ったのも、すべては人間化手術を受けるためですから」
「物分かりが早くて助かるな」
人間化手術を受けさえすれば、人権が手に入る。強制收容所を抜け出せる。師匠に譲ってもらった二百億匁の埋蔵銀を回収に行ける。ボーナスなんて端金だ。
すると病室に二人の来客が現れた。
「少尉、遅くなりました」
「おう、ご苦労。コイツが例のスパイ候補だ」
「へぇ、若いねぇ……。俺は得上軍曹だ。よろしく」
そういうと、長身の優男は緩く敬礼した。耳には『雄保平定五等徽章』がピアスとして佩用されていた。
しかし、もう片方の人物は腕を組んだまま憮然とした態度を崩さない。なぜ人物かというと、顔立ちが中性的で男か女か分からなかったからだ。
「どうした、隆満伍長」
「……いや、吸血鬼を殺しに行くってのに吸血鬼を仲間にするのはどうかと思いましてね」
「まだそんなこと言ってんのか」
「そりゃ言いますよ。しかも、いかにも弱そうなヌルい顔してるし」
口を開いて声が出れば、さすがに男だと分かった。しかし、可愛い顔に似合わない口の悪さである。
さすがにイラッときた俺は思わず言い返した。
「お世話になります伍長殿。戦闘はぜひ優秀な伍長殿に担当していただきたく。自分の出る幕はなさそうですね」
「テメェ、ケンカ売ってんのか?」
「俺は売ってないですよ? 買っただけです」
二人の間にピリッとした緊張が走る。売られたケンカは買ってしまうのが俺の悪い癖だ。
「おいおい、病院で騒ぎを起こすのは止めろ。少尉も何か言ってください」
軍曹が後ろを振り向くと、少尉は煙草の煙を吐き出してから口を開いた。
「ふむ、いいじゃないか。――二人とも、試合しろ。俺もコイツの力量を見てみたい」
そう言うと、少尉は俺を見てニヤリと笑った。
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・二月:日乃本協和國/病院の屋内運動場/時刻は昼
少尉は俺と伍長を病院の屋内運動場へと連れ出した。病院の受付の日付表示を見て、ようやく俺は三日ほど眠っていたことを知る。しかし、俺の体は鈍ることなく万全の状態だった。
屋内運動場にいるのは俺たちだけだった。ここに来るまでに病院全体を見回していたが、どうやらこの病院は重傷者の治療施設のようだ。軽く運動したい人はリハビリ施設のほうに集まっているのだろう。
俺と伍長は運動場の真ん中で相対する。二人の手には木刀が握られていた。
「どこでもいいから一太刀入れたほうが勝ち。もしくは木刀を落としたほうが負けだ。必ず寸止めにしろよ。命令に従えない奴はウチの隊にいらん」
再生したばかりの右手で手の内を決める。ありがたいことに右腕の筋肉量は千切れる前と寸分違わなかった。
「では、始め」
試合開始の合図とともに、俺は木刀を中段に構えて左足を後ろに下げた。板貼りの床がひんやりと冷たい。
「吸血鬼のくせに”中段の構え”か? 血劍術はどうした」
そういいながら、隆満伍長は木刀を斜めに構えた。
「悪いが俺はヤシマ銀劍術しか修めてない。そういうあんたは天象地法流か? それとも陽炎流か?」
「答える義理は無ぇな」
別にいいさ。すぐに分かる。
隆満伍長の構え――『彼岸の位』は天象地法流か、もしくは陽炎流の構えである。斜めに傾けた刀身の後ろに自身の身体を隠す、防御に秀でた構えだ。
天象地法流は”一人一殺”を信条とする相打ち前提の流派。一方で陽炎流は”後の先狙い”の流派だ。もしくは俺の知らない別の流派かもしれないが――。
伍長は向かって右側へと回り込むように足を運び始めた。俺は側面を取られまいと左側へ足を送る。波一つ立っていなかった水面が渦を巻くように動き出す。
そこで俺は窓から差し込む日光に気が付いた。――こいつ、太陽を背負うために位置を調整しているな。
こちらの視界を後光で潰す気だろうが、その手には乗らない。
一気に決める――。
左足の拇指球に力を込め、床を蹴りだして水平に跳躍。一足一刀の間合いを一気に詰める。
彼奴の股座に己が右膝を割り入れるが如く右足を大きく踏み込み、茶巾を絞りながら上から下へと唐竹割の一撃を放つ。木刀が正中線を真っ二つにする垂直の軌道を宙に描いた。
もちろん狙いは木刀。叩き落してやる。
戛――ッ! という硬い音が屋内に響いた。
木刀が床に叩きつけられた音かと聞きまごうほどの轟音。勝負あったか――? と思ったのだが、間一髪で伍長による防御が間に合っていた。
横に寝かされた木刀が伍長の目と鼻の先で俺の木刀を止めていたのだ。
伍長は木刀を持つ両腕を素早く頭上へと持ち上げながら、攻撃を受け止めていた木刀の切っ先を下方へと垂らす。すると、俺の木刀は横に受け流されて下方へと滑り落ちていく。
俺の木刀に押される勢いをそのまま活かし、攻撃を受け止めた木刀がクルッと閃いた。伍長が手首を柔軟に遣って右肩から背中側へ木刀を回すと、……いつの間にやら木刀を振りかぶった状態になっているではないか!
伍長は得意そうにニヤリと笑うと、左手を返しつつ左袈裟に振り下ろす。回転運動を活かし、俺の攻撃を助走に転じて加速した木刀が自業自得の理を表した。
再度、戛――ッ! という硬い音が屋内に響く。
しかし、俺も防御に成功していた。
なぜならその技を使われることは想定内だったからだ。
俺は突き出した木刀の棟に左手を添えることで、伍長の木刀を『諸手受け』していた。
仕留めきれなかったことにイラついたのか、伍長は腕を振り上げて連打を行う。戛ッ!戛ッ!戛ッ!――っと次々に斬撃を打ち込まれる。しかし、俺はそのすべてを諸手受けで往なした。
反撃させてもらうぞ――。
諸手受け状態からグイッと腕を押し込むと、俺と伍長の木刀はX字状に組まれて鍔迫り合いとなる。俺はそのまま力押しで木刀の接点を無理やり切っ先へとズリ上げ、接点を物打ちの範囲にもっていった。
好機――。有念無雙流の妙技を見せてやろう。
”左手を支点・切っ先を力点・右手を作用点”とした梃子を木刀上に作り出し、一気に木刀を右側へと押し出す。すると力点に剛力が生じ、鍔迫り合い状態にあった伍長の木刀と腕を力ずくで弾き飛ばした。
そこだ――。
俺は球撞きプレイヤーの如き姿勢となり、刀身に左手を添えつつ木刀をキューの如く突き出す。
伍長は堪らず大きくバックステップして突きを回避すると、俺から距離を取って崩れた体勢を立て直した。その時になってようやく、伍長の髪に隠れていた『維新和平六等徽章』のピアスが見えた。
勝負は決められなかったが、まあいいさ。俺が太陽を背負う位置を奪取したからな。
……背中側がヒリヒリと焼けるように痛いが、意地で我慢した。
叩きのめしてやる。




