第6話:造反有理
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・二月:日乃本協和國/病院/時刻は昼。
「ん……」
戦場の泥濘に沈んだ俺の肢体は、なぜか清潔なベッドの中で目を覚ました。ベッドと毛布は雲のように柔らかく真っ白だった。
眠気が波のようにサッと引いていく。こんなに目覚めがいいのは何年ぶりだろう。
ここは……、病院だろうか? 眼前には知らない天井が広がっていたが、不快感はなかった。療化隊の木造兵舎といえば天井のいたるところから雨漏りしており、そこから黒いカビが広がっていたものだ。
自分以外のベッドはない。これではまるでホテルの個室のようだ。だが棚に置かれた医療器具を見れば”病室”と推測する方が正しそうだった。
すこしばかり呆けていると、病室のドアが開いた。最初に入ってきた看護婦は起きている俺を見やると、すぐに医者を呼びに行った。
その後に続き、見知らぬ青年士官がズケズケと病室に入ってくる。おそらく、看護婦はコイツを案内するために俺の病室に来たのだろう。
「ようやくお目覚めか。……ここは死後の世界だ。ようこそ地獄へ」
「生前にいた現世よりずっといい場所みたいですけど」
「残念なことに冗談だ」
そういうと男はベッドの横の椅子にドカッと腰かけ、スラリと長い足を組んだ。なんだか見せつけられているような気がしてイラっとした。
糊の効いた黒い士官服――その肩には金の鎖のような飾緒がジャラジャラと垂れ下がっている。耳には『天誅闘邪三等徽章』がピアスとして佩用されていた。肩に縫い付けられた階級章から”少尉”と分かる。
少尉は帽子をとって机に置くと、簡潔に名乗りを上げた。
「牙白少尉だ。よろしく」
微笑みをたたえた口元からは白い歯が覗いている。蛇のごとく人を食ったような態度がどうにも苦手だ。
おそらく二十代後半だろうか? その年齢で少尉というと……、士官学校を出たのなら無能だし、叩き上げだとしたら秀才だ。おそらくは後者だろう。
「……雪シン上等兵であります」
俺はすかさず敬礼するために右腕を上げた。
そこで、自分の右腕があることに驚いた。肩から千切れていたはずの右腕は、すでにしっかりと再生していた。腹に開いていた穴も塞がっているだろう。
俺が気を失ってからどれだけの時間が経ったのかはわからないが、それなりに丁寧な治療を受けたらしい。
「フッ、敬礼はしなくていい。楽にしろ」
少尉は手で腕を下げろとジェスチャーした。
「それに、お前の名字は曾根井じゃなかったか?」
「それは父方の名字です」
「ああ、そうだったな。すまんすまん」
本当はわかってるくせに、くだらない三文芝居につき合わすな……。
少尉は懐から手帳を取り出し、俺のプロフィールを読み上げ始めた。
「雪シン――。男性。年齢は20歳。15歳で軍に志願。階級は上等兵。血液型はO型。身長は191cm。魚類系の變化身持ち……」
「……すみません、測定の時に背伸びしてました。本当は189cmです」
「ハハッ、正直でよろしい。……だとすると”皇太子暗殺犯の血族だから処刑されそうになって亡命してきた”っていう経歴もウソか?」
「それは本当です」
そうじゃなきゃ、こんなところに亡命なんかしない。
「なら良かった。お前を治療してやったのが無駄だったかと思ってビックリした」
そういうと少尉はニヤリと笑った。
「『良かった』というのは……?」
「俺の部隊には『人間側を裏切れない吸血鬼』が必要だ。お前がその第一候補ってわけだ」
「つまり俺は異動になるってことですか? 少尉の部隊に異動して、またどこかの戦場で戦うと」
「ご明察」
「……『裏切れない』ってのは、どういう意味ですか?」
そういうと、少尉の眉根がピクりと動いた。
「……あ? さっきからゴチャゴチャ煩いぞ。ここで死んでおくか?」
少尉はおもむろに椅子から立ち上がると、腰に下げた拳銃嚢から素早く《廿四式自動拳銃》を引き抜き、俺に突き付けた。黒染めされた銃身に、赤い紫檀のグリップパネルがよく映えていた。
「さっき看護婦が医者を呼びに行きましたよ。そろそろ帰ってくるはずだ」
「で? 吸血鬼一匹が死んだところで誰が悲しむ? 誰が憐れむ? お前には人権が無いから殺しても殺人罪にはならん。お前が死んだところで代わりはいくらでもいる」
少尉は俺の額に銃口を押し付けたり離したりしてショートリコイルの機構をカチャカチャと動かし、最後にグリグリと押し付けた。
「落ち着いてください。俺は喧嘩したいわけじゃない。……療化隊じゃマトモなメシも俸給も出なかった。またそれが続くのかと思っただけです」
なるべく冷静を装って口を開く。正直なところ内心ビビっていたが……、これ以上都合よく使い潰されるのも御免蒙る。
「造反有理ですよ。裏切りたくなるのは労力に見合った見返りがないからだ。……つまり、まだ報酬の話をされてない。今の話だけじゃ、『逃げ道のないガキを都合よく使い潰したい』という意味にしか聞こえない」
俺は少尉の右手を掴み、押し付けられた拳銃を額から離した。
「それに、俺はもう疲れました。このまま苦しみだけが続くなら、ここで死んでいい」
ショートリコイルで動作する拳銃は、銃身が後ろに後退すると薬室が解放されてしまう。その状態で銃弾を発射すると拳銃が故障しかねないので、安全機構が働いて引き金が引けなくなる。
つまり銃口を押し付けて銃身を後ろに後退させた時点で、少尉が俺を撃とうと考えていないことはお見通しだった。
拳銃を離した今の状態なら、引き金が引ける。俺はそのまま引き金に掛けられた少尉の人差し指を上から押そうとした。
「……チッ、有財餓鬼だな」
少尉は俺の手を振りほどくと、サッと拳銃を引っ込めた。その後、慣れた手つきで手動安全装置レバーを親指で押し下げ拳銃嚢にしまい込んだ。
少尉は改めて椅子に腰掛けた。今度は足を組むこともなかった。
「報酬は――、『人間化手術』だ」
総額にして五千万匁の人間化手術。その返答こそ、俺がこの五年間求め続けていたものだった。
……今さら軍人として殺生を重ねてきたことを悔やんでも仕方ない。
畜生道に落ちた以上、俺はもう引き返せない。
どれだけ手を洗っても、返り血は落ちない。
どれだけ足を洗っても、この罪は消えない。
それなら徹底的にやるしかない。
一人殺せば悪人だが、百人殺せば英雄だ。
”天国は地獄のさらに下にある”んだ。努忘れるな。




