第5話:二百億のカネ(※過去)
■星曆一九〇二年(光分三五年)・四月:日乃本協和國/吸血鬼強制收容所/時刻は昼
「……最後に、俺の噺を聴け。俺の今までのことと、お前のこれからのことだ」
その言葉に、俺は背筋を伸ばした。
師匠が自分の話をしたことなどほとんどなかったからだ。
師匠の名前が”シン”ということも、いま初めて知ったくらいだ。
「かつて俺は協和國軍の特殊部隊に所属していた。皇国の旧帝都がいとも簡単に陥落したのは、特殊部隊が撒いた毒ガス――《毘藍婆》による戦果だ」
「《毘藍婆》って都市伝説じゃないの?」
「いや、実在する。大蒜の殺菌成分を利用した、吸血鬼だけを殺す毒ガスだ。それで俺たちは旧帝都の吸血鬼を鏖にしたのさ。……非戦闘員もな。男も女も、老人も赤ん坊も、みんな平等に殺してやった」
師匠の声がどんどん掠れていく。俺は師匠の手を強く握りしめた。
「すべてはカネのためだ。酒と女を好きなだけ買って、一生遊んで暮らすためだ」
師匠がカネの亡者なのは知っていた。初めて会った時もカネの話ばかりしていた。
しかし……。
「吸血鬼を殺すだけで、”一生遊んで暮らす”だけのカネが貰えたの? そんなことないよね?」
「聡いな、お前は。察しの通り俸給や賞与なんか大した額じゃ無え。……俺たちは『刀塚』を探していた」
「刀塚?」
「皇國の旧帝都――『京師』には、人間から取り上げた銀劍を集めて処分する極秘の施設があるっていう噂があった。……銀が1兮いくらで取引されてるか知ってるか?」
「1兮あたり、だいたい二十万匁くらい?」
「その通り」
『匁』とは協和國の通貨単位である。
アージェンティア合衆國の『ガウチョ』と、日乃本協和國の『匁』は銀本位制の通貨。
ヴァラヒア帝國の『バン』と、月輪皇國の『錢』は金本位制の通貨だ。
ちなみに1兮は31.1035グラムであり、小銭5枚程度の重量である。ちょっと豪華な定食が千匁程度だから、小銭5枚分の金属塊で定食が二百食も食べられると考えたら、どれだけの価値があるかよく分かる。
「俺の部隊は噂に聞く刀塚を探して、本隊から勝手に離脱して独自行動をとっていた。……そして、”それ”は実在した。銀劍を鋳潰すための隠された精錬所がな。持ち出されずに残っていた銀の延べ棒全部かき集めて浴槽一杯分……。十万兮はあったはずだ」
「十万兮ってことは……、二百億匁⁉」
俺は驚愕した。協和國の労働者の生涯賃金は約二億匁と言われている。それだけの銀塊があれば、二割の税金を取られたとしても一生遊んで暮らせるに違いない。
「俺たちは銀塊を接収したあと、そのまま持ち帰らず近くの山中にあった鶴林廢寺の涸れ井戸に埋めた。鶴林山は地雷原の中にあったし都合がよかった。……作戦中に持ち帰ったら軍に取り上げられる。作戦終了後に回収して、部隊の人間だけで分け合うつもりだった」
師匠は何かを思い出すように目を閉じた。
「隠し終えてから本隊に合流しようとしたが、運悪く撤退中の吸血鬼部隊と遭遇して俺以外はみんな戦死した。俺も重傷を負った。……目が覚めると俺は吸血鬼になっていた。あれだけ殺してきた吸血鬼にな。それに、自分の寿命がかなり削れてるのも分かった。これでは寿命が来るまでに『人間化手術』を受けるための五千万匁を都合するのも無理だ」
師匠は自嘲するように笑った。
「だから、こんな掃き溜めで管を巻いてたってわけだ。そして、無聊を慰めるためにお前をペットとして飼った。……ま、思っていたより賢かったがな」
師匠は酒瓶を大きく傾け、ゴクゴクと喉を鳴らす。そして、わずかに酒の残った酒瓶を俺の前に突き出した。
「シン、飲め」
「……うん」
一気に飲み干すと、強烈なアルコールの匂いが鼻を突いた。酒の味は分からなかった。
「お前はもう15歳だろ。志願すれば特別年少兵になれる。……療化隊に入れ。そこでカネを貯めて『人間化手術』を受けろ。強制收容所から抜け出すなら、それしか道はない」
「それって、つまり……」
「俺たちの隠した埋蔵銀を取りに行け。それで自分の人生を買い戻せ。軍はいまだに銀塊のことを聞いてこないから、その存在には気付いていないはずだ。……全部、お前にやる」
守銭奴の師匠が二百億匁ものカネを譲るなど、到底考えられない話だった。だからこそ師匠の死期が迫っていることが分かる。
師匠の目が、俺の目を見据えた。
「俺が教えた”この世の真理”、覚えてるか?」
俺はしっかりと見つめ返して、口を開いた。
「”天国は 地獄のさらに 下にある”」
「……そうだ。努忘れるな」
頭を使って他者を出し抜き、天上天下唯我独尊に至る――。それこそが有念無雙の境地也。
畢竟、この世は他者を蹴落とさなければ生きていけない地獄である。それなら開き直れ。他者を蹴落とすほどカネが手に入り、天国に近づく。これこそ”この世の真理”也。……と、師匠は言っていた。
風が吹く。桜の花がどんどん舞い散っていく。
師匠は最後の力を振り絞り、紫色の血が混ざった肉声を肺から吐き出した。
「お前は……、お前だけは幸せになれ。俺が積み上げてきた死体に意味を与えてくれ。……それが俺の、最初で最後の願いだ」
師匠の光彩から光が消えていくのがはっきりと分かった。
「達者でな」
桜木に残っていた最後の花弁が落ちた。
俺は師匠の死体を桜の木の下に埋めた。そのあとすぐに療化隊へ志願した。
次の春に咲いた桜の花の色を、俺は知らない。




